第34話 遠い一等星
この時間の投稿となり申し訳ありません。
奴隷商とディアナは駆け出してすぐ、両隣にあった建物の残骸へと飛び込む。すると先ほどまでいた通路の石畳は、火炎に包まれ、赤く膨張し高い音を鳴らして割れる。
「ディアナ!!」
火炎の向こうにいるディアナに呼び掛ける。すると意図を察したように龍へと手をかざす。
「分かってる!」
ディアナの手のひらの先には水塊が浮かび、それがディアナ自身の体を覆う程の大きさとなって波打ち、形を作る。龍はそれに気付いてながらも、狭い路地裏に頭を押し込めているせいで、方向転換が出来ないでいる。
そしてディアナは掌に浮かべたその水塊の形を崩し、段々と細くなる火炎の線の出所である喉元へと、一直線に向かっている。
その水球は龍の喉奥にある赤黒くマグマのような炎に直撃するが、蒸気を立て水分は一瞬で消えてしまう。龍の喉奥から急激な温度変化でバキバキと何か割れるような音が響く。
「……蒸気がッ」
咄嗟に目元を守る様に外套で隠す。一瞬で辺りに広がったその真っ白な蒸気の熱さに、空に接する体が悲鳴を上げる。
だが、それでもディアナの手からは水塊は溢れ、龍の喉元へとぶつけ続ければ、痛みからか龍は火炎を吹くのをやめてしまう。それを伝えるように外套越しにディアナの声が聞こえる。
「行けるよッ!!」
その言葉に奴隷商は建物の瓦礫から飛び出す。流石に龍と言えど、カンカンに熱された喉元を急激に冷やされれば、温度変化で口内は破れるらしい。明らかに苦しみ口からは滝かと思う程の血を流れ出している。
そして痛みから雄たけびを上げ、翼、尾、頭と全身を振り回し、とうとう耐えられなくなり建物へと突っ込んで固まってしまう。そこへ奴隷商は駆け寄り、未だ熱を持つ鱗に手をかける。
「もう少し我慢しろよ」
倒壊した建物へと乗り上げ、龍の顎も下から覗く事が出来る。いつ建物が崩れ、その下敷きになるか分からないが、龍が動き出す前に奴隷商は動かねばならない。
それで奴隷商は薄い呼吸を続ける龍の喉回りから顔付近へと探し回る。
「ない……ない……ここもない……」
瓦礫を捲り、どうにか探すがどこにも逆鱗らしきものは見つからない。やはりそんな都合がいい事ある訳無いのか。そう思いながらも、喉を鳴らし苦しむ龍の鱗を探し回る。
するともう一つ瓦礫を踏む足音が。
「私も探す」
ディアナは軽々と、鱗を足場に龍の頭の上へと登り上げる。それを見て奴隷商は叫ぶ。
「動き出したらすぐに逃げろよ!!」
ディアナは片手をあげ、龍の向こう側へと駆けていく。奴隷商の知識では顎辺りに逆鱗があるという話だが、そこ以外にある可能性もある。
「……ただ、そんな鱗あればだが」
無ければ殺すしかない。ここまでしといてそんな結末かと思ってしまうが、どうしようもないのなら龍殺し、いや人殺しをしないといけない。
「だから……」
だが、どうにも時間をかけても見当たらない。ディアナからも色の良い返事は返って来ない。そんな事をしている内に、時間をかけ過ぎてしまったらしく聞こえてくる、鎧の金属のこすれ合う音。
「まずいまずい」
ここでこの国の兵士と交戦すれば本格的に詰んでしまう。クラリスに迷惑どころか、内乱の罪で共に磔刑に処されてしまう。それこそディアナすら危なく、魔力を吸うがどうのという話では無くなってしまう。
迷う。というより決心を付けたくない。だがそんな事言ってられないと、奴隷商は唇を噛み決意する。
「そうなるぐらいなら……か」
奴隷商はナイフの柄に手をかける。目の前にはギョロッとした龍の大きな大きな水銀の眼球が、こちらを向いている。
「すまない」
その眼は龍にしては荒々しさが無い気がした。それは痛みに喉をやられて弱っているだけなのかもしれない。ナイフを持つ力が弱くなりそうだが、それを抑え奴隷商はナイフをその眼球へと掲げる。
だが、それと同時に頭上から聞こえてくるディアナの声。
「あった!!」
奴隷商はナイフを掲げたまま見上げれば、髪を乱し汗をどっとかいたディアナの姿。逆光になっているが、それでもその焦った顔は分かる。
「今行く!」
