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奴隷商の男  作者: ねこのけ
第六章
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第79話 沈殿物


 街を流れていく水路。その水面自体はある程度綺麗だが、その両脇には生きているのかどうなのか判別出来ない人間が倒れる。そしてそんな中、身なりの良い男が二人。


「……」


 黒い外套を纏った男は蹲る。その手にはもう既に動かなくなって時間の経ったのであろう、人であった物。そして外套の男の目は、背後で尻餅を付く、眼鏡をかけた男へと向いていた。


「なんか言ったらどうなんだ」


 奴隷商はそれを抱えたまま立ち上がり、クリスを見下ろす。さっきまではあれほどに要求をしてきて、ペラペラと話しかけてきたくせに、今はダンマリで唇を震わせるだけ。


 それがただただ腹が立ち奴隷商は抑えることが出来ない。


「……結果論であれこれ言うのは好きじゃない」


 奴隷商が一歩踏み込むと、クリスは肩を大きく揺らし尻餅を付いたまま後ずさる。


「だがこの子を。この街の奴隷を殺したのはお前だ。俺にあれだけ言ったんだ。その責任から逃げるなよ」


 この男をこれ以上目の前にしていると、暴力を振るってしまいそうになる。だからと視線を上げクリスを視界から外して歩き出す。そしてその足先がクリスの傍を通り抜けようとする瞬間、風に掻き消えそうな程小さな返事がやっと来る。


「……だから……俺はそんなつもりじゃ……」


 そう言いながらも明らかに憔悴しきった様子のクリス。この現状が自身のせいだと認識しているからこその反応。


「……そうか。それは残念だ」


 だからそれ以上は言ってやらない。もう進んでしまった物事はどうしようもない。今更この男を責めても、この腕の彼女は動き出さない。ならすべきはすぐにでも人間らしく弔ってやる事ぐらい。


 そう言いたい事に不満を理屈で押し込め、項垂れるクリスを後ろにして去っていく。そしてその遺された彼は、ただどうすれば良いか分からず、爪を地面に立て血を滲ませる。


「……ッ」


 口では責任から逃れようとしてしまった。そうでもしないと、どうにかなってしまいそうだったから。だが、こんな時に限って思考は冷え切り自分の選択の結果を直視してしまう。


「……どうにか……どうするんだよ……」


 だが直視した所でだった。結局この奴隷解放をしたのもプレヴァル。政治的に根回ししたのもプレヴァル。ただ俺は理想を草案に詰め込んで、その反動を考慮せずこの結果を招いた。ひたすらに自分の至らなさと、世界を変えれるというあまりに惨めな驕りを思い知らされる。


「何も……ッ……俺は何もッ」


 そしてそんな項垂れる彼に、顔も知らないみすぼらしい男が近寄る。


「なぁアンタ貴族だろ?俺雇ってくんねぇか?前は肉の解体やってたんだが追い出されちまってよ」


 クリスは視線だけをその中年の男を見る。だがそれを相手するだけの余裕はなく、声色低く答える。


「……すまない。今それどころじゃない」


 クリスはよろよろと起き上がる。今はこの現状をどうにかする方策を考えないといけない。このような男を相手している暇は無いのだ。そう足を踏み出そうとするが、その中年男はクリスの腕を掴み縋る。


「良いだろ?せっかく奴隷から解放されても金がなきゃ死んじまうんだ」


 それがまるで自分を攻撃しているかのように聞こえてしまう。お前のせいでこうなっている。お前のせいで死にかけていると。そう責められているようにしか感じられなく、クリスは筋違いな怒りを抱く。


「関係無いだろ。職も見つけれないお前が悪い」


 余裕が無くなり、あれだけ不気味に感じたプレヴァルと同じ事を言ってしまうクリス。だがこの時は、それにすら気づかず、ただ怒りに任せその中年男を振り払う。


「うわっ……てぇなぁ……ッ」


 男の恨めしそうな眼が届くが、クリスはそれを直視できず背を向ける。何をしてもどこに行っても自分が否定されるようで、周りの事など考えられなくなる。


「正しかったはずだろ……奴隷なんて無い方が……」


 そんな言い訳すら誰にも届かず、僅かにクリスのひび割れた心を潤すだけ。そんな彼は結局答えを得ないまま、その主の館へと戻らざる負えなかった。


ーーーーー


 そしてもう一人の男。彼はいつの日かの様にその黒髪の彼女を抱え、一人分の足跡を伸ばしていく。


「……死因すら分からない」


 外傷によるものなのか飢えなのか病なのか。はたまたそのすべてなのか。それは分からない。だが、確実に言えることは、彼女は自身の人生の最後を誰にも伝えられず、1人で死んでいってしまった事実。


