第53話 異世界転移
真っ暗
全く光が見えず自分の体の輪郭すら掴めない。
だが湿って黴臭いような匂いだけは確かに鼻腔を通っていく。
「どこだよ……ここ」
体に痛みは無い。確かに両足は固い地面に立ち、右手ではゴツゴツとした感触の壁に手をついている。それをただ頼りに、足先をゆっくりと進めながら歩く。石橋を叩いて割るぐらいの慎重さで、ジリジリと明りを探す。
「……飯食って……なにしてたっけか」
そうだ。確か朝だったんだ。ならこんなに暗いってことは、どこかトンネルとかそんな所だろうか。
「高校2年になって通学路で迷う事なんてあるのかよ……」
寝ぼけていたとはいえあまりに恥ずかしい。これで遅刻でもすればどう言い訳すれば良いか分からない。
「今日小テストだぞ……急がねぇと」
そう右足を踏み出した時。そこに地面は無く重力に引っ張られるように体は前のめり転がってしまう。
「うわっ……ッ」
それは10数秒岩肌に擦り潰されるように下り坂を回っていく。体全身に襲う痛みに堪えると、やっと平らになったらしくひんやりとした床に、仰向けに倒れる。真っ暗なせいで既に方向感覚はどこかへと行ってしまっている。
「ちゃんと整備しておけよな……」
自治体への不満を零しながらも全身が痛む体を起こす。相も変わらず明りは全く見えずどこなのかも見当が付かない。
「誰かー……いませんかー……」
声はやけに響く。やはりトンネルなのだろうか。だがそうして進むうちに遠くから段々と青白い光が見えて来る。
「車のライト……ではないよな」
いくつも無造作に散らばる光。生物のそれでもなく何だろうかと近づくと、それはどうやらコケの発する光らしく。
「綺麗」
チョウチンアンコウの灯に釣れられる魚の気持ちが分かったような気がする。膝を折り指でその灯を突っつきながらぼんやりと安心してくる。
だが魚の気持ちが分かるというより、どうやら本当にその魚になってしまっていたらしい。聞こえてくる足音は、明らかに2足歩行ではなく、唸る様な声が辺りに響く。
「……野犬はまずいぞ」
ポケットをまさぐるが財布もスマホも無い。あるのは家の鍵ぐらいで、それを構えてその声がする方に向ける。
心拍が大きくなっていく。暗闇の中姿が見えない存在があまりに恐ろしい。手は震え呼吸は乱れていくが、その動物らしき唸り声は消える所か増えていく。
「んでこんな目に合わないといけないんだよっ」
ただ無暗に鍵を振り回すが結局それも意味は無く、唸り声は段々と近づいてくる。そしてそれはやんわりと青白い灯に照らされる。それは形容するならオオカミに近いが、牙は口には収まりきらず長く垂れている。
「あっやべッ」
鍵が地面へと転がりカランカランと音を響かせる。その足はたどたどしく後ずさるが、それを塞ぐように後ろからも、その長い牙を垂らすオオカミが迫る。
気付けば囲まれている。いつ襲い掛かってくるのかただただ怯えるしか出来ない。そしてそのままどこかへと行ってくれるわけなく、ある一匹が爪を立て駆け出す。それに続いて他の狼も襲い掛かってくる。
「おいおいおいまじかよッ!!」
ただ直感だけを頼りに転がるが、世の中そんな上手く出来ていないらしい。右足に一匹の狼が噛みつき、脳に激しく痛みを伝える。
「━━ッ!離れろってッ!!」
買いたてのスニーカーの靴裏でオオカミの鼻を蹴り飛ばす。そして咄嗟に走り出すが、流れる血の量に、人生で感じた事のないような痛み。ただただ涙と嗚咽が漏れ出ながらも、追いかけて来る獣の唸り声に怯え足を動かす。
「んでッ!!こんな目に!!!」
そうして逃げる内に腕を噛まれ脇腹に爪の跡が残り、出血が多すぎたせいか意識も朦朧とする。ただ息も絶え耐え足も満足に動かなくなる。それでも追ってくる獣の唸り声。
「……ッ……クソッ」
相変わらず視界は悪い。殆ど暗闇の中獣の声と反対方向に走る事しかできなかった。そんな中どこからか水の流れる音がする。とにかく新しい手掛かりだと足を動かすのだが、一瞬の浮遊感。
「……え」
