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奴隷商の男  作者: ねこのけ
第二章
33/48

第33話 逆鱗


 奴隷商は考えていた。

 クラリスに大言壮語したからにはやり切らねばならぬと。だが、どうにも方法は思いついても、それに至るまでの過程が上手くまとまらない。


「……今は警備が手厚くて無理。もう少し待つしかないか」


 塔を出た頃にはアリシアは既に運ばれた後だった。それで少し先には、裏道を通り馬車に運ばれるアリシアを捉えていた。周囲には騎兵が4騎に客車内にも兵士はいる。


 それを見失わぬよう雑踏を掻き分け走るが、この民衆の中ではどうやっても追い切る事が出来ない。そしてこれだけの人間がいれば、奴隷商の顔を知っている者もチラホラと。


「あっ!あれ龍人様を奴隷にしたって奴じゃね!?」


 その誰かの声に群衆のいくつもの眼球が奴隷商へと集まる。そこで一瞬足を止めてしまった奴隷商へと、詰めかける人々。


「なぁいつ頃龍人様は見られるんだ!?」

「皇帝に献上するって話本当か!?」

「えっ他国に売るって話じゃないの!?」

「龍人様にひどい事してねーだろなァ!?」


 それぞれがバラバラに重ねるように問いかけてくる。それに足を止められている内にも馬車は角を曲がり、見えなくなってしまった。


「……ッチ、どうするか」


 辺りを見回すが騒ぎが騒ぎを呼ぶ。凱旋パレードが始まる前で暇なのだろうが、それでも扇動されているのではと思う程の集まり方だった。そしてこれだけ人間がいれば危険のも混じるのは当たり前で。


「あいつが龍人様を嬲ったクソ野郎だ!!やっちまえ!!!」


 一部の人間。だがそれが数人になれば、面倒な事に何本かの木の角材が人混みから起き上がる。それを見てまずいと思う奴隷商だが、周囲の人間もその暴徒に呆気にとられ身動きが取れない。


「暴力沙汰は不味いが……」


 相手をしている時間はない。それこそ今手遅れになってしまっているかもしれないのにだ。そして段々と近づいてくる角材に、奴隷商は胸の内のナイフを手に取るのだが。


 そんな時奴隷商の手が、冷たいそれに握られる。


「こっち!」


 その手に引かれるがままに群衆を押しのけ、奴隷商は路地裏へと引き込まれる。そしてその勢いのまま走り続けるが、その後ろ姿は見覚えのある栗色のハーフアップだった。


「ディアナ!なんでこんな所にいる!!!コンラート達は!!!」


 後ろから追いかけて来る怒声を背に、奴隷商は声を張る。だが、その栗色の髪は振り返る事をせず、カツカツと走りづらそうな靴で足音を立てる。


「助けてやったんだから文句言うな!!ほら飛ぶよ!!」


 そうディアナは軽い足取りで、路肩の箱に足を乗せ、更に跳ねるように庇や窓の僅かな足場を使い、赤茶の屋根へと駆けあがる。それはドレスな事も相まって、演劇のそれのようだったが、見とれる暇も無く、奴隷商も続く。


「誰もがそんな曲芸出来ると思うなよッ」


 何度か地面へと転げそうになりながらも、最後はディアナに手を引かれ屋根の上へとたどり着く。そこはいくつも重なる赤茶の屋根で、遠くにある城壁の上を歩く衛兵の姿すら見える程、景色の良い場所。それを視界に入れながらも、ディアナは囁く。


「で、なんかあったんでしょ。どうすんの」


 風が強く吹きぬけ、ディアナの髪が靡く。奴隷商は下から聞こえる怒声を耳にしながらも、屋根を少しづつ昇る。


「なんとかするしかない。無理やりにでもアリシアを攫って連れ出す」


 屋根の頂点部分から馬車を探すが、流石に裏路地を使われては見つける事が出来ない。もう今ごろは見物用の馬車に移し替えられている可能性だってある。


 そんな奴隷商の隣にディアナも登って来てジッと顔を見て来る。その顔は至って真面目で、強く警告するような言葉だった。


「死ぬよ」


 奴隷商もそれは分かっていた。これだけの護衛に兵士。帝都となれば時間経過で万の兵士が出て来る。そんな中でアリシアをどうにかしようなど、自殺志願者でももっと方法を選ぶレベル。だが、何もしなくてもアリシアが龍化し磔刑の未来が待っている。


