第71話 望まぬ再会
奴隷商がプレヴァルの館に住まうようになってから一週間。特段何かを命じられるわけでも無く、ただ部屋の中待機するだけの日々。結局コンラートともクリスとも会う事なく、それどころか誰かと喋った記憶すら無い。
「……あー……あ、あ」
ベットに寝ころび天井に向かって声を発する。悲しい事に喜べば良いのかストレスからは解放され、胃が痛むことはない。ただ、ぽっかりと穴の開いたようにやる気も何もなくなり、ぼーっとしてしまう。
「……」
思考しようとすればディアナは逃げきれたのか、クラリスは大丈夫なのか、コンラートは平気かと。そんなものばかりで、嫌になり逃げるように毛布に包まる。
だが一日中寝ていては瞼を閉じても何もない。何もないとまた考えてしまいそうになり、無理やり忘れようと強く瞼を閉じる。それをひたすらに繰り返し、いつの間にか眠るのを待つ。そんな日々。
「……」
しかし今日に限っては、埃が積もりそうになっていた床の上を扉が開く。そしてそこにいるのは、クリス……では無く初めて見る使用人。
「奴隷が到着しました。最初は20人ほどで段階を見て増やしていくとのことです」
思えば肌が浅黒く耳が長い。男のダークエルフは奴隷市場以来の事だった。それでふと思い出すそのダークエルフの事。
(シレアはもう処刑されたんだろうか)
確か奴隷商の後に処刑されるという話だったが、その後何も情報は入っていない。そんなまた胃の痛くなりそうな思考を振り払い、今は目の前の事だと立ち上がる。
「……はい」
使用人は何も言わず頷き案内をしてくれる。相変わらずこの館は奴隷が多いが、誰もかれも競り市で見た事のある上物ばかり。だが恐らく奴隷商が担当させられるのは、そこまで質の良い者ではないのだろう。
そして使用人は歩き続け一度館から出ると、やけに年季の入った木製の別館が見えて来る。
「最近できた館でして。以前あった建物の取り壊しがまだ間に合っておらず」
そう説明しながら使用人は扉をキィっと開ける。ただぼろいと言っても、掃除が間に合っていないだけで、元々高名な人物の建物だろうと察しが付く内装の造り。
「……」
だが、その使用人の足はすぐに脇へと向かい、ある扉の前に立つ。それで何か嫌な予感がしていると、使用人はそのまま扉を開ける。
するとそこからは生暖かい風が吹きあがり、その奥には暗い地下へと続く階段がある。
「お足元気を付けて下さい」
ランタンの灯が少し黴臭い地下を照らす。そこに2つの影が揺れ、コツコツと足音が反響する。
「今日来た分に貴方所有していた奴隷もいます。手前の牢に纏めて」
ダークエルフの使用人はやけに親切だった。仕事なのかもしれないが、聞いてもいないのに甲斐甲斐しく説明してくれる。奴隷商は人との会話が恋しかったのか、なんとなくその疑問を口に出す。
「ご親切にどうも。どっかで会ったりしました?」
半分冗談でそう言うのだが、使用人はコツンと階段の途中で立ち止まり、長い耳をピクンと動かす。
「さぁ……ただ。また会う機会はあるかと」
顔はこちらに向けてくれず表情は推し量れない。
「同じ館に住んでるからそれはそうなのでは?」
何を意味深に言うかと思えば、そんな事かと肩透かしを食らう。だが使用人は何も言わずに、また歩みを再開し、奴隷商も渋々ついて行く。
そして階段が終わった所である鉄柵。そこの前で使用人はジャラっと鍵束を取り出すと、奴隷商へと手渡してくる。
「どうぞ。基本貴方だけですので、管理は厳重に」
手に乗っかった鍵束の重さはかなりのもので、錆び鉄の匂いが漂ってくる。そしてランタンが傍に置かれ、使用人は一礼をする。
「では。何かしら要望があれば。私ともう一人が交代で一階に待機しているので」
そうして足音が遠くなっていく。恐らくあれが監視役という事なのだろうが、20人をワンマンでこの地下でとなると。
「……今まで通りのやり方とはいかないか」
鍵を開け、その地下へと入る。すると管理者用の部屋らしきものが右手にあるので、その中へと入りランタンの灯で照らす。
「ここは掃除してあるのか」
あの使用人がしてくれたのだろうか。そう思いながら部屋の中を漁り、積まれた木箱を覗くと食料に衣服が一定揃っている。そして視線を滑らせれば、机の上には書類があり、その箱の中身について書いてあるのだが。
「……食料すっくねぇな」
20人でも満足かと言われれば微妙。それで更に増えるとなれば、一日2食すら維持は難しそうに感じる。
それを見てプレヴァルの行動の一貫性に疑問が湧いてくる。
「奴隷制解放するんじゃねぇのかよ」
乱雑に書類を投げ捨て、部屋の中を検め状況把握だけはする。食料については後で交渉するつもりだが、簡単に通る見込みも薄そうか。
