第29話 水面下
アリシアが龍化してから3日が経った。
その間何か大きな出来事こそなく時間は過ぎていたが、明らかに気まずい空気感が奴隷達に流れていた。
それは中庭での訓練中。奴隷商はアリシアに訓練させても意味ないかと放置していた。そしてそのアリシアは、爪に泥を挟み不格好な花輪を作りラウラの元へと駆け寄る。
「ラウラちゃん!これつくってみたの!!」
だがこの3日間。誰が見てもラウラはアリシアに対して冷たかった。
「あ……うん。でも今は剣術の時間だから」
そうラウラは分かりやすく顔を歪ませ、アリシアから距離を置いてしまう。だが、それでも健気にアリシアは空いた分の距離を詰める。
「じゃあラウラちゃんがおしえてよ!」
少し前なら過保護なぐらいにべったりだったラウラ。それが今では困り顔で、アリシアから目をそらしてしまう。そしてその指先は震え、恐怖の感情がありありと出てしまっている。
「いやぁ……私よりコンラートさんの方がいいよ」
そんなこの所のラウラの異変。それは他の奴隷達も認識していたが、触れらず遠巻きに眺めるだけ。それは薄っすら感じているアリシアの身体的なおかしさもあったからだ。
そんな中、ふと、施設の外から響く声。
「龍人様を解放しろーッ!!!」
数日外から施設内を覗き込む幾つもの目と罵声。それが昼夜問わず続けば、段々と奴隷達の精神を蝕むのも当たり前。そしてその行き場のないストレスの矛先は、本来被害者であるはずのアリシアへと向き、誰もかれも距離を取り話しかける事が無くなってしまっていた。
奴隷商は外からの騒音に顔を顰め、そしてアリシアの現状を推察するように呟く。
「まぁだからこそラウラに執着してるんだろうな」
アリシアはこの異様な空気感を察して、頼れる人間の傍にいようとしている。その肝心なラウラは殺されかけた相手と仲良く出来るはずも無く、どうにも上手く関われないでいるが。
だがこれもあと数日。そう思っていると、コンラートは奴隷達の声を代弁するように奴隷商へと話しかける。
「なぁどうすんだよ。奴隷商」
こんな現状にアリシアの苦境を気にしてのコンラートの心配だろうが、奴隷商に対応する気は無い。
「どうするもこうもあと数日だ」
アリシアに関して可哀そうだとは思う。だがどうしようも出来ないのも事実。そうコンラートに伝えるが、いつも通りの騎士様らしく。
「どうにか助けてやれないか?ラウラちゃんと喧嘩別れだけでもどうにか……」
眉を曲げ、2人を心配そうに眺める。それはコンラートはあの二人に何があったか事情を知る訳もないので、当たり前の反応なのかもしれない。
だが、アリシアの龍化の事を伝えれば余計に混乱を生むだけ。そう考えて奴隷商は、コンラートの背中を押す。
「良いからお前は自分の仕事をしろ。いいな」
また何か言い返されるのだろう。そう思う奴隷商だが、コンラートは木刀を強く握り振り返ってくる。
「……俺は出来る事をする。お前もやれる事をやれよ」
強く緑眼が奴隷商を捉える。コンラートなりに奴隷商を気遣ったのかもしれない。
だが、誰が誰に言っている。奴隷商はそう思いつつも、これ以上やれる事は無いと、心中呟くだけで中庭をあとにする。
そうして奴隷商は外套に身を纏い、白い息を吐きながら玄関を開ける。すると案の定と言うべき、集まる視線と声。どうやら今の時間は野次馬の方が多いらしく。
「いつ龍人様見れるんだ?」
「知らねぇよここにいるって噂なんだから」
「ほんとにいんのか?ガセじゃねぇの」
この国にとっては建国神話の象徴とでも言え、普段見る事のない希少な龍人。それをひと目見ようとたかる民衆。そしてその視線は、正門から出ようとする奴隷商へと集まる。
「じゃああいつに聞けばいいだろ」
おおよそ10数人だろうか。それほどの人々が奴隷商の、進路を塞ぐように囲んでくる。
「なぁいるんだろ?見せてくれよ?」
奴隷商は無言で通り抜けようとするが、肩を掴まれどうにも進めない。誰もかれも好奇の目で、危害を加えるつもりが無さそうなのはいいのだが。
「すまないが出来ない」
