第73話 交差
眠気に負けそうになった時に感じた気配。ただなんとなくの勘で椅子を回して後ろを見ただけ。大抵こういう勘は外れて気のせいなのが相場だが、今回ばかりは違ったらしかった。
「……なんでお前がここにいる」
そこには見覚えのある少女。コンラートが居た部屋に見えた、その主らしき姫と同じ外見。だが、だからこそ、なぜだと。そう思ってしまうが、傍を僅かに掠めたナイフは、その少女が振るった物だった。
すると逃げようとしてしまうので、咄嗟に少女の手を握り離さない様にするが、明らかに動揺を顔に写す。だがそれもすぐに隠し、キッと強く睨んでくる。
「離してくれませんか。私を誰と思ってその手で触ってると……」
奴隷商はどうしようかと考えるが、命を狙われたとなればそう簡単に警戒を解く訳にもいかない。だからと手首を捕まえたまま、声を低くし出来るだけ威圧するように問う。
「お前から手を出したんだ。何をされても文句はないな」
一瞬その少女の顔が恐怖に歪む。だが案外気の強いのか、それでも奴隷商に握られた手首を引き強く言い返してくる。
「私に手を出したら貴方が終わりますけど。それでも良いので?」
コンラートがあれだけ敬愛する姫だから聖人なのだろうと勝手に思っていたが、これでは全くのイメージ違い。人違いかとも疑ってしまいそうになる。眠気が残っているからか、そうボーっと考えているせいで、ただなんとなく問いかけてしまう。
「……お前が殺してくれるのか?」
何も深い意味も無い。奴隷商は純粋な興味としてその少女へと問いかける。だがその言葉から何か勝手に受け取ったのか、明らかに少女は戸惑い頬を引きつらせる。
「……貴方……おかしい人なんじゃないですか……ッ」
奴隷商からすれば、面識も無いのに唐突に殺しに来る奴の方がおかしい人という認識だが、どうやら違ったらしい。
そして握っていたその少女の手首を離してやると、少しばかりたじろぎつつも手首をさする少女。そんな彼女に向かって奴隷商は。
「あんたがあれか……レーナ?だっけか。コンラートの姫っていう」
だが少女は不快そうに眉を動かし、睨んでくる。
「シーナ・アルスデット。間違えるのも論外ですけど気安く名前で呼ばないでくれます」
奴隷商はそれを軽く聞き流しながら、椅子へと突き刺さったそのナイフを見る。どうやら食事用らしく、シーナがドレスを着たままのを見るに、大して準備をして来た訳では無いらしい。
奴隷商は呆れた様にシーナを見て、手に持ったナイフを軽く投げる。
「ほらよ」
だがシーナは受け取るどころか、小さく悲鳴を上げ、目を瞑って頭を手で守ってしまう。そして行き場の失ったナイフは、カランと高い音を鳴らして地面に転がる。
「……度胸があるのかビビりなのかどっちだよ」
仕方なく椅子から立ち上がり、数歩歩くとそのナイフを拾う。そしてそのままシーナの目の前へと差し出すが、その当人はまるで親の仇だと言わんばかりに。
「貴方のせいで……」
何をしたというのだろう。そう気になってしまうが、ふと階上から聞こえてくる足音と、反射して届いてくる温かいランタンの光。
「……まずい」
奴隷商は咄嗟にシーナを見下ろして、その肩を掴む。
「いやっ……なにを━━」
騒ごうとするので口を塞ぎ、そのまま部屋の奥へと押し込んでいく。それをしている内に、寂れた鉄柵の扉が開く音がする。
「聞いてきましたよー」
その使用人の声に焦りつつも小声に抑え、奴隷商はシーナを納得させるように言う。
「お前も勝手に移動したのバレたらまずいだろ」
そしてそのまま反論は聞かないと、木箱の裏へと放ってしまう。そのせいか痛そうな音を立て、尻餅をついたシーナが恨めしそうにこちらを見上げて来る。
だがそれに反応をせず、そのまま木箱をずらして隠す。するとそれと同時に、管理人部屋の扉がキィっと開く。
「全部開けっ放しじゃないですか。カギ閉めないとダメですよ……ってどうしました?」
息が上がり変な位置に立っている奴隷商。それを見て使用人のダークエルフは不思議そうにする。奴隷商は努めて息を落ち着かせつつ、なんてことのない様に椅子に腰を下ろす。
