第66話 沈んで跳ねる
元奴隷商は再び奴隷商となり、浮かび上がった手の甲の紋を撫でる。そして眼下には自身の首元を不思議そうに触る少女。
「……それで……これなんなんです?」
その少女はそう問いかけて来るが奴隷商は何も答えられない。だがディアナは何も言葉を飾らず冷たく言う。
「奴隷紋だ。勝手な事するなよ」
そう言われた少女はやはり顔を歪ませるが、ディアナの手がナイフの柄にあるのを見て言葉を抑える。そんな中奴隷商はディアナよりも前に出て、その少女と顔を合わせる。
「人に危害を加えない事。あと体に異変があったらすぐに報告する事」
喉元に魔力を込めそう言う。そして奴隷商の手の甲がやんわりと赤く光ると、少女の首周りの紋も赤く光る。これをしておけば少なくとも暴れられないし、龍化の兆候も掴めるはず。
それで満足だろとディアナを見上げるが、彼女はそもそも少女の存在すら否定的なのか。
「アンタがそれで良いなら良いけど。仇なの分かってるの?」
分かっている。多分時間が経てばこの子に対して憎しみすら湧いてくると思う。だがそれでも、あまりにこの子がクラウディアの面影を残しすぎている。それを言い訳にしたくないが、感情として今この子の未来を絶つ決断は出来ない。
「……一つアテがある。そこに預けようと思う」
それが精一杯の譲歩だった。奴隷商自身この子供を連れて逃げるのは難易度が高く、それに反対するディアナを巻き込む訳にいかないのは分かっていたからだ。するとディアナは態度は決めかねつつも、奴隷商の提案に耳を貸す。
「アテってどこ。あんた実家でもあったの?」
実家と言われて懐かしい光景が奴隷商の脳裏によぎるが、それを振り払い言う。
「オークランス伯爵家。奴隷を何度か売った家だ」
無理な可能性の方が高いが、あそこは奴隷の扱いも良好な家。仮にそこでダメだったとしても、その時には決断できているかもしれない。その伯爵領はここから帝国領土の対角線で、半ば時間を稼ぐための提案だった。
そしてディアナもその辺りの地理は頭の中にあったが、迷いに溢れた奴隷商の顔を見て察したように言う。
「そこが期限だからね。その時あんたが何て言おうが私がやるから」
その言葉に奴隷商は首を縦に振る。ここまでディアナに妥協して受け入れてもらったのだから、これ以上押し付けることは出来なかった。そしてこの話題の当人であり蚊帳の外にされていた少女は、戸惑い少し不機嫌そうに言う。
「私……どうなるんです……?」
それにどう答えようか奴隷商とディアナは考える。すると話を遮る様にシエナが奴隷商へと問いかける。
「え……あ、あのっ!その伯爵家ってもしかして……」
少女が呆気にとられたようにシエナを見る。そして奴隷商も今かと思いながら、とりあえず答えてやる。
「そうだレイラの所だ。会いたいのか?」
シエナは大きく頷く。奴隷商はディアナに確認するように見るが、やはり顔色は芳しくなく。
「言っちゃ悪いけど荷物増やすの?」
奴隷商は再びシエナに目をやるが、やはりどう見ても戦えそうにない。そんな思考を察したのか、シエナはその少女へと駆け寄って抱き寄せる。
「私が……っ!この子守るから!!」
自分の疑問に答えて貰えないと不貞腐れていた少女は、目を白黒させて戸惑うが、シエナはそれを気にせず大真面目にそう言った。奴隷商は迷いながらも、自分とディアナだけでこの子供の世話が出来る想像が出来ず。
「いざとなったら切り捨てるからな。それでいいか?」
すると奴隷商が言い切る前に、被せる様にしてシエナは首を振り珍しく声を張る。
「うん……じゃなくてはいっ!!それでいい!!」
なら良いかと奴隷商も頷いて立ち上がる。だがそんな男にディアナは呆れた様な声で耳打ちしてくる。
「どうせ切り捨てれない癖に」
そうしてディアナは荷物を背負い直してこちらを見て来る。この所迷惑というか負担をかけすぎて申し訳ない感情しか湧いてこない。それこそここまで我儘しか言っていない自信しかない奴隷商は、聞いて良いのかと思いつつ口を開く。
「……お前も俺をよく切り捨てないでくれるよな」