そう言って優しく手で押し進もうとするのだが、下手に餌を与えてしまったらしく、押し戻すように民衆が奴隷商へと迫る。
「え、じゃあいるんだよな?別に減るもんじゃねぇから見せろよ」
強く肩を掴まれる。見せろとお願いする割に、命令するような言い方。どこか奴隷商自体を見下しているような物言いで、腹は立つが問題を起こさないよう低姿勢に。
「催し物に出す予定もある。その時に見て貰えれば」
凱旋の事は勿論漏らせないから濁して言う。だが、先ほどの罵声の主らしき、厄介な見物客がまだいたらしく、乱暴な声が聞こえる。
「龍人様を隷属させて幽閉してるクズ野郎ってこいつかァ!?」
その声に振り返れば、どこかで見た事のある顔。気持ちの悪い長い緑髪にひょろっとした長身の男。
「……レイラの時の盗賊か」
名前は確かクレート。なぜここにいるのかは分からないが、それを偶然と捉えるには都合が良すぎるという物だろう。
奴隷商はもしもの為に、外套の内をまさぐりナイフの柄を握る。
「正式な手続きを以て奴隷契約を行った。申し立てがあるなら商工ギルドか役所に行ってくれ」
プレヴァル侯爵の下の人物のはず。ここにいるなら意味があると思うのだが、目的が掴めない。そしてそのクレートはフラフラと、奴隷商と肩を組んでくる。
「そぉんなつれない事言うなよ~。もしかして手放したくないとか理由があったり?」
水浴びをしていないのか顔を顰める程の匂いがクレートから漂う。その傍で呼吸すらしたくないが、奴隷商はこれ以上ボロを出さないよう気を付ける。
「だから説明した通りだ。それ以上でも以下でもない」
だがこんな会話をしている内に人が集まって来てしまい、奴隷商らはまさに注目の的だった。
そしてそれらを満足げにクレートは見、声を張り上げる。それは奴隷商へとというよりは、民衆に向けたようなものだった。
「そーいやなぁ!!南の帝国が龍人族を欲しがってるって話があってなぁ!確か懸賞金かけられてるんだっけか!?」
耳元ででかい声を出され不快になる奴隷商だが、そのクレートの言った情報は初耳のものだった。
「なんの話だ。急に関係のない話を━━」
だがどうにも理屈だけでこの場が形成されている訳でないことに気付く。理屈よりも下世話な噂、その方が面白いはず。そんな感情で囁く声達。
「え、じゃあ他国に売り払うから隠してるって事?」
「もう売ったから見せれ無いんじゃねぇの?」
「龍人様を売るなんてひどい……」
奴隷についてどうにも思わない連中が、龍人となれば騒ぎだしている。その矛盾には誰も目をやらず、段々と周囲の眼が敵意になっていく。
「龍人様を守れ!!あんな奴から取り返せッ!!」
見物客から今度は可哀そうな龍人を助け出す正義の味方気取り。そう奴隷商にしか見えないが、誰もかれも興奮したように声を張る。
「龍人様を奴隷として売るなど皇帝陛下への侮辱だ!!!」
怒りの理由は様々。だがそれが全て奴隷商へと向けられ、押し寄せる人間に声。それぞれに懇切丁寧に理由を説明しても無理だと奴隷商は悟る。
「……一切の噂は否定する。再三だが龍人族に関しては役所に問い合わせろ」
この場に居続けても仕方ない。そう奴隷商が歩き出そうとするのだが、絡みついてきていたクレートが、ワザとらしく地面へと転げ情けない声を上げる。
「痛ってェ!!!」
その腹には赤いシミが広がる。そして奴隷商に心当たりのないナイフが突き刺さっている。
「おい、だから何を━━」
いきなりの事に理解が追い付かない奴隷商の言葉を無視しクレートは喚く。
「黙らなきゃ殺すって脅された!!!ナイフまで刺すかよぉ!!」
刺された奴にしては元気過ぎるだろう。そう理解がおいついた奴隷商は冷めた眼で見るのだが、周囲の市民一般の皆様は違うらしく。
「大丈夫ですか!?」
クレートへと群がり手当をしようとする民衆。そしてそれを遠巻きに眺めコソコソと悪口を言う民衆。
「都合悪いからって刺すなんて野蛮な……」
「しかもあんな浮浪者相手に……」
聞こえる声は殆ど奴隷商に対しての非難。全く自体の収拾を出来る気がしない中、一部の民衆は奴隷商へと詰めかかり、襟を掴み上げて来る。
