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奴隷商の男  作者: ねこのけ
第二章
30/48

第30話 花筏

誤字修正 6月2日


 静粛な館内には、紙の捲る音だけが響き、その中に漂う少し埃っぽい本の匂い。

 差し込む夕日に奴隷商は目を細め紙束を整理し、曲げていた背中を伸ばす。


「やはり調べても龍化に関して資料が少ないですね」


 クラリスとの打ち合わせ。それ自体はクラリスが諸準備を終えていてくれたから、奴隷商との認識のすり合わせだけで済んだ。


 そしてそれが3日前の事。それからはこうして図書館に集まっては本を捲る。それで今日、凱旋の前日になっても龍化に関して解決の糸口が見えず、王宮の図書館にて頭を悩ませ続ける。


 そしてクラリスは、奴隷商を一瞥しつつ本をパタンと閉じる。


「そもそもこの国では龍人族に触れる事すら禁忌だった時代もあるからな。王家の権威に関わりかねないと」


 クラリスは眼鏡をかけ、すでに読み終えた本をまた一冊机の上に積む。どうやら速読が得意らしく、奴隷商はクラリスの調べた情報を、書記としてまとめるのが仕事だった。


 そして普通なら奴隷商のような平民が得られるはずのない情報。それも耳に入ってしまい、奴隷商は疑問を口にしてしまう。


「そもそも本当に王家の祖先が龍人族かも……」


 そう言いかけると、クラリスは手に持っていた万年筆を奴隷商の眼前へと向ける。


「死にたくないなら沈黙を勧める」


 レンズ越しに強く警告するような眼。奴隷商もすぐに自分の発言の危険性を察し、口を噤む。

 

 そしてクラリスはため息と共に、奴隷商の書記をした紙束をパラパラとめくる。


「凱旋直前にあんたが龍人の魔力を抜くのが最善か。魔力不活性剤も何が起こるか分からないしな」


 結局はそれが結論だった。生態も何もかも分からないが、魔力さえなければ龍化はしないだろうと。だが、どうにも奴隷商の平民という立場が厄介だった。


「一応私が護衛としてアリシアの傍にいるべきだとは思うのですが……」


 カツカツとクラリスの筆の先端が机を叩く。


「龍人の展示馬車は皇帝陛下の御傍だからな。そう簡単に認可は降りない」


 クラリスと奴隷商で頭を悩ませる問題。準備の関係から前日から奴隷商は、アリシアの傍にいる事は出来ない。アリシアを放置して半日だと体に変化が起きる可能性は十分にあり、奴隷商が傍で対応したいのだが、それは上に提案しても中々色の良い返事は返って来ない。


「それでいて、代わりの魔術師すらも都合がつかないと用意しない」


 クラリスは文句を零しながら眼鏡を外し、凝った肩を解すように首を回す。正直奴隷商としては、クラリスが嫌われすぎて嫌がらせされているのでは、そう思ってもしまっているが、本人に言える訳もない。


 そして奴隷商は他に調べられる事が無いか、本を探そうと立ち上がる。するとクラリスがジッと睨み上げて来る。


「……なんです?」


 奴隷商は腰を浮かしたまま戸惑う。すると、クラリスは頬杖を突き、不機嫌そうに目を細める。


「正直今回の件。何か意図を感じないか」


 奴隷商はその言葉に浮かした腰を下ろし、少しの時間考える。


「……そうですね」


 今回のアリシアを凱旋の見世物にする一件。それ自体に権威付けとして違和感は無いのだが、ギリギリの一週間前になってプレヴァル侯爵がゴリ押した所。別の機会にでもやればいいのに、ここまで急いで合わせる意味が少々不明。それに龍化のリスクを意図的に軽視しているような上層部の動き。


 それになにより。


「わざわざクラリスをこの件の責任者にした事が……ですね」


 クラリスは主計局。つまり財務やらそっち方面担当で、今回の凱旋の手配とは全く別部署。それに主計官長という高位の立場で、わざわざ応援に引っ張り出す人材でもない。一応経験を積ませるという建前らしいが、にしても急な一件なこともあり勘ぐってしまう。