「い、いや……ちょっと体が痛くてな。柔軟をちょっと」
「……はぁ。そうですか」
ダークエルフは気の抜けた返事をしつつ、その手に持った書類を奴隷商へと差し出してくる。それで、もしかしてと期待するのだが。
「要望は通りませんでした。代わりに次来る奴隷のリストらしいです」
2枚の紙。それをぱっと見れば、また20人ほどの奴隷の名前が並ぶ。そしてもちろん食料についての言及は無く。
「ほんとに奴隷を生かす気あるのか?」
その紙を手にダークエルフに問いかけるが、彼も聞かれても困ると。
「知りませんよ。ただ短期で奴隷が欲しい理由があるのでは?」
そんな会話の中、奴隷商の背後でカタッと箱が動く。そしてその音にダークエルフの長い耳はピクっと反応し、その音がした方向を見る。
「鼠ですかね」
奴隷商は表情を見られないよう顔を伏せる。
「……そうじゃないか?貴重な食料だから後で捕まえておく」
割と大真面目に鼠がいたらそうするかもしれないが、シーナがバレないよう使用人の勘違いに乗っておく。
すると、その発言を真に受けたらしいダークエルフは窘める様に言う。
「不浄の物ですよ。鼠は」
その発言の意味が、宗教的なあれなのか慣習的な習わしかは分からない。だが誤魔化せたようで、ダークエルフはシーナのいる影から視線を外す。
「で、この奴隷は明後日到着だそうです」
書類にある名前を見る感じ恐らくコンラートのいた国の人間が多いよう。その国はあまり想像したくない状況なのだろうなと思いつつ、紙を机の上に置く。
「そうか。また食料の搬入が決まったら頼む」
そう期待せず言うと使用人も見込みは薄いと。
「えぇ。いつになるか分かりませんが」
それだけ言ってランタンを手に管理人部屋から出て行き、階段を登っていく音が響く。そしてそれが聞こえなくなった所で、奴隷商は椅子から立ち上がり、その木箱をずらす。
「……じっとしている事も出来ないのか」
そこには自身のティアラを大事そうに抱え、何が悪いと言いたげに不貞腐れるシーナ。
「……バレなければ良いじゃないですか」
ただ今バレなかっただけで、こいつを返すとなればまた面倒なのは分かり切っている。それでこんな様子となれば、またヘマをしてこちらに迷惑が降りかかってきかねない。
奴隷商は少しばかり悩みながらも、これしかないかとため息を零す。
「バレなきゃいいんだな?」
そう言った奴隷商の言葉の意味を、シーナは理解出来ず首を傾げるばかり。だが奴隷商の手は木箱へと伸び、王族には似合わないようなボロ布の服が握られていた。
「えっ……いや……それは……ちょっとちがっ━━」
ランタンの灯が照らさない木箱の裏。そこに小さくシーナの悲鳴が響いた。
ーーーー
「「……」」
階段を登る二つの影。それはゆらゆらと灯に照らされ、一歩ずつ上へ上へと登っていく。だがその小さな人影は小さく縮こまり、恥ずかしさに負けそうになる。
「……なんでこんな姿に」
ポツリと目の前の男を恨めしく言葉を零すが、その男は淡々と。
「喋るな。顔は伏せろ」
そう言われた少女は絢爛なドレスを剥がれ、ボロく薄い服を代わりに着せられる。ティアラも勿論あるはずも無く、逆に綺麗に梳かれたはずの髪はぐしゃぐしゃにされてしまっている。それもこれも奴隷らしくする為と言われたが、不満ばかりしか募らないシーナ。
そしてその目の前を歩く奴隷商の手には、そのドレスが詰まった鞄がある。奴隷商はその重さを感じながら、小さく零す。
「……どうやってここまで来たんだよ」
監視の目を掻い潜ってきたとは言っていたが、ただ単に運が良かったのだろう。あとはまぁ……俺がカギを閉め忘れたせいなのだが……。
「てかなんでここ知ってたんだ?」
そう問いかけるがシーナは顔を伏せたまま。そして不機嫌そうに、まるで子供かと思うような言いぶりで。
「喋るなと言われたので」
思わず呆れてしまうが、知った所でどうしようもないかと奴隷商は諦める。そうして2人は階段を登り切り、その扉を開ける。すると、外でまた掃除を再開していたらしいダークエルフの使用人と目上があう。
「また何か?」
