第68話 リスタート
何度目か分からない相手との対峙。猫騙し的な策は既に通じる訳も無く、こちらの手札は全て知られてしまっている。そうなった時否応が無く勝敗を決するのは、経験とその地力の差だった。
「……ッチ」
ナイフを手にどうにか藻掻こうとするが、魔力も底を付き、相手の大斧とのリーチ差では、どうやっても一方的になりつつある。
「まだまだッ」
左手で持ったナイフを翻し、手に握った土を投げつける。だがクロヴィスは、それをなんてことのない様に、大斧で払い勢いそのまま右肩を狙ってくる。
「老人より先に息が上がってどうするんです」
咄嗟に飛びのくが避け切れず僅かに掠り、二の腕の筋肉を裂いていく。その痛みに顔を顰めつつも、ナイフだけは握り隙を狙って突き刺そうとするのだが。
「━━ッ出血が」
どこか不味い血管でも破けたのか血が噴き出し、痛みが警告音の様に激しく脳内に響く。そしてそこで動きを止めてしまい、クロヴィスの構え直した大斧に反応が出来ない。
「まぁ楽しかったですよ」
右肩に深く重くのしかかる衝撃。それはそのまま肩の皮膚を破き骨を砕いて、奥深くで突き刺さる。それでも奴隷商は膝だけは地につけず、歯を食いしばるが誰が見ても勝敗は決していた。
「勝負あり。ですかね」
奴隷商の血を刃先に垂らしクロヴィスは大斧を肩に掛ける。それでも何とか抵抗しようと、奴隷商は出血に意識が飛びそうになりながらも、その刃の欠けたナイフだけは握りしめる。
「まだ……俺の心臓は止まってねぇぞ」
今から背中を向けて走るか……それもすぐに背中を切られる。ならば今からクロヴィスを殺すか……それも今の負傷では到底不可能。どうにか策が無いか模索するが、痛みに思考を邪魔され纏まらない。
そして血を無為に流しフラフラとする奴隷商へと、クロヴィスは大斧を構えないまま近づいてくる。
「若者の芽を摘むのは趣味じゃなくてね」
そのままクロヴィスは無警戒に奴隷商の肩を叩く。その痛みに奴隷商は顔を顰め、握っていたナイフはをそのまま地面へと落としてしまう。
「ま、旦那次第だ。せいぜい命乞いしな」
そのナイフが地面に突き刺さる。クロヴィスの細い眼が奴隷商を憐れんだように見る。それが最後に、奴隷商の意識はプツリと切れたのだった。
ーーーーー
目が覚めれば見覚えのない天井に、揺れる木の床。重い体を動かせば手には慣れない冷たい感覚があった。
「……鎖」
手足を動かしても重くジャラジャラと鎖が付いてくる。だが手の甲には奴隷商としての身分を表す紋は刻まれたまま。状況を掴むため辺りを見回そうとするが、肩に激痛が走り視界が歪む。
「ッ……ってぇ」
痛みの元をたどる様に右肩を見れば、血が滲む包帯が巻かれている。その怪我で何をしていたかを思い出すが、今の自分の様子でその結果に思い至る。
「負けたのか」
首を動かさぬよう眼球を回せば、どうやら馬車の荷台のよう。板で覆われ採光用の窓以外からは明りが無く、車輪の回転に合わせて不定期に床は揺れる。
「……」
馬車の御者をどうにかしようにもこの鎖では動けない。なぜ殺されていないのか疑問に思うが、もう一度処刑でもされてしまうのだろうか。
「またディアナが無理しそうだな」
自嘲するように奴隷商は1人呟く。
無視して逃げてくれればと思うが、それはそれで少しだけ寂しい感情になってしまう。だがあの様子のディアナが何もしないとは考えられなく、ただただ申し訳なくなる。
そしてこうなった以上どうするべきか。それは理屈だけでは理解しているつもりだった。
「……迷惑かける訳にいかないか」
そう自分の舌を噛もうとする。するのだが、歯は寸での所で嚙み切れず、カチカチと奥歯を鳴らしてしまう。
「……」
何度やろうとしても、奴隷商の本能はそれを拒んでしまう。そして諦めたように後頭部を壁へと押しあてる。
