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奴隷商の男  作者: ねこのけ
第四章
63/91

第63話 いつかまた笑って


 昼にしてはあまりに暗く、空には薄灰色の雲が覆う。そしてパラパラと雪が散る中、麦色の髪を揺らしラウラは白い息を吐く。


「え、でも龍ですよ……?」


 一歩先には、意気揚々と剣を構え歩くシエナ。それに向かってラウラは声を震わせ問いかける。アリシアの事を龍と表現することに喉のつっかえを覚えるが、ラウラはそのシエナを止めようとしていた。


 だがその肝心のシエナ。彼女の体は数日もすれば全快し、健康体そのもの。そして彼女は少しばかり見栄っ張りな面も持ち合わせていた。


「わ、私冒険者だから!龍ぐらいどうってことない……よっ!!」


 少しばかり詰まりながらもシエナは青髪を揺らし意気込む。それは後輩であるラウラに良い所を見せたいと、そしてそれは引くことが出来ず益々悪化してしまう。


「そ、それにさ!もう私も小型の龍なら1人で倒したことあるんだよ!!」


 全くの嘘。魔獣一匹すら狩った事は無いが、そう盛るというより嘘をついてしまう。そしてこんな事はラウラと再会してから数日続けてしまっており、今更引けなくなっていた所もあった。


 そしてラウラ自身それは薄々察しながらも、とりあえず話を合わせる。


「あ、いやぁ……それはすごいですけど……竜って言っても帝都の兵士の人がやられるぐらいで……」


 話を合わせながらも、どうにか止めようとするラウラ。これ以上アリシアに誰かを傷つけるような事をして欲しくないのと、そもそもラウラとシエナではどうやってもあのアリシアは止められないのは分かり切っている。


 だがシエナも今更撤回するなど出来なかった。でも内心ではラウラの言葉に冷や汗をどっとかく。


(帝都って……なんでそれ先に言わないの!!)


 何かあの龍がラウラの友達というのは聞いた。それで戦っていたっていうのも。せいぜい冒険者数人ぐらいを想像していたのに、それだとあまりに規模が違う。


 そう段々と歩む足取りが鈍くなりそうになるシエナ。だが今の話を聞いたそばから尻尾を撒いて逃げるなんて、恥ずかしいし後輩の前でそんな事できないと、コンラートから貰った剣の柄を握る。


(ま、まぁ……いざとなったらお腹痛くなったって帰れば……)


 そんな楽観的な思考で、一向に意見を翻しそうにないシエナ。それを見て益々ラウラは困り果てるが、シエナを置いて行くわけにいかず渋々ついて行く。そして雪を踏みしめる二つの足跡は、段々と森の奥深くまで行き、木々の間から見える反射。


 それは雪の反射だけではなかった。そこに翼を畳んで眠る銀龍の鱗と雪の白さが反射し合い、辺りはやけに眩しく感じる。


「……え……あれ?」


 木々の間から見えるそれに、明らかに動揺した様子でシエナは振り返ってくる。そしてラウラは声を潜めながら答える。


「だから止めたじゃないですか。近づいたら攻撃されますから」


 今は一旦落ち着いて帰ろうと。そう言おうとするが、タイミングの悪い事にその龍が瞼を開ける。そして鼻が動きその目はこちらをジッと捉える。


「「……」」


 息すら許されないような圧迫感。ラウラでさえその中身がアリシアだと思っていても、恐怖の感情が殆どを占めてしまう。


 一回だけラウラはアリシアを説得するためにこの場所に来た事がある。その時は今日と違い、酷く雪の強い日の事だった。


「あ、アリシアちゃん!!助けにきたよ!!」


 手足を覆う物は何もなく、赤く痛みを伴う。ただあった麻布のボロ服とジャケットだけを羽織って両手を広げる。


 だがその龍はじっとこちらを睨むまま、唸り声を上げるだけ。


「ほ、ほらっ!!もう戻って来てるんでしょ!?」


 花束を渡そうとした時は確かにそこにアリシアが居た感覚があった。だから今もこうやって呼びかければ戻ってくれるはず。そうなはずだと、また一歩深雪へと踏み込むと、その瞬間龍は顔をあげ明らかに激怒したように唸る。


