第72話 殺意と妥協
「……ちょっと良いか」
辺りには埃が舞い、口元をハンカチで覆わないと呼吸すら出来なくなりそうになる。そしてその埃を立てるのは、白い布で口を覆い箒を手にするダークエルフの使用人。彼が箒を動かしていた手を止め、こちらに視線を向けて来る。
「どうしました?何か不備でも?」
今さっき一旦奴隷達に昼食を与えた所の奴隷商。とりあえず要望だけ先に伝えようと階段を登ったのだが、どうやら上は掃除中らしかった。それを中断させてしまいことに申し訳なさを感じつつ、奴隷商は管理人室にあった、備品リストを差し出す。
「これ。食料もう少し増やせないですか?」
すると使用人は口元の布を外し、箒を壁に立てかけるとその紙を受けとる。だがその書類を見た顔は芳しくはなく。
「えー……まぁ一応上に掛け合いますけど……あまり期待はしないでください」
苦笑いを浮かべ申し訳なさそうに頭を下げる使用人。それはすぐに対応してくれるらしく、作業を中断し、汚れた手を布で拭っている。そんな彼に奴隷商は掠れた声で呟く。
「……頼みます」
耳をピクっと動かし使用人は去っていく。もう一人交代で使用人がいるという話だが……
「あの部屋だろうな」
床の埃のお陰で足跡が分かりやすい。本館との連絡路の所にあるらしく、今は静かに扉が閉められている。一瞬この館の中に有用なものが無いか漁ろうかとも思うが、下手なリスクを負う意味も無いかと踵を返す。
「……死体の処理もしないとだしな」
また黴臭く薄暗い階段を下って行き鍵束に手を当てる。そしてそのまま鍵穴を回して、置いてあったランタンを手に取る。そして口元を布で覆いつつ、管理人室を素通りして牢へと一直線に向かう。
「……」
通路の真ん中を通っていくが、どの牢も食事は終わったらしく空になった木皿がある。それをいつまでも舐める子供までいるが、やはり量が足りないのだろう。
「……交渉……か」
天井を見上げダークエルフの使用人の顔を思い出す。あの様子では望み薄でしかない。小さく舌打ちが漏れ出ながら、奴隷商は歩き一番奥の牢を開ける。
「ここは2人だけか」
怯えや敵意すらも向ける気力が無いのか、ただ朧気な瞳がこちらを向くだけ。そしてその瞳すら開いていない物体が3つ地面に転がる。
一歩踏み出し牢の敷居を跨ぐ。少しだけ空気が変わる気もするが、やはり淀み質量すら感じる程の重苦しさ。
「……持っていくからな」
地面に転がる物体の傍で膝を折り曲げ、置いたランタンの灯が牢内を照らす。するとそこには肌が爛れ言い方を悪くすれば醜い子供2人。珍しい緑の髪を2人ともしているから姉妹なのだろうと察しがつく。
その2人はこちらを見るだけで、奴隷商が死体を持ち上げても何も反応しない。だがその死体すらも同じ症状が見え、奴隷商の鼻は曲がりそうになる。
「魔暴病か」
いつかアリシアが似た症状をしていたが、この牢は正真正銘その症状の子供を纏めて入れたのだろう。
思わず眉をひそめながらも、淡々と死体を運び出し、藁で3つのそれを包んでやる。ただ貴族の庭に埋める訳にもいかないし焼けばボヤ騒ぎになりかねない。
だから奴隷商が目を付けたのが、ここが地下だということ。使っていない牢もあり、そこに死体を運ぶと、その空っぽの牢にある床の石畳を外していく。
「……最後ぐらい人間らしく」
今はただの肉塊。そんな気を遣う意味はないのかもしれないが、それがせめてもの自己満足だった。これまたレイラの同期の墓を思い出すが、その作業にこそ慣れはしても心情は穏やかでは無い。
そうして固い地面に苦戦しながら、そこに藁に包まれた3つの死体を埋め石畳を戻す。
「……あと何人か」
