第70話 潮目
メイベルが去った後の来賓室。そこから誰一人外に出ることはなく気まずい空気が流れる。それは主に明らか雰囲気の悪い使用人2人と、作り笑いを浮かべるディアナのせいでもあった。
「……それでいつ部屋に案内してくれるんです?」
ディアナが軽いジャブで牽制するが、ユリアはニコニコと笑ったままドアを塞ぐように立ったまま。
「準備中です。少々お待ちを」
それでまた部屋の中は沈黙し重苦しい空気が流れる。こうなったのも少し前の事。ディアナとユリアが握手してすぐの会話でのことだった。
「それで彼が死んだというのは」
手を握ったまま離そうとせず、目を細めて明らかに威圧感のあるユリア。それを正面から受けたディアナだが、少しばかりの思考の末、答える。
「聞いての通り火刑に処されただけです。それ以上でもそれ以下でもない」
隣でルナが何か言おうとするので、机の下でその足先を踏む。それで小さな悲鳴を上げるが、ユリアの視線は一瞬向くだけでまたディアナを捉える。
「随分冷たい物言いですね。わざわざ彼の奴隷を連れてくるぐらいの関係なのに」
ディアナは無理やり握られたままだった右手を振り払い、痛みを飛ばすように手首を回す。
「もう何か月も前の話だ。整理は付けてるつもりなんでな」
こういう人間関係は相変わらずディアナは苦手だった。特に最初から敵意を向けて来るようなタイプは特にだった。
(ブランシュの奴思い出すな)
ただこいつに関しては職務として警戒しているのだろうが、それでもそれを受けるこっちとしては不快でしかない。教えてほしいのなら、態度という物があるだろうと。
だがそこでユリアはため息を零し、前屈みになっていた体を戻して姿勢をピンと伸ばす。
「そうですか。私は彼と何年もの付き合いだったので、貴女の様に平然とは出来ず」
ディアナの眉が動く。訳は知らないが職務以外にこちらに思う所があるらしい。この所の疲れもあってか気の立っていたディアナは、するべきでは無いと分かりつつも張り合う。
「10年以上の付き合いだからな。短いあんたに分からなくても仕方ない」
ユリアは一瞬無表情になるだけでそれ以上何も言わない。レイラはまだ何か聞きたそうにしているが、ユリアの顔色を伺って前に出ない。
そうしてただ無言のまま時間が流れ今に至る。今更奴隷商が生きているなんて口が裂けても言えなくなった空気。メイベルにさえ同情して貰えれば良いと思ったが、ユリアに対しては逆効果だったかもしれない。
そうした空気がやっと入れ替わるらしく、部屋の扉がノックされ、使用人からユリアは耳打ちを受ける。それで頷くと、こちらに向き直り淡々と言う。
「部屋のご用意が出来ました」
そう言ってユリアは部屋の外へと歩き出し、レイラがドアノブを掴んでこちらを招く。ディアナはルナとシエナに目配せをしつつ、大丈夫だと頷いて歩き出す。
その廊下は質素で飾り気はどこにもない。貿易で栄えている家にしてはあまりに異質だった。そんな廊下を、コツコツと足音が軽く響かせ、ディアナは使用人の白黒の制服を追う。
(広さはそこまで……使用人はざっと10人前後)
日当たりが良くどの部屋も綺麗に整備され掃除されているよう。庭の手入れも良き届いている。
(衛兵もさっきの門番以外に4人だけ)
そこまで警備が万全という訳では無さそう。あまりこの家には金が無いのだろうか。となれば問題は目の前のこの使用人だが。
と、その警戒をする使用人であるユリアは、立ち止まりある部屋のノブを捻る。
「この部屋で。3つベットは用意させていただきました」
そうして通された部屋は存外広く、窓からは一面の海とそこに浮かぶ帆船が見える。ディアナが逃げる事を想定していないような選定で、違和感を抱く。そんな心情は分かり切っていると言わんばかりに、ユリアはディアナだけに聞こえるよう耳打ちをしてくる。