右足はどこを探しても地面を見つけられない。そして左足も踏ん張りが効かず、地面から離れてしまう。全身に吹き付ける風と近づく水の音。それは数秒の間で大きくなり、バシャンと大きな水音と共に意識が暗転するのだった。
ーーーー
パチパチと何かが弾ける音。誰かの鼻歌。そして吹き下ろしてくる風。
ゆっくりと意識が覚め男は視界を取り戻す。するとそこには久々の明りが見え、左側にはオレンジ色に反射する石壁、右側にはせせらぐ川がある。
「……あれ……痛くない」
起き上がって体を確認しても傷は無い。というより異変があるとすれば。
「なんで俺下着姿なんだ」
なぜが制服ではなくパンツとシャツだけ。寒さに身震いするが、そんな中ふとこちらを向く視線に気付く。それを辿る様に男が目を向ければ、そこには1人の少女とその体と同じ大きさ程ある鞄がある。
「……えっと」
男にとってあまりに見慣れない外見。それこそファンタジーにしかありえないような、銀色の短髪に大きな銀の瞳。アルビノと言うにはどこか違い非現実のように感じる不思議さがある。だがそんな印象とは違い、その少女は辺りの暗闇を照らすように明るい声で顔をほころばせる。
「あっおきた!」
歳はおおよそ小学校高学年ぐらいだろうか。体格は大きくないが、元気なそんな印象を受ける。そしてその少女は小さな手で大きなバッグの中を漁ると、慌てたようにその干し肉のような物を差し出してくる。
「これ食べて!お腹空いてるでしょ!!」
男は訳も分からないままその差し出された干し肉を受けとる。ジャーキーのような物かと思えば、匂いを嗅いでも香辛料は感じず、本当に肉を干しただけという印象。失礼だと分かりながらも流石にすぐ口を付けることが出来ず、一旦それを手に持ったまま問いかけることにする。
「え……んっと……助けてくれてありがとうございます……それで貴女は……?」
パチパチと弾ける焚火に銀色の髪が良く反射する。人の髪でここまで綺麗になるとは思えず、だがだからと言って染めているようにもウィックのようにも感じられない。どこの国の人だろうかと推測しながらだったが、彼女はうーんと腕を組んで悩む。
「誰かと聞かれればこまるんだけどー……んー……」
少女は顎に手をやって頭をグルグルと回して悩み続ける。そこでふと首元に見慣れない紋があるのに気付くが、おしゃれ的な流行りだろうかと気に留めず、答えを待ち続ける。すると少女は何とも言えない顔をして答える。
「一か月前より昔の記憶が無くて……一応クラウディアって名前はあって……それが拾ってくれた人に付けて貰ってて……」
外国人の人だったか。そう思いかけるがそれにしてはあまりに流暢な日本語。記憶喪失の子供がそんなペラペラしゃべれるのかと思うが、話の腰を折りそうかと男は黙っておく。
「で……ちょっとはぐれちゃって……ここで休んでたらあなたが落ちてきた……みたいな?」
思い出しながらもたどたどしくそう伝えてくれるクラウディアと名乗った少女。歳に対して分かりやすい説明に、最近の子供は成長が早いと感心してしまう。
そして名乗って貰ったからにはこちらも名乗らないといけない。そう男は改まって立ち上がる。
「じゃあ今度は俺から。名前は高橋亮太。北仙高校2年で好きな物は納豆!よろしく!!」
出来るだけ怖がらせないよう声を張って明るく振舞ったのだが、なぜかクラウディアは首を傾げる。
「……?キタ……?それにどっちが家名?」
カメイ?文面上では無く口頭での会話のせいで、上手くクラウディアの問いかけの意図を把握できない。加盟亀井下命仮名……と悩んでいるとふとクラウディアが外国人なのを思い出す。
「あぁ家名のことね。苗字が高橋で名前が亮太だよ」
そう言っても不思議そうにするクラウディアだが、一度納得をするとその小さな足を延ばして歩き出す。
「じゃあリョータね。それでこの服どうする?」
そう言って指差すのは焚火の前に干された自身の制服。それはオオカミに噛まれた事を思い出させるようボロボロになってしまっている。
「母さんに怒られるな……これは」
亮太はまだ少し濡れている制服の生地を触る。それをクラウディアは見上げて心配そうにする。
「大事なもの?」