「……情けねぇ」
そうして数時間後だろうか。採光用の窓からは日光が差し込まなくなり、夜だと時間を教える。そしてずっと閉ざされていたその扉がキィっと開く。
「お、起きたんだね。夕飯1人で食べれそう?」
そこにはさっきまで戦闘をしていたはずのクロヴィスの姿。それがラフな服装で手には湯気の立つお椀を手に、荷台に乗り込んでくる。
「……俺はどうなるんです」
その問いにはすぐ答えず隣に座り、そのお椀を床に置くクロヴィス。その背は年相応に曲がり、さっきまで大斧を振るっていたようには見えない。
「さぁね。旦那は割と気分屋だからね」
どこからか出したのか水筒を取り出し、その蓋を開けコップに注ぐ。そしてそのまま喉を鳴らすクロヴィスに微妙な気まずさを感じながら、奴隷商は差し出された椀を手に取る。
「2回公開処刑されるなんて初じゃないですか」
ゆっくりとその汁を啜れば思ったより味があって驚く。その中の芋を咀嚼し食事を進めると、クロヴィスは酒臭さとガラガラした声をこちらに届ける。
「生を諦めちゃいかんよ。生きてりゃ大抵なんとかなる」
そしてその老人は小さなコップにその酒を注ぎ、奴隷商の傍に置く。
「随分親切ですね」
一瞬毒を気にしたが、そんな回りくどい事をする意味も無いかと、奴隷商はそのコップを受けとり口を付ける。
「老人は大抵子供に甘いものだよ」
子供と言われてももう30手前なのだがと思うが、この老人からしたら大差無いのだろうか。そしてそんな会話をする内に、時間なのか1人の兵士が半開きになった荷台の扉から顔を覗かせる。
「出立するのですがどうなさいます?」
夜にも移動するなんて随分急いでいるらしい。そう奴隷商が思っていると、クロヴィスは手を振ってその兵士を追い返す。
「このまま出て良いよ。私はここにいるから」
兵士は怪訝そうにしながらも、大人しく頭を下げ荷台の扉を閉めてしまう。奴隷商は、なぜそんな事をと疑問に思うが、クロヴィスはそのまま酒に口を付ける。
「若いのはすぐ死ぬ。特にこの所そんな戦争ばかりだった」
その細い眼は、採光用の窓からのぞく僅かな星空を見上げる。その目はこれまで戦闘中見てきたギラついたものでは無く、歳相応の弱々しい眼。
聞く意味も無いかと思いつつ、つい奴隷商は聞いてしまう。
「なぜその立場になったんです。言い方は悪いですけど主人は敵が多い人でしょう」
そう聞くのだが、クロヴィスは肩を揺らし手に持ったコップの水面を揺らす。
「まぁ貴方目線は悪人に見えるでしょうね」
その言い方に引っ掛かりを覚えながらも、クロヴィスは続きを話そうとするので奴隷商は黙る。
「あの人は100人の為に99人を犠牲に出来るだけです。それが悪か善かは人次第でしょうが」
クロヴィスは窓から視線を滑らせ奴隷商を見る。
「私は好ましいと思ってますね。現実的な理想にそれを叶えるだけの力量と地位。それがあの人には備わっている」
理想とは……確か奴隷解放がどうのという奴だろうか。確か数か月前にプレヴァルと会った時にそんな話をした記憶はある。だからこそあのクリスが仕えているのだろうが、このクロヴィスも似たような理由ならしい。
そしてクロヴィスの話は終わりらしく、奴隷商へと問いかけてくる。
「で、君はどうするんだい。こっちにくればディアナ以外のパーティメンバーはいるよ」
なぜそこにいるのかと思いつつも、ブランシュはどこかの貴族の娘という話だったから、不思議では無いのかと思い直す。だがどちらにしても、奴隷商にとってその条件は魅力的では無く。
「別に仲が良かったわけでも無いので。ただ天命に身を委ねますよ」
