第51話 逃避行
人混みを駆けるフードの奥に隠した栗色の髪をした女。それは出てきた路地裏へと視線をやりながら、軽々と群衆をよけ一直線に向かう。
「なにやってんの……!」
ここしばらく姿を消し大人しくしていようとしていた矢先に、その男が捕まったと知ってしまった。そしてそれの結果がまさかの火刑となれば。
「いつも面倒事に巻き込まれてッ!」
後ろからは衛兵が追いかけて来る声がする。それを振り払うために、脚に魔力を込め一段と高くジャンプをする。
真下には大勢の民衆がいる。それを飛び越えその男を助けるべく一直線に向かう。
「……あとは」
フードは開き結んでいた栗色の髪は解ける。それを意に返さず、再び路地裏へ視線をやる。そして着地先である、天へと高く上がる炎へと向き直り見下ろす。
するとそこには炎に包まれ、火傷した顔でこちらを見上げる男の顔。だがそれの胸には水色の輝きが溢れ、全身を包む。そしてそれはやがて、形を変化させ実体を持ち波打ち激しく蒸気を上げていく。
「……あつ」
蒸気に顔を歪めながらも、それへとディアナは自由落下をしていく。そして未だ焼けるような熱さを保つ空気を目いっぱい吸い叫ぶ。
「リョータ!!!!」
懐かしい名。その名を持つ本人が呼ぶなと言って早10年。久々にその名を叫ぶが、男は少しだけ戸惑いながらもただ微笑む。
「……バカだな。お前は」
そう言う男へとディアナはそのまま抱き着く。というよりはぶつかったにも近いが、ディアナはしっかりと首に手を回して離さないとしがみつく。
そしてその耳元で囁く。
「何もかも捨てて。一緒に逃げ出すって言ったでしょ」
リョータと呼ばれた男を縛る縄をナイフで斬り落とす。それで男の体は十字架から解放され、ディアナへともたれ掛かる。水色の輝きは消え辺りの炎はすっかりと鎮火され、灰は濡れ湿っている。
そして男は全身の痛みに耐えながらも二本の足で立ち、自身を正面から支えてくれるディアナに言う。
「良い女だな。お前は」
その言葉にニッと得意げに笑って、ディアナはそのまま男を背負ってしまい、迫りくる衛兵たちを一瞥する。
そして背後にあるボロボロになり元奴隷商となった男に言う。
「知ってた」
そう言ってディアナは全身に魔力を巡らせて走り出す。だがそれは明らかに体の限界を超えた負荷で、筋肉の一本一本の繊維が弾け引き裂かれそうな痛み。それが全身を襲うが、それでもディアナは笑みを浮かべたまま地面を蹴る。
「囲めッ!!魔導士共も呼んで来い!!」
群衆を押しのけ騎士に衛兵に魔導士と、その場で動ける兵士達が大勢集まってくる。それを無視しディアナは、また一度深く踏み込み、空高く駆け上がる。
眼下には阿保面を浮かべこちらを見上げるしか出来ない兵士達。だがこの時のディアナにも下半身に襲う強烈な痛みと足がつる寸前のような感覚。
「……ッ」
それをなんとかこらえ兵士たちの後方へと着地をしそのまま駆け出す。背後から怒号が聞こえる中、背負った男は心配そうに声を細める。
「お前それ以上は……」
だがそう言われた所でディアナが足を止めることは無い。
「黙って背負われてて」
余りの痛みに顔を歪ませながらも、咄嗟に路地裏へと体を捻り入る。歴史の長い街のお陰で曲がりくねり、逃亡するにはうってつけの複雑さ。それをディアナは駆け続け、道と道に挟まれた水路を見つける。
「……っと」
道から降りて水路傍まで寄る。下水道を通って外に出ようと考え、そのまま下水への出入り口が無いか水路に沿って走る。
その頃には追手の喧噪も遠くへと行き、後ろを振り返ってもその人影は見えない。それに安堵しながらも息を整えようと速度を落とすのだが、ふと聞こえてくる大勢の足音。
「ッチ。近衛まで駆り出したか」
咄嗟にディアナは橋下へと隠れ、背負っていた元奴隷商を横に座らせる。そうしている内にその上を幾人もの足跡が響く。