 そしてそんな奴隷商の返答が良かったのか、満足げにクラリスはえくぼを作り頷く。


「やはりお前はストレスなく話せる」


 そしてクラリスは体を乗り出し、机越しに奴隷商へと顔を近づけて囁く。煙の匂いを隠すような、シトラスの良い香りが包む。


「恐らく私を失脚させたいんだろう。私があいつの予算案を全部突っぱねたからな」

 

 そう言って自慢気に笑うクラリス。心中してやったとでも思っているのだろう。

 

 だが奴隷商は唖然とするしかない。恨みを買ったとするならば、今回の龍人の件もプレヴァル侯爵が何か小細工をしてくるかもしれない。半ば眉唾だったその可能性に真実味が増してしまう。背筋に何か湧き上がるような気持ち悪さがあった。


「絶対危ないじゃないですか。てか俺も巻き込まれますよね?その場合?」


 するとクラリスは気味悪くニコニコ笑い肩をトントンと叩いてくる。


「その時は最悪私の実家で雇ってやる。まぁその辺りも対策してるからな安心しろ」


 今日一日対策を考え何も浮かばなかったというのに、どこからその自信は溢れるのだろうか。そう甚だ疑問だったが、クラリスは奴隷商の肩から手を離し席に戻る。


 そしてその眼は差し込む夕日を見て細くなり、自信に満ちた笑みを浮かべる。


「それにこんな所で私は止まっている訳にはいかない。いつか陛下の為に役立てるよう、上に昇り詰めないといけない」


 暖かい色をした夕日が紺色の髪に反射する。奴隷商にはクラリスのこの湧き出る自信と自己愛は理解出来ないが、それでも一本筋の通った人間だと感じた。


 腹の立つ奴だとは思いつつも、それは否定できないと真面目にただ実直に答える。


「草葉の陰から応援しています」


 奴隷商は素直に応援したいとそう言葉にした。


 だが、クラリスは一瞬目を丸くしたと思えば、フッと嘲笑うような腹の立つ顔をしてくる。そして面白がるように跳ねた口調で奴隷商を弄る。


「不勉強らしいが用法が違うぞ。死んでから応援されても迷惑だから、さっさと今私の役に立て」


 自分が間違ったのが悪いのだが、どうにもいちいち腹が立つ。恐らくデフォルトでこういう言い方になるのだろうが、奴隷商には強く言い返せるわけも無いので、笑みを無理やり作る。


