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奴隷商の男  作者: ねこのけ
第二章
31/52

第31話 信念と窮地


 赤茶の屋根とそれを遠巻きに囲む城壁。その中を一本広く長く突き抜け、湖上に浮かぶ王城へと延びる石畳の街道。


 今日は良く晴れ、空には陰りの無い青色が見渡す限り広がっている。この所の寒さもどこかへいき、辺りには今日という日を祝うように花吹雪が舞い、体の芯に響くような重低でアップテンポな演奏が街道を抜ける。


 そして王城へと続く橋手前に仮設されている席に奴隷商らは座っていた。周囲を見ても官吏や下級貴族ばかりで、お偉いさんは王城か建物から眺めているのだろう。


 奴隷商の視線は道路脇に集まる大勢の見物客へと向いた。

 

「まるで祭りだな」


 すると隣に座っていたコンラートが腕を組み頷く。その姿は奴隷商が借りてきた正装に身を包み、久々に騎士らしい姿になっていた。


「ロルフ君たちも連れてきてやりたかった」


 この場にいる奴隷はコンラートにラウラだけ。全員連れ来ても良いとは言われたが、目立つうえ相応の衣装を用意出来る金銭的余裕があるはずもない。


 そしてなぜ奴隷商がラウラを連れてきたかと言えば明白だった。


「案外近い席で良かったな。区切りは付けれそうか?」


 ラウラの目元にはクマがあり、この陽気な天気に似合わず顔は暗い。その表情を見られないよう、麦色の前髪に目を隠してしまう。


「……」


 その服はこの場に似合うようなフォーマルな物で、ベージュのドレス。本人としては歩きづらいらしく、着替えからここに来るまで苦戦しているようだった。


 すると、そんな奴隷商達に歩み寄る、見覚えのある紺色のドレスを身にまとうクラリス。奴隷商はその姿を見ると、すぐに立ち上がり頭を下げる。


「ラウラの衣服の件。助かりました」


 ラウラの衣服に関してはクラリスが手配をしてくれた。正直コンラートと自分の正装代だけでも苦しかったので助かる。


 クラリスはどのあたりの事は気にしていないらしく、そのヒールを鳴らし腰に手をやる。


「なんてことない。それよりも龍人の様子はどうだった」


 その言葉に俯くラウラの肩が跳ねる。それを一瞥しつつ、奴隷商は声を落としクラリスに耳打ちをする。


「龍化のスパンが短くなっています。出来るだけ早く切り上げさせた方が良いかと」


 奴隷商の言葉にクラリスが眉を上げる。


「半日は確実に凱旋関係で拘束されるぞ。大丈夫なのか?」


 その言葉に奴隷商は首を横に振る。昨日段階で半日で龍化したとなれば、今日大丈夫な保証は全くないからだ。


 そしてクラリスは渋い顔をしつつもため息を零す。


「もう一度プレヴァルの奴に交渉してくる」


 そう言ってヒールのカツカツと激しい足音が遠のいていく。そんな会話を不思議そうに見ていたコンラートは問いかける。


「アリシアちゃんってやっぱ……」


 龍化の件は言っていない。だが、同じ屋根の下で生活をしていたのなら、口に出さなくとも感づいていた所もあるのだろう。それこそコンラートのような知識のある騎士階級となれば尚更。


「お前が気にしても仕方ない。何かあったらラウラを頼むぞ」


 奴隷商はコンラートの緑眼を見る。コンラートも久々の正装に居心地を悪そうにして椅子に座っている。だが、その眼は疑念の色が混じり前屈みになる。


「……何かあるのか?」


 奴隷商は一瞬どう答えようか迷うが、コンラートの隣に座りつつも嫌に眩しい日光に目を細める。


「かもな」


 ラウラは依然と沈黙したまま何も言わない。昨晩目の前で龍化をされた記憶が色濃く、解決は難しいのだろう。奴隷商にとってはどちらでも良いが、奴隷達のまとめ役であるラウラがいつまでもこんな様子では困る。


