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奴隷商の男  作者: ねこのけ
第五章
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第74話 宿願


 黴臭い中に僅かにある血や体液の生々しい匂い。慣れたとはいえ気分の良い物ではなく、奴隷商は顔を顰めながら、息を吸いその火を起こす。


「……湿ってんじゃねぇか」


 薪は地下に放置されていたせいか湿り、煙を逃がすための煙突も煤だらけで思わず咳き込んでしまう。


 そうしてまで作る夕飯は薄いスープに僅かに入った豆。パンも分けるとなれば1人数欠片しか用意できず、到底一日の栄養を賄えるはずもない。それでもどうしようもないと、煮立つ水面を眺めながらぼーっとする。


「……」


 定期的にため息が零れる。クラリスが無事だったのは安心材料だが、それにしても色々ありすぎて、精神的にもメンタル的にもキツイ物があった。


 パチッと薪が割れ、火花が散っていく。湯気が籠って行き、僅かに汗ばんていく。そして先ほど入れた薪の一つが、大きく形を崩しボロボロになる。


「……薪は……もういいか」


 薪もそこまで量がある訳じゃない。これぐらい温かく出来れば良いだろう。そして膝を伸ばし立ち上がり、配膳をしようとするが、ふと辺りに響く呻きにも近い泣き声。


「……?」


 牢からなのだろうが、くぐもって良く聞こえない。奴隷商は鍋の様子を一瞥しつつ、消火だけをして一旦管理人部屋を後にする。


「……あの魔暴病のか」


 牢の並ぶ通路に出れば奥から聞こえる嗚咽。半日は持つかと思ったが、それよりも早くダメになってしまったらしい。腰に掛けた鍵束を鳴らし、その檻を見下ろせば姉妹揃って、呼吸も浅くなり肌は赤く腫れあがる。


「……」


 無言のまま鍵を開け、その部屋の中に入る。するとその姉妹は互いを守り合うように体を寄せ合っている。だが喉すらも痛みに覆われているのか、喋ろうとしては顔を顰め、挙句には姉の方は石畳に血を吐き出してしまう。


「最後に互いに言う事はあるか」


 奴隷商はそう言って膝を折りナイフの柄に手を掛ける。目の前では姉が妹の頭を抱え守る様に抱き寄せる。そしてその虚ろな眼はどこを見ているか、疎らになりボソッと呟く。


「……こ…は……助けて……」


 目も見えていないのかもしれない。口から血を流し続けどう見ても限界。それでも妹だけはと大事そうに抱えているが。


(妹の方息してないな)


 すでに妹は姉の胸の中で動きを止めている。ランタンの灯に反射するその顔は、心なしか表情が穏やかに見えるのは救いだろうか。


 そしてそのランタンの灯にまた銀色の刀身が反射する。


「妹は助ける。でもお前はもう間に合わない」


 奴隷商は更に一歩踏み込み2人を前にする。それを過敏になった肌で感じたのか姉の虚ろな眼が、こちら側に向く。そしてその顔は僅かにはにかみ。


「……助か……るんです……?」


 擦れた声。それでも嬉しさが伝わるような声色だった。そしてその手は自身の血で汚れた地面を探る様に動き、その指先が奴隷商の足先を触る。


「あぁ助かる。妹は絶対に」


 奴隷商はその指先を拒む事無く答える。そして姉は動かなくなった妹を、指先の感覚を頼りに奴隷商へと差し出す。


「わ……たし……はァ……いいからっ」


 ビチャっという嫌な音。姉の口からあふれ出すように血が流れ出る。それで倒れ込みそうになる姉を、咄嗟に奴隷商は肩を掴み支える。


「……今楽にするからな」


 手に握ったナイフを姉の首に押し当てる。耳元では浅くなった呼吸を必死にしようと、肩を上下させる姉。それはただただ安心したように。


「ありが……とう」


 奴隷商は目を瞑りナイフを、赤く爛れた首に沈みこませる。そして血はドロッと刃を伝い流れ、奴隷商の肩にかかる体重がずっしりと重くなる。


「……礼を言われるような事じゃない」


 奴隷商の外套に広がる暖かい感覚。そして聞こえなくなった息遣い。奴隷商はただ目の前の石壁を見て、その小さな体をそっと床に寝かせる。


「……」


 こんなクソみたいな環境で死んだ彼女ら。それでも最期は苦しみの中でも僅かに微笑んで瞼を閉じる。ただの自己満足で延命をさせたが、これを見ると意味もあったのではと思ってしまう。


