第52話 遺された者たち
遠のいていくその大きな背中。それを追う事は許されずただ空っぽになった肺に空気を満たし、その場に立ち尽くす。
「……行っちゃった」
結局最後にあの奴隷商に言った言葉。もっと言い方があったのではもっと伝え方があったのではと、もう後悔が湧き出てしまっている。
そして叶うはずのない言葉が漏れ出てしまう。
「私も一緒に逃げれたらな」
あの栗色の髪をした女に嫉妬してしまう。首には奴隷紋は無く自由に外を歩けて、今も大事な人の傍で走れる彼女を。
そしてハンナの不自由を教えるように刻まれた首元の奴隷紋。それは赤く光りどうやら時間切れだと教えられる。
「……帰らないと」
そうハンナは後ろ髪を引かれる思いで施設へと帰路に就く。それはかつて月明りに照らされ、奴隷商に背負われて通った道。
だがそこには一人分の足跡しか残らなかった。
ーーーーー
それは数日前の事。奴隷商とコンラートが施設から姿を消した日の続き。
クロエとハンナはその見覚えのある女を前にしていた。
「それで、あんたたちはどうしたい?」
そう問いかけて来るのはディアナという奴隷商の昔馴染み。その問いかけの意味を計りかね、ハンナとクロエは目配せをする。
「……何をしたいって」
ハンナは握っていた奴隷商の書類を見る。そこには涙の跡と何度も×を苦しみながら引いた痕跡がありありと浮かぶ。
それをディアナはハンナの手から取り上げると、こちらを見下ろしてくる。
「別にあんたらの恨みなんかもしれないけどね。あいつはそんな悪い奴じゃないよ」
そんな事はハンナだって分かっている。だがその言葉はどちらかと言うとクロエへと刺さり、ブロンド髪が揺れてダンッと奴隷商の机に手を叩きつける。
「これで絆されるって思わないで。どっちにしてもあいつは奴隷商。そこは変わらないから」
クロエも書類の中身には動揺をしていた。だが結局は奴隷商が自分を買って売ろうとしていた。その事実だけで嫌うのには十分。
だがその反応は想定していたのかディアナは、ため息と共に頷く。
「うん。そうだね」
そうあっさりと引いて、今度はハンナに答えるよう視線をまた戻してくる。それは冷たく拒絶すればあっさり引いてしまいそうな距離感。
ハンナはここを逃せば一生後悔するような気がして、咄嗟に頷く。
「助ける……って事ですよね」
するとディアナは少しばかり驚いたように眉を上げ、手に持っていた書類を丁寧に机に置く。
「そう。人手があるに越した事はないから」
外は曇りで相変わらず室内も薄暗い。それこそ至近距離でもディアナの顔色を伺うのに目を細めないといけない。
そしてハンナは今更自分がどう奴隷商の為に力になれるのか、それを知る為にディアナの傍まで近寄り見上げる。
「私は何したらいい」
クロエは理解出来ないとこちらを見て来るがハンナは無視をする。そしてディアナはというと、未だ奴隷商が捕まった事しか分かっていないらしく。
「あんたの魔力だけ使わせてもらう。まだあっちの動きも分からないから追々伝える」
その日はそれだけだった。どうやらディアナは奴隷商の私物を回収しに来ただけらしく、そのついでにハンナ達を勧誘しただけという経緯らしい。
そうして数日。結局私の役割を教えられたのは、その奴隷商が処刑されるという日の昼過ぎの事だった。
その日はブラムが送って来た、突然やってくる顔の知らない痩せこけた奴隷達。それらが施設を埋め尽くそうとする中、人混みに紛れハンナは玄関の外に抜け出す。
そしてそのハンナを招いたディアナは姿を建物の影に隠しつつ、ハンナへと小声で伝える。
「今日あいつの死刑が執行される」
その情報すら知らなかったハンナ。今更すぎると憤りそうになるが、目の前のディアナも焦ったようで。
「情報が掴むの遅れた。もう出たとこ勝負でするしかない」
見れば分かりやすく動揺をしているディアナ。それに不安を覚え、そんなアドリブでなんとなるのかと疑問に思ってしまう。
「出たとこ勝負って……」
助けるとは言ったがそれで大丈夫なのかと眉を顰めるハンナの目の前に、ディアナはポケットから取り出し深い青の宝石を取り出す。
「あいつは火刑って話。ならあんたの得意の水魔法が使える」
ハンナの同意を得ることなくディアナはその宝石を首へとかける。ハンナもはそれを不思議そうに見下ろすと、ディアナは答える。
「あいつに対になった宝石を持たせてある。それを伝ってアンタの魔法が伝わるから、それで場を乱して欲しい」
それで時間は無いとさっさと歩き出そうとしまうディアナ。だがそれだけでハンナが納得しきれるわけもなく、その手を掴む。
「ちょ、ちょっと待って……!乱してどうすんの!」