「お前はちゃんと見ておけよ」


 隣に座るラウラへと奴隷商は言う。その結ばず伸ばした麦色の髪は、穏やかな風に揺られ、唇は強く結ばれてしまっていた。


「……」


 そんな様子を見て奴隷商は諦める。あまり奴隷と話していると、周囲から変な目で見られかねないからだ。


 そうしてしばらくの間奴隷商らは席に座り、凱旋パレードが始まるのを待つ。コンラートが偶に話しかけて来るだけで、暇な時間。


 すると見覚えのある人がまた一人。やってくる。


「よっ。大丈夫そう?」


 なぜか正装をしているディアナが現れる。髪もハーフアップにし恰好を決めているが、どうにも不思議に感じる。


「貴族に嫁入りでもしたか?」


 するとディアナの眼は細くなり、相変わらずの力で奴隷商の脛を蹴る。


「普通に招待客だっての。私にその辺の貴族じゃ見合わないっての」


 奴隷商は脛を抑えつつも、そんな見た目と違い、いつもと同じ調子のディアナを見る。


「なにかあるかもしれん。その時は頼む」


 すると何か察したようにディアナは城門の方を一瞥し、分かりやすく肩を落とす。そんなディアナは呆れた様に奴隷商を見下ろす。


「何か……ねぇ」


 ここにはコンラート以外も他の見物客もいる。詳しい事を言える訳も無いので、こんな言い方しか出来ない。


 だがそれでもディアナは、奴隷商の頭を軽く叩き、子供っぽく笑う。


「うん。いいよ。あんたが説明不足なのはいつも通りだしね」


 こんな少ない情報でも信じてくれるのはありがたい。そう奴隷商もこいつがここにいてくれてよかったと頷き返す。


「助かる」


 そんな中、何とも言えない表情をしたクラリスが奴隷商の元にやってくる。どうやらあの様子では上手くいった訳でもないらしい。そう思う奴隷商へと、クラリスは一直線に向かってき、ディアナを不審そうにしながらも見下ろしてくる。


「プレヴァル内務卿閣下がお呼びだ。一緒に来い」


 クラリスの後ろにはクリスがいる。それを一瞥し奴隷商はクラリスと目配せをするが、どうにも面倒事がやってきたらしい。それはクラリスの様子で分かるが、その彼女の視線は奴隷商と会話をしていたディアナへと向いていた。


「誰だ。こいつは」


 奴隷商が立って紹介をしようとするが、ディアナはそれを手で押さえる。


「一介の冒険者ですよ。ただこの男と昔馴染みってだけでね」


 ディアナがそう言って得意げにウインクをしてくるのだが、どう反応すればいいか分からない。

 せめて名乗りぐらいすべきではと思ったが、時すでに遅しというらしく、クラリスはジッと奴隷商を睨んでくる。その声は分かりやすく不機嫌だった。


「私が必死に交渉している時に良いご身分だな」


 ディアナがクリスへと視線をやっているのに気づきつつも、奴隷商はゆっくりと立ち上がる。


「そういう訳では……それで何かあったんですよね?」


 するとクラリスは「あぁ」とやっと本題を思い出したかのように、自身の後ろにいるクリス見る。


「私も何かは知らされてない。だがお前に用があるようだからな」


 どうにも嫌な予感がしてならない。だが拒否権が奴隷商にあるはずも無いので、隣に座っていたコンラートへと振り返る。


「俺は席を離すが勝手に動くなよ」


「……おう」


 コンラートは知らない人間ばかりで居心地が悪かったらしい。珍しく大人しかった。奴隷商は一応の安心をしつつ、クラリスに頷きかける。


 そしてそのクラリスは踵を返し、ヒールの足音を鳴らす。


「ではいくぞ」


 奴隷商とクリスの目が合う。いつも通りの敵意の満ちた目で、憎まれ口の一つぐらい飛んでくるかと思ったが、何も言わずにクラリスに続いて行ってしまう。


「……何もないといいが……そうはいかんか」


 そうして去っていく奴隷商らの背中が消えたのを確認し、コンラートは少し先の群衆へと視線をやる。そして見つけたと満面の笑みで手を振る。


 その先にはロルフが大きく手を振り、それをエリックが制止しているのが見える。


「ちゃんと来れたみたいで良かった……」


 もちろんコンラートの独断。この所の激しい訓練で鬱憤が溜まっているからだろうと、コンラートなりの気遣い。それに今日に限っては凱旋で奴隷が街中に居ても、どこかの貴族の所有物だと見逃されやすい。