そう思考する内に案外自分がまだ奴隷商として、何かしようとしている事に驚く。最早職業病かとも思ってしまうが、やるべき事はやるかと、またランタンと鍵束を持つ。そして管理者部屋を出て、すぐ前には通路の両脇に並ぶ鉄柵のいくつもの檻。
「……多いな」
ランタンを掲げても牢の中に加え、通路の奥も全く見えず暗闇のまま。だが確かに幾つかの息遣いは聞こえ、そのどれもが弱々しく暗闇に掻き消えそうになっている。
一歩目を踏み出し右手の檻を見る。だがそこは空っぽで何もなく蜘蛛の巣が張る。そして反対の檻へと振り返り、そこにランタンを掲げれば、見覚えのある顔がいくつも暗闇に浮かぶ。
「久しぶりだな」
懐かしい面々。と言ってもエリック、クロエ、エドガー、レオンだけ。他は死んだか売られたという話。だがだからと言ってこの4人も手放しに喜べる状況では無く、服の間から見える肌は骨が浮き出て皮ばかり。
そしてその中でエリックだけはこちらに視線を返す。そして片方のレンズが無くなった眼鏡をかけ直し、座ったままこちらを見上げて来る。
「……元鞘に戻ったって事ですか」
クロエは虚ろな眼で端っこに蹲る。エドガーとレオンもジッとその場から動こうとしない。その様子を見ると、エリックは流石だなと感心しそうになる。
「病気はあるか」
奴隷商は話が出来そうなエリックに視線を向ける。するとどんな心境の変化なのか、エリックは鉄柵へともたれ掛かり、眼窩の大きく窪んだ眼を向けて来る。
「栄養失調以外は。誰かさんの育ててた沢山の薬草が役に立ちましたよ」
一瞬ポカンとするが、あぁと思い出す奴隷商。それなりに役に立ったらしいのは良かったと思える。
そしてエリックは他の牢へと眼球を向け自嘲気味に言う。
「他の牢は知りませんが」
奴隷商もつられるように視線を滑らせ、ランタンを掲げる。すると他の檻の中からいくつも見える、鈍く小さな反射。更にランタンを大きく掲げるとエリックらよりもひどく、半ば死体のように見える子供や異族ばかり。
「適当に拾ってきた。って所か」
プレヴァルが何に利用しようとしているのか知らないが、まともな用途では無いのは確かだろう。そうエリックから目を離してしると、その骨と皮だけになった細い手が、鉄柵を超え奴隷商の腕を掴む。
「それで。コンラートはどうなったんです」
肉は殆どないが確かな力で握りしめてくる。そしてその窪んだ眼球には、敵意と殺意が満ち満ちていた。コンラートがこの館にいる辺りからして、何かひと悶着あったのは確か。それを察しながらもわざわざ嘘を付く意味も無いかと、正直に知っている事を答える。
「姫さんと仲良くしてたよ」
すると誰かが息を呑む。それに意識を向けると部屋の隅で項垂れていたクロエで、虚ろな視線をこちらに向ける。だが何か言う訳でも無く、魚の様に口をパクパクさせ空気が漏れ出すような音しか出さない。
「……あれは」
奴隷商はエリックにそう聞いてみる。だが、エリックはクロエを可哀想なものを見るように、声を落とす。
「散々目の敵にされてましたからね。良く生き残ったって感じですかね」
鍵束を漁りその牢の鍵を開ける。エリックは何をするのかと不思議そうに見上げて来るが、そのまま牢の奥まで行き、奴隷商はクロエを見下ろす。
「ペンダントも売られたって所か」
膝を折りクロエの虚ろな眼を前にする。近くで見れば青あざだからけで、足首の腱も切られてしまっている様。自慢だったのであろうブロンド髪も短く切り落とされ、ボサボサに水分が抜けきっている。
「喋れないのか」
さっきはコンラートという名前に反応したが、奴隷商が話しかけてもボーっと天井を見上げ焦点が合わない。どこまでの事があったのか想像したくないが、見える範囲の傷だけは治そうと手をかざす。
「……治すんです?」
エリックが不思議そうに後ろから話しかけて来る。このクロエの様子を見ると、傷の少ないエリックが上手く立ち回ったのだろうと分かる。そうして思考しつつも掌の先に日暈を作り、治癒魔法をかける。
「……まぁ死なせる理由も無いからな」
クロエはゆっくりと瞼を落とし浅い息を漏らす。念のため手首の指をあてるが脈はあり、眠りに落ちただけらしい。
そうして数分程治癒魔法を進めた頃だろうか。そろそろ切り上げても良いかと日暈を消すと、パタリと誰かが倒れる音と、慌てたようなエドガーの声が聞こえる。
「あ、え……おい……レオン……?」
振り返るとそこには石畳に力なく倒れるレオンの姿。その服越しに見える背中は上下しておらず、ピクリとも動かない。
すぐに奴隷商はその傍へと駆け寄り、小さく震えながら縋るエドガーを押しのけ、レオンの体を仰向けにさせる。