するとそれが返事なのか、コツンとディアナの足裏が叩いてきて、そのまま先へと進んでしまう。そしてシエナは手をわなつかせながら、その少女に手を差しだす。
「な、名前は?」
どうやら話を聞いていなかったのかもしれない。彼女が名前を憶えていないという話をしたばかりで、勿論その彼女はただただ戸惑ったようにその手を取る。
「え……いや……だから覚えてないって……」
そんな会話を見つつ奴隷商はその2人の傍に立つ。
「ならシエナが名前を付けてやれ」
だがそう言われて少女は嫌そうに眉をひそめて、声を刺々しくする。
「別に名前とか無くて良いんですけど……」
クラウディアとアリシアの面影がある割にどうにも可愛げのない態度。どちらかというとラウラの要素が大きい様にも感じてしまう。
(……まぁ人間かも怪しい……からどうなのか知らんが)
ナイフの柄に手をあてこちらに振り返っているディアナを横目に、奴隷商も多少警戒を強める。そんな大人2人の気も知らないで、シエナはうんうんと唸ると、思いついたらしく少女に提案する。
「じ、じゃあルナってど、どう……?」
シエナはこの少女がラウラを殺したという事実を分かっているのだろうか。それは奴隷商自身も実感は出来ていないのだが、それにしてもシエナは気後れしていない。
そしてそのルナという名前を提案された少女は、得に拘りがないというか面倒なのか。
「あぁ……じゃあそれで……」
そう言ってディアナを追って歩き出すルナ。そして甲斐甲斐しく世話をするようにシエナがついて行く。
「あ、ま、待って……!足元暗くて危な━━」
そう言いかけたシエナが大きく音を立てて転んでしまう。それにランタンの灯が揺れ、ルナは振り返って呆れた様に見下ろす。
「貴女年上ですよね……?」
ルナの自認は見た目の年齢と一緒なのかと奴隷商は思いつつ、シエナを起き上がらせようと、その腕を掴む。
「一回落ち着け」
シエナの耳は真っ赤になってしまっている。そして奴隷商に引き上げられるまま立ち上がり、脚は動きルナの隣へと歩いて行ってしまう。
「……そ、それでも私がルナの傍にいる」
そうボソッと呟くシエナに困ったような顔をしたルナは、目を細め諦めまた歩き出す。それらを守る様に奴隷商は最後尾を進み、前方のディアナと連携し、地上へと戻る。
その頃にはもう日も暮れかけで、辺りは既に暗くなり始めている。そしてディアナと奴隷商は2人並び話し合う。
「一旦泊る?流石にあの髪色と長さだと目立つけど」
ディアナが横目に見るのはルナの長い銀色と麦色の混じった髪。シエナが邪魔だろうからとポニーテールにして結んでいるが、それでもボリュームがあって重そう。
「泊まろうか。流石に夜の街道を子供連れで行けない」
そうして方針だけは決まり、2人はルナ達を連れ宿場町へと進んでいく。そして今朝と同じような道を通っていると、坂の上に見えるその腰の曲がった老婆。
「……また祈ってる」
前方でシエナがずっとルナに話しかけているのを横目に、今朝と同じ位置で同じような姿勢をする老婆を見る。
だがその老婆と目が合ってしまう。首が急に回り迷いなくこちらを捉えたその老婆の眼は、鈍く光りこちらを捉えて離さない。思わず奴隷商は足を止めてしまい、前方から心配したようなディアナの声がする。
「どうした~?」
老婆はこちらから視線を外さず体をこちらに向ける。そしてそれはゆっくりと歩き出し、段々と加速して降りて来る。
「おいおい」
思わず後ずさりナイフの柄に手を当てる。だがそんな奴隷商よりも反応を示したのはシエナで、甲高い叫び声と共に尻餅をついてしまう。
「え、エディダさん……」
どうやら知り合いらしい。ならば友好的にと思うがシエナのその様子と、そしてそのエディダの手にあるそれで、不可能だと察してしまう。
「鎖鎌って……」
咄嗟に奴隷商とディアナは、ルナとシエナを守る様に前に立ってナイフを抜く。周囲の人間たちも何があったのかと、ざわめきこちらに視線をやる。そしてその老婆は、視界の中で段々と大きくなりあと数歩の所でピタリと止まる。
ルナはいつの間にか奴隷商の背中に捕まり隠れてしまっている。そしてエディダの目的はシエナなのか、尻餅を付く彼女見てガラガラとした声で言う。