多分火刑をする時に私の水魔法で消火をしろという意図なのは分かる。だがそれをした所で護衛も多いであろうあの奴隷商をどう助けるのか。
それを問いたいのだが、ディアナは笑って。
「だから出たとこ勝負って。作戦はあんたの魔法しか準備できなかった」
それ以上何か聞いても答えて貰えず、ハンナはただただ連れられるようにディアナの背を追った。この時はまだ助けようとかそういうのじゃなく、流れに身を任せてそう動いてしまっていたと思う。
だがそれはディアナが群衆の中へと駆け出て行った時。ハンナは1人路地裏から、遠巻きに燃え上がる十字架を目にしていた。
「……あんなに」
人一人を殺すためにここまでの人間が集まり見物をする。そしてそれを誰も咎めず見世物のように楽しむ。その燃える火と下賤な人の眼、それがかつてのハンナの村の襲撃がフラッシュバックする。そしてただただ気持ち悪く感じてしまい吐き気を催すが、ふとこちらを向くディアナの目線に気付く。
「あ……あぁそうだ。私がしないと……」
歯を食いしばり、咄嗟に胸元にディアナから渡された宝石を抱える。初めてだが言われた通り水魔法をその中へと送り込むと、水は溢れずどこかへと吸われていく。そしてその水色の輝きはハンナの指の間から漏れ、顔を照らす。
「これで……」
魔力を込め続けながら視線を上にやる。すると上手く出来たらしく燃え上がっていた炎に絡みつくよう、ハンナの魔力が巻き付き消火をしていく。
そして天を飛んでいたのかと思う程の高さからディアナが奴隷商へと駆け降りる。それはすぐに奴隷商を解放しあっさりと追手を振り切って逃げきってしまう。
「え、私は……」
それで奴隷商もディアナも見えなくなってしまう。ただ私は魔力を込めただけで何かを下という実感が無かった。それこそ何から何まで置いてけぼりで輪の外。ただ舞台装置のように魔法だけ使わされこんな所に1人残されてしまった。
「なんであいつばっかり」
助かったから良い。そうは思えずただ自分の行動を奴隷商が知らずに、あの女に感謝をしていると思うと嫌だった。その感謝は私が受け取るべきで、頑張ったと言ってもらうべきなのは私。
そしてなにより奴隷商がまたどこか遠くに行ってしまうような予感。それがしてハンナは思わずまた手元の宝石に魔力を込める。するとそれは望みを叶えるよう、ツゥーっと薄く一本の線がどこかへと伸びる。
「……」
ハンナは駆け出す。それが直感的にどこを指しているか分かっていたからだ。
「私だけ何もない……!!」
いつの日かのように足の裏が血まみれになる。それでもひたすらに石畳を蹴る。
「こんなにあっさり……ッ」
もっと助け出すために計画を立てて劇的に現れて、窮地を救いだすものじゃないのか。なのにこんな遠巻きに眺めるだけで、さよならも言えないまま別れてしまうのか。なにも言って貰えずこのまま一生会えないのか。
ただただ苛立ちとやり切れない気持ちが湧き出ながら走っていると、そこはいつかの懐かしい橋の近く。そこにある黒い外套を見てハンナは息を整える。
「……いた」
感謝に別れの言葉に色々伝えないといけない事はある。その言葉を浮かべながらハンナはコツンと水路へと降り立つのだった。
ーーーーーー
奴隷商の処刑に邪魔が入り辺りが騒然する中。それを遠巻きに建物の間から眺める二つの外套。
「失敗したようですね」
ダークエルフであるレイルベルの長い耳が動く。どうやら兵士達が捜索のために辺りを手あたり次第にしているらしく、ここに長居をしては不味いと思い始める。
だがレイルベルたちがこの帝都に残っていた理由は別にある。そうアルエシアがレイルベルの外套を掴む。
「貴女の部下の人はいいの……?」
シレアの事を言っている。噂によればレイルベルの代わりに処刑されるらしく、それを見逃すにはあまりに忍びない。だからこそ助け出そうと待機していたのだが。
「シレアは今日処刑されないらしいですから」
さっさと撤収をしてしまおう。同胞を助けたい気持ちはあるが、牢に繋がれていては流石に無理をできにない。
そうアルエシアを抱え走り出そうとするが、その本人はというと未だ名残惜しそうに。
「……いつ復讐できるんです?」
レイルベルはそれにすぐ返事を出来ず、浮かしかけた腰を落とす。そしてその復讐とは一度失敗したプレヴァルの暗殺の事。
少しでも早くそれを達成したいが、それと同じぐらいレイルベルはアルエシアの命の安全を確保しなければいけない。
「今は雌伏の時です。また機会を伺いましょう」
一回失敗をした以上警備の事もあって早々近寄れない。だがその目標を捨てた訳ではなく、この帝都に残り粘るつもりではある。
そんなレイルベルを信用してアルエシアは小さく頷く。それを確認するとレイルベルは、迫る兵士たちの声から逃れるよう風を縫い走る。