その眼下には何も埋まっていないかのように元通りの牢の床。奴隷商が忘れてしまえば、数年数十年と誰一人気付く事のない彼ら彼女ら。それこそ数百年後に建物の建て替えでやっと陽の光を浴びるのかもしれない。だが、こうやって動物に食われず体の一部を薬の材料にされず死ねるなら、奴隷としてはまだまともな部類。
そんな現実に嫌気が差しながらも、次の牢へと向かおうとする。すると先ほど死体を運び出した牢からうめき声と、消え入りそうな悲痛な声が聞こえる。
「おねえちゃん……?」
脚を止め通路からランタンを掲げる。すると先ほどまでは互いに寄り添っていた緑髪の姉妹。その片割れが、項垂れ額を地面に擦りつけている。
「……仕方ないか」
どうせこの後時間も余って暇だ。そう奴隷商はそのまま牢へと押し入って、妹を引き離すとその少女の様子を見る。
「息はあるか」
レオンよりはまだ状況は良いのだろうか。だが、奴隷商に魔暴病を治せるような治癒魔法は無く、彼女に施せるものは何もない。それでも一応姉の様子を確かめるのだが。
(これはもう手遅れか)
ならせめて楽に死なせようと、石魔法の為魔力を右手に込めようとする。すると、その右手には小さく震える手が添えられる。
「たすけて……ください」
歳で言ってしまえば小学生かも怪しいぐらい。それが大粒の涙を流し、自分自身もその病の痛みで苦しいはずなのに、姉の生存を願っている。
「……」
だがそう言われた所で奴隷商に出来ることはない。だからとその手を無視して石魔法で、ピック状の鋭い石を作り出し手に握る。
「恨むなら……俺を恨め」
奴隷商は妹の眼を見ない。そしてそのまま姉の今にも消え入りそうな呼吸を止めるべく、細く白い喉へと右手を向けようとする。だがそれは寸での所で止まり、刃先は皮膚を破り奥へと進むことはない。
「やめ……ってッ!!」
自身の全体重を奴隷商の右手に押し付け、必死に止めようとする妹。振り払おうとすれば出来るが、それをしてしまえば、どこかの骨が折れてしまうのではと心配になるその体の薄さ。
「……姉を苦しみから解放してあげないか」
そう言っても理解しているのかいないのか首を振って、必死に腕に巻き付く彼女。彼女も同じ病で先は長くない。ならここで2人同時に眠らせてやるのが、優しさなのか。そう思わず右手に力が入りそうになるが、奴隷商はジッとその姉の震える唇を見る。
(……殺人に優しいもクソもある訳ないか)
目の前の唇はしきりに何か伝えようとしている。開かれた瞳は虚ろに焦点が合わないが、その意志は確かに奴隷商へと向いていた。
「そ……子……だけ……ぁ」
空気が漏れ出ているだけともとれるその声。互いが互いに対して思っている事は全く同じらしい。
「……どこまでも」
奴隷商は魔力を抜きピックはパラパラと砕ける。これに意味が無くただの先延ばしで、自己満足に過ぎないと分かっていても、その左手を彼女の額に置く。そしてそこにはアリシアの時のように日暈を作り、やんわりと温かさが広がる。
どうせこの二人は死ぬ。なら最後の数時間ぐらい会話する時間があっても良い。それで最後には責任をもって眠らせる。
それぐらいやってやってもいいのではと思ってしまった。それはまるでいつかの
「俺が奴隷商になった頃と同じだな」
一度は自分が否定した過去。結局最後には同じところに行きついてしまったと、どこか自分を呆れた様に俯瞰してしまう。
そうして魔力を吸いつつ、治癒魔法で炎症を抑えると、段々と姉の息は落ち着き、ゆっくりとその目が開かれる。
「……いたく……ない」
そして奴隷商は右手に未だ絡みついていた妹を見て、彼女にも同様に手をかざす。それを仰向けのまま見る姉だが、それが何をしているのか分かっているかのように止めようとはしない。そうして一時的にでも、その牢から病人がいなくなる。