「ここまでして私腹を肥やしたいんか!?アァッ゛!?!?」
粗暴そうで直情的な男。次から次へとと壁壁シソになるが、奴隷商は何か言い訳しようと口を回す。
「俺は刺してない。ナイフを抜くそぶり見せなかっただろ」
だがどうにも奴隷商の言葉は届かず、目の前の男は更に怒ってく。
「卑しい商人の分際で言い訳すんなッ!!!」
握られた拳が奴隷商へと向いてくる。恐らく反撃をすれば逆効果。ならばこの拳を受けて満足するのを待つのが良いだろうか。
そうどこか他人事に思考する奴隷商。それを許さぬかのように頬へと伝わる衝撃と痛み。
そして響く鈍い音。
辺りに一瞬の沈黙が流れるが、すぐに奴隷商を殴った男に対する称賛の声がチラホラと聞こえてくる。
その辺りで流石に奴隷商も苛立ち、低姿勢を止め睨み返す。
「……満足か?」
すると男は満足いかないらしく、唾をまき散らし拳を振り上げる。
「舐めやがッ━━」
だがザワザワと、これまでの罵声交じりの物から困惑の色へと塗り替わっていく。その異変は目の前の男にも伝わり、拳を握ったまま後ろへと振り返る。奴隷商からは男に隠れ見えないが、目の前の男には明らかな焦りの色があった。
「え、なんでこんな所に……」
奴隷商は訳も分からないが、その聞こえてくる人を小ばかにしたような声で誰か分かる。
「私がここにいようがいまいが貴殿の暴力行為は許されない。それも分からないような知能なら分かりやすく言うが、今すぐ彼を離せ」
すると、目の前の男は慌てたように奴隷商を手放し、群衆の中へと逃げ消えていく。そして奴隷商の視界に現れるのは、お付きの人間を数人連れ、見るからに貴族令嬢といった紺色の服装をしたクラリスだった。
「集合時間を破る失礼をするとはいい度胸だな。私の1分は千金に値するぞ」
紺色の髪を風に揺らし手を差し出してくるクラリス。その顔は自信に溢れ、この状況を楽しんですらいそうだった。
奴隷商は助かったような面倒なような。そんな複雑な感情のままその手を取る。
「……助かった」
そうして立ち上がり見て回るが、クレートの姿はどこにもいない。どうにもしてやられたようにしか感じないが、クラリスのお陰であたりの群衆は静かになっていた。
そしてクラリスは追撃するように辺りを大きく見渡す。
「龍人族は国の正式な手続きによって彼が所有している!!姿を見せることが出来ない由は皇帝陛下に献上するからである!!!それでも納得できない者は前に出ろ!!!」
その予想外に大きな声に、辺りは静まり返る。だが、群衆の中からボソッと聞こえてくる言葉が。
「女の分際で粋がりやがって」
その言葉を誰が言ったかも分からないが、クラリスはその声のした方向を見る。
「女だから何だッ!!どうせお前は私よりも地位も金もねぇんだろ!!!男のくせに私より下で恥ずかしくねぇんか!!!」
多分私情で怒っている。明らか奴隷商を庇うためというより、ただただクラリスの逆鱗に触れたらしい。らしいといえばらしいが、服装に比して公爵令嬢の姿とは到底思えない。
そしてそんな公爵令嬢相手にも言い返す人間は一定数いるらしく、また群衆から声が上がる。
「そもそも龍人様をこんな卑しい人間に隷属させるのが悪りぃんだろ!!オメェら貴族がしっかりしないから龍人様が苦しんでんだ!!!」
すると肩に掛かる紺色の髪を揺らし、キッと群衆の中のそれへと睨み返す。
「うっさいわ平民!!!人間の奴隷が可哀そうとは思わないくせに龍人だと騒ぐ道理は何だ!!!」
その辺りで施設の前でこれ以上騒がれる訳にいかないと、奴隷商はクラリスの肩を叩く。
「あ、あのクラリス主計官長……?そろそろ……」
すると何故かクラリスの怒りが奴隷商へと向く。
「お前もお前でなぁ!!平民なんざバカなんだからでかい声ださねぇと讒言が罷り通るぞ!!」
気性が荒いというレベルではない。助けてもらっておいてあれだが、公爵令嬢という肩書抜きにしても、なんというか……すごい女性過ぎる。
だが言い返せるわけも無く、奴隷商も押され気味に声を落としてしまう。