「ハンナちゃんも来てくれてる……!」


 誰とも話していないようだが、それでも人混みの中紛れないよう皆の傍にいてくれる。コンラートは良かったと安堵するが、ふと隣にいるラウラの暗い顔に浮かした腰を戻す。


「あ、ラウラちゃんも……!皆いるよ!?」


 だがラウラの顔は暗いまま俯く。この辺りで他の観覧客が近場の席に座りだしたので、コンラートは声を抑える。


「せっかくのアリシアちゃんの門出なんだからさ。見てあげよ?」


 コンラート自身アリシアがこんな場に引き出される事を嫌悪している。だが奴隷商がなんとか出来る事柄でも無いのも察しているからこそ、強く言えなかった。


 そしてラウラはやはり俯いたまま。事情の知らないコンラートには喧嘩別れが寂しいのだろうということしか分からないが、ラウラの心中はもっと複雑に混ざり合っていた。


(……どうして)


 ラウラの手には真っ白な花びらが握られていた。捨てたいと思っても、部屋の中に置き去りにする事が出来ず持ってきてしまった。


 だが、いい加減ラウラも疲れてしまっていた。悩んでは解決せず、死の恐怖に立たされて。未成熟な子供の精神はとっくに擦り切れていた。


「………もういいや」


 何かの糸が切れたように、ラウラの手から花びらが散っていく。それを何とも言えずコンラートは眺め、声を掛けようとする。


 だがそこで昼の鐘が鳴り、辺りが静粛になってしまいコンラートは口を噤まざる負えない。どうにも嫌な予感がするコンラート。何かが起こる前特有な空気感を肌で感じとっていた。


「……早く帰って来いよ。奴隷商」


 そんな呟きは、辺りに響く楽団の荘厳な音楽にかき消されたのだった。


ーーーーー


 そうして奴隷商は連れられるがまま、クラリス達について行けば、案外近く王城へと続く橋を守る城門の塔だった。そこでクリスが先に入り、一旦待つように言われる2人。


「……てっきり王城にいるのかと」


 湿っぽい石畳を気にしながら奴隷商は呟く。するとクラリスは怒りが抑えられないと、目をぎらつかせ拳を握る。


「プレヴァルの足下を皇帝陛下が通るんだ。いくら何でも侮辱が過ぎる」


 だがそこまで会話をする時間は無いらしく、すぐに目の前の扉を開けたクリスにより打ち切られる。


「閣下のご準備が出来ました。どうぞ」


 クリスは奴隷商を一瞥もせず、クラリスを見る。当てつけのようで腹は立つが、奴隷商はクラリスに続いて塔の階段を登る。


(わざわざ当日に呼び出して目的は何を……)


 コツコツと3人分の足音が鳴る。貴族がいるような煌びやかな場所ではないが、実用的でよく掃除のされた空間。


 そして塔の一番上まで到着すると、クリスは扉に手をかけ振り返ってくる。


「くれぐれも失礼のない様に」


 そう言って扉は開けられ、クラリスと奴隷商が室内へと入っていく。どうやらクリスも付いてくるらしく、奴隷商が入るのを確認すると、扉を閉め出入口に立って塞がる。


 そんなクリスを横目に奴隷商はクラリスの後ろに立ち、その窓際の椅子に座る老人を見る。隣には首元に目立つ薔薇の紋々がしてある、同い年ぐらいの老人が立つ。どうにも老人にしては体つきが良く、護衛だろうかと勘繰る。


 そう分かりやすく警戒する奴隷商を置いて、クラリスは一歩前に出る。


「それでご要望通り呼んでまいりましたが。龍人に関して対応して頂ける気になったので?」


 クラリスは昨日の事もありトゲトゲしくプレヴァル侯爵に問いかける。その問いかけ方からして、要望が通るとは思っておらず、どんな面倒事を押し付けるのだと言わんばかりの態度。