特段思い入れは無いが大事な物であるのには変わらない。それこそかなり値の張るもので、あと1年は着ないといけない。だがここまでボロボロだと着るのはかなり難しそうに思える。
「大事かな……ちょっと無いと困ると思う」
するとトテトテと足音を鳴らしクラウディアは、またその大きなカバンを漁り何かの道具セットを取り出す。
「任せて!!」
そう言って取り出すのは針、糸、ナイフ、布切れ。それを見れば流石に亮太にも何をしようとしているのか分かった。
「お裁縫できるの?すごいね」
そう亮太が屈んで言うと、クラウディアは自慢げに笑いその亮太の制服を手に取る。
「覚えたから!!ちょっと直しても良いよね!?」
直してくれるのなら文句はない。それにどうせこれでは着れないから、おままごととして好き勝手してもらって構わない。状況は把握できないが、こんな小さな子が頑張ってくれるのだから、受け入れない訳がない。
「うん。ありがとうね。全部任せるよ」
すると楽しそうに鼻歌を歌い亮太の制服の様子を確かめるクラウディア。妹や弟がいた経験は無いが、いたとしたらこんな感じだろうかと微笑んでしまう。さっきまでの恐怖や焦りはどこかへ行き、ただ黙ってその少女を眺め続ける。
(そういえば結局ここはどこなんだろうか)
クラウディアがハサミで制服を切り分けるのを横目に、辺りを見回す。焚火で多少様子が分かるとはいえ、見えるのはただの石壁と流れる川。近所にこんな所あった記憶はなく上から吹き込んでくる風は酷く身震いをさせる。
そう時間が経つのを待っているとふと腹の音がなってしまう。そして先ほど手渡された干し肉を持ち上げるが、それを口に運ぶことは出来ず躊躇う。
(衛生的に……どうなんだ)
せっかくクラウディアがくれたものだが、どうにも食べるには勇気がいる。だが腹の減りもあってか、亮太はゆっくりとそれを噛みしめる。
「ん……固い……」
噛み千切るのにも一苦労それを咀嚼するのにも何度も顎を動かさないといけない。味は……良く分からないが臭みは確かに鼻にツンとくる。それでも食えなくは無いと時間をかけてゆっくりとそれを胃の中に押し込んでいく。
そうして食事に夢中になっていく内にも時間が経ってしまっていたらしい。亮太が顎の痛みに頬をさすりながらも、干し肉を全て食べきると、目の前では自身の制服が知らない形へと変貌している。クラウディアは集中したように黙々と、それを切っては縫い広げて形を確かめる。
「んー……ちょっと布足りないかな」
そう亮太が見えていないのかと思う程に熱中し、鞄の中からまた何かの余りか黒い服を取り出す。そしてそれをまたハサミで切り始めてしまう。そんな様子の彼女に話しかけるのも躊躇われたが、手持無沙汰になった亮太は問いかける。
「何作ろうとしてるの?」
任せるとは言ったがここまで大工事だと気になってしまう。するとクラウディアはハサミで空を何度シャキシャキと切りながら、想像をするように上を見上げる。
「えーっとね……ローブみたいにしよっかなーって……一回作って見たかったからさっ!」
そう言ってこちらに大丈夫かと目を輝かせてみて来る。そんな事出来るのかとは思うが、任せるとは言ったのに加え、子供がやりたがってるならやらせたくなってしまう。
「俺が着れるなら何でもいいよ」
するとクラウディアは待ちきれないとすぐに作業へと戻っていく。亮太も少し肌寒さを覚えながらそれをジッと眺め続け時間がゆっくりと流れていく。ハサミが布を切る音とクラウディアの唸り声だけが響く。
「ここを……こうして……でもそれだと丈が……」
可愛い。庇護欲が掻き立てられるような様子。小さな手で自分よりも大きな服を弄って縫う姿。高校生でこんな感情になるのもおかしいと思いながら、川のせせらぎを背に時間が経っていく。
そうして3時間は確実に経っただろうか。途中寝落ちしてしまったから分からないが、気付いた頃にはクラウディアがその外套を掴んでこちらに見せびらかす。
「どう!?」