「……また半日ぐらいしたら症状は戻る。それまでに別れの挨拶をしておけ」
そう姉の方に伝える。中途半端に生かして本来の寿命を延ばしたのなら、それを終わらせるのも自分の役目だと分かっているつもりだからだ。
そして姉は手足を震えさせながらも体を起こして、こちらを見上げる。
「……貴方は」
その手は確かに暗闇の中、妹の手を握っていた。それを横目に奴隷商は立ち上がって、鍵束に手をやる。
「奴隷商だ」
そう言ってさっさと背を向ける。あちらも何か言いたげだったが、状況がまだ上手くつかめていないのか、それ以上呼び止められる事はない。
そして次の牢へと向かうと、こちらは男奴隷が集められているのか、7人の子供から青年までが詰められている。その内2つが動きを見せずハエが集る。鍵束が鳴り、また牢の敷居を跨ぐ。
するとそれと同時だった。1人の薄暗いブロンド髪の青年が、鋭い石を手に突っ込んでくる。
「殺してやるッ!!!!」
悲痛な叫びとも取れる雄叫び。だがその足取りは弱く、握っている石すらも落としてしまいそう。奴隷商は避けることなく、その青年の突撃を受け入れる。
「満足か?」
腹には僅かに石の感覚があるが、それは外套すら貫通せず無意味に終わる。そして見下ろした先には、それでも石を叩きつけようと、必死に腕を振るう青年。その細い腕を掴むと、あっさり石が転げ落ちカラカラと響く。
「お前らなんか……お前らなんか……ッ!!」
絞り出すような声と共に、握った拳は奴隷商の胸を叩く。だがそれも繰り返して行くうちに弱々しく、そして嗚咽へと変わってしまう。
「返してくれよ…………なんであいつが……」
その青年の視線は、横たわるそのハエが集る人だったものに向く。
「あんな良い奴が……んで…ッ……俺なんかが生き残って……」
友人なのかどうか、それを聞ける雰囲気では到底ない。ただ奴隷商はその体を引き離し、淡々と伝える。
「埋葬する。そこをどけ」
トンと押せば、よろよろと力なく地面に尻餅をつく青年。くすんだブロンド髪にその目は隠れ見えなくなる。それを横目に奴隷商は奥へと無遠慮に足を踏み込み、そのハエの集り時間の経った死体がある。先ほど食事を与えに来た時は気付かなかったのは、この青年が隠していたのだろう。
「……ッ」
匂いがあまりにひどい。言っては悪いが衛生的にあまりに良くなく、素手で持つには躊躇う程。だがその死体の顔は綺麗にされており、誰かが必死にハエを払い少しでも生前の姿を保とうとした痕跡があった。
そうしてハンカチで口元を覆い、その死体を抱える。それで牢を後にしようとするが、その青年は奴隷商を行かせないと足を掴んでくる。
「まだ……生きて……」
彼も恐らく、この肉塊がも動かない事は分かっているのだろう。だがそれでもこれが生きていると、いつか動き出すと信じていないと壊れてしまう。そんな所だろうが、それでもこれをこの場に放置すれば病気が蔓延しかねない。恨まれても良いと、奴隷商はわざと冷たく言い放つ。
「こいつは死んでる。これを生きているっていうならこの世に死者はいないな」
擦れ弱々しくとも、その汚れたブロンド髪の隙間から、こちらを睨み上げて来る青年。ここまで聞こえそうな程の歯ぎしりが聞こえる。それを納得させるだけの言葉を奴隷商は用意が出来ない。
「……コンラートの奴ならどうすんだろうな」
あれの考え方は合わないが、確かに子供には好かれていた。奴隷商にはやれない方法。だが、それを想像しても出来ないものは出来ないので、奴隷商は足でその手を振り払い檻に再び鍵を閉める。
そうして連れていくのだが、背後からは檻の鉄柵が揺れる音が響く。だがそれを無視し奴隷商は、振り返らない。
「俺も受け入れられなかったしな」