「あ、はい……すんません……」
するとクラリスは奴隷商を一瞥し、お付きの人達に指示を出して民衆を散らせる。流石にこのクラリス相手にこれ以上騒ぐ人間もらず、それもスムーズに進むのだが未だクラリスは不満顔。
「淑女にでかい声を出させるなよ」
誰が淑女なのだと、ツッコミが喉元を通り抜けようとするが、奴隷商は必死にそれを抑える。だが、嫌味な所はありつつも理知的なイメージがあったから少し意外でもあった。
「あぁやって声張る事あるんだな。少し意外だった」
するとクラリスは腰に手をあて、先ほど声をあげた民衆を睨みながら言う。
「悪い勘違いはすぐ広がる。でかい声でも出さないと掻き消えない」
それはどこか実感のあるような言葉。今のクラリスの周囲からの嫌われ方を見るに、事実の中にも謂れの無い風聞も含まれているのだろう。そう察させてしまう。
それでも貴族社会では礼節もあるから、声を張って是正も出来ず、悪口の内に広がってしまう。それがいかにもどかしいだろうか。
(こいつもこう見えて傷ついているんだろうか)
そう少しセンチメンタルな感情になる奴隷商だが、クラリスは変わらない様子で不満げに唇を尖らせる。
「誰が鉄の女だ。理屈で言い返せない馬鹿どもが」
その言葉に奴隷商は思わず吹き出してしまう。全くもってその通りではないかと思ってしまったから。
だがそんな奴隷商を、クラリスは汚いものを見るように見下してくる。
「……下品な男は嫌いなんだが」
奴隷商はまずいと焦り、必死に体裁を取り繕う。
「い、いや申し訳ない。殴られた所が痛んで……」
そんな言い訳が通じたのか、クラリスは話題を変えらしく、腰に手をあて辺りを見回す。
「あと非公式な場では普通に名前で良い。一々役職を付けていては時間の無駄だ」
クラリスらしいと言えばらしい。だが、奴隷商としてはあまりリスクも負いたくない為今まで通り役職で呼びたい。
そう思っても、今のクラリスに逆らいたくない奴隷商は。
「……分かりました」
そう言うのだがジッとクラリスは奴隷商を見る。何が何だか分からず奴隷商は戸惑うが、クラリスはボソッと。
「名前」
呼べと。そう言っているのだろうと奴隷商にも察しが付く。貴族令嬢を下の名前で呼ぶなど、面倒事の匂しかせず嫌なのだが、奴隷商は出来るだけ声を落とし。
「……クラリス」
するとクラリスは満足げに頷き、辺りを見渡す。どうやら集まっていた民衆も散っていったらしい。そして本来奴隷商との打ち合わせの予定があったクラリスは歩き出す。
「じゃあ行くぞ。馬車は近くまで手配してある」
そうクラリスに案内されるがまま、見てわかる上質な馬車へと押し込まれる奴隷商。4人乗りらしいが、わざわざ隣に座ってくるクラリス。
そんな状況に肩をすぼめ、息ぐるしさを覚える奴隷商。
「あの……流石に私にこの席は分不相応というか……」
奴隷商がそう言うが、クラリスは関係無いと言いたげに足を組み、堂々とパイプから煙を吸う。
「別に構わん。わざわざ身分別に馬車を手配する方が無駄だ」
なら別に隣に座らないでもいいのでは。そう言おうと思うが、明らかにこれ以上余分な事を言うなと睨まれるので自粛する。
クラリスの口からあふれ出る煙が室内に充満する。周囲の眼を気にしてかカーテンも閉められ息苦しい。そんな中クラリスが話しかけてくる。
「報告にあった龍化の件。上に報告したがどうやら強硬するらしい」
その件について聞くに、プレヴァル侯爵肝入りだとかで、どこも取り合ってくれない。それにどうせ魔力を抜けばいいなら、現場で対応できるだろうと。そう言われたらしい。
それは奴隷商としてもあまり望んだ結果では無く顔は暗くなる。
「不測の事態が起こりかねないのに随分楽観的ですね。皇帝陛下の御傍に配置される予定だというのに」
凱旋では目玉になるからと、皇帝のすぐ後ろの荷車に乗せることになっている。それでこの対応かと思わざる負えない。
そしてクラリスも同意する様に頷き、カーテンの隙間から外の景色を見る。
