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奴隷商の男  作者: ねこのけ
第三章
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第39話 閑話 冒険者の1日


 快晴な青空の下。辺りはいつものように人で溢れかえり、客引きに値引き交渉で沢山の声が混じり合う。そんな文字通り活気のある市場の中、弱々しくも声を張るのは、少し伸ばした青髪の少女。


「せ、洗濯竿はどうですかー……!」


 軽装ながらも冒険者の風貌の彼女。それが客引きを試みるが、誰一人見向きをしようとしない。それでも震える声で続けるのだが、戻ってきた店主が呆れ声を向ける。


「ギルドに面が良い女寄越せと言ったが、ここまで陰気な女だと余計に売れねぇな」


 その言葉に彼女は酷く肩を跳ね、恐る恐る振り返る。


「……ご、ごめんなさい」


 元奴隷であるシエナの初依頼。それはどうやら失敗らしくひたすらに頭を下げたとしても、聞こえてくるのは頭上からのため息。


「今日はもういいよ。給金は出すから帰ってくれ」


 そう言われてもギルドに言われたのは夕刻の鐘の音まで。これでは契約違反になってしまうと、シエナはか細い声で言い返そうとする。


「で、でも……」

 

 するとシエナの手に握られていた竿を取り上げられてしまう。その乱暴な手つきにシエナは委縮してしまい、小さく縮こまる。


「俺から契約満了の届けは出す。それでいいだろ」


 そう言って店主はさっさと店内へと戻ってしまう。


 そしてどうすれば良いか分からず取り残されてしまうシエナは、背中を丸め給金の重みのある袋を手にぶら下げる。


「……」


 どうにも上手く行かない。あの騎士の人が言うように家政婦なりになれば良かったのだろうか。そう思ってしまうが、その騎士から貰った身の丈以上の剣が目に入り振り払う。


「ま、まだ一回目だから……もう少し頑張ろっ」


 そうしてまた1週間後。今度は接客では無く一人でも出来ることをと、路地裏を駆けるシエナ。だがその足音はたどたどしく、その先にはスタスタと軽快で軽々しい足音。


「ちょ……っと…まって!!」


 シエナは逃げる黒猫を捕まえようと、積まれたごみの中へと突っ込む。だが、その手は空振り黒猫は石畳の上を駆け、シエナが顔を上げた時にはどこにもいない。


「もう期限明日なのに……っ」


 ゴミが頭に引っ掛かりながらも黒猫の進んだ道を追いかける。だが、その毛玉の消えた角を超えた時には、屋根の向こうから聞こえる泣き声だけ。


 ただそこで、シエナの足は止まってしまう。


「……今日のご飯どうしよう」


 屋根の先に見える空を見上げ、ただ呟く。未だ一回も依頼を達成できず、騎士から貰ったお金も尽きようとしてしまっている。


 そして焦りつつも1週間後。活動する街を変えてみたのだが、冒険者ギルドというのはどこも変わらないらしく。荒れくれ者が掲示板へと群がり、シエナにとって難易度の高すぎる依頼ばかりが張り出されている。


「……どうじよう」


 思わず涙声になってしまう。この1週間で全く成功体験も無く、この人混みの中意気消沈してしまいそうになる。


 そしてそんな俯くシエナを気遣う人間は誰もおらず、掲示板前から押しのけられてしまう。


「ガキが邪魔なんだよッ!!」


 その手にシエナは体勢を崩し尻餅を付いついてしまう。そしてシエナの板スペースには、我先に依頼を取ろうと掲示板へと群がる荒れくれ者ばかり。


「……が、がんばらないとっ」


 それでも生きる為に。今頃レイラも使用人として頑張っているんだと、自身を鼓舞し掲示板へと迫る。そしてふと、掲示板端の他の依頼の裏に小さくある紙きれを見る。


「……5000ゴールド」


 咄嗟に紙を掌の中に隠し周りをキョロキョロする。紙自体は冒険者ギルドの書式のそれではないが、時たまこうやって張り出される依頼がある。危険な物が多く関わらない方がいいのは分かっているが。