「そうそうこの館には番犬がいますから。下手な事は考えない様に」
それが脅しになるのかと疑問符を浮かべるディアナだが、ユリアはそれ以上説明しないらしくニコッと笑って口を結ぶ。
「そうか……犬は嫌いなんだがな」
ディアナはユリアを睨みながら、ルナとシエナを押して部屋の中へと入っていく。
(逃げるかどうかも情報が足りないか)
番犬どうのは知らないが、どちらにせよ単身で逃げ出して関所で検問でもされたらたまった物じゃない。だからこそ一番はメイベルをどうにか説得させることだが、それをあのユリアが許すかどうか。
そう閉じられる扉を背に考え込むディアナだが、その袖をシエナが引っ張る。
「え……と……嘘ついていいんです……?」
そうだったと思い出し、ディアナは膝を折ってルナとシエナの肩を掴んで顔を近づける。
「あぁ……その事は絶対に黙っておけ。嘘を付いたとバレたら余計に立場が悪くなる」
それで良いかと2人を交互に見て意志を確認する。シエナは相変わらず押しが弱く、何か疑問がありそうでも言い返して来ない。その代りかルナはこちらを睨んで言う。
「それで。貴女は何をするんです」
面倒な問いかけを。そう舌打ちが漏れそうになるが、ディアナは笑みを作り張り付ける。
「出してもらえるよう交渉するんだよ。だからどっちにしても嘘は貫かないといけない」
一応本音というか本筋で考えていた方法。勿論別案は強硬策だが、時間的猶予がある内は無理をしないつもり。だがその解答で猶更分からないと、ルナは問いかけを重ねる。
「じゃああの使用人と張り合わない方が良いのでは?」
髪色が麦色の時はやけに面倒な奴だと、心中苛立ちが募る。
「あっちが張り合ってんだ。私は普通だ」
あっちがあんな態度をしてきたからこっちも返したまで。体面は大事だが舐められ続けるのも癪だからだ。
だがそんなディアナをルナは冷めたように見る。
「案外ディアナさんって子供ですよね。あんまり友達いないでしょ」
髪色が銀の時はあれだけ内気というか幼いのに、どうしてこうも性格が違うのか。元になったラウラという奴の性格があまりに悪かったのか。だが、そのどちらにせよディアナは、この子供を相手するのが疲れ、膝に手をつく。
「……私は寝る。部屋の外から出るなよ」
今日はもう疲れた。夜にでも情報収集の為もう少し動く為、ディアナは真っ白なスーツへと埋もれるのだった。
ーーーーー
部屋での会話に聞き耳を立てていたユリア。だがあちらも警戒しているのか小声ばかりで、肝心の所はよく聞こえない。そんな彼女を諫めようと、後ろに控えていたレイラは声をかける。
「一応客人ですしあまりそういうのは……」
レイラ自身まだ動揺があった。どうしてそんな事になったのか、なぜなのかと、疑問は尽きず現実を受け止めきれない。
だがそのユリアには動揺などなく、まるで奴隷商の死を忘れているようだった。
「嘘を付いてるって事は何かあるって事ですよ。警戒をして損はないです」
その嘘とは奴隷商の死の事を指す。だがレイラからすれば主であるメイベルもそこを否定しなかった以上、本当だとしか思っておらずユリアの言動が理解できない。
「そんな確信して言わなくても……シエナだっているんですし」
するとユリアは聞き耳を立てるのをやめ、こちらに振り返ると、その首にある赤い奴隷紋を指差す。
「なんでラウラに奴隷紋があると思う?」
その言葉にレイラは思わず首を傾げる。
「……?シエナじゃなくてです……?」
ラウラはあの場にはいなかったはず。そう戸惑うレイラだが、ユリアは更に不思議そうに眉を顰める。
「え、あの麦色の髪の子ってラウラじゃ無いの?」
確かに髪色と雰囲気は似ていた。だが流石にレイラも半年前まで同室だった子の顔を忘れるはずもなく。
「多分……あの子違いますよ……?似てはいますけど……」
するとユリアは困ったように口を曲げ唸る。
