第38話 空も飛べるはず
奴隷商が道路へと駆け出れば、辺りには瓦礫が散らかり、その龍を殺さんと多くの兵が群がる。そして一際目立つのは、その大斧を持った老兵。
「……あの斧は」
その男は龍の首元で大きく斧を振り上げる。そしてそれはしなり大きな円を描き、そのまま鋼鉄の如き鱗へと突き刺さる。
それは並みの魔法では傷一つ付かなかった鱗。だが、その人力だけで振るわれた斧は、銀鱗を真っ二つに割り、噴水のように血しぶきを上げさせる。そして龍は痛みを拒むように叫び、体を捻って寄生虫のように乗りかかる敵兵を振り払う。
だがその斧を持つ男。クロヴィスだけは、微笑みながらもバランスを保ちその体の上に掴む。
「あいつをやらないとか」
一番相手をしたくない相手。だがアリシアをどうにかするには、一番の障壁で避けては通れない。そう判断し、奴隷商は瓦礫の山を越え、その龍の巨躯へと飛び掛かる。
「……ッ動きが」
鱗にぶら下がるが、痛みからひたすらに暴れられ掴まるので精一杯になってしまう。それでも一つ一つ登り、龍の脊髄へとたどり着くのだが、すぐ頭上にあるその影。
「奇遇ですね。ではさようなら」
クロヴィスが奴隷商の頭上目掛けて斧を振り下ろそうとする。だが奴隷商に続いてやってきた軽い足音に気付くと、斧を持ち直し一歩分後ろに引く。
そしてその一歩分空いたスペースにナイフが飛んでき、銀鱗にカキンと弾かれる。それに続いてその翡翠のドレスを纏った、栗色の髪が奴隷商を守る様に立つ。
「ほんっとあんたは私がいないとダメなんだから」
奴隷商は両手に力を込め立ち上がる。胸からナイフを手に取り、ディアナの隣に立つ。
「今日ばかりは全く異論はない」
未だ龍は暴れるせいで、立っているのが精いっぱい。周囲の景色は大きく揺れ、乗り物酔いにも近い感覚を覚えそうになる。
だがそのクロヴィスはなんてことのないように、斧を肩に抱え鼻歌を歌う。
「2対1ねはいはい。いいよ、同時に来な」
手を招き催促してくるクロヴィス。その目的は分からないが、やはり奴隷商らを排除する気ではあるらしい。
奴隷商とディアナは互いに視線を通じ、無言のまま駆け出す。2人は左右に膨らみ挟み撃ちのようにクロヴィスへと襲い掛かる。
そしてそれらを払おうとクロヴィスが横薙ぎにした斧を、奴隷商が跳躍し避け、ナイフを首元の大動脈目掛ける。
「小細工はやめたようだね」
クロヴィスは微笑み、奴隷商のナイフを持つ手をあっさりと掴んでしまう。だが、これで動揺する奴隷商でもなく、掴まれた腕ごと後ろに引き込み、そこでディアナが背後に回る。
「あたしら2人なら小細工は要らないしね」
機敏な動きでディアナのナイフがクロヴィスへと襲い掛かる。しかし、それも想定していたのか、クロヴィスは奴隷商の腕を想定以上の力で引っ張り返し、体を捻りながら斧をディアナ目掛けて振るう。
おそらく互いにやりあえば相打ちになるタイミング。だが、ディアナはすぐに数歩引きその斧を空ぶらせる。
「ただ俺もいるぞ」
2対1な以上どうしても隙が出来る。そしてナイフを持つ手は抑えられてても、片腕は自由。奴隷商の体重の乗った拳が、クロヴィスの横腹を抉る。
「━━ッいいのもってるねぇ」
骨を折った感触はあった。だがそれでもクロヴィスは笑みを崩さず斧を片手で持ち直し、奴隷商に振るってくる。
それを咄嗟に飛びのき避けるが、これでまた間合いが離れてしまう。
「リーチ差がある以上まずいか」
ディアナと挟んでいるが、どうしてもナイフと大斧ではリーチ差が大きすぎる。今の接近戦で仕留められなかったのがキツイ。
だがそう言ってもいられないので、目でディアナとタイミングを取り合い、また同時に駆け出す。今度はディアナがクロヴィスの死角から襲い掛かり、一拍遅れて奴隷商が真正面からナイフで斬りかかる。
「流石に厄介か」
そう呟き、クロヴィスはくるりと周り後ろ、つまりディアナへと距離を詰める。そして予備動作を見せず大斧が襲い掛かろうとしていたディアナに向く。
「避けろッ!!」
