第62話 元奴隷と吹雪
ラウラは何かに揺られていた。暖かい様な冷たい様な何か柔らかく蠢くものに包まれる。そのゆりかごの中、自分が何をしていたか、瞼を開くと共に思い出そうとする。
「……どこここ」
目を開いても真っ暗。確か……そうだ。さっきまでアリシアに花束を差し出して仲直りしようとしていたはず。
「だけど急に何か飛んできて……」
そこで思い出したように頭を触るが痛みは無く手のひらに血が付くことが無い。そして体には何か肌触りの良い布が被せられていて、触った感じからして誰かのジャケットらしかった。
そして段々と思考が追い付く。あの時アリシアは龍になって暴れていた。それで私は多分失敗したんだろう。でも生きているという事はなんとかなったのだろうか。そう思考を加速させようと息をすると、辺りが酷く生臭いのに気付く。
「……なにこの臭い」
獣のような特有の刺激臭。辺りの空気が生暖かい事も相まって胃の内容物が湧き出そうになる。だがそれと同時に入ってくる新鮮な冷たい空気。それは目の前の壁がゆっくりと開かれ周りの景色を見せる。
「……え……えぇ?」
入ってくる風はラウラの麦色の髪を大きく揺らし包む。そしてやっと見えたそこは、形容するなら口内。ずらっと並ぶ鋭い歯にそれを支える歯茎。そしてその先に見えるのは、いつも下から見上げていた雲と青空。
「飛んでる」
足元はやはり舌だった。そして誰の口の中かは、その大きさと今目の前に広がる雲海だけで分かる。そうふらつく足で歩き、その龍の歯の裏に手をかけ、その風を全身に浴びる。
「あんなに街が小さく」
見下ろせば緑の大地に点在する小さな街と白い雪に飾られた山々。そしてそんな起きたラウラに気付いたのか、背後から聞こえてくる管楽器のような唸り声。
「……アリシアちゃん」
そう呼びかけてもあの可愛らしい声は返ってこない。ただの龍の唸りだけで、今自分が食い殺され無いのかを心配になる程。
だがどうする事も出来ないのが実情だった。こんな空高くでは逃げ出す事など出来る訳なく、今のアリシアに理性がある事を信じるしかない。そしてふと手のひらに張り付くそれに気付く。
「あ……花びら」
黄色の小さな小さな花びら。あれだけ沢山あった花もここにはなく、たったこれだけしか残っていない。それを大事に握り口内の端っこで蹲る。
「これからどうするんだろう」
多分かなり遠くまで逃げている。でも逃げたとしてどうするのか。アリシアは龍から戻れるのかも分からないし、結局私達は奴隷でどうする事も出来ない。そしてより残った皆に対する申し訳なさと、わざわざ説得までして花束を渡してくれたコンラートの事への心配。
そうしてジッと不安が渦巻きながら蹲るラウラだが、それからまた半日程だった頃。龍の口内に入ってくる空気が酷く冷たくなり始める。それに誘われるように歯ぐきから顔を出し、牙越しに外を見ると、一面に広がる山脈。
「……赤竜山脈」
ラウラは見た事は無かったが、ここまで大きな山脈といえばそれぐらいしか思いつかなかった。それこそこの竜が向かっている山脈だからと、そんな単純な予想でそう思ってしまっただけかもしれない。だがそんな事はどうでもよく、アリシアこと龍は大きく体を揺らし、頭を下げて高度を落としていく。
「え、え、え、ちょっと━━」
腹の中が浮き、内臓が押し上げられるような感覚。文字通り足が離れ体が浮き上がりそうになる。必死に牙を掴み抱えるが、歯と歯の間から見える景色は速すぎてモザイク状になり何も見えず、入り込んでくる空気も酷く叩きつけるよう。
「こわいこわいこわいこわいって!!!」
目を瞑るしか無かった。景色を見ると体から力が抜けてしまいそうになるからだ。そして願うようにその大きな牙を抱える事数分。段々と浮遊感が弱まり入ってくる空気も穏やかになっていく。
そこで目を開くと、さっきまで見下ろしていた山脈が目の前にあり、辺りには視界を覆い隠すように降りかかる粉雪。そして龍とラウラの吐息は白く漏れ出て、その気温を教える。
「あ、アリシアー……?」
眼下に広がる針葉樹を横目に、そう呼びかけても返事は無い。ただ龍の唸り声だけがラウラの体を揺らすだけ。そしてその龍は段々と高度を低くしていき山肌にある洞穴手前に、その顎を預ける。それは出ろということなのだろうと、思いラウラはゆっくりと足を踏み出す。
「……寒」