「……記憶違い……あぁ……ラウラは龍人じゃないですもんね……」
ユリアが施設に居たのも数年前の事。その時のラウラもまだ子供でそう勘違いをするのは仕方ない。だがレイラ自身、その麦色の髪をした少女の奴隷紋に気付いていなかった。
「でも実際に奴隷紋があるってことは誰かの奴隷って事なんですよね」
あのディアナという人は奴隷商の代理で、あの子ら預かってほしいとここに来た。シエナには奴隷紋が無いのにあの麦色の髪の子にはある理由も分からない。もしかして奴隷商が死んでいないかもと思うと、それなりに思考が回り出すレイラ。
そしてユリアも腰を上げ、レイラの発言に同意する。
「あぁだから疑ってたんですけど、まさかシエナまでいるなんて……」
そこでふとレイラは、ユリアが会って早々シエナに親し気にしていたのを思い出す。
「そういえば面識ないはずですよね?どこかで?」
2人は話しながら廊下を歩き出す。ユリアは会話の合間に他の使用人に指示を出し、ディアナの部屋には衛兵を2人と番犬をつけさせる。そしてそれを済ますと、レイラの疑問に答える。
「あぁまぁ奴隷商の所に行く前に同じ牢だったことがありまして」
案外世界は狭いのかと思うレイラは、その話を聞きながら、慣れた足取りで廊下に足音を響かせる。そして本題に戻すかのようにユリアは、振り返りディアナの部屋を一瞥する。
「とにかくシエナから話を聞きましょうか。不明点が多くありますし」
と、そんな会話をしていると廊下を曲がった先から現れるその人。それはユリアとは真反対の事を言う。
「それは必要ないよ」
その声と歳に対してピンと伸びた背。それは間違いなくユリアの奴隷紋の主で、この館の支配者であるメイベルだった。そんな主人の言葉にユリアは何故だと疑問を呈せざる負えなかった。
「で、ですが……何かしら隠していますし龍人がどうというのも……」
だがメイベルは、ニコニコと感情を笑顔の裏に隠し、ユリアに落ち着くように肩を叩いてくる。
「良いんです。これでやっと動き出せるのですから」
海風に乗ってきた雨雲が、燦燦と差し込む太陽を覆ってしまう。そして顔を暗くしメイベルの笑みには確かに怒りと憎悪が滲み出る。
そんないつかの戦死報告以来に見る主人の顔に、ユリアは何を言えば良いのか分からず固まってしまうのだった。
ーーーーーー
プレヴァルの下で世話になる事が決まり、まず亮太にその屋敷を案内するのはクリスだった。だが勿論空気は最悪で、それはクリスから突っかかってくる。
「結局お前は何がしたいんだよ」
先を進み背を向けるクリス。それは革靴の足音と共に亮太へと問いかけて来る。
「……知らねぇよ。お前に関係無いだろ」
するとこちらに聞かせるような舌打ちとため息。クリスは振り返らないまま乱暴に絨毯を足裏で叩き、煽るような口調で言う。
「奴隷を無くそうとかでかい事言っておいて、結局奴隷商なんかやってよ。それで結果奴隷の半分を死なせて、またのうのうと奴隷商に復帰ってか?」
ひたすらに鬱憤を叩きつけるようなクリスの言葉。だがそれに対して亮太は何も言い返せない。言い返そうにもその精神的余裕は今無かったからだ。
だが、クリスは戸惑うことなく、さらに続ける。
「クラウディア殺しといてまた奴隷を殺してよ。お前が売った奴隷も殆どが死んでるらしいな?」
亮太はかつての自分の机の中にある書類に、びっしりと詰まったバツを思い出す。それもあって何も言えず亮太は、自分の足先を見る事しかできない。それに更に不快そうにするクリスは重ねる。
「意味分かんねぇよお前。誰が助けたくて何をしたくて奴隷商にしがみついてんだよ」
それでも何も答えようとしない亮太。それにいい加減クリスも苛立ちが抑えきれそうになくなり、脚を止めて振り返ってくる。
「お前が言ったんだよな?奴隷を無くそうって。それでなんでお前は逆方向にいるんだよ」