だが奴隷商は手をヒラヒラと振って。
「書類に閣下へある奴隷を連れてこいって書いてありまして」
勿論使用人が知っているはずはない。なぜならそんなもの書類のどこにも書いておらず、ただの嘘でしかない。だが、出した名前が名前なだけに、使用人も止めようとしないのか。
「……何分以内に戻ってきます?」
少しばかり肩透かしを食らいながらも、この使用人自体あまり職務に忠実では無さそうなのは感じていたので、幸運だと多めに時間を伝える。
「あっち次第だから分からないですけど30分以内には」
すると使用人は興味を無くしたように、また口元を布で覆い箒を握る。
「そうですか。じゃあその時間まで、私は何も動きませんから」
どうにも変な言い方なのは引っかかったが、そう言ってくれるならと奴隷商は頭を下げ、シーナを引っ張って歩い出す。
そうして本館へと移った後は、奴隷商はシーナに耳打ちをする。
「お前が先に行け」
奴隷商はコンラートの部屋の位置を覚えてない。それこそこんな広い館で一度行っただけで覚えられる訳も無い。だからそう言うのだが、シーナは相も変わらず不機嫌そうに。
「……偉そうに」
そう言ってスタスタと先に進んで行ってしまう。一応さっき殺しかけられた相手に助けてもらっているというのに、そんな事気にも留めていないらしい。
「まぁいいけど……」
また襲われては敵わない。コンラートに一言言っておきたいからと、シーナの服を詰めた鞄を手について行く
すれ違う使用人や貴族に不審そうに見られながらも、頭を下げ足早に廊下を進んでいく。そして数分もすれば、シーナの足が止まる。そこは確かに奴隷商も見覚えのあるような景色だった。
そうぼんやりしていると、シーナは右手だけをこちらに向けてくる。
「服。返してくれません?」
少しだけイラっとくるが、ここで喧嘩をしても仕方ないのでその鞄を手渡してやる。そしてそのままシーナを追い越し、ドアノブを握ろうとするが。
「ダメ」
そう短く言ってその手を止めて来るシーナ。それは今まで見せたどの表情でも無く、確かに拒絶の色が強く浮かぶ。
「……」
駄々をこねる子供でも無い。どちらかというと子供を守るような親のようにも感じる。主従関係というものに疎い奴隷商だが、踏み込んではいけないかとドアノブから手を離す。
「コンラートに伝えておけ。主君を1人にさせるなと」
それだけ残してさっさとその場を離れていく奴隷商。それの背が見えなくなるまで、シーナは警戒し、大丈夫だと分かるとゆっくりとドアノブを沈める。
するとそれと同時に出迎えるコンラート。その顔は酷く憔悴したようで、開け放たれたドアの先にいるシーナに縋る様に抱き着いてくる。
「遅すぎですッ!!」
そんな泣き虫な彼の髪を撫でてやり、シーナはゆっくりと扉を閉める。そして優しく甘ったるい声で彼の耳に届ける。
「服。着替えたいから用意してくれる?」
奴隷商からの伝言などとうに忘れていた。言われなくともコンラートの傍からいなくなるつもりなど無かったからだ。そしてそのコンラートは、今更シーナの服装に気付いたのか。
「あ……え……なんでこんな服装……」
何も伝えずに出てきた。ただ用事があるからと。だからこその反応だが、あの奴隷商の事を伝えたくないシーナは、ただにこやかに笑って話を逸らす。
「あ、そうだ。私の髪も梳いてくれる?」
そう言うと素直に頷き手早く準備を始めてくれるコンラート。私の為に、私を優先してくれる彼。誰にでも優しい彼が、私だけを優先してくれる。
そんな優越感にも近い感情を覚えながら、シーナはそのぼろい麻の服をするりと脱ぎ捨てるのだった。
ーーーーー
1人、内装の凝った廊下を歩き進める奴隷商。勝手に歩き回るなとは言われていないが、見られたら疑われ面倒になりそう。だから少しばかり早歩きで来た道を戻っていく。
「……」
だがどうにも不運は続くものらしい。正面からやってきたのは、この館で一番会いたくなかった男。それがこちらの顔を見るなり、不愉快そうに顎を上げ睨み下ろしてくる。
「なにをにしてる。こんな所で」