 それならばと、クラリスの前でそう決意していたのだ。


「どっちにしても死ぬんでな。やるなら後悔をしない方だ」


 だがそれでもディアナは止めたいのか、奴隷商の手を握ってくる。


「でもあんたの心配事は何も起きないかもしれない」


 取り越し苦労になる可能性。それこそプレヴァル侯爵が本当になにもせず、奴隷商らの暴発を狙っている可能性。それもあるが、奴隷商からしたらどちらでも良い事。


「それなら俺が死ぬだけだ」


 結局責任を取るのは自分。誰も苦しませず何もないならそれでいい。何かあった時に後悔したくないという、奴隷商の利己的な行動だった。


 それで言う事は言ったと、奴隷商は走るべく体を起こそうとする。だがディアナの握るその手は思ったより強く振りほどけない。


「あんたが死んで残った奴隷はどうすんの」


 奴隷商の心臓を掴むようなその瞳。そしてその言葉に言い返す事が出来ず、奴隷商は言葉に詰まってしまう。だが聞こえてくる軍靴に焦り、言葉をひねり出す。


「……だとしても方法はこれしかない」


 すると目尻を上げディアナはグッと手を引っ張り、奴隷商と顔を近づける。その顔には怒りの色をありありと写し、普段の飄々としたのは消え荒々しく言葉をぶつけて来る。


「あんたの自分に酔った自己犠牲を辞めなって言ってんの。あんたは死んで終わりでも、周りはその後があるの分かってる?」


 至近距離で見つめる琥珀の瞳は酷く揺れていた。だがそれでも奴隷商を離さないと、目を合わせ続ける。


 どこかその瞳に奴隷商の焦りが吸われていくような気がした。


 そして数秒後。奴隷商は息を整え空を見上げると、いつかもこんな事があったと思い出す。


「……敵わないな。お前には」


 脚に込めていた力を抜き、奴隷商はその場に座る。だが現状はどうにも好転していないと、思考を巡らすが、そんな奴隷商を見て安堵したようにディアナは。


「あんたと何年一緒にいると思ってんの。人の命がかかると途端に視野が狭くなる所」


 そしてディアナは屋根から城門をくぐり始める、凱旋パレードを見て呟く。


「魔力活性剤は急激に魔力を増幅させる。遅効性だったら戦闘に訳立たないからね」

 

 奴隷商もディアナの隣から、屋根の傾斜に体を隠すように凱旋のパレードを見る。未だ皇帝の旗は見えず、時間的猶予はまだあるらしい。


 そして奴隷商にとって初耳だった、その魔力活性剤の効能について、新たな発想を与える。


「ならアリシアに打つなら直前か」


 するとディアナは満足げに頷く。


「そう。だから止めるなら凱旋パレードが始まってからでも遅くはないってこと」


 確かにパレード中なら警護も薄く伸び、相手にするのは多くて10人程で済む。時間を掛ければ集まってくるが、アリシアに活性剤を打つ人間を止めるだけなら出来ると、そうディアナは言いたいのだろう。


 ただ、懸念点があるとすれば。


「プレヴァル侯爵が関与している。アリシアの傍にいる警護兵が打つのは防ぎようが無いだろ」


 そう奴隷商が言うと、ディアナはドレスのどこに隠していたのかまさぐり、その細長いガラス管を取り出す。中身は水色の明らか飲料用のそれではない。


「魔力不活性剤。健康面からして危険性があるけど、もしもの時はこれ使って」


 奴隷商はそのガラス管を受け取る。そしてディアナは続けるように、微笑む。


「でもそもそも打たせないのが本命。飲ませるとなると時間がかかるから、そこに隙があるはず」


 そう自信気に語るディアナ。ここで奴隷商の中に、1つの疑念が湧いて出てしまう。それを口に出さずとも、不活性剤の冷たさを手に感じ思考する。


(準備が良すぎる。まるでこうなることを分かっていたように)