 だが、結局結果論。それを正しいと思わない様にし、奴隷商はその二人を抱え、また空いた牢へと運んでいく。


「……軽いな」


 石畳を外し地面の床を見る。そしてそれを道具を使い、人2人分が入れるだけになるまで掘り進める。それで2つの物体になってしまったそれを、ゆっくりと互いに抱き合うように寝かせてやる。


「転生でもしたら一緒に居られると良いな」


 その2人に土をかぶせてしまう。そしてその緑色の髪と爛れた肌が見えなくなった所で、石畳を上から被せる。そこに残った彼女らの痕跡は、奴隷商の外套に染みついたその血液だけ。


「……洗わないとか」


 爪に挟まった土を落としながら管理人部屋へと戻っていく。その道中牢の様子を伺うが、やはり奴隷商に染みついた血液を見て、何かを察したように敵意を向けられてしまう。


 ただエリックはこちらを同情したように見て来るのは、声を聴いていたからだろうか。前と違いやけに物分かりが良いのは喜んでいいのか。そう思いながらまた部屋へ戻り、火をおこし鍋を温め直す。その間に外套も水魔法である程度洗ってしまい、火の前に乾かしておく。


「……ッ」


 ただよう嫌な血の匂い。石鹸などもあるはずもなく、外套から匂ってくるそれに思わず吐き気が湧き出る。忘れようにもあの生暖かさは気分の良い物では無かった。それを振り払うよう立ち上がり、木皿に鍋の中身を取り分ける。


「多少は量が増えたか」


 人数が減ったお陰で一人当たりの食料は増えた。それを喜んでいい物かは別だが、それでも淡々と木皿に分け、それぞれの牢に置いて行く。そして最後にエリックらのへと木皿を置く。


「また誰か死にました?」


 エリックのガラガラとした声が響く。相変わらず肉は削げ落ち、眼窩は酷く凹んでしまっている。その赤色の髪もくすんで汚れる。


「……2人な。魔暴病だ」


 部屋の中を見ればクロエの手元には、昼に配ったはずの飯がまだ放置されている。それを尋ねるようエリックを見るが、首を振って。


「最近あぁですよ。無理やり食わせれば食ってくれるんですけど……戻すんですよね」


 せっかくの貴重な食料を。そう咎める気にはなれない。それだけ抑圧的な状況にいたのだというのは想像に容易いからだ。


「……俺が関わる訳にもいかない。お前頼んで良いか」


 するとエリックは困ったように眉を曲げ静かに石壁へと体重をかける。


「嫌ですよ……僕も僕の事で精一杯なんです」


 そう言って湯気の僅かに立ち上るスープを口に付ける。奴隷商は困り顔になり少しばかり悩むが、鍵束を触りその牢へと入っていく。


「おい。飯も少ないんだ」


 クロエの目の前で膝を折り曲げそう言うが、視線はどうやっても合わない。魂が抜けたようにぼんやりと空のどこかを見ている。


「死にたいならそう言え。俺が介錯する」


 ナイフの柄に手を当て多少脅し気味に言うが、クロエは一瞬視線を送るだけで、またどこかを見てしまう。


「……仕方ないか」


 あまり気分のいいやり方では無いが、勝手に死なれても困る。そう喉に魔力を込め、掌の甲にある紋を光らせる。


「食え」


 そう短く言うと、クロエの首元にある赤い奴隷紋が光、油の差していない機械の様にゆっくりと首が回る。そして明らかに嫌そうな顔をしながらも、その木皿を持つ。それを見て奴隷商は膝を伸ばすと、あともう一つと命令する。


「吐き出すなよ」


 それだけ言ってクロエから背を向ける。確かにスープの啜る音が響き、それは僅かに嗚咽混じりだった。そしてエリックは、出て行こうとする奴隷商を見て。


「根本解決なりませんよ」


 そんな事分かっているが死ぬよりかはマシ。そう思うしかない上、今懇切丁寧に言葉を選び説得しても、あの様子のクロエが正気に戻るとは思えなかった。


「……それはコンラートの役目だ」


 だがやはりコンラートは奴隷達とひと悶着あったのか、名前を出した瞬間牢の中の雰囲気がピりつく。そしてクロエも例外では無く、ジッと虚ろな眼でこちらを見て来る。


「お前はどう思ってるんだ?コンラートの事」


 奴隷商は振り返ってそうクロエに問いかける。だがクロエは僅かに瞳を揺らしただけで、また食事へと戻ってしまう。


 ここに来てから一言もクロエの声を聴いた記憶が無い。昔はあれだけ憎たらしい奴だったのにだ。どこか物悲しく感じながらも、奴隷商はエリックに向き直って。


「……エリック。後は頼む」


 それだけ残し奴隷商はまたカギを閉め管理人部屋へと戻っていく。そしてその日は寝る最後まで血の生臭さが消えることなく、スープの味気の薄いそれを少しだけ啜り、ゆっくりと目を瞑る。