「これだけあれば1年は……ううん……3年は」


 シエナはその小さな体で人混みを掻き分け冒険者ギルドを後にする。そして紙に書いてある集合場所は、広場から外れた路地裏。依頼内容は護衛任務とだけ。


 明らかに怪しい。だが背に腹は代えられないと、シエナは路地裏の前に立つのだが。


「……」


 足が震える。真っ暗で襲われたらどうにもできないかもしれない。そんな弱い自分を払うように、頬をパチンと叩き少し赤くする。


「がんばるんでしょっ!」


 そう意気揚々と路地裏へと入るのだが、シエナを見下ろす黒い外套を身にまとった女の人。同じく黒い外套を身にまとい、シエナと大して身長の変わらない女の子。


 シエナは怯えながらも、依頼の紙を取り出す。さっきの気合はすでに涙目になって消えてしまっていた。


「あ、あの……これ見てきたんですけど」


 すると背高な女はその顔をフードから覗かせる。それはこの辺の地域にしては浅黒く、耳は長くとんがっている。


「前金の2000ゴールドだ。お前にはこの御方をこの街から出る手伝いをしてもらう」


 シエナの手にはずっしりと重い感覚。思わず手が震えてしまうが、その背高の女が求めるのはシエナの持つ冒険者ギルド証らしく。


「馬車はこちらで手配する。その運転手として門をくぐるだけで良い」


 淡々と一方的に要件だけを伝えて来る背高の女。シエナとしてもやる事を明確にしてもらえた方が、焦らなくて済むから助かる。


「あ、は、はい」


 もう一人の背の小さい方は全く喋らない。ずっと背高の女の後ろにいるだけで、何も視線すら合わない。


 そしてこの依頼は次の日にやるらしく、また集合場所だけ告げられてシエナは1人路地裏に残されてしまう。


「……やばいことに巻き込まれてる?」


 言ってしまえばお尋ね者風の2人。それを逃がすとなれば私まで罪に問われるのか、そう怯えてしまう。


「だけど貰っちゃったし……」


 2000ゴールドの重み。それを確かめるとこの所の悩みがどうでもよくなり、思わず口角が上がってしまう。


「今日ぐらいはいいよね……?」


 この日ばかりはシエナは街の屋台で食べたい物を食べ、かわいい服を買い、いい宿のフカフカのベッドで寝る。お金がある事でここまで精神的に余裕が出来るのかと分かった1日だった。


 そうして次の日。シエナが何をする訳でも無く、馬車の御者台に座り鞭を握るだけ。多少奴隷商に教えられているとは言え、初めてでどうすれば良いか分からないが、背後の木箱が喋る。