「お前は西区。俺は東区まで手あたり次第に探す。城門付近にも警戒するよう伝えておけ」
そっと息をひそめ続ける。隣では全身の痛みに苦悶しながらも、歯を食いしばりなんとか声だけは出さぬよう耐える元奴隷商の姿。
なんとか治癒魔法をかけてやりたいが、今は上に兵士がいることに加え、ディアナ自身にあまり魔力が残っていない。
どうしようかと悩んでいると、去りかけていた足音が戻ってくる。
「下水道などは良いんですか?」
その言葉にディアナはナイフを抜く。上にいるのはせいぜい10人が良い所。指揮官を殺せばどうにかなると、咄嗟に戦闘へと意識を向ける。
だがその指揮官らしき男は。
「あ?まぁ……それはいい。とにかく急げよ」
そう指示をして今度こそは足音が遠のいていく。それを確かめてディアナは隣で苦しそうにする男へと話しかける。
「大丈夫?自分に治癒魔法かけれそう?」
だが男は首を振る。短い時間とは言え全身を火にあぶられればそうなってしまうのだろう。そう思っていると、ふと男の胸ポケットから水色の光が漏れているのに気付く。
「え……なんで」
ディアナが疑問に思った瞬間背後で聞こえる足音。それは水路だからかよく反響しこちらに聞こえてくる。
「……」
ディアナは再びナイフを握る。こっちがまだ気付いていないと油断している隙に、振り向きざまに首を一閃してやる。そう息を殺すのだが、目の前の男は首をふってそのナイフを握る手を掴む。
「ダメだ」
なぜそんな事を言うのか。それが全く理解が出来ない。だが少しすれば長年一緒にいたからか、ディアナも理解をする。
「自分を見捨てて逃げろってことなら私許さないよ」
ジッとその男の眼を見て問いかける。だが目は合わずその視線はディアナの背後へと向いていた。どこまでもお人好しかと思いながら、ディアナはナイフを握り振り返り刀身を煌めかせるが、聞こえるのは想定外に少女の声。
「あ、えっ!?」
そこにいたのは首元に紋がある黒髪の少女。突然のディアナからの攻撃に目を丸くし、避けようとしたばかりに音を立てて尻餅をついてしまう。
ディアナも咄嗟の事で理解が及ばないが、その刀身には赤い血は付く事なく安心をする。
「何してんの。こんな所まで来て」
ディアナは尻餅をついたハンナへと手を差しだす。それを動揺しながらも掴みハンナは立ち上がる。
「……追ってきただけ。その宝石が頼りになった」
そんな会話を不思議そうに眺める元奴隷商。ハンナとディアナに面識があった記憶は無く、そもそも奴隷であるハンナがここにいることからしておかしい。
そんな思考から疑問を口に出す。
「なんでお前がここにいる」
するとハンナの瞳が元奴隷商を捉えそっと近くで膝を折る。その手はそのまま燃えこそしなかったがボロボロになった外套を脱がす。
「別に何でもいいでしょ」
淡々と脱がそうとするが、その体は全身が火傷をしている。衣擦れをするだけで元奴隷商には激しい痛みが襲う。下に服は着ているとはいえ、火刑でもうボロボロで差し込む風すら焼けただれた肌を痛める。
「━━ッ」
目を充血させ割れそうな程歯を食いしばる。痛みに顔は歪み続けるが、その外套を脱がされた後にハンナはディアナの手を取る。
「私治癒魔法出来ないから。魔力だけあげる」
そう言って2人の繋がれた手にはわずかに淡い光が行き来する。そしてディアナの手は元奴隷商の体へと向き、淡い緑の日暈を作る。
「あんたどんだけ魔力あんの。さっきもあれだけの水出したのに」
ディアナがそうハンナを呆れた様に見る。だがハンナは全く取り合わないかのように、手のひらに集中をする。
「良いから治癒魔法に集中してください」
そう言われディアナも治癒魔法に専念する事10分ほどだろうか。幸い酷い火傷ばかりではなかったらしく、元奴隷商の肌は元通りの色になる。
そしてまず元奴隷商が言うべき言葉はと喉を鳴らす。