 その拒絶ともとれる反応に、ラウラは頬が固まり足がそれ以上進まない。


「え、え、ち、違うようね……?だって私は友達で……」


 龍は起き上がる。その体はここから見える山脈全てを覆い隠すほど。そしてその口からは牙が見え、零れた涎は地面の雪を溶かしてしまう。


「……っち……っちょっと」


 思わず命の危機を感じて後ずさる。だがそれを逃がさないと龍もその口をこちらに近づけようとしてくる。


「……ッ」


 そこで恐怖に耐えきれなかった私は逃げ出した。その時に背後から聞こえた雄たけびに更に恐怖を掻き立てられ、何度転んで手足をボロボロにしても振り返る事は無かった。


 だからこそ。またこの場に来るのには勇気を要した。シエナが居なかったらそれこそもっと時間がかかったのであろう。


 だがそれはどちらにせよという物らしかった。目の前の龍は以前と変わらず唸り、その牙を見せる。


「……シエナさん……戦えるんですよね……」


 自分でも意地悪な事を聞いているのは分かりながらも、こんな状況にした張本人に責任を取らすように言う。だが、そのシエナはただ涙目になって声を震わせる。


「ご、ごめん……」


 カチャカチャとシエナの持つ剣が鞘の中で震えている。今更謝るなら最初からと思ってしまうが、施設に居た頃から同期と年上にはオドオドするけど、年下には見栄を張る人だったと思い出す。


 そして湧いた怒りのお陰か多少冷静になったラウラは、一度深呼吸をしてその空気の冷たさに思考を回す。


「じゃあ目を離さないよう一歩ずつ引きますよ」


 前逃げた時も必要以上に追いかけては来なかった。だから今回も刺激さえしなければ大丈夫なはず。そして流石にシエナも意地を張らずに大人しく言う事を聞いてくれるので、2人はゆっくりとその龍から距離を取る。


(絶対に助けるから。今は待ってて)


 最悪私が体を売って金を稼いで傭兵なり学者をつれてくる。あれだけ健気に慕ってくれたアリシアを裏切ったのだから、それぐらいの償いをする覚悟はあった。そして今はただ分かってくれと、口を噤んでその爬虫類のように長ぼそい瞳に訴えかける。


 だが今日はどうにも運が悪いらしかった。隣から聞こえる気の抜けた声と、舞う雪。


「あっ…………」


 隣で尻餅をつくシエナ。雪の下にあった根っこに足を取られてしまったらしい。

 だがそんな呑気な思考をしている暇なく、龍は一度瞬きをし首を上げると、その口を天高く向け雄たけびをあげる。それは至近距離で浴びれば地響きで、腹の底から揺らすような重低音。


 ラウラは咄嗟にシエナの手を引っ張りだす。


「走りますよ!!」


 シエナも足を何度か滑らせながらも、剣だけは大事に抱えて起き上がる。


「あ、う、うん!!」


 2人は走り出す。背後からは木々をなぎ倒し雄たけびを上げる龍。それは今すぐにでも私達を食い殺さんと、地面を鳴らしてこちらを追いかけて来る。


「私を喰ったりしたらアリシアちゃんは……ッ」


 あれだけ酷い事をした自覚はある。でもそれでもアリシアは私を信頼してくれて、自分が一番苦しかったはずなのに、私の為に花輪を作ってくれた。それで今度は私があの子に食われでもしたら、あの子に一生消えない傷と罪悪感を与えてしまうかもしれない。そんな死に方だけは絶対に嫌だと、更に足を踏み込む。