「そのまま城門を出たら10分は振り返らず進め」


 シエナは心臓が締め付けられ、昨日食べ過ぎたせいか胃から逆流するものを感じてしまう。


「……んっぷ」


 なんとか抑えつつも馬車はゆっくりと動き出す。ガラガラと御者台に座るには幼過ぎるシエナが運転し、城門へと向かい門番に止められる。


「お嬢さんの馬車かい?これ?」


 背中にある冷たい感覚。それが依頼主のナイフであるのはすぐに分かり、冷や汗をどっと掻く。


「い、いえ……借り物で帝都に向かおうと……」


 シエナは震える手で冒険者ギルドの会員証を提出する。そして門番が形式的に荷台を覗き、荷物をざっと検めるだけで。


「よし通って良いぞ。譲さんこの辺安全とは言え気を付けなよ」


 そう親切なことまで言われてしまい、どこか申し訳なくなってしまう。それで門番達の眼に怯えながらも、馬車は城門の外に抜けすぐに森へと入ってしまう。


「……」


 そうして何十分だろうか。シエナがずっと合図を待っているというのに、一向に後ろからは何も聞こえない。流石に不安になり話しかけてみるのだが。


「あ、あの……どこで降りる……んです?」


 ただ何も返って来ず馬の蹄と息遣いだけが響く。


「あ、あのー……?」


 カラカラと回る馬車の車輪だけがシエナの耳に届く。どうにも不安が過り、シエナが荷台へと振り返るのだがそこには蓋の外れた箱が2つ。


「……え」


 馬車を止め荷台を漁るがどこにもいない。それになにより、シエナが大事に腰に付けていた麻袋には。


「お金が……ないっ!!!」


 昨日もらった2000ゴールドが丸々消えてしまっている。それに後金の3000ゴールドも未だもらえておらず、残ったのはこの借り物の馬車だけ。


「……これって」


 騙された。今更にそう気づいても、何もかも手遅れになってしまった。シエナはただ唖然とすることしか出来ず、手をわなつかせることしか出来ない。


「もう……」


 そんな1件がありながらもシエナは生きていくしかない。一週間は引きずってしまったが、それでも冒険者として生きていく。


 そうしていくつかの街を転々としながらも、シエナは新しい依頼だと不相応な剣を持ち集合場所へと赴く。するとそこにいるのは、腰の酷く曲がった老婆。


「あら可愛い冒険者さんねぇ」


 目は細く手には編みカゴをもっている。第一印象は温和で優しそう。そしてそんな印象は正しく、相乗りした馬車に2人足を外に垂らす。


「き、北の方から来たんですか」


 拠点にしていた都市を出て田園風景の中馬車はゆっくりと車軸を回す。


「そうなのよねぇ。この歳になると長旅は辛くて辛くて」


 腰をさすりそういう老婆。名前はコエーリ村のエディダさんと言うらしく、今回は孫の晴れ舞台の為わざわざ帝都まで来ていたらしい。


 シエナは勿論道中の護衛任務だ。不安もあるが、それでも気を張って騎士から貰った剣を誇らしげに掴む。


「わ、私が精一杯守りますから!……どうぞ……安心してください?」


 言いながら段々と自信が無くなってしまうシエナ。だがエディダは孫を見るように微笑み、遠い丘の緑を見る。


「老人は寂しがり屋だからねぇ。お話相手になってくれればいいよぉ。どうせこの辺は安全だからねぇ」


 少しだけ肩透かしを食らったような感覚になるシエナ。でもそう言われるだけで自身の肩の力が抜ける気がし、そのまま会話が進んでいく。


「エディダ……さんは北の方って言うと港町とかなんです?」


 大人と話すこと自体に余り慣れていないシエナ。それに元々どもりやすい気質もあって、たどたどしく問いかける。だがエディダは焦らせないようゆっくりと間を置き答える。


「北と言っても西よりだけどねぇ。ほら聞いたことない?赤竜山脈って」


 そのエディダが首を回し、遠く霞んだ山脈を見る。ここからではどれだけ離れているかも分からない程だが、その大きさはここからでもありありと伝わる。


「あ、あります……冒険譚で」


 するとエディダが嬉しそうに「まぁ」と声を漏らし、鞄から古ぼけた本を取り出し、懐かしそうにそれを撫でる。


「この本良いわよねぇ。ひたすらに真っすぐで眩しくて……示唆に富んでる」


 それは恐らく読み聞かせてきたのだろう。エディダの手にある本は年季が入り、ページ一つ一つに深く折り目が付いていた。


「そう……ですね。あぁやって逆境に負けず偉業を成し遂げるんですから」


 ある珍しい瞳の色をした男の話。差別され後ろ指を指されながらも、村々を襲っていた龍を退治したという伝説。その子孫がいるらしいが、一部の国にとって都合が悪く弾圧された過去で、シエナの元までその存在は届いていない。


「ほんと私達にとっては神様みたいなものなんだけどねぇ。街の人は皆知らない」


 カラカラと回っていた車輪が、ガタっと小石を踏む。そしてまた何事もなかったように、蹄の音が響く。


「こうやって忘れされていくんだと思うと、私が読み聞かせる価値もあるかなって思うの」


 そう言って優しい口調でエディダはシエナにとっても馴染のある冒険譚を読み始める。それがどこか子守唄のようでうとうととしてしまうが、いつもは読んでいたものを聞くのは案外違う視点をもたらす。


(……なんかあの騎士の人に似てるな)


 少しの間話しただけだがそう思った。苗字も同じだったりしたし、もしかしたら何か関係があるのだろうか。


 そんな事を思いながらもシエナは揺られ続ける。そしてただ平穏な護衛任務は、数日間続く。天候は荒れることなく、何か襲撃にある訳でも無く、その馬車は山間の村へと到着する。


「今晩は泊って行きなさい。借りた馬車も明後日に帰る様だから」


 馬車の予定がそうならシエナに拒否権は無い。というより、シエナ自身エディダという老婆に信頼を寄せていたこともあって、その提案は嬉しくもあった。


「ぜ、ぜひ……!!」


 辺りは数十軒の家があり、村というより宿場町っぽいだろうか。谷合いな事もあって、まだ夕刻の鐘が鳴っていないのに、日はもう辺りは照らされていない。


 見慣れない村の姿に興味を引かれながらも、シエナはエディダの元へと駆け寄る。


「荷物もちますよ!!」


「うん。ありがとねぇ」


 シエナの記憶に祖母の記憶はないが、いたらこんな感じだったのだろうか。そんな事思いながらエディダに続いて、坂道ばかりの地面に腰を痛めながらも歩く。どうにも通行人が少なく、出会ってもすぐに目を逸らされてしまう。


(余所者だからかな?)