「助かった。2人とも」
会話からしてハンナも何かしら手伝っていたのは想像がついた。だからこそ座ったまま頭を下げるのだが、ディアナは。
「良いから服着て。みっともない」
頭にバサッと煤臭い外套がかけられる。せっかくの礼をこんな扱いされて不服に思うが、そさくさとその外套に袖を通す。
そして再び視界をディアナに戻すと、その手にはいつの日か押し売りされた水色の宝石が握られている。
「念のためだったけど、まさかこんなすぐに役に立つと思わなかったけど。返してもらうね」
そう言って自身のポケットの中へと仕舞ってしまう。どちらにせよこだわりのある物ではないが、元奴隷商は疑問に思う。
「……どういう事だ?」
ハンナに視線をやるがそちらも知らないと首を傾げるだけ。そしてディアナは前屈みになって奴隷商と顔を近づける。
「お、お前……何を」
後ずさろうとするが後ろは壁。逃げれないがディアナはフッと笑いその手を外套のポケットに入れる。
「何照れてんの?こんな状況で」
面白がるように笑ったディアナの手に握られたのは、シレアに返された琥珀の宝石があしらわれた指輪。それをほっとしたようにディアナは目を細める。
「……良かったぁ」
ただただ状況が掴めない。だがディアナはあまり説明をする気が無いのか短く。
「あの宝石商は私ね、気付かれなかったのちょっとショックだったんだから」
そう言って立ち上がり辺りを見渡すディアナ。そしてこれまであまり会話をしなかったハンナへと、元奴隷商の視線は向く。
「……それでなんでお前がここにいる」
ディアナはこちらを一瞥しつつも周囲を警戒するように背を向ける。そしてハンナはというと目線を落としたまま。
「だから別にいいでしょ。私の勝手」
そう言えば最後に会った時はあまりいい雰囲気では無かったか。それこそ喧嘩別れという表現が正しいのかもしれない。
そして元奴隷商として、あと何を言うべきか。それは決まっているとその小さな頭を撫でる。
「俺に言われるのは不快だろうがな。あとは頑張れよ」
そう言ってすぐに手を放して、元奴隷商は立ち上がる。ハンナはどうしたら良いのか分からずただその場に固まる。
それらを見てディアナはこちらを一瞥する。
「良いの?それだけで」
どうやらディアナなりに気を遣っていたらしい。だがハンナから言葉が無い以上元奴隷商としても、言うべき事を言ったならもうこの場に留まる意味も無い。
「あぁ。それに追手もいつ来るか分からない」
ディアナはハンナを気にしながらも「そう」と呟きナイフを握り直す。そしてどうやら下水道の出入り口に目星をつけたのか、走り出すので元奴隷商もついていく。
天気は薄暗い曇り。水路に反射する太陽は無い。だが駆け出してすぐ、橋下で両足で強く立ちこちらを見る少女。
「……」
元奴隷商は脚を止めることなく振り返る。そしてその黒髪の少女はめいっぱいその胸に空気を押し込み、鬱憤を晴らすように吐き出す。
「あんたなんかいなくても一人で生きてやるよ!!」
そう言って目元を伏せてしまう。そしてその地面には雨が降り出したのかポツポツと染みが出来る。それを後ろに奴隷商は前を向いて走り出す。
「そういえばあいつを見つけたのもこの辺だったか」
偶々にしては運命的な物を感じる。かつてハンナを見つけ助けた場所でハンナに見つけられ助けられた。どこか可笑しく感じながらも、ディアナの背を追って走っていると見える鉄柵で覆われた下水へと続く道。
「流石に自由に行き来とはならないかぁ」
そうディアナが呟きながらも扉にかけられた鍵穴を弄る。それを後方に元奴隷商はそっと座り問いかける。
「武器貰って良いか」
するとディアナは作業をしながら答える。
「腰に差してある。勝手に抜いて良いよ」
元奴隷商はディアナの腰に手を回して、そのナイフを探して抜く。女物にしては重く刀身も長い。相変わらずの趣味のようだった。