こうなった以上どうしようもない。処刑されるならディアナが動く前に死んでしまった方が、誰にも迷惑はかけないで済む。もし生き残れるなら、その分つつましく静かに生きて命を無駄にしないだけ。だがクロヴィスは、少しだけ悲しそうな顔をし、奴隷商のコップに酒を注ぐ。
「挑み続けた者にのみ天命はより良い方へと転ぶ」
どうにもクロヴィスは奴隷商に生きて欲しいらしい。それは伝わってくるが、正直言って生きる目的が奴隷商の中に無かった。達成すべき目的もなければ、拘る意地も無くなってしまった。それでこうも簡単に捕まったとなれば、そういう運命なのだろうとつい諦めてしまいそうになる。
「それは最終的に成功した人だからこそ言える言葉ですよ」
そう言ってコップをクロヴィスに返す。それでもクロヴィスは不機嫌1つ顔に出さず、そのコップを受けとり頷く。
「そう言われちゃうと弱いねぇ」
それからは2人に会話は無かった。ただ黙々と小さな窓の中を移ろう星を眺め、いつの間にか眠っているのだった。
そうして馬車に揺られる事1週間。クロヴィスが再び訪ねて来る事は無く、しばらく1人で言葉を発する機会すらも無かった。そして半年ぶりほどに奴隷商は、再び帝都の城壁を潜る。
「……館まで行くんだな」
城壁を潜った後も奴隷商は降ろされる事無く連れてかれる。小さな窓から見える景色からして、貴族の館が並ぶ区域まで来ているらしい。この数か月の旅程を全てカットされ、全てリセットされてしまった様な感覚。ただただ茫然とするばかりで、多少はマシになった荷台の揺れを感じる。
そうして更に10分程。荷台の扉が開けられればそこには久々にクロヴィスが立つ。
「じゃあ行こうか。旦那が会うらしい」
奴隷商は無言のままそれに従って荷台から降りる。すると酷く眩しい太陽に思わず目が開けられなくなり、自分が暫く隔離されていたことを思い出す。
「……」
そして奴隷商の手には鎖の代わりに重い手錠がかけられる。やっと慣れた眼で周囲を見渡せば、ここはプレヴァルの館の庭先らしい。そのまま奴隷商は館の中へと引っ張られるように連れていかれる。コツコツといつか通った絢爛な廊下で、みすぼらしく髭も伸ばした奴隷商には甚だ似合わない環境だった。
(そういえばクラリスは大丈夫だろうか)
処刑前に会ってからしばらく連絡も取っていない。あの様子では暴発していないか心配になってしまう。ただ今それを気にした所でどうしようもないのだが。
「……着きましたよ」
そのクロヴィスの声に顔を上げれば重厚な木の扉。そして奴隷商の返事を待つことなく、ノックされ開けられるその扉。
「お、本当に生きてたんだ」
そう言って出迎えるのは、牛皮の椅子に背を持たれかけるプレヴァル。そしてその傍にいるジッとこちらを睨むクリス。
そして入り口でぼーっと立つ奴隷商の背をクロヴィスが押す。それで転びかけながらも、プレヴァルの前に立つ。
「……おかげさまで」
奴隷商は顔に表情を出さずプレヴァルを睨み、クリスには一瞥もしない。こんな大貴族が、わざわざこんな俺に構う程暇なのかと疑う。そしてその大貴族は何か思い出したかのように、奴隷商の後ろにいたクロヴィスに視線をやる。
「あ、てかあの女の方は取り逃がしたの?勝手に色々持ち出したって話でしょ?」
「えぇ。まぁ追う必要もないかと思いまして」
そんな会話を流し奴隷商はクリスと目を合わせるが、あちらも相変わらず睨んでくるばかり。逆恨みも良い所だと思っているが、これが10年近く続いている。
そんな2人を微笑んで眺め、プレヴァルは話を戻す。
「では、手短に。君には選択肢が2つある」
この男に実質2度殺されかけている。それでも生き残っているのはまたこの男の気まぐれに過ぎない。遊ばれているようにしか感じず、またかと怒りが湧きそうになるが、それを手のひらに押し込め、話を遮らない。
「一つはもう一回処刑されることだね。これが本筋かな」