 だが、そのプレヴァル侯爵はというと、窓の外を眺めたまま振り返ろうとはしない。


「いやぁ。毎年毎年戦争してよくここまでの軍勢を保てる」


 部屋の中を見渡してもなにか仕掛けがある様に見えない。それどころか小物が無さすぎて、この部屋にいる老人が上級貴族な事を忘れそうになる。


「まさにカリスマ。皇帝陛下を歴史書のように呼ぶなら兵隊王って所だ」


 そう言ってプレヴァル侯爵は椅子から立ち上がり、ひざ元にかけてあったブランケットを、お付きの老人に取らせる。


 それを見る奴隷商の視線に気付いたのか、プレヴァル侯爵はわざわざ紹介をする。


「あぁ紹介してなかったね。彼はクロヴィス。昔からの友人でね」


 クロヴィスと紹介された老人が胸に手をやりお辞儀をする。睨まれたのは気のせいだろうか。

 そしてプレヴァル侯爵は、そのまま歩き出し、クラリスを無視し奴隷商の前に立つ。


「それで今回の件。龍人のお陰で皇帝陛下も大喜びだそうだ」


 感謝を示すようにプレヴァル侯爵は奴隷商の手を握り所上下に動かす。昨日の意味深な発言も相まって、どうにも気持ち悪い感覚を覚えるが、体裁を取り繕う。


「皇帝陛下に仕える身ですから。ただ当たり前の事をしたまでです」


 この距離なら邪魔をされずに殺せる。それこそ逃げる事だって可能。

 そんな算段を癖で立ててしまうが、クロヴィスの警戒した視線に気づき、すぐに振り払い笑顔を張り付ける。

 

 そして本題らしく、プレヴァル侯爵はコンコンと杖を床に叩く。


「で、要望通り魔力を事前に抜いてもらおうってね。どうにも私の部下がクラリス女史の諫言を無下にしていたらしくてね」


 一瞬その言葉の意味を理解出来ず奴隷商は固まる。

 それでもすぐにまずいと、奴隷商は視線を滑らせクラリスを見る。だが、そのクラリス本人も寝耳に水だったのか、明らかに動揺し瞳を大きく揺らしている。


(急にどんな心変わりだ……?)


 そしてその動揺が収まらない内に、背後の扉が開けられる。それで振り返れば銀色の髪を地面に擦らせるアリシアの姿がある。


「じゃ、頼むよ。てか他人の魔力吸えるなんてすごいね?普通に代役探しても見つからなかったよ」


 プレヴァル侯爵に背中を押され、転げそうになりながら奴隷商はクラリスを見下ろす。しきりにアリシアに確認するように視線を送るが、どうにもあちらも想定外らしく。


「な、なぜこんな直前に……?」


「ん?だから君の諫言を私の部下が勝手に止めててね。今朝方クロヴィスのおかげで気付いてさ」


 おそらくだが嘘。わざとらしく惚けている。だがその目的が奴隷商らには一切分からず、どう行動するのが正解か分からない。


(ただ逆らえる訳もないか)


 目の前には慣れない環境に怯え体を小さくするアリシア。その体には薄っすらと鱗が滲み出ようとしている。奴隷商は思考を切り替え、声を柔らかくする。


「大丈夫だからな。大人しくしてれば」


 奴隷商は屈んでそう言葉を贈る。クリスの冷たい視線が刺さるが、奴隷商は無視してアリシアの銀色の瞳を見る。それで手を額に掲げ、魔力を吸おうとするのだが、アリシアは不安そうに。


「……またラウラちゃんとあえる?」


 奴隷商の言葉が詰まる。だが、すぐに微笑み嘘を付く。


「会える。その時にでもまた仲直りでもしろ」


 すると不安が無くなったようにアリシアは笑顔になる。チクリと心が痛む音がするが、目の前の女の子は気付かず跳ねる。


「うんっ!!」


 奴隷商はその眼を見る事が出来なかった。だがその逸らした先にはクリスの怒りの色になった眼と、舌打ちが聞こえてくる。


(……これぐらいの嘘は必要なんだ)


 あとからアリシアに恨まれようが仕方ない。そう奴隷商はアリシアの額に手をかざし、日暈を作る。それを不思議そうに見上げるアリシアだが、何かが引っ掛かる様にしきりに首を傾げる。