「いやぁ……申し訳ないです。今回の件役立てるよう頑張らせていただきます」


 そんな会話もボチボチで終わっていくのかと思っていると、ふと静かだった図書館内に響く柔らかい足音。


 2人の足音がその方向へと向くのだが、書棚の間から顔を出すのは。


「やぁ。順調かい?」


 その話題の人プレヴァル侯爵だった。王城内の図書館だからいてもおかしくはないが、それでもわざわざこの時間にいるのは違和感。


 だが、何もしない訳にはいかず、奴隷商は咄嗟に立ち上がり礼をする。


「以前の舞踏会のお誘いありがとうございました。このような所でお会いできるとは……」


 プレヴァル侯爵はニコニコと奴隷商のお辞儀を受け取るのだが、何故かクラリスは席を立とうとはしない。それを焦ったように奴隷商は声を震わせる。


「……クラリス公爵令嬢。内務卿閣下ですよ」


 だが明らかに不満顔。まさかここで反抗するのではと焦る奴隷商だが、プレヴァル侯爵は高笑いをする。


「君も変わらないねぇ。それが君の良い所でも悪い所でもあるんだけど」


 機嫌良さそうに肩を揺らし笑うプレヴァル侯爵。それは奴隷商らへと近づき、その手に持った紙をクラリスの目の前に置く。ぞの力は存外強く、机に音を響かせた。


「で、いつになったらこの予算案に君の印押してもらえるんだい?私の部下が3回も突き返されてるんだけど」


 クラリスの顔を覗き込むように体を捻り影を作るプレヴァル侯爵。だが、クラリスは顔色一つ変えず、座ったまま淡々と答える。


「厳正に主計局内で審査した結果です。差し戻し理由は提示したはずですが」


 奴隷商は礼をしたまま、ひたすらいに冷や汗をかくばかり。ただただ2人の会話に巻き込まれないよう、静かに座りその経過を眺める。


「ただこれは皇帝陛下ひいてはこの国の為なんだよ。どうにかお心添えしてくれないかな?」


 クラリスは何も答えない。答えようとしない。言うべき事は言ったと、これ以上答えないと、内務卿という、実質的な上司に向かってだ。


 だがそんな不躾な態度相手でも、プレヴァル侯爵は感情を見せない。あくまで変わらず温和な口調のままだが、どうにもその内容がきな臭くなっていく。


「あまり長引くと国家運営にも関わる。そうなると皇帝陛下に人事に関して上奏しないといけなくなるんだ」


 初めてクラリスの眉が上がる。奴隷商もここまでくれば分かるが、これは怒りの感情が噴出する前兆。そして嫌な予想通りクラリスは、プレヴァル侯爵を睨み上げる。


「言う事を聞かねば更迭すると」


 だがプレヴァル侯爵は笑顔で首を傾げるだけ。


「ん?そう聞こえたかな?」


 ジッと2人は見つめ合う。どちらも引かず、というより本来は立場からしてクラリスが引くべき。だが、政治的スタンスのせいか一向に引こうとしない。


 そしてクラリスは、プレヴァル侯爵の提出した予算案の一か所を指差す。


「機密費の増額。この内訳を公開するなら多少は譲歩しますが」


 だがプレヴァル侯爵は、そんなクラリスの言葉を笑う。


「それじゃあ機密費の意味ないじゃないか。内務卿である私が全体を見て必要だと判断したんだからさ」


 プレヴァル侯爵がクラリスの肩を叩くが、それを汚いものかのように邪険に払ってしまう。


「だから機密費を増やすなと言っているんです。内務卿閣下の周囲は不透明な金銭の流れが多すぎます」


 プレヴァル侯爵の笑顔が固まる。差し込む夕日がカーテンの奥へと隠れ、図書館の中は暗くなる。


 そしてその皺のある手はゆっくりと動き、机の上に置いた奴隷商の書記メモを握りつぶす。


「喧嘩を売る相手は選ぶべきだ。君は政治というものを学ぶべきだね」


 だがクラリスも意趣返しと言わんばかりに、プレヴァル侯爵の持って来た予算案の紙を丁寧に半分に折り畳み、その目の前に差し返す。


「帝位を簒奪しようとすることが政治なら私には必要ありませんね。どこかの大臣と違い忠臣である自覚があるので」


 プレヴァル侯爵は笑顔を張り付けたまま、差し戻された予算案を受け取る。だが、明らかに纏う雰囲気は入ってきたとは段違いに圧がある。