プレヴァルはそう言って立てた一本の指。更にもう一本の指を立てこちらに見せて来る。
「2つ目は私の所で奴隷の管理をしてもらう事かな。ちょっと君の後釜が滅茶滅茶やっちゃっててね」
プレヴァルの視線は奴隷商の手の甲へと向いていた。ディアナが勝手に持ち出した任命書もある程度目を瞑ると言う事らしい。だが、どちらにせよそれを両手を上げて喜ぶ訳にいかず。
「私である意味はあるんですか。それにあの施設の奴隷なんて閣下にとってはどうでも良い者ばかりでは」
自分の命が助かると言うのに、なぜこんな事を言っているのだろう。意地など張らずに受ければいいのにと、冷静な自分が問いかける。だが、これだけ頑張って、周囲に助けてもらってきた結果が、ただの気まぐれで生かされるという結末を受け容れたくない。そんなちっぽけなプライドなのかもしれない。
そう迷う奴隷商を見て、プレヴァルは肩を揺らし軽く笑い目を細める。
「君である意味は無いね。ただタイミングが良かっただけ。あとそのどうでも良い奴隷を持っておきたくてね」
プレヴァルの傍にいるクリスは、良かったなとでも言いたげにこちらを見て来る。それすらも苛立ちそうになるが、ここで癇癪を起しても仕方ないと深呼吸をする。
(処刑されるってなったらまたディアナが無理をするか)
自分が生き残るべき理由を考えるとするならば、それぐらいだろうか。自意識過剰という物かもしれないが、それでも10年の付き合い。多少は分かっているつもりではあった。
未だに回答しない奴隷商に対し、プレヴァルはある紙を出して言う。
「あぁそうそう。君の持っていた奴隷もう半分は死んじゃったか売られちゃったよ」
息を吸おうと広がっていた肺は固まり、心臓が握りしめられるような痛み。視界がプレヴァル以外がぼやける感覚の中、表情だけは平静を保つのだが。
「えーっと。ロルフが死んでレーナとカミラに……ハンナが売られたってさ。てか割と高値だね、君目利きすごいじゃん」
思わず一歩を踏み出し握った拳を振り上げそうになるが、その肩を掴んで止めるのはクロヴィス。その老人に振り返っても何も言わず首を振るだけ。
「……なんでッ」
売られたのはまだいい。結局奴隷はその道だからだ。だがロルフが殺されたというのを、実質的な原因であるプレヴァルが他人事の様に言うのが許せなかった。
ただそう自分では思いつつも、奴隷商が一番より過敏に反応した名前はハンナだったというのは自覚していない。それらを見透かしたようにプレヴァルは試すように言う。
「どうする?別に私はどっちでもいいんだけど」
奴隷商の怒りを認識すらしていないように、変わらぬトーンで問いかけて来るプレヴァル。そして奴隷商の肩に乗るその皺だらけの手の強さ。
「……」
たまらなくこの男の下に付くのは癪。だがだからと言って無為に死ぬのだって人間なのだから嫌。それでそこに自分が入れば助かるかもしれない奴隷がいる。
「……俺は」
なぜいつも思考と感情は別方向を向くのだろう。毎回感情を抑え思考を優先して後悔してきた。それが正しいと思ってやってきたはずなのにだ。
結局誰かのためにと生きていても誰かのために死ぬことまでは出来ない。こうして生き残ればディアナが無理して助けに来るかもしれない。俺から情報が漏れてルナに危害が及ぶかもしれない。
それなのに、結局誰かのために命を投げ出す事が出来ない。理由を付けて言い訳して生き残ろうとしてしまう。利他的で誰かのためにありたいと思っていても、いざ自分の番となると踏み込めないのだ。
「……閣下」
そう。結局亮太という人間は、クラウディアに手を伸ばせなかった時から何も変わっていなかったのだ。
「……おねがい……します」
そう言った時。クリスの顔は酷く歪んでいたのを、亮太は直視出来なかった。