「……?」


 そういえばアリシアが起きている時にこれをしたのは初めてだったか。いつもいつも寝ている時にやっていた事だ。


 そんな妙な沈黙が流れる中、ふとアリシアは呟く。


「前にも……?」


 アリシアは自分で言って不思議そうにしてしまっている。

 

 その言葉に奴隷商の指が一瞬動くが、その顔には動揺を出さないよう平静を保ち、静かに返す。


「大人しくしてろ」


 そう奴隷商が言っても、何かが気になるのかしきりに首を傾げるアリシア。だがそれも、額の暖かさと魔力が抜けていく感覚に眠気が誘引されていく。


 そしてアリシアの力が抜け奴隷商の腕へと倒れ込んでくる。


「……っと」


 奴隷商は咄嗟に抱え、残りの魔力を吸い切ってしまう。それでやるべき事はやったと、プレヴァル侯爵へと振り返り頷く。


「お、案外仕事早いね」


 プレヴァル侯爵はそう言って目線で指示をし、アリシアを連れてきた使用人に運ばせる。奴隷商も受け渡すと立ち上がり、プレヴァル侯爵と向き合う。


 どうにも人を疑いすぎたのかもしれない。それこそ権力者=碌な人間ではないという思い込み。それがあえて自分らに嫌がらせをしようとしてると、そう勘違いしていただけだったのかと。現にアリシアの龍化の懸念はこうやって解決出来たのだから。


