第84話 恩と忠義
薄暗い下水道に浮かぶその幾つもの松明。それらが照らすのは物々しい鎧に包んだ騎士。その中で目立つのは、異質に軽装のひょろっとした男クレート。手には黒髪の使用人が掴まれていたが、その目は迫る足音に釘付けになる。そしてその口は歪なほどに広がり、湿り気のある声を響かせる。
「まァたお前かァアアア゛!!!!」
そう叫ぶ先。黒い外套に身を包んだ奴隷商がナイフを握る。そしてその隣にはクリスが並び、剣を構えている。
「それはこっちの台詞だ」
奴隷商が一応そう返事すると、そのまま水面を蹴る。そしてその足は騎士達の頭を超え水しぶきを散らす。その落下地点には、今か今かとナイフを構えるクレートがいるが。
「なんちゃって」
奴隷商は咄嗟にナイフを引き体を捻り、クレートのナイフを避けることに専念する。そのまま水面へと落下し、水しぶきを上げると、目の前では両手ナイフを掲げ振り下ろそうとするクレート。
「うらァッ!!!」
だが奴隷商はそれを避けようとはしない。クレートは一瞬の違和感を抱くが、怒りから抑えが効かずナイフを奴隷商の脳天へと振り、舞い上がった水飛沫を切り裂く。だが奴隷商の体の後ろに手を構えるクリスにまでは気付かない。
「……あ?」
そうクレートが気の抜けた言葉を発すると同時に、轟音が下水道に響く。その音の正体はクリスの放った氷魔法、それが騎士達の間を縫い、弾丸の様に一発がクレートの眉間を狙う。勿論クレートも避けようとするのだが。
「ほら俺はこっちだぞ」
奴隷商がナイフを握り直し、振り上げる。クレートはそれを見て両方を避けれないと判断すると、歯ぎしりをして、黒髪の少女を手放し身軽にする。
「舐めんなよォッ!!」
思いっきり飛んでくる氷塊に頭突きをかまし、左足を引いて奴隷商のナイフが掠めるだけに留める。そして額から血を流し、氷の破片が飛び散りながらも、クレートは得意げに笑い。
「どォだよ!!」
だが奴隷商の視線は既にクレートから離れており、投げだれた黒髪の少女を抱きかかえる。
「クリスッ!!!」
クレートはまともにクリスの魔法を食らったというのに、眼をぎらつかせこちらへと襲い掛かろうと、フラフラとナイフを揺らす。今少女を抱えている以上、戦いずらいとクリスを呼んだのだが、それは必要なく。
「言われなくても」
クリスは淡々と剣を振り上げクレートの背中に迫る。他の騎士達も状況を掴めたのか、こちらに向かってくるが先手を打てたのが大きい。クレートが振り返る瞬間には。
「あ゛ア゛!?おめぇうらぎ━━」
そう言う暇すらなくクリスの剣が横薙ぎ一閃クレートの脇腹を抉る。そして奴隷商は少女を抱えたまま、右手を空け、そのがら空きのクレートの背中に拳を向ける。
「まず一人」
クレートの背を抉り、吹き飛ばされていく。それは水しぶきと共に、仲間の騎士達の中に転がっていく。それを確認すると、やっと奴隷商は腕の中に視線を落とすのだが。
「……お前か。なんでここにいる」
何故かそこにはボロボロになった使用人服をまとったレイラがいる。彼女か慌てたように目を白黒させているが、すぐに唇を結び声を張る。
「遅いッ!!」
耳元でキンと鳴る感覚。それで一瞬気が抜けてしまい、自身に掛かる影に気付かない。だが、そのクリスの声だけは良く響いた。
「気ィ抜くな!!」
迫る大斧の切先。息が詰まり咄嗟にレイラを守る様に抱える。そして後ろに避けようとするが、その大斧は奴隷商の右足の甲を叩き切り、天井に届くほどの水柱を上げる。
「ッチ……馬鹿力が……」
痛みが警告音の様に頭の中で響くが、歯を食いしばり何とか耐える。そして落ちて来る水柱の先には、明らかに怒りの色をにじませる老兵が1人。
「受けた恩を分からない男だとは思いませんでしたよ」
大斧を肩に抱え姿勢を落とす。それはただ冷たく鈍く奴隷商を捉え睨む。だが奴隷商の視線はその背後にある、抱えられた彼女を追っていた。
「クラリスッ!!」
その声は届かず下水道の闇の奥へと消えて行ってしまう。そしてクロヴィスの指示か騎士達はクラリスを守る様について行く。クリスがなんとかそれを追おうとするが、クロヴィスが機敏に反応し、立ちふさがる。