クリス自身踏み込めず、ずっと聞けなかったその問い。亮太はそのクリスの眼を見る事が出来ず、廊下の隅をジッと見る。
「……10年も前のこと引きずってんじゃねぇよ」
一回説明をしたことがある。その時は言ってもクリスは理解を示さず、その答えも恐らく覚えていないのだろう。だから言っても無駄だと会話を拒むのだが、クリスは目を剥き胸倉をつかんでくる。
「引きずってんのはお前もだろうがッ」
亮太の額にクリスの額が荒々しくぶつけられる。それでも亮太の視線は上がらず、取り合おうとせず沈黙する。それが益々クリスの苛立ちを増幅させ、頬がピクつく。そして言ってはダメだと思っていても、クリスはつい言ってやりたくなってしまった。
「俺はもう近づいたぞ。プレヴァル閣下の下で草案作りに関わってるんでな」
その草案は。それは聞かずとも亮太にも分かった。だが、だからなんだと思ってしまう。
「……良かったな。お前が正しかったってことだ」
それだけ言って亮太は胸倉をつかむクリスの手を掴み返し、無理やり離させる。そして酷く沈んだ眼でクリスをジッと見上げる。
「それになら猶更俺なんてどうでも良いだろ。勝手にやってろ」
そう言われた時のクリスは酷くイラついたようだった。だがその亮太の言葉に言い返す事が出来ず、歯噛みしたようにこちらを睨むだけ。
そしてクリスは最終的には吐き捨てるように。
「……んなら俺の前に出てくんなよ」
こちらから視線を外し自身の役目を捨て、亮太を置いて去って行ってしまうクリス。そしてその場に取り残された亮太こと奴隷商。それは見えなくなった背に小さく言い返す。
「……俺だってなりたくてこうなってねぇよ」
1人呟きどうしようかと歩き出そうとする。すると突然現れたように感じる程、背後から唐突に話しかけられる。
「彼も君も腹を割って話せないのかね」
その声に視線を上げればそこにはクロヴィスがいた。どうやら話を聞かれていたらしい。だがそれすらもどうでも良いと、奴隷商はその提案を拒む。
「別にもう話す事も無いでしょうし」
クロヴィスは少しだけ困ったような顔をするが、そのまま奴隷商の肩を一回だけポンと叩いて歩き出す。
「後悔はしないようにね。若者と言っても時間は有限だからね」
手をヒラヒラとさせどこかへと行ってしまうクロヴィス。だが自分はこれからどうすれば良いか聞きそびれてしまった。それで奴隷商はまた困ってしまい、目的も無くただ館の中を彷徨い歩く。
「……」
偶に開いた扉の向こうに見えるのは、誰もかれも身分の高かったのであろう身なりの奴隷達。ここがどういう場なのか分かりながらも、ただ足を進めるとふと、通りかかった扉から聞こえる男の声。
「姫様。もうそろそろ昼食の時間ですかね」
奴隷商はその扉を見て固まる。その声が間違いなくあの騎士だと確信出来た。そしてあの時なぜ自分を裏切ったのか一瞬で理解出来てしまったからだ。
「……そりゃそっち選ぶか」
あの法廷での選択はまぁ間違って無かったと安心はできる。そう思っているとその奴隷商の前を、カートを引く給仕人が横切る。
「少しどいてもらっても?」
そう冷たく言われ奴隷商は一歩引く。そして給仕人は扉を開け、その中にいる騎士と姫は、期待したように扉の外に視線をやる。だが騎士の方だけは、給仕人の後ろの男を見て笑顔が固まる。
「……なんでお前が」
その言葉に奴隷商は何も答えれない。そして自分がいればあの騎士を苦しめると、数歩下がって視界から消える。
そして待つ事数分後。食事を渡し終えたらしい給仕人に、奴隷商は問いかける。
「今日から奴隷商として雇われた。場所はあるか」
ただ何も感情は湧かない。クリスの言いぶりからして自分が失職するのも時間の問題。だが、それも自分にかせられた罰なのだろうと、どこか他人事に受け入れてしまっていた。