「君も強情だねぇ。時世を読めない人間はいつの時代も最期は悲惨だよ」


 プレヴァル侯爵はそう言ってクラリスから離れる。だが、その視線は、沈黙を保ち出来るだけ気配を消していた奴隷商へと向く。


「そういう点では君は賢いね。自身の立場と身の振り方も理解している」


 そしてプレヴァル侯爵の足は奴隷商へと向き、後ろで手を組んだまま耳元まで迫る。それは酷く同情するような、憐みの色が濃い眼をしていた。


「ただ君は運は悪いみたいだね」


 そう言って奴隷商へとニコッと笑いかけるプレヴァル侯爵。そしてそれ以上奴隷商に何かする訳でも無く、背を向け歩き出す。


 その手に握られた予算案の紙をヒラヒラとさせながら。


「じゃ、また案を部下に持ってかせるから」


 プレヴァル侯爵はそれだけ残し書棚の奥へと消えて行ってしまう。奴隷商はなんとかやり過ごしたと安堵するが、クラリスは明らかに憤怒していた。


「……奴婢の産まれの分際で」


 奴隷商は聞いていないと顔を逸らす。それでも目の前の椅子からは舌打ちがせわしなく聞こえてくる。

 だがここまでこの国の実質的な権力者へ喧嘩を売ってもいいのか。そんな疑問は当たり前にあり、奴隷商は心配から問いかける。


「罷免でもされたら元も子もないのでは?今から謝罪するなり……」


 そう奴隷商が気にするのだが、クラリスはそこは抜かりないと自信ありげに口角を上げる。


「皇帝陛下に近い祭事部と近衛は引き入れてる。他にも内務卿を不満に思う貴族とも連携している」


 そういう類のことは苦手だとばかり思っていたが、案外そうでない事に奴隷商は驚く。だからこその強気だったのだとも納得がいくと、頷ける。


「案外そう言う所しっかりしてるんですね」


 そう素直に奴隷商は褒めるのだが、自信ありげだった顔が一転気まずそうにし、クラリスは頬杖を付きそっぽを向く。


「……まぁ父上がやってることなんだが」


 ならなんであんな自信気だったのかと言いたいが、本人なりに見栄を張りたかったのだろうか。それで気まずい沈黙が流れるが、まるで助け舟かのように夕暮れの鐘が鳴り響く。


「あ、そろそろ施設に戻るので。また明日はお願いします」


 この場に長居したくないと、奴隷商は手早く荷物を纏め去ろうとする。だが、クラリスは奴隷商の手にした書類を掴む。


「当日は護身の用意を忘れるなよ」


 その眼は至って真面目。奴隷商と同じく嫌な予感をしているのだろう。奴隷商は頷き、その書類を鞄に仕舞って礼をする。


「では」


 そう言って奴隷商は帰路へと就く。だが、帰っても、すぐにアリシアを回収し所定の場所まで送らないといけない。


「……魔力も吸っておかないとだしな」


 そろそろ前回から12時間経つ。帰る頃には日も暮れ体に変化が起きだす時間。だから少し急ぎ目に返らないといけないのだが。


「ただ……」


 今朝に出た時も、未だ施設の前は人だかりで大人気だった。また帰る時にあの民衆と会わなければいいがと、そう重い足を引きずりオレンジ色に染まる石畳を叩くのだった。


ーーーーー


 明日にはアリシアがこの施設から出て行ってしまう。

 なのに未だラウラは、アリシアの銀色の瞳を見る事が出来ず、向き合う事が出来ないでいた。


「……」


 ララウは分かっていた。アリシアが別に悪いわけではない。ただアリシアを恐れてしまう自分が悪いと。


「……でも」


 ラウラの手足は震えている。頭で分かっていても死の恐怖はどうやっても体から抜ける事が無い。


「謝らないと……いけないのに」


 今日も一日中アリシアを邪険にし続けてしまった。解決する事のない罪悪感と恐怖に挟まれ続け、ラウラの正解のない日々が続く。


 寝静まった施設。そんな中では、小さな足音ですら響いて聞こえてしまう。


 コツコツ


 足音には固い音。誰の足音か、それはラウラが一番よく知っている。だが、だからこそそれを遠ざけようと、ラウラは布で頭を覆い藁の奥へと逃げようとする。


 だが、それを逃がさないと、扉の外で足音は止まる。


 トントン

 