「魔法使えないんですか!?」


 隣を走るシエナも冒険者なだけあってか速度は落ちない。だが、その目からは涙が溢れ、情けない声で叫ぶ。


「ないっ!!」


 段々と近づいてくるその足音と龍の生臭い息。必死に木々を掻き分け雪を踏み飛ばし走るが一歩の大きさがあまりに違い、足元は既に龍の影に覆われる。


 そこでふとラウラの手がシエナに握られる。


「ちょっ……なにを……」


 そう戸惑うラウラだが、シエナは悲痛な顔をしながらある所を指差し声を張る。


「あ、あそこ!あそこなら龍入ってこれないでしょ!!」


 指差したのは山肌にぽっかりと空いた洞窟。これまで存在こそ知りつつもどんな危険があるか分からず、近づかないようにしていた所だった。


 ラウラは背後に迫る龍を一瞥し悩む。もう口を伸ばせば今にも食われてしまいそうな距離。そしてその垂れさがる爪と牙。悩む時間は無いと頷く。


「じゃあ行きましょう!」


 2人が咄嗟に方向変換する。するとさっきまで走っていた所は長い爪によって地面を抉られ、雪の下の芽吹く前の春の植物を露わにする。その抉れた地面にいたらと想像すると、身震いをしてしまうラウラ。


「ほんとに殺す気なんだ……」


 ラウラはショックに近い感情を覚えるが、手を引くシエナはお構いなしに走る。そして爪が空ぶった龍は、その場で立ち止まりこちらを睨んでくるが。


「前向いてッ!!」


 シエナのそんな掛け声が聞こえてくるが、2人の足元にあった雪が突然崩れる。そしてそれは轟音と共に2人を包み、地の底へと誘おうとする。


 それでも最後までラウラの視線は後ろを向き、その龍の眼と目があっていた。


「アリシアちゃ━━」

 

 そう呼びかけようとしたが、その後ラウラの意識は途絶えてしまった。


ーーーーー


 そうして数分程だろうか。2人は雪に隠れていた割れ目に落ち、空を遠く高く見上げねばならない所に来てしまったらしい。そしてそこで先に目が覚めたのはラウラだった。


「……痛った」


 起き上がるが地面には柔らかい感覚。それを確かめるように視線を落とす。すると植物やコケが生い茂っていて、そのお陰か体にそこまでダメージは無かった。


「それに温かい」


 地上と比べ物にならないぐらい温かく、一緒に落ちてきた雪も解けかけている。差し込む光は自分たちが落ちてきた穴からの僅かな物だけだが、どうやらそれなりの距離を落ちてしまったよう。だが天井から聞こえてくる雄たけびに意識をハッとさせ、すぐに隣で寝息を立てるシエナを揺する。


「シエナさん!!行きますよ!!」


 流石に龍はここまで入ってこれないのか、雄たけびが段々と遠くなっていく。それに安堵しながらもこれ以上時間をかけてられないと、必死に声をかけるがシエナは。


「ん~んん……~ったって」


 こんなんで良く冒険者をやっていられたとつくづく思う。龍の雄たけびは相変わらず遠いが、それでも流石にここに居続けたくないラウラは、シエナの頬に平手打ちをする。


「起きろッ!!!」


 するとパチっと目を開き、赤くなった頬を抑えて驚いたようにこっちを見て来るシエナ。


「そんな起こし方しなくても……」


 さっきまで何があったのか忘れたのかと怒りたくなる。思わずそんな感情で頬をピクつかせるが、突然聞こえる金属のこすれ合うような甲高い音。その音に2人見上げれば、ここから見える狭い空を覆いつくす、その銀鱗。


「……うそでしょ」


 龍がこんな地面まで潜ってくるのか。しかもあんな狭い所を無理やり……


「じゃなくて逃げますよッ!!」

 

 ラウラは握っていたシエナの手を無理やり引っ張る。あれだけの巨体ならば細い洞窟にでも入ってしまえば、龍も追いかけられないはず。


 だがラウラの引っ張った手はそれ以上動かず、その足は止まってしまう。そして振り返ればシエナがもたもたとしている。


「あ、ちょっ……コンラートさんの剣が……」


 落下してきた衝撃で剣を落としてしまったらしい。少し離れた所にその剣があるが、それを拾っている暇は勿論なく。


「あとで取りに行きますから!今はッ━━」


 グッと力を込めて引っ張ろうとする。だがその手は離れラウラは勢いそのままに前へと転がってしまう。膝をすりむき痛みを感じるが、まずいと振り返ったそこには剣を大事そうに抱えるシエナの姿。