「ここにも裏切り者ですか」
クリスは一瞬苦い顔をするが、剣を構え自分を納得させる様呟く。
「俺は俺が正しいと思った道を行くだけだ」
強く一歩踏み出し水しぶきを上げるが、クリスの剣の切先は僅かにクロヴィスへと届かず、その老兵は目元に影を作る。
「あまりこういった事は言いたくないですが」
クロヴィスは撤退していく騎士達を横目に、大斧を構えたまま後ずさる。
「最近の若者は全くダメですね」
その怒りに満ちた声色だが、戦う意思が無いのかこちらを警戒したままゆっくりと、暗闇の中へと消えていく。そしてそれが見えなくなると同時に、下水道全体が揺れ石片が散る。
「……爆発?」
だがその原因を何か確かめる前に、下水道の天井にひびが入り、それは瞬きするごとに大きく広がっていく。奴隷商はクラリスを追おうと一瞬躊躇うが、クリスが駆けよる。
「行くぞ!また態勢を立て直す!!」
そうしてクリスと奴隷商は、崩れ落ちていく下水道を背に、ひたすらに足を回す。足跡に続く水音をかき消すほどに、下水道が崩れ落ちる轟音が迫るが、なんとか奴隷商らは地上へと上がる事が出来る。
「……何が」
そう奴隷商らが地上に出た時。そこは元々貴族館が集まる区画だったもの。今そこには地下に陥没し崩れた道路と、つられて傾いてしまった煌びやかな館群。
「爆発したのか……?」
奴隷商がそう呟くと、クリスは奴隷商の足に手を当て治癒魔法をしながら呟く。
「この区画は守りずらい。だから先に瓦礫だらけにして時間を稼ぐんだと。どうせ貴族もいなくなるしな」
差し出された手に奴隷商は感謝しつつ、腕の中に抱えたレイラを見るが、やはり疲れ切ったようで顔色が悪い。
「大丈夫か。どこか怪我は……」
そう言うがレイラは関わりのないはずの彼女を心配する。
「クラリスさんは!?アンタの知り合いなんでしょ!?助けに━━」
だがその大きすぎる声は、この帝都内では危なかった。すぐ瓦礫の向こうを歩く騎士達を目にして、奴隷商は咄嗟にレイラの口を塞いだ。
「助けに行く。だが今は機会を伺う」
クリスと目配せをし、とりあえず大通りだった場所から離れていく。腕の中のレイラも流石に大人しくしてくれるが、不満を隠そうとはしない。
そうして瓦礫を超え崩落していない市街地の路地裏へと向かうが、それと時を同じくして城壁から剣戟と爆発音に雄たけびが聞こえる。
「始まったか」
反乱軍が自分たちの仲間になるとは限らない。それこそクリスがいる以上敵と認識される可能性がある。
「どうする」
奴隷商はクリスと目を合わせる。そしてクリスは眼鏡を掛け直し、大通りの方の様子を伺いつつ。
「プレヴァルは王城にいる。クラリスさんもそこに連れてかれたと考えるのが普通だが……」
城壁へと向かって駆け抜けていく騎馬兵から、奴隷商は隠れ、クリスの言葉に付け加える。
「侵入できるかは難しいか」
クリスは頷く。奴隷商もどうするかと悩み、反乱軍との交渉も視野にいれる。だが、ふとそこに、戦争の余波か放置された貴族の馬車が見える。
「まぁただ━━」
難しいと思いつつも自身の考えを発そうとする。だが、そこでレイラが奴隷商の頬を掴み無理やり視線を合わせる。
「なに迷ってんの。私の時みたいに助けに行きなよ」
また見ない内に我の強く成長してしまったらしい。だが、あれから上手くやっていたのだと安心して、奴隷商は苦笑いを浮かべる。
「勿論。レイラにも協力してもらわないとだな」
クリスとレイラが不思議そうな顔をする。だが結局他に代案も無いので、奴隷商の案が採用され王城へと向かう3人。
だがそこにクリスと奴隷商の姿は見えず、ただレイラが手綱を握るだけ。
「私王城とか行ったことないんだけど……!!」
御者台に座るレイラが、荷台に向かって声を抑えつつも強く言う。だが返ってくるのは箱の中からのくぐもった声。
「俺とクリスは顔が割れてる。レイラしか無理なんだよ」
奴隷商の考えた案は至極簡単。馬車で正面から突破しようというもの。それこそクリスがこっちにいる以上、それらしい書類は捏造し放題だからできることだ。