 そう思いながら比較的長い間シエナは坂道に足腰を痛める。すると見えてくるその家を指差し、全く息の切れた様子の無いエディダ。


「あれだよ。小さいけどごめんねぇ」


 エディダの家は比較的高い所にあるらしく、崖の面にへり出す形で木組みに支えられている。確かに小さいかもしれないが、シエナからしたら蔦や園芸の花に溢れるその家は、羨ましく興奮を隠せない物だった。


「す、素敵な家ですね!」


 アトリエのような隠れ家のような。早くその中へと入りたがるシエナを、エディダは微笑みながらもその家へと案内する。


 ガチャっと鍵が開き、木扉が唸りながら開く。するとその内装は長期間不在にしていたわりに、綺麗で埃臭くない。


「誰かと同居されてるんですか……?」


 そうシエナが問いかけるが、エディダは振り返る事無く暗い屋内へと足を進める。そして部屋の中央に置かれた。埃の被っていない長机にその荷物を置く。


「暫く独り身だよ」


 どこかこれまでと違う雰囲気を感じたシエナだが、部屋が暗いせいだろうと続いてその部屋へと入る。


「おじゃましま……す」


 ハーブやら干し肉やらが天井から吊るされている。そして奥には暖炉があり、その上には2本の角が生えた動物の骨が飾られている。


 それをじーっと見ていると、エディダは気づき説明をする。


「龍の頭蓋骨だよ。偽物だけどこれに毎朝祈るの」


 なんてことのないように旅の荷物を解き片付け始めるエディダ。シエナはその骨に少し怯えながらも、そっと木の床を軋ませ、そっと長机にいくつも並べられた椅子の一つに座る。するとエディダは天井からぶら下がる、干し肉を取りシエナを見る。


「じゃあご飯作るから待っててね」


 流石に何もしないのは気まずい。そう立ち上がり手伝おうとするのだが。


「あ、私も手伝い━━」

 

 エディダに手で押さえられ椅子に座らされてしまう。


「私が歓迎したいの。可愛いお客さんはそこで座ってて」


 流されるがままにシエナは椅子でソワソワとして待たされる。目の前では包丁がまな板を叩く音と、水の煮えるぷくぷくとした音が聞こえる。


 その間も視界端にある龍の骨と目が合いそうで怖く、どうにも落ち着かない。窓は吹き付ける風にカタカタと揺れ、ランタンの灯はまばらに震え続ける。どんどんと辺りは暗くなり、ランタンだけじゃ視界も悪い。


「……あ、あの……ランタンって一個だけです……?」


 するとエディダは細く裂いた干し肉を鍋へと投げ入れながら答える。


「油も貴重だからねぇ。暗いけど我慢してねぇ」


 エディダは天井にぶら下がる良く分からない薬草を引っ張りその葉を千切る。そんな様子を見ながらもシエナは、咄嗟に青い髪を揺らす。


「あ、い……いえ。ただ気になっただけ……ですので」


 エディダの機嫌の良さそうな鼻歌が、陰鬱で暗い部屋の中に響く。シエナは腰に差した剣の感触を確かめながら、そのまま待ちづける。


 そうしてやっと出来たらしく、エディダが木皿に鍋の中身を注ぎ始めるので、シエナは咄嗟に立ち上がり駆け寄る。


「は、運びます……!」


 するとエディダは微笑みながらその木皿をシエナの手に乗せる。


「ありがとねぇ。なんだか孫が出来た気分だよ」


 その木皿の中身は緑色のスープにいくつもの具材がたんまりと入っている。見た目は慣れないが、匂いだけでみればスパイシーな良い匂いがする。


 それを机の上に2人分運び、さらにエディダがパンを切り分ける。そうして2人分の食事が用意され、シエナとエディダは互いに向き合い座る。


「じゃあ先に食べてて」


 そう言われシエナは逆らう理由も無いのでスプーンを手に取り、エディダの様子を伺う。するとどうやら食前の祈りをささげているのか、ブツブツと何か言いながら手を擦り目を瞑っている。


 それを見ながらスプーンを口に運ぶと、慣れない味ながらもシエナの口に合い。


「……あ、美味しい」


 そう喋ってしまうと、エディダの手が止まりその鈍い視線がシエナへと向く。


「あ、え……すみません」


 胃がキュっとなる感覚を覚えながら頭を下げるが、エディダは黙ってまた食前の祈りを始める。シエナは段々とその濃いスープの味が分からなくなりながら、ゆっくりとスプーンを動かす。


「……」


 ランタンの灯が揺れる。エディダの影が酷く長く伸びている気がする。そしてシエナの木皿の底が見え始めた頃、やっとエディダがスプーンを持つ。


「ごめんね。うるさかったでしょ?」

 

 シエナは全力で首を振る。そうしないといけないと直感的に思ったからだ。それを見てエディダは満足げに頷き食事を始める。


(……なんか変わった?)