「……また一波乱。ありそうですしね」
根拠のない実感。だがレイルベルの直感は良く当たる。
そう真っ白の髪の毛を揺らし、帝都の路地裏にその影は紛れ消えていくのだった。
ーーーーー
そしてまた同時刻。その喧騒からは距離があり、ただ静かに柔らかい風だけがその部屋に差し込む。
「今日だっけ。その奴隷商……さん?の処刑日って」
シーナはベッドに腰掛け、目の前にはコンラートがソファに落ち着きなく座っている。
「そ、そうです……今日……火刑になるそうです」
コンラートは裁判から帰ってきてから様子がおかしい。というよりは一度は私と一緒にいてくれる決意をしてくれたのに、また迷ったようにずっと落ち着かないでいる。
コンラートはしきりに窓の外を気にするように視線を置く手散るが、シーナは確かめるように問いかける。
「もう私の傍にいてくれるって決めてくれたんじゃなの?」
それが嬉しかった。一度は離れ離れになっても自分の信念を捻じ曲げてまで、自分の傍に居ようとしてくれた事。なのにまたそれが手から離れていきそうになっているように感じてしまう。
「でも……俺は……人としてやっちゃいけないことを……」
コンラートは綺麗なブロンド髪に手をかけ頭を抱える。どこまでも優しくて現実と理想の矛盾に苦しんでいる。
それが自分の傍にいて欲しい。そんな真っすぐな瞳で私だけを見て傍にいて欲しい。そんな欲求だけが溢れシーナは腰を浮かしコンラートの目の前に立つ。
「もうどうしようもない事なんだから。仕方ないよ」
ただただ自分に意識を向けさせるようにシーナは、コンラートの頭を抱き寄せる。
するとコンラートは何かが切れたように嗚咽を漏らす。
「だってあいつ……意味分かんないんです……」
そっとその紙を梳くように撫で続ける。
「うんうん。そうだね」
コンラートの頭がシーナの胸元に埋め込まれる。そしてシーナもそれを拒絶をせずそれどころか離さないと頭をしっかりと包む。
「なんで……あんなこと言うんだよ……恨んでくれよ……」
シーナは何があったのか分からない。コンラートもあまり話そうとはせず抽象的に言葉を零して悩むばかり。
だがもうこんな話はどうでもよかった。コンラートにこれ以上悩んでいて欲しくない。一か月しか一緒じゃなかった男なんて忘れてもう私を見て欲しい。今は私と一緒にいるのだから大事にしてほしい。
だけどその要求をするなら私もコンラートに返さないといけない。そう声を優しくコンラートを包む。
「でも私はコンラートの傍にいるから。私だけはずぅっと傍で、私だけ認めていてあげるから」
ふと開けていた窓からフワフワとそれが落ちて来る。それをコンラートを撫でていた手のひらに乗せると、それは燃えカスのような黒い片。
「……」
それをシーナはすぐに握りつぶす。手のひらには煤が広がるが、それに反応することもせずコンラートに甘い声で囁く。
「もうお菓子の時間じゃない?今日はスコーンだって」
コンラートは弱々しく見上げて来る。自分より身長はかなり高いのに、膝をついて弱々しく私に縋ってきている。それはどこか昔出会った頃の、自身の無く弱々しい彼を思い出す。
シーナはそんな彼を慰めるようそっと微笑みかける。
「だから一緒に食べよ?」
そんな彼の眼を窓の外に向けないようその顔を両手で掴み、自分の深紅の瞳に固定させる。その頬は少しだけ煤が移る。
「あ……そう……ですね」
コンラートはなんとか笑う。それが彼が騎士としてあろうとするからこそ。そしてシーナもそうすると分かっていたからこそ言った言葉。
シーナはそのコンラートの頬に付いた煤汚れを愛おしそうに撫で、そっと立たせる。そして満面の笑みを作ってコンラートを見上げる。
「じゃあ行きましょ!早くしないとコンラートの貰っちゃうから!」
その深紅の瞳は薄暗く曇った空を反射しコンラートの顔を写さなかった。
だがそれでもコンラートは目の前の甘い言葉につられ、罪悪感を忘れたように一歩を踏み出してしまう。
「え、えぇそうですね。じゃあ急がないと」
そうして鳥かごの2人の時間は巻き戻ったまま過ぎていくのだった。
これで三章は終わりです!!
まずここまで読んでくれた方々にお礼を言わせていただきます!本当にありがとうございます!それにブックマークや評価を付けてくださった方々もありがとうございます!
そして4章以降ですが、今週の金曜日(7月3日)からまた毎日投稿を再開する予定です。用事が重なり少し間が開く事になり申し訳ありません。
皆様が読んでくださっている事が励みになっています。これからも面白いと思ってもらえるように書いて行くので、ぜひ4章以降も読んでくれると嬉しいです!