あぁは言ったが彼の気持ちも、少しだけ分かる気がしてしまう。クラウディアの事を奴隷商自身直視出来なかった過去があるから猶更。だが、足は止まる事無く、先ほど死体を埋めた牢へと向かい、また別の石畳を開け穴を掘る。
「……傷だらけだな」
死体を埋めようとすると、その死体のあちこちにある切り傷に刺し傷。そして必死に鍛錬したのであろう細くなった腕に確かにあるその張った感覚。彼に敬意を感じつつ、丁寧に横たわらせ土をゆっくりと被せていく。
そして彼の面影がどこにもなくなり、奴隷商はまた牢を後にする。そうして次は異族の男女グループをと覗くが、そこは種の違いか誰一人死んでおらず、それどころか健康状態が良さそうで。
「飯もう少しどうにかならないか。これじゃあ家畜の餌だぞ」
檻越しにそう文句まで言ってくる始末。最近奴隷落ちしたばかりからか、元気が有り余っているらしい。だがその要望に応える訳にいかず、奴隷商は一歩引いて。
「奴隷はそんなもんだ。病気になったりしたら言えよ」
中にいるのはダークエルフばかりだった。偶々でそんな偏るのかと思うが、気にしてもしょうがないと一旦管理人室に戻ろうとする。その道中チラッとエリックらの様子を見ると、ちょうどその彼と目が合う。
「……声。響きますね」
何を思っているのか知らないが、だらっと壁にもたれたまま視線だけ向けて来るエリック。奴隷商は中のクロエやエドガーの様子を気にしながらも、歩みを再開する。
「あぁ。良く響く」
ランタンの灯が揺れそれは管理人部屋へと消えていく。そしてそこにある年季の入った椅子へと、ゆっくりと奴隷商は体重を預ける。
「……疲れた」
手で顔を覆い深く息を吐く。僅かに土の匂いと生臭さが肺の中に沈んでいく。
「……」
その管理人部屋。それはそこまで広く無く一人の部屋としては少し広いぐらい。だが荷物が乱雑に積まれ、調理場まで押し込んでいるからか、寝る為のスペースを取ったら狭く感じてしまう。
だからこそ、誰かが隠れるにはそれなりの条件がそろっていた。
「飯の時間は2時間後か」
奴隷商が天井を見上げそう呟く。そして箱の裏から、浅く震えた息遣いが動き出す。キィキィと椅子を鳴らし奴隷商は差し迫る眠気に瞼を落としかける。
「……」
白く日焼け跡の無い手足が箱から現れる。その手には食事用の銀のナイフが握られ、絢爛なドレスに頭には煌びやかなティアラ。それが気配を悟られぬよう足音を立てぬよう、ゆっくりとその椅子へと近づく。
するとその椅子は音を鳴らすのを辞めピタリと止まる。それと同時にドレスの裾も止まり、部屋の中に声が響く。
「あっ……いやまぁ後でいいか」
だがそう言ってすぐに椅子はまた音が鳴り始める。ドレスの肩ひもは少しだけ滑り、また内履き用の靴は石畳を踏む。
「……」
ランタンの灯は二つの影をオレンジ色になった石壁に映し出す。そしてその影の片方は大きくなり、歪にその手先は天井へと伸びる。
「……ッん」
僅かな呼吸音だけが辺りに響き、その影は小さく縮む。そして2つの影が区別がつかない程に混ざり合い、プスッと何かが突き刺さる音がする。
そこで緊張していた深紅の瞳をした彼女の顔が、やっと晴れ思わず声が出てしまう。
「これで……」
だがその深紅の瞳に写るのは、真っ暗で反射の無い瞳。そしてそこでやっと気づく。自分の振るったナイフが、ただ椅子の背もたれに突き刺さっているだけなことに。
「……あ、ちがっ━━」
彼女は咄嗟に手を引こうとするが、その真っ黒な眼をした彼はすぐに手首を掴み引き寄せる。そして彼女の顔を確かめると、僅かに眉を動かす。
「……なんでお前がここにいる」
ランタンの灯はどこからか差し込む隙間風に揺れ、2つの影は再び境界を無くし重なり合うのだった。
明日は投稿時間が遅くなるかもしれないです。