 扉から音が響く。ラウラはひたすらに呼吸を抑え自身の存在を消そうと、目をつぶる。謝ろうそう思っていた気持ちは、既に恐怖に塗り替えられてしまっていた。


 キィ


 寒風が周囲の藁を揺らす。そして足音はより近く、より響く。


 コツコツ


 その足音はすぐそばで止まる。僅かに震える息使いすら、ラウラの耳に届いてしまっている。


 ザッザッ


 藁を掻き分ける音。耳かきをされている時のようなこそばゆい音。それが近付き、ラウラの肩に何かが触れる。


「ねぇ」


 ラウラの肩は跳ねる。そしてその肩を触れるその手は硬く、冷たくて角ばっている。だが生物の手で意思を持ちラウラの体を揺らす。


「ラウラちゃん」


 ラウラは逃げようとするが、その手の力には逆らえない。藁に囲まれた視界に写る天井。


 そして無理やり目を合わせるよう覗き込んでくる、首元まで銀色の鱗に覆われたアリシアの顔があった。


「ひっ……!」


 どうにか逃げようとして壁に頭をぶつけてしまう。それを心配したようにアリシアがラウラの頭を撫でる。


「だいじょうぶ?」


 淡い水色の月明りが差し込む。それはよく銀色の髪を照らし、そしてその人間にあるはずのない銀の鱗を七色に輝かせる。


 それはある意味神秘的。だがラウラにとってそれらはどうでもよく、アリシアの爬虫類のような縦に細長い瞳がひたすらに恐怖を煽る。


「……やめて……こないで」


 だが後ろは壁、どこにも逃げ場はない。

 そんなひたすらに怯えるラウラに向かって、クラリスはその両手を伸ばす。咄嗟にラウラは顔を守る様に手を前にだし守ろうとする。


「やめっ━━」


 だが痛みを感じる代わりに、ラウラを包む少し甘い匂い。そして頭の上にある柔らかい感覚。ラウラは恐る恐る瞑った眼を開けると、視界の上部には真っ白な花びらが落ちて来る。


「これって……」


 両手で頭の上のその感覚を確かめる。それは確かに花輪で、でも少し不格好で傾いてしまっている。そしてラウラの開かれた視界には、もう一つ綺麗な物があった。


「やっとうまくできたから。これならラウラちゃんもきにいってくれるかなって!」


 鱗が首を超え頬を侵食しだすが、アリシアは満面に笑う。そして言葉を拙いながら紡ぐが、段々と体の変化で活舌が悪くなっていく。


「わたしのがへただったからダメだったんだよね?だからいっしょけんめいつくって……」


 未だ戸惑うラウラ。だがそれでもなんとか気持ちを伝えようと、呼吸が浅くなりながらもアリシアは続ける。


「きらわれちゃっても……これぐらいしかかえせないから……」


 感情が抑えきれなくなったように大粒の涙が流れる。それは肌を通り抜け、鱗の隙間へと消えていく。そして一部は、ラウラの頬へと落ちる。


 だが時間が経つごとに鱗は増え、段々とアリシアの歯は先が鋭くなっていく。


「うれしかったから。ラウラちゃんにもわらってほしくて」


 ラウラは無意識ながらも、その不安げなアリシアの顔を触れようとする。そしてその指先をアリシアも見つめ、やっと望みが叶うと、求めていたものだと笑みが漏れる。


 そしてラウラはもやっと言葉を紡げそうだったのだが。


「あ、ありが━━」


 だがラウラにそれ以上踏み込むことが出来なかった。触れようとした頬は鱗に覆われ、涙をこぼした瞳は鋭くなり、拙い言葉を発した口は大きく割れていく。

 

 ラウラの中に取り戻しつつあった感謝が、感動が、目の前の恐怖に負けてしまったのだ。そしてその止まった手を、アリシアはじっと見つめそれを優しく握るのだが。


「ッッ痛いって!!!」


 握った瞬間聞こえたラウラの叫び声。アリシアは怯えたように手を離し距離を取ってしまう。だがその足音は重く、月明りに写る影は最早人間の形をしていない。


「あ……ご……っごォ………」


 アリシアの人間としての言葉が出ない。出そうと思った言葉に適した口では無くなってしまっているから。そしてアリシアの目の前には、ラウラが赤黒くなった手を抑えぽつんと立ちあがる。