奴隷商がそう叫ぶが、かなりの至近距離。ディアナは咄嗟に飛びのくが、その振るわれた大斧に腹に横一線の赤い線を残し血を流す。その際ナイフを手放してしまったらしく、無防備になってしまう。
それでもディアナは大丈夫だと、クロヴィスの肩越しに視線で伝えて来る。だがクロヴィスはディアナを脅威を見なさなくなり、奴隷商へと視線を向けてくる。
奴隷商は足を止めることなく、斧を振るい切り体勢の乱れたクロヴィスの背中に襲い掛かるが。
「魔力は切れてるのかな?治癒魔法も出来てないようだし」
クロヴィスはそう悠長な事を言いながらも、あっさりと大斧を手放し、奴隷商のナイフを持つ手をいなしてしまう。そしてそのまま足裏で奴隷商の腹を蹴り飛ばし、また距離を作らせてしまう。
カランカランと、大斧が銀鱗を辿り地面へと転がっていく。ディアナは腹を抑え治癒魔法をかけようとしているが、痛みのせいか上手くいっていない。
「……それに俺もそろそろか」
出血がバカにならなくなってきた。今はアドレナリンで骨の痛みも多少マシとはいえ、これ以上時間をかけられたら不味い。この時間を稼いでいるような戦闘の仕方を見るに、それこそクロヴィスの目的かもしれないが。
「考えてる暇は無いか」
走り出す。そして手に持ったナイフを、クロヴィスと数歩分距離がある内に投げてしまう。それを不思議そうにしながらも、クロヴィスはそっと体を揺らし避けてしまう。
「随分雑だな」
そうクロヴィスに言われるが奴隷商も両拳を構え姿勢を落としはじめる。
「俺は拳の方が得意なもんでな」
先ほど骨を折った側と逆側を狙い拳を捻り向ける。それを見てクロヴィスも笑い拳を構え、ノーガードでその拳を奴隷商の顔面へと目掛ける。
「若者には珍しい良い根性だ」
互いの拳が邪魔をされる事無く互いの全力で目標へとぶつかる。奴隷商の脳は揺れ意識は飛びそうになり、クロヴィスも肺近くの骨が折れたのか、血を口から吐く。
だが奴隷商の方がダメージは大きく、足元から力が抜けふらつく。そしてクロヴィスはとどめの一発を構えながら、勝利宣言のように呟く。
「ただ最後まで立ってるのは━━」
そう言いかけた時、クロヴィスの背中に刺さるその冷たい刀身。振り返れば息を切らし腕を下ろすディアナの姿と、背中に刺さる小さなナイフ。
「あぁ……私が狙いじゃなかったのか」
そう言って奴隷商よりも先に倒れ、そのまま地面へと転がって行ってしまうクロヴィス。そして奴隷商もそれに続いて落ちそうになるが、咄嗟にディアナが駆け寄り腕を掴む。
「あんたほんと無茶しすぎッ!」
もう翡翠色のドレスも滅茶苦茶に乱れてしまっている。これまで散々付き合わせたせいで申し訳なくなる。
奴隷商はなんとか意識を保たせながらも、ディアナの肩を借り両足で立つ。
「……ただお前なら分かってくれると思ったからな」
あの投げたナイフ。それは武器を無くし無警戒になったディアナへと向けたもの。咄嗟に考えた作戦だったが上手く行ったらしい。
そう得意げになる奴隷商をディアナは抱え、僅かになった魔力で治癒魔法をかけてくれる。
「……助かる」
頭上では瞳を大きく揺らし頷くディアナがいる。栗色の髪はぐしゃぐしゃに、普段は外見に気を遣うディアナでも忘れ治癒魔法に専念してくれている。
だがふと龍の背中に見える人影。それの顔に見覚えは無くとも、その手に持っている筒には見覚えがある。そしてその筒の先は確かにディアナと奴隷商へと向いている。
「まずいッ!」
まだ治癒魔法は終わっていない。それこそ傷口が塞がっただけで、骨はまだ折れたまま。だがそれでもまずいと、奴隷商は咄嗟に立ち上がり、ディアナを突き放す。
「━━ッちょ…っとなに!?」
そうディアナの非難の声が聞こえるが、それを覆う程の轟音。そしてすぐにやってくるその金属の塊。それを目で捉えられるはずも無く、左手に僅かに残った魔力を込め強化し眼前に立てるのが精いっぱい。
「……ッ」
ディアナも自身の急所も守れた。だが構えた腕はグシャっと変な音を立て、関節が反対方向に折れ血にまみれ肌は爛れている。どうやら掠っただけらしいが、それでもここまでやられるとは。