 その目的は分からない。事実今は奴隷商の為に動いてくれているはず。だがどうにもこの違和感は、奴隷商の中に不安を残してしまう。


 だが、時間はそう残されていないらしく、遠巻きに見える城門には皇帝の旗が上がっている。


「ディアナはコンラート達を守ってくれないか。あいつ勝手に他の奴隷達を連れてきたからな」


 コンラートは隠し事が苦手な性質だ。それこそ視線が泳ぎまくっていて、誰かを探しているのは分かりやすかった。そして去り際に少し民衆を見れば、見覚えのある顔があった。


 それになりよりこの事にディアナを巻き込みたくなかった。疑おうが10年来の友人なのだから当たり前。それにこれは自身の我儘でやっている事なのもあった。


 そしてその意図はあっさり伝わってしまっていたのか。


「そんなに私が大事なんだ?」


 奴隷商はディアナの顔を見る事が出来ず視線を逸らし淡々と答える。


「あぁ大事だから戦場から離れてくれ」


 すると少し機嫌が良くなったようにディアナは鼻歌混じりに、その凱旋パレードが進むのを見る。


「へぇそう。なら良いけど」


 いつもいつも調子が分からないというか底の見えないのがディアナ。雰囲気の振れ幅が多くて、どの顔が素なのかも分からない。それは10年と少し過ごして来た奴隷商でも掴み切れていない。


 そして頬杖を付きリラックスしていたように見えていたが、ディアナは風に髪を揺らし意志の強く固い声で言う。


「無理そうだったら引きずってでもアンタを逃がすから」


 いつの日かも同じような事を言われたのを思い出す。

 

 何を裏でしていようがいつもこの調子は変わらないなと奴隷商も笑みが漏れてしまう。


「あぁ、その時は頼む」


 そうして時間が経てば、皇帝の旗は近づいてき、その後ろにはアリシアのいるであろう見物馬車が見える。そこで奴隷商はディアナに一言残す。


「じゃあまた」


 するとディアナもナイフを手に頷く。


「またね」


 奴隷商は赤茶の屋根を駆ける。カラカラと踏み飛ばし、欠片を散らしていく。そして案外すぐにアリシアの姿を捉えるが、屋根のない上等な馬車に座らされているようだった。綺麗に銀色に着飾り、そこだけ見れば奴隷では無く一国の姫。だがその顔は晴れない。


(隣に座ってるのは……)


 クリスだった。アリシアとは違ったくすんだ銀色の髪だが、正装で護衛の為か帯刀をしている。そして奴隷商からすれば、誰がアリシアを龍化させるのかと言えば明白で。


「どこまでも俺の邪魔がしたいらしいな。クリス」


 怒りが湧き出るが今はまだだと抑える。現行犯の所を抑えないともし別に刺客がいた時に対応できなくなってしまう


 そう奴隷商は胸の中の杖を握り、ナイフと不活性剤の位置を確かめる。その間もアリシアは怯えながらも、周囲をキョロキョロとしている。だがクリスが何かを話しかけ、少しだけ会話が2人に弾む。


「……」


 ただただ不機嫌になる奴隷商。これから自分がする事を分かっているのかと問い詰めたくなる。それをグッと抑えその決定的な瞬間を見逃さぬよう待つ。


 魔法で石塊を作り出し三角錐に成形をする。直感でそろそろだと感じたからだ。


 そしてそれは当たったらしく、クリスは胸元からキラリと輝くガラス管を取り出す。それを見てどこか悲しくなってしまう奴隷商。


「……お前を殺す事になるのか」


 それでも迷いなく石塊へと魔力を込め、クリスのレンズ目掛けて飛ばそうとする。だが、急に背後に現れたと思う程、真後ろから聞こえる屋根を踏む足音。


「ぬかりのない男だ」


 その言葉に振り返る事すら出来ず、奴隷商は直感を頼りに体を捻る。すると先ほどまで体重を預けていた赤茶の屋根は大斧にひしゃけぐちゃぐちゃになる。


「━━プレヴァルの所のか」


 態勢をを立て直し振り返れば、先ほどプレヴァルの隣にいた老人が立つ。首元の薔薇の紋々を隠そうともせず、軽装ならがらも身長と同じほどの斧を肩に抱える。


 そしてその皺の多い顔は無表情のまま、大斧を振り上げる。


「大義の為に死んでもらいます」


 だがそれと同時に背後で聞こえる咆哮と沢山の皿の割れるような音。そして少し遅れてやってくる熱波。奴隷商はまさかと視線を後ろにやってしまう。


「アリシアッ!!」


 が、そう動揺したのは奴隷商だけ。その頭上に迫る斧の切先は迷うことなく振り下ろされそうになっていた。奴隷商は避けるのは不可能だと、クリスへと向けようとしていた石魔法をその斧へと当て弾かせる。