「普通にして紙出せば大丈夫だから。あんまり荷台に独り言するやばい奴になるな」
レイラは何か言いた気にするが、なんとかそれを抑えて前に向き直る。そうして車輪が回っていくが、その間クリスが囁く。
「彼女を巻き込んで良かったのか?逃しても……」
だが奴隷商は首を振る。
「この帝都もすぐに戦場になる。俺の傍で手が届く所に居て貰いたいんだ」
自己中な考え方かもしれないが、それでも一人にさせて死なせてしまう。いつのかのハンナの二の舞だけは嫌で、奴隷商はレイラを手放せなかった。そしてその声を抑えていた会話はレイラにも聞こえてしまっていた。
「……そういうの面と向かって言えよ」
レイラは振り返る事無くそう呟く。だが、時間が経っても自分の知っている奴隷商出ていてくれてよかったと、そう安堵する気持ちもある。
そうして馬車は揺られ湖上に浮かぶ王城を前にする。そしてそこにかかる橋に構える門と衛兵達。それらは戦争がすぐそばにある事も相まって、警戒したようにレイラの馬車に寄ってくる。
「荷台を検めるぞ」
問答無用と荷台に入ろうとしてしまうので、レイラは慌ててその書類を取り出す。
「あ、あの!これ主から預かってて……!!」
その紙にはプレヴァルの名前を使っていた。判子も事務作業でクリスが代わりに押していたそれで、偽物にしてはあまりに本物すぎるそれ。怪訝そうに衛兵はするが、その書類のどこを確かめても疑う点が無い。
「……こんな時期に上納品とは」
しきりに首を傾げながらも衛兵達は下がらざる負えなくなり、門がゆっくりと開く。それでレイラが手綱を引き馬車を動かそうとするが、衛兵が思い出したかのように問いかける。
「そう言えば君は誰の使用人なんだい?」
頭の中が沸騰するような、一気に緊張がレイラの中に走り、冷や汗が湧いて出る。プレヴァルの使用人と言うのが一番良いのだろうが、もし仮にこの男がプレヴァルの配下でもあったら。
(確実にバレる)
しかし今振り返って奴隷商らに確認する事は出来ない。そう思考を回すが、その沈黙が余計に疑念を与え。
「言えないのかい?」
衛兵は右手を剣の柄に置く。開きかけた門もそれ以上動かなくなってしまう。レイラはなんとか言及を避けようとするのだが。
「……い、いやぁあまり勝手に主の名前を名乗るのは……荷物が荷物ですから……」
衛兵は一向にその場から動こうとしない。それどころか他の衛兵達もざわつき、馬車を囲んで来ようとする。
「別に言ったとて私から報告はしない。ただ安全のために名乗って貰えないか?」
「えー……っと」
ますます厳しくなる視線と、逸っていく脈拍。
レイラはどうにかならないかと思考を巡らす内に、1つだけ言えそうな名前がある事に気付く。この戦争で慌ただしい中、ここの衛兵。それが今さっき裏切った男の情報を知っているのかと。
プレヴァルの名前を言うよりかはリスクが少ない。そう判断し口を開く。
「め、名目上はプレヴァル内務卿閣下なんですけど……今はクリス様のお手伝い……?みたいなので……」
どっちともとれる言い方。プレヴァルの配下でも一々家臣の使用人まで把握していないはず。そしてクリスが裏切ったと情報が入っていても、関係ないとしらを切れるよう。そしてどうなのかと、衛兵の様子を伺うレイラだが。
「……なるほど。なぜ渋ったんだ」
衛兵がすぐに飛びつくことはなかった。まだ嘘だとは思われていないと考えて良いのだろうか。だが、ここで気を抜けないと、レイラは。
「だって私みたいなのが貴族様の名前を使うなんて……」
弱々しく自信の無い使用人のように振舞う。そしてわざとらしく首元を触り、自分が以前どんな立場だったのか示す。そしてそれは衛兵にも伝わり、同情半分納得半分といった感じて。
「……すまなかったな。こっちも気が立っていた」
それで今度こそやっと門が開かれ、馬車は湖上の橋を進んでいく。そして通り抜けた門が閉められるのを確認すると、レイラは荷台へと話しかける。
「最初からクリスさんで良かったじゃん」
だがそこから顔を出す奴隷商は、酷く疲れた様子で。