「良いナイフだな」
ガシャっと鍵が開く音共にディアナは得意げに振り返ってくる。
「でしょ?」
そうして2人は下水道へと降り走り出す。流石に臭いとネズミや虫に嫌悪感を抱くが、こればかりは仕方ないと駆ける。
「これからどうするんだ」
元奴隷商は隣で走るディアナに問いかける。その服装は久々に冒険者らしいボディラインを隠したローブに包まれ、その下には何本ものナイフが用意されている。
「とりあえず国外を目指す。あんたの身分証は偽造済みだからなんとかなる」
そう言ってディアナから投げられるその身分証。あまりの準備の良さに怖くなるが、こんな時になれば頼りがいしか感じない。
「……ほんとお前がいないと俺は何回も死んでるな」
今日何度目か分からない元奴隷商の感謝に、ディアナが微笑み何か言い返そうとする。
だがそれと同時に下水道に響く2人以外の足音。それは確かにこちらへと向かっており、2人は真顔に互いに視線を交わし頷き合う。
武器を構え慎重に2人が角を曲がると、その目の前には大きな斧を持った老人が立つ。
「久しぶりですね。お二人とも」
プレヴァルの配下のクロヴィスがそう言って大斧を構える。どうやらここまで逃亡を防ぐため人員が配備されていたらしい。
そう思っているとそのクロヴィスの後ろからは、銀色の髪を結ぶクリスが現れる。
「やはりディアナ。お前はそっちなんだな」
ディアナは返事と言わんばかりにナイフを抜く。その眼は確かに殺意を込めていた。
「元々だよ。私は2人に死んでほしくないだけ」
そんなディアナにクリスはため息と共に剣を抜く。他に兵の気配は無く、ディアナと共に元奴隷商は、ゆっくりと距離を詰める。するとクリスは元奴隷商を睨み、明らかに剣を振るおうと力を込める。
「お前もどこまでも俺に迷惑をかける」
それはこっちの台詞だと元奴隷商はナイフの切先をクリスへと向ける。
「互いにな」
それを皮切りにこの場にいる4人は駆け出す。誰が誰にと決めた訳では無いが、自然とディアナがクロヴィスに元奴隷商がクリスと向かい合う。
そして元奴隷商のナイフとクリスの剣がぶつかり合い火花が散る。隣ではクロヴィスが大斧を振り回し、それをディアナが避けて隙を伺う。
「よそ見かよッ!!」
クリスの刀身が滑り、元奴隷商のナイフは空ぶる。そしてそのクリスの剣の切先が頭上へと迫るが、とっさに下水の流れる水路へと飛び込んで避ける。
「……臭いな」
流石に長居はしたくない。そう思っていたのだがクリスは追撃をするように水しぶきを上げ、それを陰にして剣の刀身が迫る。
「ッチ、相変わらずッ」
奴隷商は半歩引いてクリスの剣を避ける。だがそれすら想定済みと言わんばかりに、クリスは踏ん張りと手首を翻して下から剣を振り上げようとするが。
「お前しばらく剣振って無いだろ」
元奴隷商の知っているクリスにしてはあまりに剣筋が見えやすい。また最小限の動きで避け、流石にクリスにも大きな隙が見える。
「どこまでも貴族様になっちまったか」
元奴隷商はナイフではなく、拳を握ってそのクリスの腹へと重い一撃をねじ込む。それは確かに食い込み、クリスは後ずさり嗚咽と共に膝をつく。
それを見て元奴隷商はディアナの様子を伺うが、致命傷こそ貰っていないが押されている様。
「クリス。良かったな。お前のお陰で俺も無職だよ」
こちらを睨み上げるが起き上がれないクリス。それに向かって一言残し、元奴隷商は水を蹴りナイフを手にクロヴィスへと襲い掛かる。
「やはり彼では抑えれませんか」
クロヴィスはこちらを一瞥するだけで足元にあった石を足先で上げ、それを蹴り飛ばす。それはピンポイントに元奴隷商の眼球を狙い、避けざる負えないが。
「……どこまでもバケモノだな」
そう呟く元奴隷商の見上げる視線の先には既に振り上げられる大斧。この天井の低い下水道でよくもこんな軽々と扱える。