そう思っていると、傍にいたディアナは鬼の形相で立ち上がり駆け出す。
「よくもッ!!」
それはあっという間にその敵兵へとたどり着き、奴隷商のナイフで切り伏せてしまう。その辺りで奴隷商も、龍の背中に乗る敵兵が増えていることに気付く。
「……このままだと」
奴隷商らには目もくれず龍へと攻撃している。奴隷商もそれは止めたいが、今のせいで片腕はもう使い物にならない。そんな奴隷商へとディアナは駆け寄りナイフを手放すと、変わらずの血相で駆け寄り頬をビンタしてくる。その眼は酷く潤んでいた。
「ほんとバカ。そう言う所が嫌い」
そう言いながらもまた奴隷商の腕を治癒魔法をかけようとするが、魔力がもう無いのか、日暈が浮き出ようとしては点滅し消えてしまう。
それでも治癒魔法をしようと、ひたすらに焦るディアナの肩を、奴隷商は大丈夫な方の手で叩く。
「俺は良い。他の奴らを追い払ってくれ」
奴隷商はディアナが落としたナイフを拾う。そして何かディアナが言い返そうとした時、再びの轟音が龍の頭の方からする。
「……魔術師か」
それを合図のように石魔法が龍の頭目掛けてやってきている。まさか逆鱗の事を知っているのか、それとも生物としての弱点である頭を狙っただけなのか。それは分からないが、龍は確かに痛みに暴れ、奴隷商らの乗る脊髄は大きくうねる。
そこでふと、尻尾の方を見れば見覚えのある男が2人。そして喫緊の様子であるのは分かった。
「すまん。行ってくる」
治癒魔法をかけようとするディアナを振り払い、奴隷商は駆け降りる。そしてまた置いてかれるディアナは、疲れ果てながらもその足は動く。
「いつも勝手に……」
奴隷商は銀鱗の上を駆ける。暴れる体の上でどうにも走りづらいが、それでもナイフを手にその懐かしい銀髪の男へと向かう。そしてそこにもう一人いる、ブロンド髪の騎士の姿を見て呆れてしまう。
「相変わらずバカしてんなお前」
どこか自分と似たものを感じそう言ってしまう。だがすぐにクリスへと向き直り、ナイフを振り下ろそうとする。クリスも手に持っていた剣を手放し避けようとするが、奴隷商のナイフの方が早く右腕を抉る。
「避けられたか」
クリスは龍の尾から降り、地面で体勢を整え短刀を抜く。それを追いかけるように奴隷商も降り、ナイフを構えるが、ばたりと倒れるコンラート。そしてそれをとっさにかかえるディアナ。
「皆無理しすぎッ」
そう不満を漏らすディアナを横目に奴隷商はクリスを見る。その眼鏡は戦闘でくすみ汚れていた。
「お前のせいで大勢死んだぞ。それがお前の結論か」
するとクリスは分かりやすく顔を顰める。だがそれでもと奴隷商を睨み返し、その声は酷く低く唸る様だった。
「……これも大義の為だ」
奴隷商はそんなクリスを笑う。いつもいつもあれだけ大言壮語していたくせにそんなものかと。
「情けないな。お前も」
腕の痛みに耐えながらも奴隷商はナイフを構える。クリスも苛立ったように眉を吊り上げ、短刀を震える手で構え言い返してくる。
「お前よりはマシな選択肢なはずだ」
それ以上会話は無く、互いに一歩踏み込む。ジリジリと間合いを計る様に睨み合う。気まずそうにそれを眺めるディアナと、呼吸の浅くなっていくコンラート。
そしてあと一歩で互いに間合いに入るとなった時。ふと奴隷商の視界が歪む。
「…んだ……これはッ」
突然の事でクリスも罠かと警戒し、咄嗟に距離を取ってしまう。それを気にもならない程奴隷商の視界は回り、吐き気が襲い掛かる。
そして背後からする力の抜けたような足音と、金属を擦るような音。
「やっと毒矢が効いたね。遅すぎて調合ミスったかと思ったよ」
それはクロヴィスの声。血まみれになりながらも大斧を引きずり、奴隷商らへと近づいてくる。奴隷商もなんとか意識を保ち、振り返るがぼやけ焦点が合わない。
「クロヴィス……!!」
ディアナは魔力が無くなり負傷している。コンラートももう動けるかすら怪しい。奴隷商も今の状況でまともに戦える訳がない。クリスもクロヴィスも負傷しているとはいえ、奴隷商らよりは動けるのも事実。
「ディアナ。お前は逃げろ」