「全部計画通りってかッ」


 奴隷商は距離を置くように飛びのく。そして斧を弾かれ怯むかと思えば、少し斧を逸らすだけでまた振り下ろそうとしてくる。明らかにやばい相手だと、奴隷商は逃げようと、屋根を駆け路地裏へと自由落下をする。その内に魔力を練り石魔法を用意して、出来るだけ手数を増やす。それで地面へと降り、走り出そうとするのだが。


 距離を取れていたと思っていた予想と違い、目の前を掠る斧の鈍い銀色の輝き。


「ッぶね」


 そんな愚痴を零すが避けるのに精いっぱいで、外套の一部が破けてしまったのに気づかない。そしてその斧の振り下ろされた石畳は、半分に綺麗に割れ白い土埃を上げる。


 そしてその土煙から現れる、その白髪と金髪の混じった老人。


「逃げてばかりでは勝てませんよ」


 この老人。クロヴィスだったか。斧を構えまるでやって来いと言わんばかりに、挑発をしてくる。だが、それよりも奴隷商には、クロヴィスの向こうで暴れる龍となったアリシアに視界が行ってしまっていた。


「なんであんなでかく……」


 理解が及ばずその大きさに奴隷商は後ずさりしてしまう。だがその隙を見逃すクロヴィスでも無くため息と共に駆けだす。


「クレートの奴があれだけ言うには……残念でしかない」


 クロヴィスの頭上では龍の尾が建物を倒し、瓦礫が周囲へと落ち砕けていく。そんな舞う破片に土煙を意にも返さず避けようともせず、一直線にその鈍い眼光で奴隷商を殺そうと向かってくる。


 だが、奴隷商もただ何もボーっとしていたわけじゃない。駆けて来るクロヴィスから距離を取りつつ、魔力を込める。


 それを見てクロヴィスは一瞬首を傾げるが。


「……?っとそういうことか」


 クロヴィスの周囲からは手のひらサイズの石片が囲むように飛んできていた。それは奴隷商が落下した時に、石魔法で用意した石塊で、落ちて来る瓦礫に紛れ当たればひとたまりもないはずなのだが。


「構わん」


 そう足を止めることなく迫ってくる。いくつもの石塊が当たるが、形を成形していないせいで刺さる事はない。無いにしても骨折ぐらいするほどの威力なはずなのに。


「鋼の体かよ……!」


 いくつもの石塊が当たっても重心はブレず、その斧は奴隷商の眼前で振り上げられる。奴隷商は咄嗟にナイフを取り出すが。


「それで受け止めれるとでも?」


 日光に鈍く反射し轟音とでも言えば良いのか、震えるような空を切る音が響く。だが、それでも奴隷商は腰を低くしナイフを構える。


「思ってる訳ないだろ」


 右手だけナイフを持ち、その刀身を左手で支える。そしてその振り下ろされる大斧の刀身と火花を一瞬散らすが、すぐに左手の力を抜き、体を捻りそのクロヴィスの体重を受け流す。そしてその斧に引っ張られるようにクロヴィスは前のめりになる。


 その隙をナイフを持ち直した奴隷商が背後を取る。


「決まりだ」


 だが、瞬きをした瞬間。眼前には真っ黒な靴裏があった。それを認識した瞬間には、奴隷商の頭は蹴り飛ばされ空気が漏れ出るような叫び声しか上げれない。


「━━ックァ゛」


 この時クロヴィスは、前のめりに倒れた勢いのまま、足を地面から離し奴隷商の顎へとケリを入れる。そして地面に刺さった斧の柄を握ったまま、曲芸のように斧頭を中心に半円を描いて空を回ると地面へとすとんと立つ。


「入りましたかね。これは」


 そうクロヴィスが見るのは、顎を抑えフラフラとそこに立つ奴隷商。だがその手には魔力が集まり、流れていた血が止まる。その事に更にクロヴィスは関心を寄せる。


「器用貧乏と言うには多芸ですね」


 奴隷商は口元の血を拭いナイフを構える。戦闘開始時点とは立ち位置は逆になってしまい、背後から龍の暴れる音が聞こえている。


「……そちらも老人にしては動きますね」


 奴隷商は思考を必死に回す。このままでは倒せたとしてもこちらの体もかなりダメージを食らってしまう。その状態でアリシアに魔力不活性剤を飲ませるとなるのは、かなりの難易度。


 だが、それでもやるしかないと、奴隷商はナイフを構え直し腰を落とす。


「世代交代だ」

 