「なんでアンタがここにいる」
エディダはシエナへと向けそう言うが、その肝心のシエナは首を振ってたどたどしく後ずさっていくだけ。奴隷商は埒が明かないかと、エディダとシエナの間に入る。
「お知り合いですか?」
背中のルナを気にしつつそう聞く。だがエディダはその皺の間から水色の瞳を鈍く光らせる。
「ヌシには関係無い。なぜ贄がここいにる」
明らかに不穏なワードに奴隷商とディアナの警戒は厳しくなる。だがそこで奴隷商の後ろから見える銀髪に気付いたのか、エディダは奴隷商をジッと睨んでくる。
「……その後ろにいるのは」
質問ばかりだなと思いつつ、下手に拒絶して流血沙汰になるのはまずいと考え、奴隷商はすっと体を引く。だがそれが良くなかったのか、ルナの姿を見た瞬間に、エディダは鎖鎌を落とし、その目を大きく開かせる。
「……だから……なぜ贄がここに」
奴隷商はその言葉に引っ掛かるが、遠くから聞こえてくる喧噪と足音。それに目を向ければ衛兵がこちらに向かっているのが見える。
「ディアナ。今日は寝れないかもな」
「あんた変なのに絡まれやすすぎ」
そう軽口を叩き合いながらも、すぐに行動を開始し奴隷商はルナを抱え、ディアナはシエナを抱える。そして置いてかれるエディダは乾いた空気に叫び、誰かの名前を呼ぶがその内容までは聞こえない。
「……まさか……な」
そんな偶然ある訳ないと思う。だが思い出してみればあのエディダという老婆は、アリシアと同じ水色の瞳をしていた気がした。
ーーーーー
その日は真夜中になってもずっと走り続けた。流石に衛兵に詰問されればお尋ね者なのはバレてしまう。それこそ既に手配書は出回っている以上猶更だ。
だが上手く撒けたのか、背後にあった焚火が遠くなったのを確認すると、息の上がった奴隷商とディアナは崖下で腰を下ろす。そして抱えていたルナとシエナを崖にもたれ掛けさせる。
「……これで居場所バレたかな」
ディアナは頬に付いた汚れを拭いながら呟くが、奴隷商はそれを否定するように言う。
「顔は見られてない。ただの怪しい4人組ってだけだろ」
多分まだ大丈夫。直接犯罪をしたわけじゃないから、あの衛兵たちもこれ以上深追いはしてこないはず。
「ただ街はあまり使えないな」
ディアナはその言葉に頷きながら、鞄から干し肉を取り出し齧ると、もう一本をこちらに向けて来る。
「ん」
「おう」
奴隷商は干し肉を受けとり齧る。そしてルナとシエナは良いかと振り返るが、流石に夜が遅いからか2人寄り添って寝息を立てている。
「案外肝据わってるんだな。こいつら」
奴隷商は鞄から毛布を取り出し2人にかける。火は流石に使えないから寒いが仕方ない。そして奴隷商とディアナは2人並んで座り、三日月を見上げる。するとディアナがルナを横目に呟く。
「情が湧くぞ」
ディアナは干し肉を食いちぎり咀嚼する。その言葉に奴隷商は水を飲み、背後にで寝息を立てる2人を見る。
「……かもな」
雪解けの季節が近づいてきたとはいえ、辺りは寒くふぅっと息を吐けば白くなる。そしてその息を追うように奴隷商の視線は、青白い月明りに照らされたディアナを捉える。すると気まずそうに眉間にしわを寄せてくるディアナ。それは少しばかり不機嫌そうに見えた。
「……なに」
奴隷商は干し肉を持った手を膝の上にやり、その琥珀色の瞳と目を合わせ続ける。
「本当にありがとな。世話になりっぱなしで」
一瞬目を丸くするが小恥ずかしそうに目を逸らし、また干し肉を齧るディアナ。いつもの軽口が返ってくるかと思ったが、この時ばかりは落ち着いた声色で答える。
「……そう思ってるなら死にたがるなよ」
そう正面から言われ奴隷商もどう反応したら良いか分からず、自然と干し肉を握る手が強張る。ディアナの雰囲気から冷たい圧を感じたからだ。
そして少しばかり湧いた緊張を抜くようにまた白い息を上げる。
「誰も死にたくて死ぬ奴はいないだろ」
するとそんな奴隷商の暗い顔を見てか、ディアナは悪戯っぽく笑い、栗色の髪を揺らして見上げて来る。
「私が怒ってると思ってる?」
その顔を見て違うのかと、変に緊張してしまってアホらしいと、奴隷商はディアナから視線を外す。