 

 そうしてまた奴隷商としての日々が始まるのだが、2日後にはまた新しい奴隷。それで飯の量はさらに減り、そしてまた幾人かを地面に埋め、少しだけ飯の量が増える。それが何回かと繰り返される内に、段々と精神的にも麻痺していき、死体を埋めていても、どうとも思う事が無くなってきたその頃。


「……早いですね」


 爪に挟まった土を払いながら、馴染みつつあったダークエルフの使用人からの連絡に目を通す。もう少しこんな日々が続くかとも思ったが、どうやらクリスの奴は随分頑張っていたらしい。


「えぇ。奴隷解放が決まったという事で。まずプレヴァル閣下が手本として全ての奴隷を自由にさせると」


 どうって事のない理由だった。ただプレヴァルの政治的アピールのために奴隷を集めて、そのまま解放させるだけ。それで好感度を稼ぐのか、それとも他貴族が奴隷を解放するよう促す為か。それは知らないが、奴隷商が失職するのは確からしく。


「これは餞別だそうです。しばらくは働かなくても生きていける額です」


 手のひらにあるずっしりとした重さ。それを感じながらも、奴隷商はゆっくりと息を吐き、管理人部屋の椅子に深く体重を預ける。


「……一週間後に発布か」


 しかもその間にも新しい奴隷が更に何十人もやってくるらしい。食料の配給は勿論増えないらしいが、この一週間さえ生き残れば良いと言う考えなのだろう。


 だがそれにしても、ここまで早いとなると、もうこの国はプレヴァルが自由に動かせるって事らしい。それこそ奴隷制撤廃なんていう、貴族が一番嫌がりそうな政策を出来てしまっているのだから。


「えぇ。ですからその日まではここでの勤務お願いします」


 使用人の表情は読めない。怒っているようには見えないが、喜んでいる様にも見えない。だが確かにその首には奴隷紋はある。


「あぁそれは良いですけど。貴方はどうするんで?」


 すると使用人は不思議そうに首を傾げる。


「なぜ私の心配を?」


 本気で理解していないのか何も考えていないのか。それは分からないが、奴隷商はゆっくりと体を前に出してその問いに答える。


「奴隷から解放されるって事は職探さないといけませんけど、アテはあるんです?」


 すると考えてすらいなかったのか、使用人は顎に手を当て悩む素振りを見せる。


「いや……あぁ……まぁ無いですけど……」


 どうにも歯切れが悪いが無いという事はそれなりに苦労しそうか。一応世話になった相手だからと、ある提案をする。


「俺は冒険者で食いつなぐつもりですけど一緒に来ます?」


 驚いたように耳を動かし目を丸める使用人だが、これは悩む素振りすら見せず、にこやかに笑って。


「いえ。まぁアテは無くともやるべき事はあるので」


 そう断られてしまうが、ただの厚意での行動な以上強制する意味も無いので、奴隷商は素直に引くことにする。そして使用人は礼儀正しく軽く頭を下げて。


「気を遣って下さり有難うございます。また会う機会はあると思いますので」


 それだけ言って部屋をあとにしてしまう使用人。その視線は同胞であるダークエルフのいる牢を見て、少しだけ顔を顰める。だが最後にドアを閉める時にはまた笑顔に戻って、奴隷商に会釈をして消えていく。


「俺も身支度しておかないとか」


 今牢にいるあの子供たちは自由にされた所でどうするのだろう。流石に国が孤児院にいれるなり手当をするのだろうか。


「……まぁクリスの奴が正しかったって事だな」


 悔しい様なむなしい様な。そんな感情がありつつも、自分がやっと奴隷商で無くなれる日を待つのだった。


ーーーーー


 クリスの足取りは軽かった。クラウディアが死んでしまってから、ひたすらに目指して来た奴隷という身分の根絶。半ば夢物語だと思っていたそれだが、プレヴァルの下に入る事で自分がそれに携われる。それだけで、いつかの後悔が掻き消えるようだった。