「……息が無い」
奴隷商は昔の知識を掘り起こして心肺蘇生を試みる。だがそのレオンの胸は薄く、肋骨も力を込めればすぐに折れてしまいそう。細心の気を遣っていくのだが、それを諫める様に後ろからは。
「……無理ですよ。そいつしばらく飯食ってないですから」
エリックがよろよろと立ち上がり、心肺蘇生をする奴隷商の傍に立つ。だがそれを無視して僅かなランタンの灯の中、奴隷商はひたすらに続ける。
だがそれでもエリックは、そんな奴隷商の肩を掴んで止めようとする。
「そいつハンナに飯あげ続けてたんですよ。なんの罪滅ぼしかしらないけど無理やり」
だからなんだと奴隷商はそのエリックの手を振り払う。そして意味があるか分からずとも、人工呼吸を挟みまた掌を重ね心臓に合わせる。
「ランタン近づけろ」
エリックは戸惑いながらもランタンを手に、レオンの傍に置く。そこには青白くなったレオンの顔が、灯に揺らめく。そんなレオンの冷たくなった頬をエリックは右手を伸ばし触ると、喉を僅かに震わせる。
「だって……もうこれって……」
奴隷商自身言われなくても分かっていた。この様子だと奴隷商が檻に入る時には既に呼吸が止まっていた事を。誰にも気付かれず静かに死んでいったのだと。
「……ッ」
段々と心臓を圧迫していた手のリズムが落ち着いて行く。そして酷くかいた汗が垂れ、真っ白な皮と骨を伝っていく。
そしてランタンに影を作っていた奴隷商の動きは緩慢になり、やがて止まる。眼下には明るく照らされ、その肉の無い体を麻服から覗かせるレオンだった物体。
それを直視できず奴隷商は一度目を瞑ると呟く。
「……他の牢の様子を見て来る」
奴隷商はゆっくりと立ち上がる。エリックが何か言いたげに見上げるが、奴隷商のその影になった顔を見て、言葉が引っ込み何も言えなくなる。
そうして奴隷商はランタンを手に他の牢を見て回るが、どこも似たような状況。それこそ数人はレオンと同じ状況になってしまっている。
「……嫌がらせではないか」
最初に奴隷市場に行った時と同じ感覚になる。どこもかしこも血と膿の匂いで充満し、地面に横たわる人間の方が多いこの光景。慣れたと思っていても、いざ当事者となるとやりきれなさを感じる。
「飯は……スープに浸して食わせるか」
やりきれなさを感じても出来ることは少ない。それこそ今の自身の立場では与えられる食料も少なく、薬はあるはずもない。今はそれほどにちっぽけで、いつ掲げた理想などとは程遠い現実だった。
だが、それでも奴隷商は奴隷商としてその仕事を全うすると、鍵束を鳴らし再び檻に鍵を閉めるのだった。
ーーーーー
普段の生活では数少ない楽しみである食事の時間。いつもなら他愛のない話で盛り上がるのだが、今日ばかりはコンラートの手は食事へと向かなかった。
(さっきの……確かに……)
あの黒い外套に暗く淀んだ眼。こちらを憐れんでいるような興味のない様な表情が脳裏から離れない。
(なんで……)
まさか復讐しにきたのか。今にも自分と姫様を殺そうと機会をうかがっているのか。それに思考が巡る内に、忘れかけていた罪悪感までも湧いてきて、冷や汗がどっとあふれ出す。
「……ちがっ……多分あれは他人の空似で……」
そう自分に思い込ませようとするが、コンラートの顔は暗く怯えるばかり。だがそんな騎士の手に、主であるシーナがそっと手を重ねる。
「どうしたの?ご飯冷めちゃうよ?」
シーナは甘々しい声と深紅の瞳で、コンラートの知覚を自分だけに向けさせようとする。するとハッとしたようにコンラートは肩を跳ね、取ってつけたように笑みを張り付ける。
「あ、いや……なんでも……ないです」
そう言ってコンラートは目を泳がせながら、無理やりスプーンを動かし食事に手を付ける。それを笑顔のまま見つめるシーナだが、コンラートに聞こえないよう背筋を戻し、冷たくボソッと呟く。
「……邪魔者」
何を言ったかは聞き取れなかったが何か喋ったのかと、コンラートがこちらに視線を向けて来る。その視線すら怯え、どこか見えない刺客と戦っている様。
その疎らな視線が自分に向かないのを不快に思いつつも、シーナは軽く首を傾げ猫なで声をだす。
「ん?食べないの?」
するとシーナを心配させないためか、コンラートはまた出来の悪い笑顔を作りスプーンを握る。
「あ、いやっ!今日も美味しいなー……っと」
そう食事を掻きこみ、案の定咳き込んでしまうコンラート。それをにこやかに眺めながらもシーナの心の中は、酷く冷めきっている。
「……対応しなきゃ」
その手に握った食事用のナイフ。それは食事へと向くことなく、そのまま煌びやかなドレスの飾りに隠れるのだった。