「私も同じことを言ったが、プレヴァルの奴に怖気づいて取り合わなかった。それどころか龍化したなら演出としては良いんじゃないかと阿呆な事抜かしやがったしな」
思い出したのか分かりやすくこめかみに血管を浮かべ、苛立つクラリス。そしてそれは止まる事無く、パイプを強く握る。
「皇帝陛下の御身に何かあってからじゃ遅いだろうに。この国はプレヴァルの物じゃないんだぞ」
そこでふと、クラリスの忠義の源が気になり、藪蛇だと思いながらも奴隷商は問いかける。
「なぜそこまで忠誠を?」
すると言葉が足らなかったのか、クラリスは怪訝そうに奴隷商を睨んでくる。
「逆にあんたは誓って無いのか?」
まずいと咄嗟に手を振り疑いを晴らすように奴隷商は口を動かす。
「いやいや!俺も勿論ありますけど、やっぱりクラリス主計……クラリスには及ばないからどうしただろう…って」
役職名を付けようとして一瞬睨まれたが、修正がどうにか間に合った。そしてクラリスは前屈みになった体を戻し、綿で詰まった背もたれへと体重をかける。
「……実家が建国以来の臣下の家系ってのもあるがな」
クラリスはパイプの処理をしそれを仕舞う。そしてその眼に声は憧れにも近い、そんな色をしていた。
「取り立ててくれたんだよ。社交界でも政略婚でも役に立たない私をこんな立場に。恩に報いたいと思うのは当然だろ?」
そう首を傾げ奴隷商へと問いかけて来る。どこかコンラートとその主の事を思い出す話だったが、確かにと納得し頷く。
そしてクラリスは、少し軽い口調に戻って。
「あと、単純にこの国の貴族として生まれたなら忠義を誓うのは当たり前だしな」
奴隷商自身貴族と話す機会は少ないが、ここまで忠誠忠誠言っている人物を見た事が無い。勿論一定数居るのだろうが、ただ親から継いだ家を土地を守る為に仕えているような。そんな印象の人物が多いイメージだった。
それはクラリスも同じことを思っていたらしく、不服の色を濃くして言う。
「なのにプレヴァル筆頭に皇帝陛下を蔑ろにする。今回の親征だって陛下のいない隙に自分の影響を増やすために決まってる」
そういえば以前の大物貴族や次期当主の招かれた舞踏会を思い出す。この所プレヴァル侯爵がそういった物を頻繁に開いていると話には聞いていたが、確かにクラリスの言う事に納得出来るものがある。
そして奴隷商に話すというよりは、苛立ちを発散させるようにクラリスはブツブツと爪を噛む。
「そもそも皇太子殿下に自身の娘を嫁がせて、明らかに外戚として権勢を振るおうとしてるのが見え見え。なぜ陛下もあのような奴をお傍に……」
だがクラリスの話す内容が事実だとしたら、不穏な物を感じるのも事実。だからと言って自分が何を出来るまでも無い。
だから奴隷商は願うように天井を見上げる。
「ただ何もなく終わると良いのだが」
そう自身に降りかかってきそうでたまらない不安をかき消すよう、奴隷商は深くため息をつくのだった。
ーーーーー
湿気は充満しカビ臭く腐敗臭が漂う。そんな中いくつもの方向から響き、立体的な男の声。
「一応煽ってきたぜ」
ここは下水道の中。クリスは臭いに鼻をハンカチで塞ぎながら、その緑髪の男の報告を受けていた。
「どうだ。民衆の反応は」
すると緑髪の男クレートは、つまらなさそうにナイフを手で弄ぶ。
「んまぁ一応扇動出来たな。あの場は治められちまったから微妙かもしれんが」
クリスは少し悩む。この工作の本来の目的は果たせそうになかったこと。だが、どちらにせよこれが本題ではなく、より確実性を上げるための保険。
そう次へと思考を切り替える。
「まぁ公爵令嬢と奴隷商の関係が周知出来ただけでも良い。引き続き扇動を頼む」
そうクリスが麻袋に詰まった金貨を渡すと、クレートは二ィっと笑い、目の前から消えていく。そしてクリスも長居するつもりも無く、背を向け歩き出す。
そのレンズ越しに歪んだ眼は、迷いなく一点を見る。
「俺は俺の道を進む。悪く思うなよ」
誰に向けた言葉か。それはクリスにしか分からない。
ただ下水道に響きその銀色の髪とフレームは、足音と共に暗闇に消えていった。