「……やっと顔向け出来る」


 これでクラウディアの様に苦しむ子はいなくなる。生まれながらに抑圧される子供はいなくなる。どうしようもなく消費され、無為に1人で死んでいく子供が居なくなる。


 そうしてクリスは正装に着替え、曇天の空の下その祭典へと列席する。自分が草案を作りプレヴァルや元老達が訂正した、その法案の発布の瞬間を目の前で見るために。


「これだけの人が……」


 王城へと続く橋の手前。そこの広場には埋め尽くさんばかりの人々が溢れ、その半分以上は首元に赤い紋が見える。これだけの人を自分は救えたのだと、思わず感極まって泣いてしまいそうにすらなってしまう。


「……赤竜山脈までの馬車手配しておこう」


 そんな気の早い事を呟きその時を今か今かと待つ。すると段々とざわつきは消えていき、その城門の上にせり出したお立ち台。そこにクリスの主であり、今ではこの国で逆らえる人物のいなくなった貴族。ブリアック・プレヴァル内務卿が現れる。


「皆々方声は聞こえるかな」


 声を張って広場に響かせると、全員の視線が集まり静まり返る。それを満足そうに眺めたプレヴァルは、人の良い笑みを浮かべる。


「噂は届いていると思う。特にこの法令を望み待った者も多いだろう」


 プレヴァルの声は段々と大きくなり、感極まったかのように震える。引き込まれるように民衆どころか、割を食らう貴族までも息を呑む。


「私自身奴婢の産まれだ。貴殿らの気持ちはよく理解しているつもりだ。だからこそこの法令の為に政治生命を費やして来た」


 演説をしながらも一歩前に出て手すりに体重をかけ、前のめりになるプレヴァル。そして一拍置くと、誰かを後ろから招く。


「だからこそ。この法令がより良くなるため、私としては見せたいものがある」


 そうして現れるのは、かつて帝国が滅ぼした北の王国の姫。確かプレヴァルの館にあの騎士と一緒に幽閉されていたはずで、クリス自身この場に来るなんて言う話は聞いていなかった。


「彼女は北国のアルスデット大帝の娘。今は私の所持する奴隷ですが」


 広場の民衆の視線は確かに姫の真っ白な首にある赤い紋に集まる。

 それはクリスも例外では無く、彼女何をするのかとただただ疑問に思うが、その深紅の瞳をした姫の傍には、この国の幼君までもがいた。そしてその二人が民衆の前に立つと、プレヴァルは声を張る。


「奴隷である彼女と。我が国の皇帝陛下である2人の婚姻。それが成される事で、真に奴隷という負の遺産が消えると。私はそう考える」


 民衆の中のざわめきが大きくなる。勿論歴史上皇帝が奴隷を妃に迎えた歴史があるとはいえ、幼君のこの時期の婚姻という意味。それは正室に奴隷を迎えるという意味合いで、普通な有り得ない貴賤結婚。だからこそ民衆は、プレヴァルが本気なのだと確信する。


 そしてあと一押しだとプレヴァルは。


「そしてまず私の所持する奴隷全てを解放する。今段階で帝都にいる数百人の奴隷全てをだ」


 その言葉に「おぉ」と民衆から声が上がる。それは期待が大いに籠り、中にはプレヴァルに尊敬の念すら覚える人物も珍しくない。


 そしてプレヴァルはその幼君を、自身より前に立たせその書状を手渡す。


「では!皇帝陛下から発布の詔を発布して頂く!」


 幼君のすぐそばでそう宣言し、何か耳打ちし書状の読むべきところを指差すプレヴァル。そして数拍の内、幼君はたどたどしい口調ながらも、クリスの長年の夢を叶える。


 それを聞きながら肩の荷が降りたように、クリスはゆっくりと背もたれにもたれ掛かる。


「……これでやっと」


 ここからでは粒の様にしか見えないプレヴァルと皇帝。それでもクリスのレンズには確かに、その光景は写る。そして幼君の発布の言葉が終わると同時に、民衆の歓声で掻き消え、辺りには紙吹雪が舞う。そして雲の隙間から陽が、プレヴァル達を祝福するように差し込む。


「俺の後悔も終わりだ」


 クリスはゆっくりと息を吐く。目の前には一つの絵画と言われてもおかしくない光景。それこそ歴史にはこの日は永遠に記録される記念されるべき日。


 あのクラウディアに何もしてやれなかった日々。笑顔にさせてやれなかった不甲斐なさ。最後には1人死なせてしまった積。そして友に同じ道を歩んでもらえなかった寂しさ。そのすべてが掻き消える程にただただ満足感がクリスの心中に広がる。


「やったぞ……成し遂げたぞ」


 湧き上がる嬉しさを噛みしめる。そしてせめてこの光景をクラウディアの墓前で話そうと、その光景を脳裏に焼き付け、決して忘れぬようにするのだった。



 

 

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