奴隷商はナイフを仕舞い鱗に手をかけ登ると、ディアナが手を差し出してくるのでそれを握りる。
「兵隊が来てる。急いで」
耳元でそう言われ、奴隷商は龍の首元にある脊髄部分へと乗り上げる。そしてディアナが指を指すのは、龍の頭の方向。
「大体目の上あたり。人間なら額の位置に、逆さで変に柔らかい鱗がある」
それを確かめつつ兵隊はと、奴隷商は崩れた建物の向こうから道路を覗く。するとそこに見える鉄色に輝く騎士の数々。先ほどとは別の旗を掲げ、その数を予想させる。
奴隷商は迷うが、頼むしかないとディアナを見る。
「ディアナ。すま━━」
そう言いかけた時には、ディアナはナイフを構え奴隷商から背を向けていた。
「時間稼ぎしろって事でしょ?私がいなかったらどうするつもりだったワケ?」
ニッと不敵に笑いディアナは言う。煌びやかだったドレスももうズタボロで、煤まみれになってしまっている。だがそれでも綺麗だと言うにはふさわしい姿。
「助かる。お前がいてくれてよかった」
奴隷商は頭を軽く下げ駆け出す。それを見送りディアナも銀色に輝く龍の上で背を伸ばす。
「っと。まぁどうせもう会えないし。もうひと暴れしようかなっ」
そんなディアナを後方にして、奴隷商は唸る龍の頭上へとたどり着く。鱗はすべて銀色に反射し、眩しく踏むだけで熱さが足裏を痛める。
そしてその中に、1つだけ確かに反射も弱く、角ばった様子の無い言ってしまえばふやけたような鱗があった。
「……これか」
熱さを警戒し、指先で触るが思ったより熱くはない。だが、触った瞬間に龍が呻き、喉を鳴らして頭を動かす。一瞬焦るが、それと同時に更に出血し、持ち上げられかけた頭はまた力無く地面へと落ちる。
勿論奴隷商の足元は龍で、1つの動きで地揺れのような感覚になり落ちないようにするだけで精一杯。他の鱗に手をかけバランスを取りながらも、その逆鱗に手をかざす。
「頼むぞ」
これだけの大きさの龍となればとんでもなく時間はかかりそうだが、龍が起き上がるまでに治すしかない。背後から聞こえる戦闘音を聞かないふりをして体内の魔力を循環させる。
そして手元には日暈を作り魔力を吸おうとするのだが。
「……いける」
弱っているのも関係しているかもしれない。だが、微弱でも着実にアリシアの魔力が体内に流れ込んでくる実感がある。
だた、そんな僅かな歓喜とは別に段々と大きくなる龍の息吹。図書館で自己回復するという記載を目にした事があるが、まさか本当にあるのだろうか。
「だがやるしかない」
更に力を込め魔力を吸うべく魔法を増幅させる。冷や汗がどっと掻き、ひたすらに焦りが増していく。だが、その唸り声は小さくなり、どこか寝息のような落ち着いたそれになっている気がした。
そうして魔力を吸う内に鋼鉄のように硬かった鱗は張を無くし、段々と柔らかくなっていく。暴れていた翼も尾も地面へと落ち、その時が来るのかと、賭けに勝ったのかと奴隷商の呼吸は落ち着いてくる。
「あともうひと踏ん張りだからな……」
そうアリシアに呼び掛ける。勿論返事はないが、自身の体の中に溢れる魔力を感じ、何もかも順調に感じてしまう。
だが、背後から聞こえてくる鎧の擦れる音を除けば。
「おい」
その声を無視し奴隷商は手をかざし続ける。ここまで来たら刺されようが焼かれようが、やり切る意思で固まっていた。
それでもその声の主は奴隷商の肩を掴みもう一度。
「おい」
力はそこまで強くない。ならばまだ出来ると奴隷商は更に力を込める。だが、それを許さぬように、その声の主は凄む。
「私を無視するとはいい度胸だな」
その、人の神経を逆なでするような声。焦りから狭まっていた奴隷商の思考も、流石にその声の主に気付く。
「クラリス……公爵令嬢」
振り返れば似合わない鎧を身にまとい、得意げに笑うクラリスが見下ろす。
「龍殺しだと意気込んで来てみれば、どうにもなんとかなりそうだな」
クラリスの後ろには少しばかり気まずそうにするディアナの姿もある。多少戦闘をしたのか、返り血を浴びその翡翠色のドレスを汚していた。
そんな奴隷商の視線を遮る様にクラリスは覗き込んでくる。
「それで皇帝陛下は知らないか。御身を確保しようとしたが、どうにも混乱して居場所が掴めなくてな」