何かの会議終わりなのだろう。手には書類があり、レンズ越しの眼はひどく疲れ切っているように見える。
「ここで雇われてんだ。いて悪いか」
相手が疲れていようが、それがクリスなら奴隷商は一切気を遣わず、敬語を使うこともない。そんな態度が更にクリスを不快にさせ、露骨な舌打ちをさせる。だが、良い事を思い出したと奴隷商を煽る。
「奴隷もう死んだってな。何人死なせれな満足か?」
食料に薬を渋っているのはどちらだと言いたくなるが、交渉しても無駄。だが、それでもこいつに言われるのは不快だと言い返す。
「あんな食料に環境で死なないと思ってんなら、お前の頭も変わらずおめでたいな」
クリスは少しばかり不思議そうな顔をするが、すぐに呆れたように笑い、歩みを再開する。
「また言い訳か?そればっかだなお前」
そう言ってさっさと奴隷商の脇を通り抜けて行くクリス。その手にある書類を盗み見るが、やはり例の奴隷解放がどうのという奴なのだろう。
「案外近いのか」
すぐに失職してしまいそうに感じつつも、今は雇われている以上サボるわけにいかない。そう別館へと戻ろうと奴隷商もクリスの背から視線を外す。
「……」
それにしてもこの館は広い。戻るのにも数分かかってしまう。同じ光景が続くものだから、迷いそうになってしまう。
そしてこの館は随分顔なじみがいるらしい。ふと後ろから駆け寄るその足音が聞こえ、奴隷商は道を開けようと脇に避ける。するとその彼女の伸ばした手は空を空振り、前向きに倒れてしまいそうになる。
それを見て奴隷商は咄嗟に手を差しだす。
「……っと」
目の前を揺れる紺色にも見える青い髪。そこから香るのは煙の匂いで、思わず顔を顰めてしまう。
そして彼女は数秒固まった後顔を上げ、死人でも見るような眼でこちらを見る。そしてそのまま奴隷商の腕を強く握り、クマの出来て血相の悪い顔を、ボサボサになった青髪越しに向けて来る。
「……どんな想いでッ」
その言葉と共に奴隷商の頬に痛みが走り、廊下に弾けるような軽い音が響く。そしてその痛みがじんわりと広がり、奴隷商はその名前を呼ぶ。
「久しぶり……だな。クラリス」
これを無事だったと表現するのは違うのだろう。明らかに現在進行形で苦労している、苦しんでいるとありありと伝わるその姿。だが、彼女は安堵したように目元を伏せ、僅かに声を振るわせる。
「生きてるなら連絡ぐらい寄越せ……」
処刑場から逃げたのは知っているはずでは。そんなズレたことを言い返す気も無い。ただ彼女にかけるべき言葉は。
「申し訳ない。色々立て込んでいて」
クラリスはゆっくりと呼吸をし、感情を胸の内に無理やり押し込め、こちらを見上げる。
「貴族を待たせると高く付くぞ」
いつかのように人を食ったような笑みを浮かべるクラリス。だがその声は酷く震え、どこか嬉しそうでもあった。奴隷商自身こういう反応をしてくれる人がいると、嬉しく感じてしまい少しだけ頬が綻ぶ。
「……今手持ちないから少し待ってくれないか」
クラリスはまた顔を伏せ、数秒の後深く震えた息を吐く。そして立ち上がり、名残惜しそうにしつつも奴隷商の肩を一度だけ叩く。
「色々聞きたい事がある。また飲みに行くぞ」
そう言ったクラリスの言葉に棘は無く、ただただ優しかった。そして急ぎの用事があるのか、駆け足気味に廊下の奥へと消えていく。
「……お前はすごいな」
角の奥に消える紺色の髪にそう言葉をかける。1人で戦ってきて、この館にいるということは、またプレヴァルとやりあっているのだろう。どこまでも真っすぐに折れずに自分の理想に殉じている。
「俺とは違って」
どこか自嘲気味のその呟き。奴隷商はゆっくと膝を伸ばしまた歩き出す。すると案外すぐに連絡路に出る事が出来て、段々と沈みつつある夕陽が差し込む。
「……眩しい」
目元を覆うサングラスでもあればと思ってしまう。だが手元にはそれは無く、貸してくれる奴もいない。自分だけが置いていかれたような、何もなくなってしまった様な。
「……もう少しだけ頑張らないとか」
その黒く年季の入った外套。それは夕日から逃げるように小さくなり、いずれ別館の奥底の階段へと消えていくのだった。