外套の後ろから満面の笑顔で顔を出しこちらに伺ってくる。その外套は見かけはそこまで上等な物には見えない。それこそ継ぎはぎで歪にも感じてしまうが、丁寧な裁縫の跡とそれを握る小さな手の傷。それだけで亮太は嬉しく感じ、その外套に袖を通す。
「うん。あたたかくて良いね」
そう言ってクラウディアを見下ろす。すると嬉しそうに傷だらけになった手を握って跳ねる。
「そうっ!?良かったっ!!」
制服のブレザーとズボンがこうなるのかと感心をする。継ぎはぎと言え体全身を覆ってちゃんと熱を籠らせる。サイズもそこまで違和感も無いし良いと、袖に裾を確かめる亮太だが、その目の前ではクラウディアが自身の傷ついた手を気にする。
「大丈夫?絆創膏とかあったり……?」
亮太は何か持ってないかポケットを漁るが、そのクラウディアは1人屈んでジッとその手を見つめる。
「大丈夫だよ。私魔法使えるから」
そう言ってクラウディアの手元には淡い水色の日暈が出来る。やんわり浮かび上がるその灯は、焚火の暖かい色と混じりクラウディアの小さな手を照らす。そしてそこから見えていた赤々しい傷跡はゆっくりとその肌の奥へと消えていく。
「え……なにそれ」
全く理解が及ばず固まってしまう。みるみるうちに傷は消えていきまっさらな綺麗な手へと戻ってしまう。そしてクラウディアは至極不思議そうにこちらを見上げて来る。
「なにって魔法だよ?貴方を治したのもこれだよ?」
そういえばオオカミに噛まれた傷が治っていたことを思い出す。足も腕もどこも痛まず、貰った外套を捲ってもどこにも噛み傷は見当たらない。
「あ……えぇ……?」
全く思考が追い付かない。この見覚えのない場所にさっきの明らかに様子のおかしいオオカミ。それにこの消えた傷。だがクラウディアは不思議そうに亮太の顔を覗くように腰を曲げ、大きな瞳で見上げて来る。
「まだどっか痛いの?」
そう言えばこの見た目もそうだ。明らか日本人では無いのに言葉は通じる。それに魔法という単語。夢でも見ているのかと思いたいが、さっきの噛まれた痛みは確実に自分を苦しめた。
「ならこれが現実で……」
クラウディアの視線にも言葉にも意識は向かず、ひたすらに思考を動かす。だが考えれば考える程、自分が今現実にいるかも疑いそうになる。
だがそんな思考は分からない。それでも不安だけは感じ取ったクラウディアは、亮太の震える手を握る。
「だいじょうぶ?あ!お腹空いたとか!?」
クラウディアはとっさにバッグへと駆け寄ろうとするが、その小さな手を亮太が離さず動けない。そんな現状にクラウディアはただただ心配そうにするが、亮太は現実を受け入れられず喉が震える。
「えだって……俺まだ高校2年で……来月には修了式で……これから受験も見えて来て……」
視界が歪む。思い返せば返すほど何か取り返しのつかないものを失ったのではと。そしてそれを受け容れられるほど、亮太の心は強く無くクラウディアの手を振り払って川をジッと見る。
「そうだ……こんな遅くなったら母さんも心配してる……早く帰らないと……」
川を下ればいつかは海に出る。それならまた家に帰れるはず。そうその足は酷く冷たい水底へと踏み入れるが、丸っこい石を踏むと同時に亮太の視界は真っ暗な真上を向く。
「……あ」
そして今日2度目。またバシャンと水の弾ける音を最後に意識は深く落ちてしまう。
ーーーーーー
ふと、目の前にあるのはいつもの通学路。自転車で1時間はかかるような山道で、歩道にまともなスペースもなく、すれ違う車のミラーが当たってしまうのではと思う程。そして間を挟む針葉樹達と、その先に見える星空。
「……この時期は綺麗に見える」
どこに行くにも不便で友達と遊ぶのにも制限ばかりな地元。それでもこの景色だけは好きだった。そしてこの景色を抜けた先には、見慣れた線香の匂いがする実家。古めかしいけど最近リホームをして内装はそれなりに綺麗。
そんな生垣の先に窓越しに見える暖かい灯。それに寄せられるよう自転車を踏み込み車庫に止める。そこには使い古されたバットとグローブがある。少年野球だけやっててよく父さんとキャッチボールをした記憶。この所は腰が悪くてやってないけど、久々に誘ってみようか。