奴隷商は知らないと首を振る。ディアナはまずいと顔を伏せ、それを見て何か知っているのかと奴隷商も勘ぐるが、今はそれどころじゃないとアリシアへと向き直る。
「とりあえず俺は続ける。周囲の護衛頼んで良いか」
するとクラリスは龍の鱗の上でしっかりと立ち、奴隷商の要望を聞く。
「一部を残す。他は皇帝陛下の捜索に回す」
クラリスは配下に目配せをし捜索に行かせる。それらはクラリス直臣もいくつかいるが、そのほとんどは父親が帝都に常駐させていた兵。
そんな事を知るはずもない奴隷商は、やはりクラリスは令嬢なのだとその立ち振る舞いと立場で再発見し、言葉だけでも礼を言う。
「あぁそれで良い。助かる」
だがそんな奴隷商の背をクラリスは不満げな顔をして軽く蹴る。
「敬語を使え。立場を弁えろ」
蹴られ奴隷商は倒れかけてしまう。それでも魔力を吸い続けるが、やはりクラリスは相変わらずだと思ってしまう。
そしてそのクラリスも現状の喫緊さは理解しているらしく、それ以上絡んでこず鱗を足で弾いて、地面へと降りていく。
結果龍の上に残ったのは奴隷商とディアナだけ。帝国兵士やクラリスを警戒しつつ、ディアナは耳打ちしてくる。
「貴族をあまり信用しすぎたらダメだよ」
目の前では、みるみるうちに龍らしい特徴が縮んでいくアリシア。体の大きさも心なしか小さくなっている気がする。
そしてそんな中のディアナの言葉の意図も由来も、奴隷商の知る所。
「……分かってる」
クラリスは他の貴族とは違う。悪い意味でも良い意味でも。だからと言ってそれで信じる訳じゃないが、事実クラリスは俺自身を信じベットしてくれたのだ。ここで梯子を外すような事は、奴隷商だってしたくない。
そして目の前ではあと一息だった。もう少しで人間の姿に戻るのか、足元の鱗が揺れ軋み小さくなっていく。
ディアナはなんとかなると安堵しつつも、奴隷商を守る様に背に立ち、ナイフを片手に辺りを見渡す。そうしてている内にどこからか喧騒と、石畳が割れる激しい音。
「大丈夫か」
そう奴隷商が問いかけるがディアナの声は重い。
「私が知る限り一番まずいのが来た」
奴隷商は焦るが、未だ縮んだとはいえアリシアの姿は龍そのもの。魔力が減り巨体を維持できなくなり尾や翼に角が縮むが、それでも未だ人が乗っても広い背中を保っている。
そしてその空を切る重い音と、鎧ごと真っ二つにする筋の良い音。それが交互に聞こえ、着実に近づいてくる。
「またお前か」
奴隷商は龍の頭の上から見下ろす。すると、真っ赤に染まった斧頭が瓦礫の中から現れる。その鈍い眼光は、奴隷商を捉える。
「また機会がありましたね」
その首元には薔薇の大きな紋々をするクロヴィス。それが奴隷商の元へと襲い掛かるのかと思ったが、その足は一直線に龍の僅かに空いた口元へと向かう。
そしてクロヴィスは、龍の頭上で呆然とする奴隷商を見上げ微笑む。
「じゃあ第二ラウンド開始」
手には見覚えのあるガラス管。その中には真っ赤な血のような液体が入っている。それが龍の口の中へと放り込まれ、ガラスの割れる音がする。
それでクロヴィスはすぐに瓦礫の中へと姿を消し、辺りは一瞬静寂に包まれるが、数拍後。奴隷商は察し声を張る
「ディアナ!!降りろッ!!」
少し遅れて真下から響く地揺れかと思う程の咆哮。柔くなっていたはずの鱗は、バリバリと音を立て、脱皮するかの如く表層は剥がれ、そのまばゆく鋼鉄のような鱗を露わにする。小さくなりつつあった体躯は再び活力を取り戻し、大きさを取り戻す。
そんな中なんとかバランスを保つディアナは奴隷商へと問いかける。
「あんたは!」
龍の頭が持ち上がる。奴隷商は咄嗟に鱗に手をかけ、落ちないよう体勢を保つ。
「なんとかするしかない!!」
そう返事をしたものの、龍の体が急に起き上がった事で、ディアナは地面へと落ちて行ってしまい姿は見えない。
細い糸を手繰って成功させた作戦もこれで無駄になってしまった。最悪の最悪であったアリシアを殺すという策も、これでは達成できるかも怪しい。
「1人の命の為数万の命を……」
自身の無能さを恨みそうになる。最後まで粘って周囲を巻き込んだ挙句、最悪な結果を引き出してしまった。