「……別に」
だがそんな奴隷商を面白がるように、更にディアナはずいっと距離を詰め、その小指で突っついてくる。
「普段私の事ぞんざいにする癖に嫌われたくないんだ?」
どうにも図星な部分もあり言い返せなく、奴隷商はそのディアナの小指から逃げるように体を捻る。そして恥ずかしさに胃が収縮する感覚を覚えながらも、正直な心内を吐露する。
「……そりゃ……そうだろ。こんな俺と10年も付き合ってくれるんだから」
そう言ってディアナを見ると、更に面白い物を見たかのように二ィっと笑い、その小指は動きを激しくする。
「へぇ~そう?やっぱそう思ってたんだ~?」
さらに鬱陶しくなるディアナ。だが今日ばかりはあまり強く言えない奴隷商はそれに耐えるように頷くことしか出来ない。
「あぁそうだよ……そう!だからもうその指辞めろって!」
青白い月明りが鬱蒼とした森の中を照らす。その中で声を響かせ面白がるディアナと、罪悪感と申し訳なさの中それでも少しだけ笑みが零れる奴隷商だった。
ーーーーー
それから次の日。奴隷商は顔をフードの奥に隠し街道沿いを4人で進む。どこかで馬車を拾おうかという話になったが、荷物検査で身元がバレる可能性を考え辞めた。
「え、で、その時にね━━」
前ではシエナがずっとルナに話しかけ続けている。話の内容自体は大したこと無いが、案外ルナもちゃんと聞いているのか相槌を打っている。
「へぇやばいじゃないですか。どうしたんですその後」
シエナは筆が乗る様に話を続ける。正直本当かと疑うような内容もあるが、わざわざ恥をかかせに行く意味も無いので、黙って後ろから様子を眺めるだけ。
そうして太陽が大分昇った頃合い。近場に川がありそれなりに流れも穏やかなので、そこで昼食と休憩を取ることにした。
「火起こすぞ」
「あいあい。じゃあもうちょっと木拾ってくる~」
奴隷商とディアナは昼飯の用意に勤しむ。道中食べれる野草も拾ってきたので、スープに纏めて入れてしまうつもりだった。
そしてルナとシエナはと言うと、特に準備に混じる事無く川辺で何か話していた。
「広いですね……この川」
ルナが初めて見たと言いたげに目を大きくさせ、それを見てシエナは地面に落ちていた石を拾う。そして待っていたと言わんばかりに得意げに口角を上げる。
「ふふんっ!じ、じゃあ見てて!」
ルナはそれを不思議そうに眺め、シエナは肩を何度か回してから石を握り直すと言う。
「前会所のおじさんに教えてもらったんだけどっ!」
そう言って手に持っていた石を水面へと投げる。それはチャンチャンチャンと3回だけ跳ね、水面の下へと消えていく。そしてシエナは自慢げに振り返って、髪を結んだルナを見る。
「どう?すごいでしょ?」
だがそのシエナをルナは見ておらず、昨日拾ったその石を手に握りしめ、何か引っかかる様に首を傾げる。
「……うん?」
シエナは見られてなかったことに不満そうにする。だがルナは何も言わずシエナを押しのけて川辺に立つと、その手には薄べったい石を握る。
それを見て咄嗟に奴隷商は立ち上がる。
「ちょ…っとそれはクラウディアの……」
そう止めようとするが、ルナは初めてにしては綺麗なサイドスローのフォームで腕をしならせる。そしてその手から離れた石は綺麗に水面を叩き、それは5回跳ねて水面へと沈む。
それを奴隷商はどんな感情で見れば良いか分からず、固まっていると、ルナはシエナでは無く何故かこちらに振り返ってくる。
「あ、5回跳ねた……跳ねましたよ……?」
自分でも何を言っているのか分からないと顔に出しながら、こちらに報告してくるルナ。それが堪らなくかつての面影と被って、胸が痛くなるが努めて表情だけは平静を保つ。
「そうか……飯まで時間あるから水浴びするならしておけ」
そう言って奴隷商はルナから視線を外す。あの思い出の石は既に水底で届きそうにない。だがそれ以上にルナにクラウディアの面影を感じ過ぎてしまい、感情の整理が追い付かない。
「……そういうの……やめろよ」
パシャパシャと背中では水遊びをする音。奴隷商の目の前では沸騰する鍋の中の熱湯。その水面には奴隷商の顔は上手く映らなかった。