「……探しに行くべきだった」


 ハンナを抱える手が強張る。

 クロエもエドガーも俺がすぐに探しに行けば何とかなったかもしれない。そう後悔してしまいそうになるが、すぐに思考は落ち着いてしまう。


「探した所で……か」


 この広い帝都だけでも怪しい。売られたとなれば他街他国に居てもおかしくない。探しても見つかる可能性は万に一つもない。


 だがそうだとしても想定し得る場所にハンナがいて死んでいた事実。それは助けられたのではと、酷く心に重しを吊るし下げる。


「なんであそこにいるんだよ━━」


 独り言をそのハンナだった物にぶつける。勿論答えは返って来ず無為に消えてしまう。奥歯がカチカチと鳴る。なんだかんだ関りの深い奴隷だっただけに、そして手の届く所で死んでしまっていた事実に、酷く心臓が締め付けられるよう。


「……10年前と変わってねぇのか。俺は」


 成長したと思っても同じ轍を踏んで同じように後悔する。それで何も変われていないのか。


 そう視界は地面の石畳を見つめていると、そこに小さな染みがいくつも出来、空は薄暗くなる。奴隷商は黒い外套を脱ぎ、それをそのままハンナに被せてやる。


「……」


 雨粒が全身を叩きつけて来る。だがそれは奴隷商にとって自身を罰してくれている様で気持ちよくすら感じていた。


 だがその顔は暗いまま、奴隷商はただ沈黙したまま施設へと戻る。そこもかつては多い時には20人ほどいたが、今では2人の死にかけの元奴隷しかいない。そしてそのまま玄関を開け、服の水滴を払わぬまま中庭へと向かう。


「いつもここにいたっけか」


 定位置の様にいた中庭の端。雨足の激しくなる中、ハンナをそっと置き地面の土を掘り起こしていく。


 すると傘の雨粒を弾くパチパチとした音。それが奴隷商の頭上を覆い、ただでさえ悪い視界が暗くなる。


「傘ぐらい差したらどうです」


 その声に振り返ればエリックが傘をこちらに傾けている。そしてその視線は奴隷商の隣で横たわるハンナへと向き。


「寝ている訳……では無いですよね」


 エリックは僅かに顔を歪める。だがそれ以上感情を出さず黙ったまま、奴隷商の隣に膝を折り、傘をハンナの顔を覆うように地面に置く。そして何をするかと思えば、持って来たのかスコップを地面に突き刺す。


「……俺がやるから良い」 


 そう奴隷商が拒絶しようとするのだが、エリックはスコップで掬った土を放りながら。


「貴方に病気にでもなられたら僕が困ります。さっさと終わらせますよ」


 奴隷商は雨に濡れていくエリックを見て、逡巡の後諦め自身のスコップを強く握る。


「……助かる」


 そうして中庭にぽっかりと空いた穴。そこに奴隷商とエリックはハンナを抱えて、ゆっくりとそこに寝かせてやる。そして奴隷商は何も言わず、その色白な肌に土をかぶせていく。

 

 だがエリックはふと手を止め問いかける。


「何か良いんです……こんなあっさり」


 奴隷商の手は止まる事無く、雨で泥濘になりつつある土をかぶせていく。そして最後に残った顔へと被せようと土をスコップに乗せるが、最後の最後で奴隷商の手は止まる。


 そして雨音に混じり奴隷商は縋る様に問いかける。その顔は雨音に濡れ感情をエリックに覗かせない。


「……何を言えば良いと思う」


 唐突な奴隷商の問いかけにエリックは、分かりやすく困惑してしまう。


「思うって……」


 それ以上エリックは返答に困り黙りこくってしまう。奴隷商は余計なことをしたと、手に持ったスコップを動かす。


「じゃあな」


 それが奴隷商の選んだ言葉だった。今更謝罪する勇気もなく、言い訳するほど落ちぶれたくなかった。だから、無難な言葉になってしまう。そしてハンナは地面の下へと消え、面影はこの地上のどこにも残らない。


「エリックは先に戻ってろ。墓標を建てたら俺も行く」


 そして雨音の奥に消えていく足音を背中に、奴隷商はいつかの様に石魔法で墓石を作りだす。そして不器用に角ばった文字で、ハンナの名を刻む。


「……」


 名前に沿って雨粒が下っていく。指先は酷く冷え痛みを感じる。心なしか息も白くなっている気すらする。


「……安らかに」


 奴隷商は濡れ重くなった外套を手に墓標から背を向ける。その顔は雨のせいで酷く濡れ、表情を覆い隠す。


 そうして屋内に戻って着替えだけを済ますと、その足のままクロエの部屋へと訪れる。するとエリックが一足早く来ていたらしく、奴隷商を見るなり。


「医者の所は行ってないんですよね」


 クロエの傍に座るエリックがそう問いかけて来る。奴隷商はドアの縁に体重を預けたまま、部屋には入ろうとしない。


「あぁ。明日にもう一度行く」


 クロエの短くなったブロンド髪が藁に絡まる。今も寝息を立て起きようとしない。そしてそのクロエの隣には空になった木皿とスプーンが置いてある。奴隷商が居ない内に食べさせてやったのだろう。