「これで凱旋も万事うまく━━」


 奴隷商が安堵を胸にそう言いかけるのだが、プレヴァル侯爵は全く相手にせず、クラリスの肩を叩く。


「これで彼女が龍化するようなことになれば君とクラリス君のせいだね」


 奴隷商とクラリスの呼吸が止まる。互いに目を合わせ落ち着こうとするが、どちらも状況が掴めない。それを面白そうに見て、プレヴァル侯爵はまるで冗談だと言いたげに笑う。


「ま、そんな事は無いと思うけどね。なにせかつて名を馳せた冒険者様と公爵令嬢の2人が担当なんだから」


 プレヴァル侯爵以外は沈黙し嫌に部屋の中に声が響く。

 そこで、クラリスが足音を立てプレヴァル侯爵の後ろに立つ。だが、咄嗟にクロヴィスが間に入り、距離は詰め切れない。


「……何を企んでる」


 クラリスはクロヴィス越しにプレヴァル侯爵を睨む。だがどうにもその裏の顔を見せないプレヴァル侯爵。


「責任の所在を明らかにしただけだよ。もちろん何もない事を願ってるさ」


 そう言ってクロヴィスを連れ、部屋から出て行ってしまうプレヴァル侯爵。だが、クリスだけは残り、ドアノブを握ったまま奴隷商を睨む。


「……ここが最後だぞ」


 それが何を意味するのかは分からない。だがクリスと会うたびにいつも言われていた言葉は、奴隷商の脳裏に焼き付いている。


「何度言われようが、この職を辞める気は無い」


 クリスは奴隷商を睨んだまま部屋から出て行ってしまう。そして残された奴隷商とクラリス。遠くからは昼の鐘の音が鳴り、凱旋が近い事を教える。


 するとクラリスは乱暴な足音を鳴らし、窓際まで迫ったかと思えば、プレヴァル侯爵の座っていた椅子を蹴り飛ばす。


「嵌められたッ!!」


 その高価そうな椅子を執拗に蹴るクラリス。それをただ眺める奴隷商だが、なんて声を掛ければ良いか分からない。


「そこまでして権力が欲しいのかッ!!!!」


 声を荒げ怒りをありありと表すクラリス。そして勢いよく蹴り、椅子の脚が折れたのと同時に、息を荒げて逆光で顔に影を作る。


「せっかく龍化しても責任追及を免れるよう諫言した記録を残したというのに……」


 いつかクラリスが言っていた対策とはその事だったのだろう。だが、龍化を防ぐために上奏ということは。


「魔力の過剰状態による龍化について。ですよね」


 クラリスが悔しそうに頷く。そして椅子を蹴り飛ばし、石壁へとぶつけてしまう。


「だが先ほど魔力は空っぽにしてしまった。これで何かしらの方法で龍化してしまったら、私達は龍化原因を見誤り対応を損ねたということになる」


 クラリスは苛立ったように爪を噛み歩き回る。


「だがどうやって龍化させる……?まさか本当に魔力過剰以外に原因があるのか?」


 思考を巡らしそれをアウトプットするようにブツブツ呟くクラリス。だが、ふと何か思いついたかのように顔を上げ奴隷商を見る。


「魔力活性剤か」


 クラリスの発想だが、同じ思考だった奴隷商も納得がいく。


「それで責任を俺らに擦り付けて罷免しようと。って所だろうな」


 奴隷商の言葉にクラリスは頷く。だが流れる気まずい沈黙。これ以降奴隷商らにアリシアと接触する機会は無く、凱旋の時遠巻きに眺める事しかできない。


 そして目の前にした時には活性剤が打たれている可能性が高い。そう考えると奴隷商の視線は天井へと向く。


「……詰み。か」


 クラリスも何も言い返さない。だが、湧いて来た怒りを抑えきれない様に、机を何度も何度も拳を当てる。


「クソクソクソッ!!もう少し予備の策を練っておくべきだった……」


 クラリスなりに自身らに責任が行かぬよう、諫言を受け入れなかった上層部が悪い様に記録を作っていた。それをプレヴァルにあっさりと潰されてしまい、自分の詰めの甘さを呪いたくなる。


 だが、それよりもだった。クラリスにとって自身よりまず一番大事なことは別にあった。


「龍人が暴れ皇帝陛下に危害を負わせる訳にいかない」


 奴隷商の中に嫌な予感が蠢く。ラウラの紺色の髪は部屋に吹き込む風に揺れ、格調高いヒールの鳴らす足音が大きくなる。


 そして奴隷商の眼をじっと見つめ、クラリスはその腰に掛けられた飾りの剣の柄を握る。


「今からあの龍人を殺すぞ」


 クラリスの眼は大真面目。全く冗談を言っているようには見えない。奴隷商の口は開いては閉じ、すぐに言葉を用意できない。


 だが理屈を抜きにして、そのクラリスの剣を抜こうとする手を抑えた。


「ダメだ。絶対に」


 クラリスは奴隷商を睨み剣を抜こうとするが、奴隷商が更に力を込めその剣を鞘に押し込める。そこで初めて、動揺したように瞳を揺らすクラリスは、喉を震わせる。


「なぜだ。そうでもしなければ皇帝陛下は……」


 クラリスの言う通りプレヴァルは確実にアリシアを龍化させる。そうなった時皇帝の身も危なく、そうなった時奴隷商達の首も物理的に飛びかねない。ならば先にアリシアを殺してしまえばいいのでは、それは理解出来る。


 だが、アリシアを殺したとて、2人に重い罰が下るのは目に見えている。それこそこの国のシンボルである龍人を殺したとなれば、磔刑が相応。


 そうならば。どうせ死ぬならばと、奴隷商は選びたかった。


「ダメだ、アリシアは殺さない」


 奴隷商はクラリスの温室育ちの白い手を払い、その剣を奪い取る。


「あっ……ちょっと……」


 それを追いかけようとクラリスの手は空振り、怯えたように奴隷商を見上げる。今までに見た事のないような弱々しい姿だった。


「お前も敵なのか……?」


 それはクラリスの人生経験が滲み出たような言葉。だが奴隷商はその剣を自身の腰に差す。


「俺は今もお前の仕事仲間だ。それは変わらない」


 いつの間にか忘れた敬語。それは互いに気が付くほど冷静では無く、この状況に動揺している証左だった。


「はっ……仕事仲間……か」


 弱々しく寂しそうにするクラリス。いつもの強気は消え、先ほどのアリシアを殺そうとした勢いもない。奴隷商には覚えのない姿だが、本来のクラリスはこういう弱い人間なのかもしれない。