一歩でも踏み出せば酷く寒い辺り。龍の口内に居たせいもあって、全身が濡れている事も関係するのかもしれない。それでもゆっくりと降りて、その洞穴に転がり込むように足をふらつかせる。そして振り返ると、そこにはこちらをジッと見る龍がいる。
「ほ、ほら……アリシアもこっちに……」
そう花びらの張り付いた手を差し出すが龍はゆっくりと顎を離して、ラウラから視線を外してしまう。そしてそのまま銀鱗に覆われた翼を揺らして、羽ばたく。それは遠く白く覆われた山肌へと消えて行ってしまう。
「……助けてくれたんだよね」
きっとそうだ。わざわざこんな所に置いて行ってくれる辺りそうに違いない。
「なら次は私が助けないと」
きっと今は龍から戻れなくて苦しんでいるはず。なら私が助けてあげないと。そう思いつつも、今は火と食料だと辺りを見渡す。
「奴隷商の奴の教えなんて使いたか無いけど……」
こんなの使うのかよと思うような知識ばかり押し込んできたが、こんな時に役立つとは思ってもみなかった。そうして文句を零しながらもジャケットに身を包み、白い雪を踏みしめ、体をすぼめて歩く。
「確か白い木が燃えやすいんだっけ……」
とりあえず生きのこる為、そしてアリシアを助けるために龍の行方だけを気にする。そうして逃げ出した奴隷の首元には赤い奴隷紋は消えていたのだった。
ーーーーー
冒険者だったシエナは酷く冷たく寒い空気に、感覚が無くなりそうになっていた。だがそれでも体を縛られ目元は覆われているせいで、どうしても逃げ出す事が出来ない。
「……ッ」
手足の先が痛いを通り越して感覚が無くなりそう。偶に聞こえる龍の雄たけびに怯える余力すらなくなっていく。
そんな中雪を踏みしめる足音。それが聞こえて来てシエナは、先ほどまで一緒にいたエディダという老婆のものかと怯え助けを求める。
「あ、あのっ!!わ、私何かしましたかっ!?」
吸い込む空気が肺と喉を傷つける。それでも必死に声を発そうとするが、ポンと頭に乗せられる手。それはシエナの体温が低いせいか、とても暖かく感じた。そしてその暖かさは優しい声色をシエナの耳に届ける。
「ん?何もしてないけど。解くからちょっと待っててね」
その声はシエナにとって聞き覚えのあるものだった。だがこの時のシエナは生き残るのに必死でそれに気付かず、目隠しを外され束縛を解かれた時、あちらの方から気付くことになる。
「あれ……?シエナさん……?」
シエナが久々の外の景色に瞼を開くと、そこには麦色の髪を下ろしたラウラの姿がある。それは確かに奴隷商の施設で一個下の子で4年間一緒にいた記憶。それがなぜ今ここにいるのか、そしてその首にあるはずの紋が無い。
「ど、奴隷紋は……?」
そんな優先順位を間違えた疑問を白い吐息と共に出してしまうシエナ。だがラウラはシエナの体を見ると焦って、そのシエナに黒いジャケットを被せを背負ってしまう。
「あとで説明しますから!今はちょっと我慢してください!」
吹雪が体を叩く中、そのラウラは毛皮に身を包んで必死に走る。背中にはすでに意識が途絶えてしまいそうになっているシエナ。急がないとと焦りつつ、数分間駆け続けるとやっといつもの洞穴へと到着する。
「……良かった。まだ火は消えてない」
そこは洞穴というにはあまり大きく無く、せいぜい人一人が通れるかというぐらいの高さで、横幅も寝ころんだらちょうどぴったりと収まってしまう程。そんな所の入り口付近には、ラウラが火を大きくさせパチパチとはじける焚火。それを前にしてラウラは、シエナを壁に背中を預けさせて座らせる。
「手足を向けてください」
まだ致命的な所までいっていなさそうに安心する。そして明らかに顔色の悪かったシエナは、焚火の暖かさに安心したのかゆっくりと眼を閉じる。
そして寝息を立てた所でラウラも安心し、シエナに他にケガが無いか確認しつつ、手足の先の容態を確かめる。更に自分が羽織っていた毛布をひざ元にかけてやり、起きた時の為にと干し肉と暖かい水を用意し始める。
そうせわしなく作業するラウラ。もうこの生活も2か月程経っており、それなりの生活が出来るようになってきた。鍋も山を下って捨てられたのを拾い、毛皮も罠で捕まえた動物の物で、特段生活に困る事は減ってきていた。
「……これぐらいしておけばいいか」
そしてなぜラウラが人里に降りないのか。奴隷紋も無くなったのになんでここに拘っているのか、それの意味を教えるようにラウラの視線は吹雪に隠れる山肌へと向く。