「私は……あんたのことなんて嫌い……」


 ラウラは絞り出すように言葉を出した。段々と大きくなる自身を覆うその影への恐怖。それに痛みが、そうさせてしまっていた。


 そしてラウラの言葉はあふれ出る。


「そもそも一緒にいたとか言ってたけど人違いだから。勝手に懐かれて嫌で嫌で仕方なかったし」


 楽になってしまいたいと、ラウラはすべてを吐き出す。どうせ今日別れるならなんだっていい。


 そんな投げやりなラウラの言葉が、僅かに残り消えかけるアリシアの心が悲鳴を上げさせる。だが今のアリシアの体では、動物のそれでしかない唸り声を鳴らすだけ。


「ゥァアア」


 その生暖かい吐息と生臭さ。それを間近に浴び怯え震えるラウラの手が、頭上に乗っかった花輪へと伸びる。


「……こんなのだって要らない」


 震える手によって花輪が投げられ、それはアリシアの顔に当たり、バサッと落ちて解け形を崩す。それをラウラの2倍程大きくなった体で、ゆっくりと見下ろす。


 さっきまで喜んでもらえるよう、仲直りしてもらえるよう。それで何を話そうかと考えながら作った花輪。


 それは今のアリシアには酷く小さく見え跡形も無くなってしまっていた。


「ア゛……ア゛ァァァァアアアア゛!!!!!!!」


 地鳴りかと思う程の泣き声。それはラウラの体を揺らし部屋を響かせる。そしてアリシアの意識は悲しみで満たされ、体の自由が無くなる。


 その場に残されたララウ。それはジッと見たまま諦めたようにへたり込む。


 そして今更な言葉を零す。


「……ごめんね」


 その言葉はアリシアに聞こえているが、龍には届かず襲い掛かる黒く長い爪。ラウラを切り刻もうと、動物の本能で襲い掛かってくる。


 それを必死に止めようとアリシアの精神は叫ぶが、龍の口は生臭い息を発するだけ。


「にげて!!!ラウラちゃん!!!!」


 以前の龍化の時は意識が沈んでしまっていたアリシア。それが最悪な形で順応し、今アリシアにとって一番大事な人を殺す所を特等席で見えてしまっている。


「やめてって!!!!ねぇ!!!!」


 自分へと叫ぶ。だがアリシアに何の力も無く、龍の腕は振り下ろされそうとし、ラウラは諦めたように目を瞑る。


「……」


 だがラウラの頭上にかかるその影。


「龍というより竜だな。この見た目だと」


 それは黒い外套に身を包んだ奴隷商。それが窓から駆け込み、そのまま龍の首元へと絡みついて行く。

 

 そして奴隷商はイチかバチかだと喉元に魔力を込め、言葉を発する。


「眠れ」


 すると龍の首の鱗に赤い紋が浮かび上がる。それでも少しの間暴れ藁を舞わせる龍だが、少しすれば段々と小さくなり、人間としてのアリシアへと戻っていく。


 それを抱え息を切らす奴隷商は呟く。


「命令が通じる時と通じない時の差が分からんな」


 以前アリシアが龍化した時は、奴隷商とアリシアの間の奴隷契約が龍化の影響か切れてしまっていた。だが、今回はそれを僅かに感じ、咄嗟にやってみれば成功した。


「……ただ魔力を殆ど使い切るとは」


 奴隷商の中の魔力は空っぽ。眠るという弱い命令でこれとなれば、更に巨大化した時や、人間に戻れ等の命令は出来ないか。


 そうアリシアを抱えたまま思考する奴隷商。だが、足元にあるその白い花弁に気付き、咄嗟に数歩歩いて距離を取る。そして振り返り、唖然とするラウラを見る。


「……明日はもう遠巻きにしか眺められないぞ」


 一応奴隷商なりの気遣い。明日凱旋で席が用意されているとはいえ、端も端でまともにアリシアを見る事は出来ない。だから今しかないと、奴隷商は言葉をかけたのだが、アリシアは俯いて裾を握りしめる。


「私は……」


 だがラウラはそれ以上言葉を紡ぐことが出来ない。何も言う事が出来ず時間が無為に過ぎ、差し込む月明りは陰りを見せる。


 そこで奴隷商は見切りをつける。


「無いな。もう行く」


「あっ……」


 そんな漏れ出たラウラの後悔の声を無視して、奴隷商は扉を開け廊下へと歩き出す。これ以上はラウラを苦しめるだけだと判断したからだった。


 そしてまた部屋に一人ぼっちになってしまったラウラ。その眼は空っぽでどこも見つめていない。だが漏れ出るその輝きは、再び差し込む月明りを乱反射させる。


「……ごめんね……ほんとうに」


 その体は小さく屈み、地面に散らばる白い花弁を拾い集めて胸に押し付ける。それは少し湿り、香りが立つ。


「……なにもできなくて」


 なんでこんな言葉が出たかラウラにも分からない。だがその強く握った花弁だけは、一枚たりとも離すことはなかった。


申しわけありません。明日は投稿お休みさせていただきます。木曜日に次話投稿します。

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