「良かった……良かった……」


 その顔は安堵したような嬉しそうな。差し込む光に青髪が照らされ、こちらに気付くと微笑んでくる。相変わらず肝の据わったような、鈍感な人。


「……シエナさんいつも」


 とっさに駆け出して手を伸ばす。放っておけない人で、どうやってこれまで1人で生きてきたのかと。そう仕方なく思いながら、その手を伸ばしシエナの肩を抱く。


「━━ッ」


 だが見上げればすぐにある銀鱗と、大きく広げられた鮮やかなピンクの龍の口。今にもその牙は私を喰い殺そうと煌めき、本当に私もろとも殺そうとしているのだと分かってしまう。


 そしてここまで来てもう自分が逃げられないと分かってしまう。そう半ば諦めの感情が広がると、ふと今更後悔をする。


「花輪……結局作ってあげられなかったね」


 ラウラはそう声を震わせながらも、手に抱えていたシエナを押し飛ばす。シエナは訳も分からないように茫然とするが、確かに離れていく。


 それがやけにゆっくりと見え、龍と一緒に落ちて来る土塊の回転すら見えてしまいそう。


 そんな中私は体をその龍へと向け、最後に笑う。


「……ありがとう」


 いつの日か花輪を貰った時に言い損ねた言葉。それが今更出るなんてと思ってしまう。だがそれがラウラとしての最後の思考と言葉だった。


「え……ラウラちゃん……なんで」


 押し飛ばされ尻餅を付くしかないシエナの目の前には、まるで龍を受け容れるかのように手を広げ微笑むラウラ。それを龍の銀鱗が一瞬輝いた後、轟音と土煙が包んで隠してしまう。そしてその衝撃と風圧は、シエナを吹き飛ばしてそのまま岩壁へと押し付けてしまう。


「━━ッ」

 

 背中に突き刺さるような痛みに肺の中の空気が押し出される。辺りは土煙に覆われ、衝撃でパラパラと石や土くれが落ちて来る。


 そして差し込む日光が土煙を照らし、その中に一際輝く銀鱗が七色に反射する。それに目を細め見上げると、そこには首を高く上げる龍の姿。

 

 その口元の銀鱗は誰のものか赤色に汚れている。まさかと思いつつも、シエナは手を震わせ土煙が晴れていくのを見る。


「え、うそ……ラウラちゃん……」 


 幾ら眼球を回してもラウラはいない。黒いジャケットだけが落ちて来て、その下のコケは赤く染まっている。それが意味する事を理解したくなくても、ここにシエナ以外の声が反響する事が無い。そして酷く罪悪感を支配する中、シエナの頭にはどこからか、黄色い花びらが待ってくる。それは酷く乾いて縮んでいたみすぼらしい物。


「……」


 それを手のひらににジッと眺める。するとその龍はその花弁を追うようにして、顔をゆっくりとこちらに向けて来る。そして今更に謝罪の言葉が漏れ出る。


「ご、ごめっ……そんなつもりは……っ」


 龍の口から零れるその白く細い腕と、顔に降りかかってきた誰かの血。それがべっとりと顔に張り付く。


「違う……だってそんなの……」


 シエナの体全身から力が抜けてしまう。そしてその龍は口元を僅かに血で汚し、更にシエナすらも食い殺そうと、首を伸ばしその口先を大きく開く。


「……あ……あぁ」


 見える歯には麦色の髪が絡みついている。龍のではないその血が見える。そしてその牙は、シエナを罰するように向かってくる。


「……なんで私の人生は……こう」


 現実と自分の不甲斐なさから何もかもから逃げようと目を瞑る。そしてその龍の牙を待ち、時間を要せず順当にその牙はシエナの肩へと突き刺さる。


「……ッ」


 だが龍の牙はそれ以上私を突き刺す事は無かった。その歯の先端が肩に当たった所で、耳元で聞こえる何かが弾けるような音と、辺りに舞う土煙。それと聞こえるどこかで聞いた声。


「ディアナ!お前は安全な所まで連れてってやれッ!!」

 

 果たして自分が望んだ結果なのか。それは分からない。このまま死んでしまった方がまだマシだったのかもしれない。最初はレイラ以外を犠牲にして、今度はラウラを犠牲にしてシエナだけが生き残る。そんな事耐えられそうにない。


 でもその声にシエナの寿命はまだ延びてしまったらしかった。



 

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