「アリシアちゃん……」
結局この2ヶ月どうすることもできなかった。近づこうにも暴れ攻撃してくるから、それができず右往左往。それでもあきらめきれずにここでの生活を続けていた。
そんな不安と焦燥を抱えつつ、一通りの対処を終えたラウラは一息つくように、そっと火に手足を向けて体を温める。そこでやっと気付いた事があった。
「なんでこの人も奴隷紋無いの?」
確かシエナさんは……売られたはず。それもあまり言いたくないような所に。なのにこの見た目は冒険者にしか見えず、首元もまっさら。ラウラ自身も何故か奴隷紋が消えているが、なぜシエナまで。そんな疑問が湧いてくるが、深くシエナは睡眠に沈んでしまっている。
「まぁ……お互い疑問ばっかか……」
焦っても仕方ないとラウラもゆっくりと目を閉じる。もうかなり夜も遅いから流石に眠かった。そうして目を瞑ればすぐに意識が落ち、次には洞穴に差し込む朝日の暖かさに目を開く。
「さっき目を閉じたばっかじゃん」
そう思う程に深い睡眠だったらしい。一瞬で夜が明けたと錯覚しそうになる中、目の前には灰になって細く白い煙を上げる焚火の跡。そして未だ深く眠る青髪を垂らし横になるシエナ。その手足の様子をラウラは確かめる。
「うん。良かった」
自分の手の負えない所まで行っていたらどうしようかと思ったが、どうやら大丈夫らしかった。そして取り越し苦労になってしまった、冷めた鍋を温め直す為、また火を起こす。干し肉はどうせこのままでも食べれるからと置いておく。
「シエナさーん。朝ですよ~」
久々に人と話した気がしたが、まだ声がちゃんと出て良かったと今更思う。そしてそれを何度か呼びかける内にシエナはゆっくりと瞼を開ける。
「ん……んん……ごはん……?」
昨日あんな危機的な状況的な場面だったというのに、気が小さい人の割に肝が据わっている。冒険者をする中で成長したのだろうか。
「ご飯っていっても大した物出せないですけど」
沸騰する鍋は中身はただの水だ。体を内から温める為で栄養を摂取するのが目的じゃない。そしてシエナは、段々と意識が覚めてきたのか自分の体を確かめるように見下ろす。
そして自分が大丈夫だと分かると、やっとラウラの方を見て言う。
「あ、ありがとう……」
まだ状況を掴めていないのだろう。それこそなんでラウラがここにいるのかも分からない。それはお互い様なのだがと。そうラウラは思いつつ、干し肉を差し出して前のめりになる。
「じゃあお互い。何があったか話ましょう」
「あ……うん……そ、そうだね」
そうして互いにあった事を全て話す。ラウラはアリシアに関しての出来事となぜここに来たのかを。シエナはなんで奴隷じゃなくて冒険者をやっていたのか、なぜあそこで縄に縛られていたのかを。
そしてそれを話している内に朝日は高く上がり、昼と呼べる様子になってくる。昨夜吹雪いていた天候は、静かに落ち着きを取り戻していた。
「え、じゃあ、あの奴隷商がシエナさんとレイラさんを逃がしたって事?」
シエナはうんと頷く。確かに1日コンラートといなくなった日はあったが、そんな事をしていたのかとにわかに信じられない。だがシエナが嘘を付く意味も無いのは分かっているから、疑念を抱きながらも納得する。そしてシエナ側も確認するように辺りの山脈を見る。
「え、で……その龍が……ラウラちゃんの友達ってことだよね」
友達と言っていいのだろうか。私は一方的に付き放してあんな結果を招いてしまった。最後こそもしかしたらと思ったが、未だ一度もちゃんと謝れていない。
そんな逡巡があったが、今は話を折ってしまうかと思い肯定する。
「……はいそうです。で、ここに来たのは話した通りで、奴隷紋はなんでか分からないです」
するとシエナは干し肉を噛みながらジッと考え込む。どうしたのかと思いつつラウラも干し肉を胃に押し込み、待っていると、ふと決めた様にシエナは言う。
「恩返し……させて……その……迷惑かけちゃったから」
そう言ったシエナの手は確かに腰に差してあった剣の柄を掴んでいた。そしてその意図を聞こうとするラウラを前に、山を反射し響いてくるその龍の雄たけび。
「「……」」
2人の視線が雄たけびの方へと向く。パチッと焚火が割れる音がし、遠い空からは薄暗い雲が迫っているのだった。