奴隷商は視界の中ぼんやりと浮かぶ栗色の髪に向かって言う。だが、その言葉に反応したのは意外にもクロヴィスだった。
「君も律儀だねぇ。いつまでその男に義理立てする気?」
奴隷商にその言葉の意味は分からなかった。だがそれよりも早くその言葉が向けられたディアナは言い返そうとする。
「義理立ても何も━━」
それを遮る様に辺りに吹き上がる暴風。それは龍が大きく羽ばたいたせいで起きた物で、奴隷商はなんとか姿勢を保とうとするが、流石に膝を付いてしまう。そしてその龍の四肢は段々と地面から離れ、浮き上がっていく。
ディアナらその場にいた全員がその龍を見上げる。その龍の口元には黒いジャケットに包まれた何かがある。そしてその隙間からは麦色の髪が見え、コンラートが口から血を吐きながらも叫ぶ。
「ラウラちゃんッ!!!」
龍はラウラを飲みこもうとはしない。ただ口の中に置き喉を動かす気配はない。そしてそのまま背中に乗る兵士を振り払おうと体を捻り、更に蒼い空へとその首を伸ばしていく。
そしてクロヴィスがそれを見上げ、斧を肩に乗せて呟く。
「下振れを引きましたか。内務卿閣下」
だがそれは結局、そ龍の翼の羽ばたきでかき消され誰にも聞こえない。
そして誰もかれも空を見上げる中、その銀鱗が眩しく反射し遠く遠く青空へと登っていく。高度を確保すると、あちこちの傷から血を地面に流しながらも雄大に銀翼を広げ、遠い山脈の向こうへと飛んで行ってしまう。
だがその辺りで奴隷商は限界となり意識が落ちるように体を地面に落としてしまう。それを見て咄嗟に駆け寄るディアナだが、その奴隷商の呼吸の浅さに焦る。
「ダメダメダメ……どうにか……!!」
魔力は残っていない。それに解毒魔法なんて使った覚えもない。ディアナは縋る様にクリスを見るが、目を逸らされ背中を向けられてしまう。
だがそんな時、目の前に差しだされるガラス管。
「もう終わったからこれ使いな。一応これまでの餞別」
そう言って差し出すのはクロヴィスだった。ディアナも戸惑うばかりだが、そのガラス管を受け取り、怪しくとも奴隷商に飲ませるしかない。
そして一応の礼をディアナは言う。
「……迷惑をかけました」
クロヴィスはディアナから背を向ける。
「いやいや元々君はそんなだろうと思ってたから」
そしてそのままクリスを連れ歩き出すが、最後にもう一度だけ振り返り、その眼は酷く冷たく鋭い。
「でも次会ったら……だからね」
そう遠のいていく足音。ディアナは奴隷商へとそのガラス管を向け、その効果が出たのか奴隷商の呼吸は落ち着いて行く。
その辺りでクラリスが兵士を再編し戻ってくる。それからはコンラートも奴隷商も医務室に連れてかれ、一応の命の危機は脱することが出来た。
だが龍人であるアリシアとラウラはどこかへと行ってしまい、奴隷商とクラリスは責任追及をされることになる。この時からディアナも奴隷商の前から姿を消してしまう。
そしてなにより。それは王城にて。
「先帝の崩御に伴い次の王冠を戴くのは━━」
荘厳な王宮の中央部。そこには大きな玉座に似合わない程小さな子供が座らされている。それは皇帝として扱われるには幼く、且つその母親の父親はこの国の内務卿。
そうなれば誰が皇帝に代り、この国の政治を司るのかとなれば。そう壮年の司祭官が書状を手に声を響かせる。
「皇帝陛下がご成人あそばされるまで、その間後見人として貴殿。内務卿ブリアック・プレヴァル公を任ずる」
その場にいる誰よりも煌びやかな服装をしたその老人。それは拍手喝さいの中、恭しく王座に座る子供へと礼をする。
そしてその眼は鈍く反射し、その顔は穏やかに微笑む。
「謹んで。拝命します」
ここで2章は終わりです。
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次の話は一日投稿をお休みさせていただき、明後日の土曜日(6月13日)に投稿します。これからも面白いと思っていただけるよう、書いていきますので、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。