 雰囲気がどことなく変わった気がしていた。それこそ少し怖いというか、不気味なような。ひたすらにシエナの視線は泳ぎながらも、少し早く木皿を空っぽにする。


「ご、ご馳走様です」


 そして皿を片付けようとするのだが、エディダは手でそれを抑える。

 

「あ、お皿はそのままそのまま。少しだけ待っててね」


 シエナは気まずくなりながらも、席に戻りエディダの食事が終わるのを待つ。その間部屋の中を見渡すが、ベッドは1つしかなく敷布団でもひくのだろうか。それに心なしか部屋にある小物や飾りに一貫性がなく、それこそ色んな人の趣味が混じり合ったよな感じがする。


 するとエディダは食べ終わったらしく木組みの椅子を引く。


「散歩でもいかない?裏の山に景色の良い所が合って見せたいの」


 シエナはあちこちへと散っていた視線をエディダへと戻し、足がもつれながらも椅子から立ち上がる。


「あ、は、はい!ぜひ……」


 どうにもシエナの生来の気質からして怖がりな所もあり、この現状に嫌な予感を感じてしまう。だが、エディダは相変わらず人の好い笑みを浮かべ、物腰が柔らかい。今はとりあえず目に見える物を信じようと、エディダの持つランタンに連れられ夜の村へと出る。


「ちょっと山登るからねぇ」


 そう言って坂道を登っていくが、すぐに建物は消え周りは木々に覆われてしまう。そんな中でもエディダの足は迷うことなく、その奥へとひたすらに進んでいく。


「シエナちゃんはこれからどうしたいとかあるの?」


 エディダの曲がった腰を目の前にしながらもシエナは考える。正直明日を生きるので精一杯で将来の展望など気にする余裕があるはずも無かった。


「……えーっと……ん~考えた事無かったかもです」


 するとエディダは背を向けたままながらも、更に言葉を続ける。


「若い内にしか選択肢は無いんだからね。後から後悔しても遅いから考えないとだよ」


 ゆっくりと振り返って来て優しく微笑むエディダ。それはシエナの感じていた温和で優しいエディダの印象通りだった。


「こんなシワシワになってからやりたい事がいっぱい出来ても、腰が痛くて何も出来ないからね」


 その明るい様子のエディダにシエナも釣られるように笑う。陰鬱な森の中だが、シエナから見てやはりエディダという老婆は良い人間に見えていた。


「じ、じゃあちょっと考えるので……!」


 うんとエディダがうなずいてくれるので、シエナは何か将来にやりたいことが無いか考える。だが思いつくのは、美味しいご飯が食べたいだのかわいい服が着たいだの俗っぽいものばかり。


「あっ」


 だが一つ思い浮かぶ、というより思い出したのがある。それはいつか騎士の人と話した赤竜山脈に行ってみたいという話。ここからも近く行こうと思えば行ける。


 そう思いついた事をすぐに伝えようとシエナは顔を上げるのだが。


「ひ、1つあるのが━━」


 ふと視界が真っ暗になる。元々日は差し込んでなくて暗かったが、一切の光が目に入ってこない。そして口元は何かに塞がれ、知らない人の匂いと腕を掴まれる感覚。


 そして耳にはその老婆の声が届く。


「まぁシエナちゃんの場合は天命は決まってるんだけどね」


 ただただ混乱するしかないシエナ。それは真っ暗な視界の中体を縛られ何時間も連れられ、気付けば肌に感じるその凍てつくような寒さを感じるようになる。


 そして頬と体半身に感じる冷たく濡れる感覚。周りに人の気配は無く、吹雪が吹き荒れる音に紛れ聞こえてくるのは。


「……動物?」


 その激しく辺りに響く雄たけびにただただシエナは怯える。だが手首も手足も縛られ目も覆われて逃げる事すら叶わないまま。


「……わたし……ここで死ぬの……?」


 それは奴隷商達から見て少し先の未来の話の事であった。

 

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