「俺らも飯にするか」


 エリックは静かに頷き奴隷商の前を通り抜けていく。そして奴隷商は扉を閉め、2人で炊事場へと向かう。そうして作った飯はいつもと変わらず、干し肉とパン。少しばかり具材の多いスープだった。


「……いただきます」


 奴隷商は静かにそう合掌して食べ始める。向かいにはエリックが座り、既にパンを口に放り込んでいる。


 雨音が屋根と窓を叩き鼓膜が揺れ続ける。カタカタとスプーンが木皿に当たる音が響く。それは会話すらなく時間が過ぎていき、もう皿の底が見え始めた頃。エリックはスプーンを置き、こちらを見る。


「これからどうするんです。このまま何もしないって訳にもいかないですし」


 奴隷商は顔を上げくぐもった窓に視線をやる。正直先の事など何も考えておらず、ただ金が無くなったら冒険者をやろうかぐらいに思っていたぐらい。


「まぁその時になったら考える。金は用意するからお前は心配しなくていい」


 エリックを安心させるためにそう言ったのだが、その本人は眉を曲げ言っていいのか迷いながらも、強くスプーンを握る。


「……本当に良いんです?こんな皆殺されて泣き寝入りするんですか」


 それはまるで復讐をして欲しいと。そうエリックが願っているような言い方だった。だが奴隷商にその熱はなく、エリックの感情は一方通行に終わる。


「何をしようにも何も出来ねぇよ。それに誰に復讐するんだ?皇帝か?」


 エリックは押し黙ってしまう。その気持ちは分かるが、復讐した所でこの虚無感が満たされる気がしない。多少スカッとするのだろうかとも思うが、それをする為にまた周りに迷惑をかけるのが怖い。自分が関わる事で誰かに死なれて欲しくない。そう思うようになってしまうと、余計に奴隷商の感情は内向きになる。


「今はお前とクロエを守る。それだけだ」


 奴隷商はエリックの分の皿まで回収し立ち上がる。エリックは戸惑ったように何とも言えない顔をしてしまう。


「……守るって」


 エリックはどうにか仲間の無念を晴らしたいらしい。なら勝手にしろと言いかけそうになるが、ハンナの事が過りそれが喉元を超えない。そして余分な事を言わない内にと、そのまま炊事場で洗い物を済ませる。


 目の前には曇った窓とその先にあるであろう曇天の空。


「なんで俺だけ生き残るんだよ」


 カランと木皿が回りゆっくりと勢いが落ちていく。


「なんで俺の周りで死んでいくんだよ」


 そして木皿は回ったまま台の端へと向かっていく。


「もういいよ。疲れた」


 木皿は重力に逆らうことなく、そのまま床へと落下し激しく音を立てた。


ーーーー


 そうしてただ時間が過ぎる事数ヶ月。クロエは相変わらず意識を覚まさずエリックと奴隷商の2人暮らし。街は多少落ち着きを取り戻しつつあるが、一度悪化した治安は中々戻らない。そして悪化したものと言えば、庶民には関係のない天上での事で。


「……手紙ですか」


 朝起きれば指先が冷たく赤くなり、吐き出した息が真っ白になる季節。珍しく来客があったと思えば、その見覚えのない彼女は明らかにボロボロの姿だった。


「えぇ。主から……貴方にと」


 そんなボロボロの彼女から貰った手紙を受け取り、差出人を見ればクラリスからだった。以前プレヴァルの館で会ってから結局連絡はなく忘れられたかと思ったが、こんな形でまたあるとは。そう思っていると、その使者らしき女は時間はないと。


「あの人が最後に頼ったのが貴方です。その意味を考えてください」


 そう言って女は駆け出していく。突然の事で事態が掴めないが、扉を閉め手紙を開こうとすれば、扉の外で聞こえる、複数人の走る足音と怒号。


「……」

 

 少しばかり早足になり、自身の書斎に入る。そして封蝋のされた手紙を開けると、そこには走り書きの様に短く。


 友人へ


 願わくば。どうか助けてほしい


 それだけ。文体だけでクラリスと分かるそれ。そしてその言葉の意味を咀嚼しきる前に、外からは鐘の音が響く。


「……また誰か死ぬ」


 根拠はないが半ば確信してしまう。だが、それを分かっていても、奴隷商の腰は椅子に沈んだまま上がらない。


「……勝手にやっててくれ」


 カーテンを閉め、そして腕で目元を覆い背中を深く深く背もたれに預ける。自分が何かして碌な事になった記憶がない。結局周りに迷惑をかけるだけで、結果誰かを死なせることで終わるだけ。


 すべてを拒むように奴隷商は動かない。だがそれを許さぬように、鐘の音は大きく喧騒は広がっていく。それは酷く耳に残り、脳内を反響し大きくなる。


「うるせぇよ」


 ぽっきりと折れた音がした。継ぎはぎに補強を繰り返して、なんとか保って来たそれが。もう面倒になってしまった。


 そしてその暗く沈んだ部屋に1人。その男の意識は逃げるように深く落ちていくのだった。


 

すみません!私用により明日の投稿お休みさせていただきます。

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