だがクロヴィスが戦っているのは1人では無く2人。こちらに意識を向ければまた隙が出来るのも事実で、ディアナはローブの下から投げナイフを抜き投げる。
「厄介な育て方をしてしまったか」
そう言ってクロヴィスは振り下ろそうとした大斧を引っ込め、自身の防衛の為に前へと掲げる。そして2本の投げられたナイフが弾かれるが、その内に元奴隷商が体勢を立て直し斧が振るえない程の距離に肉薄する。
「やっと俺の間合いに入った」
元奴隷商の呟きに、クロヴィスの鈍い視線がこちらを向く。咄嗟に手でこちらを掴もうとしてくるが、ナイフは間に合わないと、それより早く横腹に拳をめり込ませる。
「━━ッ。効くねぇ」
骨を折ったが全く微動だにしないクロヴィス。それどころかその手は元奴隷商の腕を掴んで、そのまま振り回して下水へと放り投げてしまう。
また全身ずぶ濡れになってしまう元奴隷商。だが流石に追撃は来ず見上げれば、クロヴィスの口から血が流れている。
それでチャンスだと追撃しようとするが、水を這いずる音と共に足元に絡みつくのは。
「俺はお前が嫌いだ」
クリスはそう言って強くこちらを睨み上げる。未だ痛みは残っているがそれでも根性だけで、こうしているのは見れば分かる。だが元奴隷商もこの男を相手にしている暇はないと。
「俺もお前が嫌いだよ」
そう言って強引にクリスの腕を振り払おうとするが、やけに粘るクリスは。
「いつもいつもお前は俺から奪ってく」
ねずみが戦闘から逃げるように駆けていく。その中クリスは下水を厭わず声を漏らす。
「それでお前の周りに人が集まる」
クリスの眼は確かにこちらを睨み上げて来る。それは長年の鬱憤を全てぶつけるように、体が下水にまみれることも気に留めず叫ぶ。
「いつもいつも俺が正しいはずなのにッ!!」
だが元奴隷商は強く足裏でクリスを蹴りその眼鏡を割る。その言葉の意味も訳も理解しているからこそ、真正面からそれを受け容れる訳にいかないからだ。
「知るかよ。俺はお前と違うんだ」
そう言って元奴隷商は再びクロヴィスを追撃しようとするが、そこには誰もいない。その疑問を向けるようにディアナを見ると、呆気にとられたように。
「引いてった」
確かに下水路脇の通路に血の跡が続いている。あの場で引く判断をするのは流石だと思うが。
「俺にそこまで執着する価値は無いってことか」
悔しいがありがたい事には変わりがない。そう元奴隷商は下水から上がって、ディアナの傍に立つ。そしてそこからは、下水で蹲るクリスが見える。
「……いこ」
ディアナはそう囁く。だが奴隷商は一言だけ。そのクリスに言葉を贈る。それは先ほどのクリスの叫びに対する言い訳なのかもしれない。
「俺もあの子は忘れてない。それだけは知っててくれ」
クリスの眼が割れたレンズ越しにこっちを見る。それは明らかに怒りと恨みが籠っている。
「どの口がッ」
だがそれ以上の会話を許さぬように遠巻きに聞こえてくる足音。それを耳にしたディアナは有無を言わさず、元奴隷商の腕を掴む。
「いくよ」
元奴隷商とクリスは否応が無く距離が開いて行く。その間に言葉は無く、その姿を互いに見えなくなってしまう。そうして2人が駆ける下水道。1人下水に残されたクリス。遠巻きに響く捜索を始める兵士たちの声。
それらを背にディアナと元奴隷商……亮太は。足に肺が痛み手足が引きちぎれそうになりながらも、それでも走り抜け、その背中には城壁に囲まれた帝都。目の前には広がる森林がある。
それを目にしてディアナはボロボロに髪を乱しながらも振り返ってくる。
「じゃあ一緒に逃避行。しよっか」
互いに汚れている。臭いも酷い。だがディアナはやり切ったと笑顔を浮かべ、亮太の瞳にとっては綺麗に美しく映る。
「あぁ。そうだな」
そうしてその街から2人。姿を消したのだった。
明日は23時に投稿させていただきます。