 手のひらに隠すように石魔法で石塊を作る。それを三角錐に成形し一歩前へと踏み込む。それを見てクロヴィスも斧を構え、静かに呟く。


「老兵は未だ消えず」


 奴隷商が低姿勢で駆け、クロヴィスの間合いに入る。それと同時に予備動作無しにクロヴィスの斧は一直線に首元へと伸びていく。


 そこで奴隷商は手に持っていたナイフを、クロヴィスの首元目掛け投げ飛ばす。


「また小細工」


 クロヴィスは少し首を動かすだけでナイフを避ける。そして次に来るであろう、空いた腹を貫くべく飛んでくる石魔法を警戒する。クレートからの報告であったような囮戦法だと、斧をそれより早く振り下ろそうとする。


「君は部下に欲しかったよ」


 奴隷商の頭上へと、自身の握った斧の斧頭が迫る。この人生で何度も見てきた景色。久々にここまで粘られたと、賞賛を贈りたい。


「ただ老兵1人殺せないとだな」

 

 そう言いつつも、クロヴィスの中に何か違和感があったのも事実。それは警戒し続けていた腹への石魔法。


 それが奴隷商の手のひらから現れるのだが、その方向は。


「━━まずいッ」


 そう気づいた時にはその石塊は奴隷商の耳元を抜け空へと突き上がる。


 そしてクロヴィスはそれを目で追う。斧を振り下ろす速度よりも何倍も速いそれ。その目的地は目でたどれば、斧の木製部分だった。咄嗟に避けようと手首を捻るが、間に合わず斧頭を支えるそこはバラバラに砕かれ、勢いは一気に減速してしまう。


「やりおったな」


 木片が辺りに舞う中、奴隷商は上手く行ったと冷汗を隠す。そして斧頭が落ちてくる前にと、そのままクロヴィスの腹へと飛び込む地面へと押し込める。


 そして息を切らしながらクロヴィスに馬乗りになると、杖をその喉へと向ける。


「俺の勝ちだ」


 下手に猶予は与えないと、奴隷商はすぐに石魔法を用意する。だが、そこまでしてもこの老人は笑い、唇を尖らせる。


「こいつ━━ッ」


 何かと思う隙すらなかった。その口からはプシュッと空の切る音と共に、小さな矢じりが飛んできて奴隷商の頬を掠る。致命傷ではないが、それで体勢が崩れ、クロヴィスは馬乗りになる奴隷商を押し返す。


「で、これは壊しておかないとね」


 状況把握でいっぱいいっぱいな奴隷商を置いて、クロヴィスは間合いに入って来て、奴隷商の胸元にあるその不活性剤を掴み取り潰してしまう。咄嗟に奴隷商は押し返し距離を取るのだが。


 服の中が濡れる感覚に頬を伝う血の熱さ。奴隷商はなんとか立ち杖を構えるのだが、すでにクロヴィスは背を向け走り出してしまっていた。


「また機会があれば」


 その声だけが路地裏に響いて消える。だが酷く奴隷商は焦っていた。


「これは……どうすれば」


 アリシアは龍化してしまった。不活性剤は潰されてしまった。何もかもダメに感じてしまうが、背後には未だ暴れ咆哮する龍がいる。


「ただ。止まってる時間は無い」


 走りながら考えるしかない。それこそ今止まっている内に選択肢が少なくなってしまっているのだと。そう奴隷商は頬を伝う血を手で拭いナイフを拾い、周囲の様子を伺うべく再び屋根へと登る。だが、そこから見える景色は。


「……アリシアの意識が沈んでればいいが」


 道沿いの建物は殆どが崩れ、灰色だったはずの道路には血しぶきが染められてしまっている。そして戦っていたのであろう、騎士たちの剣と鎧が、主を無くして転がる。


 そう見渡す中、龍がある路地裏へと顔を埋めだす。何事かと思うが、龍の頭によって崩れた建物の隙間から見えるのは、コンラートとディアナの姿。思いついた途方もない計画を思考の隅に、奴隷商は動き出す。


「やるしかない」


 奴隷商は駆け出す。ここから地面に降りて向かうには間に合わない。ならばと、魔力消費と筋肉の損傷を覚悟で、脚全体に強化魔法をかける。


 そして屈んで足元の建物を大きく蹴る。それは蹴った威力だけで建物は崩れ、奴隷商の体は道路の向こう側にある建物へと、弧を描いて着地をするのだが。


「ッチ、痛ってぇ」


 脚が酷く痛む。明らかにやりすぎな跳躍だった。治癒魔法をするにも時間が無く、奴隷商はそのまま走り、龍の頭上へと飛び上がる。すると聞こえてくるディアナの声に、強がって答える。