「━━ッ」
だが、そんな後悔すら許さないのか、龍の長い首は奴隷商を乗せたまま天へと上り、気道を揺らし雄たけびを上げる。その姿は雄大で、銀色の鱗が日光に輝き、羽ばたいた翼は暴風を引き起こす。それでも奴隷商は張り付き、魔力を吸おうとするのだが。
「これじゃあ何時間あっても……!」
手元から感じるあまりに莫大な魔力。あの薬だけでここまで湧き出してしまうというのか。そう戸惑うが、何も作戦も浮かばない。それどころかすぐ眼下にある、巨大な眼球はぎょろっと、頭上にある違和感を探すように動く。
「まずい━━ッ」
龍の首は鞭のようにしなり振り回す。胃の中がぐちゃぐちゃになり平衡感覚はどこかへ行く。それでも奴隷商はしがみつき離れないようにするのだが、奴隷商の背中側に見える建物の窓。
咄嗟に舌を噛まぬよう歯を食いしばる。そしてすぐ後に奴隷商の背中に走る衝撃と激しい痛み。そして龍の頭がぶつかれば当然建物は倒壊し、バラバラと瓦礫が舞い、土埃を立てる。
「……ッこれは」
吐血してしまう。また肺周りの骨が折れてしまったかもしれない。だが、それで休憩があるはずも無く、龍は再び首を起こして異物を払おうと首を振る。
そしてその足元でもクラリスが指揮をする兵士が挑むが、どれも尾に払われ、巨大な爪に引き裂かれ、虫けら同然に踏み潰される。そんな中指揮官であるクラリスも例外では無く、そのたまたま龍が踏もうとした地面に立っていた。
「一旦引けッ!!負傷者は諦めろ!!」
それでも指示を飛ばし、預かった兵を生かそうとする。そして龍へと向き直れば、すぐそこまで迫る漆黒の爪。
死を覚悟したわけではないが、避けれないと握り慣れない剣を強く掴む。
「ッチ、こんな所で……」
だが、そこで駆ける軽い足音と、その栗色の髪。それは遅いくる爪から間一髪でクラリスの体を掴み、走り抜ける。
その腕の中、咄嗟の事にクラリスは動揺するのだが、ディアナは不服と言った表情で。
「あんたに死なれたらあいつが困るんだよッ」
そうしてディアナは道路脇の瓦礫の山へと、クラリスを放り投げ、すぐに背を向ける。それで投げられ背中を痛めたクラリスは目じりを上げる。
「もっと丁寧に━━」
言いかけるが、ディアナはキッと睨んでくる。
「助かっただけマシに思え!この泥棒猫が!!!」
そう意味の分からない事を言って再び龍へと向かっていくディアナ。
「何を言って……」
そうクラリスは背中の痛みを気にしつつも瓦礫の向こうの、銀翼の龍を見上げる。
「これは……詰みなのか」
クラリスの配下の兵は散り散り。プレヴァルの敗残兵と王城の兵をかき集めたが、それで負けるとなるとこの帝都に龍に対抗できるだけの戦力は無い。
そしてそのクラリスの見上げる龍の頭上。そこには未だ黒い外套が張り付き離れようとしない。
「頼む……なんとか……」
そうクラリスが願う中、奴隷商の出血はとうに意識が遠のくほど進み、体全身が酷く痛み指先一つ動かすだけで気を失いそうになる。だが、それでも張り付き、魔力を吸っているのだが、その龍は頭上の異物を振り払おうと首を振る。
そして眼下に迫るその石畳。龍は奴隷商の張り付く脳天ごと地面に叩きつけようとしている。流石にこれを食らえば、一瞬で死に至る事は想像に容易い。
だが、避けようにもこの体勢と体の損傷では無理だった。
「……悪い。2人とも」
視界端にいるクラリスとディアナ。ここまで巻き込んで失敗し、挙句先に死ぬ。その申しわけなさと、何も贖罪出来ないまま死ぬ後悔。
それが溢れ迫る石畳を見る。あとは死を待つだけ、そんな時間だった。
だが、ふと路地裏から駆け出すその麦色の髪。それは見覚えのある、煤まみれになったベージュのドレス。その手には太陽の日のような黄色の花束が握られている。
そして小さな口から届けるように精一杯声を張る。
「アリシアッ!!!」
自殺行為だ。そう奴隷商が止めようとするが、その瞳は水滴で満たされ一歩も引かないと両手を広げ掲げていた。
「……バカが」
奴隷商は鱗から手を離し、もう少しやる事があるかと、痛みに耐えるよう歯を食いしばるのだった。