「迷惑はかける。それにこれは俺の我儘だ」


 だが奴隷商にも余裕はなかった。クラリスに迷惑が掛かる事を分かっていても、引けない一線があった。


 だから奴隷商はクラリスの肩を叩く。


「俺に全ての責任を擦り付けてくれて構わない」


 ジッと下を見てクラリスは黙ってしまう。奴隷商も視線を下ろせばにその手は震え怯えているのが伝わる。流石のクラリスも、男に凄まれ睨まれれば怯えてしまうのだろう。


 そう奴隷商はクラリスの様子を見て、少しだけ申し訳なく感じてしまう。


「これは俺が独断でやったこと。アリシアの龍化の原因を意図的に隠して、皇帝暗殺を企てた。そう証言してくれてかまわない」


 ただ片方だけでも助かる道があるならそうすべき。それで生き残るなら公爵令嬢の命が優先されるというだけ。それこそ奴隷商の我儘で、クラリスの皇帝を守りたいという気持ちを無下にしているのだから。


「……舐めるなよ」


 だがそれは貴族の意地なのだろうか。奴隷商の言葉にクラリスの中に触れた所があったのだろう。クラリスは奴隷商の手を振り払い、その眼は強く睨み上げて来る。


「私はそんな卑怯な真似をする人間じゃない」


 曲がった事を嫌いまっすぐなクラリスらしい言葉。気付けば動揺の色も抜け、手は震えながらもいつもの人を食ったような笑みを浮かべる。


「事後処理は任せろ。お前の我儘に付き合ってやる」


 突然のクラリスの心変わりに今度は奴隷商が動揺してしまう。


「いいのか?」


 そう問いかけるがクラリスは吹っ切れたように笑みを浮かべ、更に一歩奴隷商へと距離を詰めて来る。


「良いも何もあの龍人を助けたいんだろ?」


 奴隷商は迷いながらも頷く。するとクラリスの手は奴隷商のネクタイへと伸び、それを引っ張り顔の距離を近づける。その顔は真面目で声色も確かなものだった。


「ただ皇帝陛下の身に何かある訳にいかん、間に合いそうになかったら私が龍人を殺すからな」


 どこまでいっても、らしい奴だと奴隷商も笑ってしまう。だが、クラリスが受け入れてくれるとなれば、奴隷商にとっても心強い。


 そうクラリスのネクタイを持つ手を掴み、奴隷商も笑みを作る。


「なら始末書は頼む。山ほど書類を掻くと思うが万年筆を今度贈ってやる」


 するとクラリスも動揺に困惑を笑みの後ろに隠し、ネクタイから手を離して奴隷商から奪われた剣を取り返す。


「私への贈り物は高くつくぞ」


 何も作戦は無い。何も見通しも無い。だが2人には根拠のない自信が通い合っていた。それこそ半ば詰んでいるような状況だからこその楽観かもしれない。


 そして奴隷商は聞こえてくる軍靴の音に胸の中で杖を握る。


「では、お姫様は後ろでより良い結果をお待ちください」


 そう言うのだが流れを読まないというか、クラリスの性根は変わらないらしく、まず心配するのが皇帝陛下だった。


「私は良い。皇帝陛下にだけは傷をつけるなよ」

 

 どこまでいってもクラリスだ。そんな姿にどこか安心感を覚えつつも、奴隷商は微笑み杖を手にクラリスを見下ろす。


「俺はクラリスか皇帝陛下。どっちを守るか聞かれたらクラリスだ」


 すると一瞬固まり、理解が及んだようで珍しく冷たい表情を崩し動揺するクラリス。動揺したように目は回り、顔は赤く上気してしまう。


「えっ………なっ!!」


 一杯食わせてやったと奴隷商は満足しつつ、クラリスから背を向けドアノブを捻る。そしてクラリスには聞こえない声で呟く。


「でかい恩が出来ちまったしな」


 こんなことに巻き込んでしまった。クラリスの言う通りこれは俺の我儘。自分の手で殺したくない、殺さなくていいそれらしい理由があってしまったからこその行動。


 それは全く利己的な行動。自分が傷つきたくないという感情を優先してしまっている。


「レイラの時と言い中途半端で嫌いになる」


 奴隷商は無理にでも笑う。そして年季の入った杖を懐かしむように撫で、石畳を蹴り走り出すのだった。

 

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