そしてその足で砂利を踏み、横開きのドアに手をかける。
「ただいま~」
料理中なのか母の声が遠くから「おかえり」と響いて玄関まで届いてくる。それは油の弾ける音と一緒に亮太の耳に届き、エナメル質の鞄を置き靴を脱ぐ。
「今日唐揚げだっけ」
キィっと音を鳴らし廊下を進む。そうして台所兼食卓の部屋へと入ると、エプロンを付けた母と新聞を読む祖父がいる。そして母は振り返る事無く包丁でまな板を叩きながら言ってくる。
「洗濯物先に出してよ~」
いつもの母の注意。聞かないと普通に洗ってくれないのでそのまま足を洗濯場へと動かす。
「はいはい~」
洗濯籠へと汚れた服を投げ入れそのまま体を洗う。そして顔に浴びるシャワーでふと自分の手足を気にする。
「……?あれなんか……?」
何かが引っ掛かるけどもやがかかったように出てこない。だが湯船につかりそのまま上がってパジャマに着替えれば、それも忘れてしまう。
そうしてまた食卓へと戻ると料理が並び夕飯の香りが辺りに漂う。
「今日豪華じゃん」
そんな事を言いながら席に座る。父は今日も仕事で遅くなっているらしい。そして母はおかずの乗った大皿をコトンと机の上に置く。
「だって亮太の誕生日じゃん。忘れたの?」
そう言われればそうだった気がする。今朝家を出る時にも同じような会話をした記憶がある。でも妙に家を出てからのことが思い出せない。
「あーそうだっけ。プレゼントは?」
そう言うと母は分かりやすくため息をして隣に座る。
「昨日買ったじゃん。なんかあのゲーム機」
母の視線の先にはその畳まれたゲームの空き箱がある。今日はやけに忘れっぽい感じがする。疲れているのだろうかと思いながらも、ジャリを踏む車の音。よく聞き慣れた父の車の音だ。
そしてガラガラと扉が開かれ、疲れの聞こえる足音が近づいてくる。そしてそれが中に入って来れば、なで肩で自信の無さげの顔をした父がいる。
「……帰って来てたか。ゲームどうだ」
父がネクタイを緩めながら座り、そう問いかけてくる。亮太はいただきますと呟き、箸とお椀を持って、食事半分に答える。
「ん~まぁまぁ。友達とやれば楽しいかな」
そう答えると父もビールに喉を鳴らしてそっけなく答える。
「そうか」
テレビでやっている野球中継を背景に食事は進んでいく。父と母が近所の噂話やら来月の旅行やらで話ながら、その会話のボールをこちらに投げかけて来るので軽く答える。祖父は黙々と食事をするだけで何か反応する訳でもない。だが自分へと話しかけたいのか、ちょくちょく視線だけは向けて来るので気を遣って、偶に話しかける。
そうして夕飯は進んでいき、誰よりも早く食事を終える。
「じゃあ俺部屋に戻ってる」
すると母はあっと言って席を立つ。
「あとで家族写真撮るから降りて来てよ~」
毎年恒例のだった。なぜか俺の誕生日に家族写真を撮っていて、去年はそこに祖母もいた。今年は1人分スペースが空くことになってしまったが、それ自体を拒む理由も無いので、欠伸をしながら答える。
「分かった分かった~。準備出来たら言って~」
そうしてバタンと扉を閉めてしまう。聞こえていた野球の実況も遠のき、皿の擦れる高い音も聞こえない。そしてなぜか目の前にある廊下は薄暗く先も良く見えない。
「……あれ?」
いつもはすぐに階段があって自室があるはず。なのに幾ら歩いてもその階段は見えずただただ廊下の床を鳴らす。その辺りで違和感に気付いて振り返り戻ろうとするが、その母達のいる食卓の灯は遠くへといき手を伸ばしても届かない。
「なんで……どういう……」
そこで意識が揺れる。というより廊下が揺れたのだろうか。それは分からないが気付けば視界は下を向き廊下の床へと落ちる。
「━━ッ!!」
体が起き上がる。さっきまでいた家では無く、辺りはどこを見ても石壁。そんな中唯一の灯に目をやると、こちらを心配そうに覗き込む銀髪の少女。
「だ、大丈夫……?」
自分の息が酷く荒い。心拍は心臓が弾けそうな程激しく脈打つ。あの食卓へと戻れない、あの家族写真にまた一人消えてしまう。そんな実感の伴った予感だけが酷く心の中を支配する。