「助けに来るには丁度いい時間だろ」


 そう奴隷商はナイフを構え、龍の首元へと飛び掛かる。すると当たり前に龍は、奴隷商を振り払おうと暴れ出す。それでも奴隷商は離れずそれを探すが、とうとう振り払われてしまい、ディアナ達のいる路地裏へと叩きつけられてしまう。


「━━ッ」


 血反吐を吐く。肺の空気が一気に押し出される。頭は大丈夫だが、地面へと叩きつけられ、何本か骨は折れたかもしれない。そんな奴隷商へとすぐに駆け寄るディアナ。


「すぐ治癒魔法かけるから!!」


 焦ったように取り乱すディアナ。それをどこか他人事に眺め視界を回せば、左の視界にはコンラートら他の奴隷達がいる。どうやら逃げていないらしく、こちらを怯えた眼で見ている。だが、奴隷商は痛む肺を抑え叫ぶ。


「逃げろッ!!」


 魔力は込めていない。込める余裕も無かった。だが、その怒声にコンラート達は角の奥へと消えていく。そしてこんな状況で、龍が見逃す訳も無く、その足は建物を崩しこちらへと近づいてくる。


 そこで奴隷商は起き上がり、治癒魔法を続けようとするディアナを制止する。


「大丈夫だ。まずい所は治った」


 それでも心配そうにするディアナだが、状況を察したのか頷きナイフを抜く。そしてディアナの視線は奴隷商の胸元へと行き。


「不活性剤は」


「無い」


 奴隷商の即答にディアナは目を丸くする。だが、ことの経緯を説明する余裕はないと、奴隷商もナイフを構えて言う。


「作戦がある。賭けも賭けでしかないが」


 するとディアナは内容すら聞かずに、動揺を隠して問いかけて来る。その顔には迷いと言う感情は全く見えない。


「じゃあ私は何をすれば」


 賭けだと言ったのに安易に乗ってくれるディアナに感謝しつつも、奴隷商は無理難題を言う。


「俺はアリシアから魔力を吸う。そのサポートを頼みたい」


 まさかとディアナは奴隷商の顔色を伺うのだが、その顔が大真面目な事に理解が追い付かない。


「龍の鱗は魔力を通さないんだよ?だから誰も討伐出来た試しがないって」


 その事は奴隷商も知っている。それこそクラリスと本の虫になっていた時に、龍を討伐しようとして失敗してきた先人の記録を呼んだ経験がある。だが、奴隷商が賭けだと言ったのは、この世界に無い知識を元にしていたからだ。


「龍に逆鱗って言う逆さになった鱗がある。俺の知ってる伝承ならそこが弱点らしい」


 そんな話をされたとしてディアナは眉を曲げるばかり。


「聞いたことないけど……」


 奴隷商も眉唾だと思っているし、そんな訳ないと思っている。だが本当にあれば弱点である逆鱗に魔力が通る可能性もあり、魔力をアリシアから吸引できるかもしれない。


 結局これぐらいしか思いつかなかった。体もボロボロな奴隷商にはこれぐらいしか思いつかなかった。もっといい作戦があるだろうと思いながらも、これしか自分の頭では出なかった。

 

 だから縋る様に奴隷商はディアナを見る。


「頼む」


 するとディアナは一瞬肩を跳ねさせつつも、栗色の髪を揺らし乾いた笑いをする。


「仮定に仮定を重ねて希望的な作戦」


 そう言葉で言うディアナだが、その顔は楽しそうにナイフを手で弄ぶ。そしてそのナイフを奴隷商へと向け、子供らしく笑う。


「でも、私はあんたと死ぬならそれでいい」


 あまりに物騒な言葉。思わず奴隷商も笑ってしまうが、迫ってくる龍を視界に捉え、痛む足腰に力を込める。


「悪いが死ぬ気は無い。誰かさんにそう言われたんでな」


 龍が見下ろしてくる。数メートルもすればその口と牙がある。生臭い吐息が辺りの空気を吹き飛ばすが、それでもディアナは答える。


「今度飯奢って貰うから」


 そうして2人は笑みを浮かべながらも、ちっぽけなナイフを手に龍へと、アリシアへと駆けだすのだった。

本当に申し訳ないです。間に合いそうなら16時に投稿しますが、厳しそうなので23時投稿になりそうです。

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