「まぁ……それはそうかもしれんが。とにかく助かった」
奴隷商自身急に荷台から飛び出す訳にいかず、ただレイラの一挙手一投足に緊張しながら、会話を聞いていた。それこそ衛兵たちが剣を抜けば、すぐにレイラだけは逃がせるよう魔法の準備もしていた。
そして隣で聞いていたクリスは感心したように。
「でもすごいな。良く誤魔化してくれた」
そうクリスが微笑みレイラは満足げにする。それを見て奴隷商は少しだけ不満というかムッとするが、それは今じゃないとすぐに顔色を戻す。
「王城に入ったらそのまま俺達ごと荷物を置いていけ」
湖上を走る馬車だが、陽は段々と傾き始め、水面に反射する暖かい光が差し込んでくる。遠巻きには人の叫びに悲鳴が響き、僅かに湖面を揺らす。
「私はどうすればいい?」
奴隷商は一瞬悩むが、共に王城で行動するには、言い方は悪いが足手まといになる可能性も考え。
「外ではもう戦闘が始まってる。どこか安全な部屋に案内してもらえ。後で迎えに行く」
最初こそ不満げにするが、迎えに行くというとレイラは納得したように頷く。そして奴隷商はクリスを見て。
「俺はまずクラリスを優先するが良いな」
クリスは眼鏡を掛け直し、髪を結ぶと少しだけ微笑む。
「あぁ。それが終わったらプレヴァルだぞ」
奴隷商は強く頷く。そしてその馬車は湖上に浮かぶ王城へと消えていくのだった。
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そしてその湖上に浮かぶ王城。その角にある塔にて1人の騎士がいた。
「……もう戦闘がはじまってますね」
外壁の城門は既に落ちているのか火の手が上がっている。ここに来るのも時間の問題だと思わざる負えない。だが、そこにいる騎士コンラートの主、シーナは落ち着いて紅茶に口を付け。
「……また戦争」
どこからか伝わる振動で僅かに紅茶の水面が揺れる。それを見つめるシーナの瞳も酷く暗く、コンラートの気持ちをかき乱す。
「次は絶対に私が守りますから。だからどうか安心してください!」
華奢で折れてしまいそうなその体を抱き寄せるコンラート。もう二度と奴隷に落とさせない、騎士として最期まで主に添い遂げる。そう必死の覚悟だが、シーナはコンラートに抱かれたまま、そのブロンド髪の頭を撫で微笑む。
「もう紅茶が零れちゃうって」
正直シーナにとって戦争などどうでも良かった。それこそ今の皇帝が死んで、どこかコンラートと一緒に落ち延びれたら、などと期待をしてしまうほど。そしてこういう危機的状況になれば、彼は私を守ろうとしてくれる。それが分かっているから、なお満たされる。
「コンラートはいつまでも私の傍にいてくれるんだよね?」
自分より一回りは大きいかと思う程の体。それに精一杯手を伸ばし首にかけ、コンラートの焦ったような顔を見上げる。すると、いつものように私を心配させないよう無理に笑って。
「勿論です。火の中水の中。どこにでも」
だが、いつもいつもシーナにとってこういう時間は邪魔される。しばらくノックされる事すらなかった、その埃を溜めていた戸が乱雑に開けられる。
「プレヴァル内務卿閣下がお呼びです。ご同行願いたい」
慌てた様子の兵士。それはこちらに拒否権が無いとそう態度で示していた。シーナ自身内心舌打ちが漏れるが、逆らう訳にいかないので外向きの笑顔を作り。
「えぇ。すぐに参りますから部屋の外で待っていて下さる?」
だが兵士はドアノブを握ったまま動かない。
「いえ急ぎですので。ですから早く━━」
シーナも引かない。笑顔を張り付けたまま少しだけ声に圧を滲ませる。
「待っていて。下さる?」
兵士の顔が一瞬歪む。それでもまだ言い返そうとするが、シーナの表情を見て怯えたように顔を伏せると、そのまま部屋の外へと出る。コンラートはそれを不思議そうにするが、振り返ったシーナは満面の笑みで。
「じゃあ着替えましょうか!急ぎみたいですし!」
それはある馬車が王城に侵入したのと同時刻。反乱軍が城壁を破った頃合いと殆ど変わらない。登場人物が全て、そこに集まりつつあった。
明日は投稿時間遅くなるかもです