そしてこれを聞いたら後戻りできないと分かりつつも、つい息を吸ってしまう。
「……なぁ。ここってさ」
否定して欲しいとゆっくりと口を開く。その様子は明らかに尋常ではないが、クラウディアは何かを察したように優しく頷く。
「うん。どうしたの?」
違ってて欲しい。ただの思い込みであってほしいと。そうクラウディアの大きな銀色の瞳をジッと見つめる。
「ここって地球か?」
人生でこんな質問をする時が来るとは思わなかった。それでも今はなによりもこの答えが欲しかった。
だがクラウディアは、首を傾げてしまう。
「……?ち…きう?」
その様子に心臓がしぼみ痛み、冷や汗がどっと背中を辿っていく。そしていい加減その事実を拒むのは無理だと察してしまう。両手を冷たい床へと当て真っ暗な真上を見上げる。
「……んだよ……これ」
乾いた笑いが漏れる。白い息が上がっていき暗闇に消える。パチパチと焚火が弾け、今自分の体を包む外套の水の重さにすら気づかない。
そしてそっと握られるその小さな手にも。
「家族は……?」
そうか弱い声で問いかけられ、ゆっくりとそのクラウディアを見下ろす。酷く心配させてしまったのは分かるが、それを気遣えるほど今の亮太に余裕は無かった。
「もういねぇーよ。というより俺が居なくなったってことかね」
自分でそう言語化すればどこかスッキリする。自分が今どんな現状でどうしてしまったのか。受け入れたくないが受け入れないとどうしようもない。
だがその手にあった小さな暖かさは離れる事がない。それどころか空気にあわない程やけに明るく声を弾ませる。
「じゃあ私といっしょだねっ!!」
思わず頬を張りつかせてしまう。だがそのクラウディアの顔を見れば、明らかに苦しそうというか顔に影がある。子供がするにはあまりに複雑な感情が見て取れ、こうやってやけくそになる自分とどっちが大人なのかを感じてしまう。そして彼女も身寄りがいないという事実。そのお陰か湧き上がりそうになった怒りは鳴りを潜め、少しだけ落ち着きを取り戻す。
「……君も……一緒なんだな」
するとクラウディアは握った手を大きく振るう。
「そう!いっしょ!!だから泣かないでっ!!」
そう言って顔に向かって布をごしごしと押し付けて来る。突然の事に動揺し、頬に擦れる布の痛みに思わず大きな声が出る。
「え、ちょっ…っと!!」
押されるがままに倒れてしまい胸にはクラウディアの体重がかかってくる。そして押し付けられてた布を掴み、また視界を確保すると、胸元で顔を伏せるクラウディア。
「……ど、どうしたの?」
思わず心配をしてしまうが、クラウディアはギュッと外套を握って弱々しく言う。それはこれまでの明るい様子とは違い、弱々しい迷子の子供だった。
「ずっとここに1人で……やっと会えた……だからどっかにいかないで……」
確か彼女は誰かに名前を付けられたと言っていた。でもこの場にその名付け親らしき姿は見えない。その事実と今のクラウディアの様子から、流石に理解が及ぶ。
「あ……あぁ君も……」
自然と手が伸びその頭を撫でる。自分が慰めて助けて欲しいというのに、今は目の前の子に笑って欲しいと髪を優しく流す。そして投げやりになりかけた気持ちを戻し一度深く息を吸う。その時布に擦られた頬の痛みを感じる。
喚いたって変わらない。それにこんな小さい子が頑張ってるなら俺が頑張れない理由があるはずない。そう現状を恨むのを止め、どうにか心に整理を付ける。そしてそっとクラウディアの肩を掴んで目を合わせる。その亮太の声は無理をし震えていたが、それでも最後まで笑顔は張り付ける。
「迷子同士一緒にいようか」
そう言うとクラウディアはこちらを期待の籠った眼で見上げて来る。
「ずっと?」
離さないとギュッと外套を強く握ってきたまま。それはこんな暗い所にずっといた子供の寂しさがあふれ出るようだった。
「あぁずっとだ」
そう言った時クラウディアは嬉しそうに弾けた笑顔をする。それを見て亮太も不安を忘れ、自分のすべき事を見つけ生きることに意義を見出す。
そうして高橋亮太の。異世界転移の1日目が終わっていくのだった。




