第27話 炎と花輪
青白い月明りが差し込み、藁の柔らかい香りが包む。銀色の髪が輝くが、その顔は埋もれどこからも表情はうかがえない。
そしてそれを包むのが、麦色の髪を解いた奴隷。
「なんで……みんなとちがうの……?」
その影は怯えて震えていた。それは銀色の髪で体の皮膚を隠すように小さく蹲る。だがその角は高く伸び、牙は口から溢れ、肌はざらつき岩肌の様。
その震えを抑えるようひたすらに撫で、ラウラは優しく語り掛ける。
「どんな姿のアリシアでも一緒だから」
そう言ってラウラがアリシアの手を握る。それは柔らかくも無く、石ころを撫でるような感覚しか伝わらない。
だが、それでもラウラは安心させてあげようと用意していた、手作りの花輪をアリシアの頭に乗せてあげる。
「ほら可愛い。普通の女の子にしか見えない」
アリシアの視線が上を向く。それは一瞬無邪気で嬉しそうな顔になるが、自身の角が目に入ってしまったのか顔を落としてしまう。
そしてラウラの暖かさは伝わらず、アリシアの顔は酷く怯えたまま。
「でも……私のせいで……ケガさせちゃったし……」
今朝のロルフの事を気にしている。あの時はどうにか誤魔化したが、血を流してしまったことはそれだけアリシアに大きかったのだろう。
「剣術なんて怪我はするよ。アリシアだけが悪いわけじゃないよ」
そう慰める内にもアリシアの体温はみるみると上がってしまう。それは風邪と言うには熱すぎるが、ラウラはそれでもアリシアを抱き寄せ続ける。
だが、結局それだけしかラウラには出来ない。アリシアに起きる体の変化は加速し、ミシミシと人の体からしてはいけないような軋む音がする。
「いたいいたいいたいいたいっっっ!!」
体から絞られるような金切り声。それが腕の中から聞こえてくる。ラウラは誰か助けを呼びに行こうと思うが、アリシアの異常な力で捕まれ動く事が出来ない。
そんな中段々と体が大きくなるアリシア。だが未だ異常な力で掴まれ逃げれないラウラ。この状況では流石にラウラの中に恐怖が満ちていってしまう。
「……え、ちょ、ちょっと」
どうにか目を逸らそうとしてきた事実。それを否が応でも突きつけられてしまう。
その生物が、ただの奴隷であるラウラには手に負える物では無いのだと。
そう自分より大きくなったその影。それと聞こえてくる唸るような野生生物の鳴き声。パサリと落ちてしまう花輪。
それに対して、ひたすらにラウラは茫然と何も出来ないままだった。
ーーーーー
奴隷商が施設をあとにしてから少し。
コンラートの指導の元で、奴隷達は活気あふれて自主的に剣術に取り組む。
そしてコンラートと相対するのが、珍しくやる気を充足させ、ばっちりと長いブロンド髪を結んだクロエだった。
「そうそう!良い切り返しだね!!」
カンカンと木刀同士がぶつかり合う。コンラートはひたすらに受けに回り、クロエの存外鋭い剣筋を捌く。
「━━ッ当たんない!」
どうにかコンラートへと一本取ろうとするクロエだが、どれもこれも掠る事すらない。それに苛立ちを覚えながらも、クロエは一歩踏み込む。
そしてクロエの木刀の切先はコンラートの喉元へと届こうとし、思わず声を上げてしまう。
「取った!」
だが、昨晩まで続いていた雨。それは中庭の地面を湿らせぬかるませてしまっていた。
クロエの木刀の剣筋はズレ、視界は流れ地面へと向いて行く。咄嗟の事に反応出来ず、呻きのような声だけが漏れる。
「えっ」
そのまま地面へと顔から衝突しそうになるクロエ。だが、それは地面すれすれで止まり、垂れた自身の前髪の先端が地面へとぶら下がる。
「もっと足腰を鍛えないとね。あとは周囲の環境をよく観察すること」
クロエは腹に触るその大人の手の感触に気付く。そして顔を上げれば、逆光になりつつもいつもの笑顔で語り掛けるコンラート。
「ん?どうした?立てる?」
クロエは頭の中が熱くなる感覚を覚えながらも、コンラートの腕を掴む。
「……離して」
ただただクロエは羞恥心からコンラートの腕を強く掴む。だが、コンラートは困ったように笑い、クロエの体を起こす。
「離すけど体起こしてからね」
そうして起き上がったクロエだが、コンラートを一瞥もせず木刀を手に背を向けてしまう。
それを見てコンラートは、難しい顔をして頭を掻く。
「女の子ってわっかんねぇ……」
クロエとは仲良くなったような気がすれば、偶にあぁやって拒絶されてしまう。もしかしたら無理して自身と関わっているのだろうか。
そう心配が過るが、コンラートはもう一人。心配な黒髪の奴隷へと歩み寄る。
「ずっと頑張ってるよね。まだ2週間しか経ってないのに、随分早くなった」
中庭の端。ハンナが黙々と木刀を振るい続けている。既にクロエが2回程話しかけにいったが、どうにも相手をされていなかった。
そしてそれはコンラートも一緒で、ハンナは何も返事をすることなく木刀を振るう。それでも話しかけ続けるコンラート。
「剣術は1人じゃ上達にも上限がある。誰かと模擬戦とかしてみたらいいんじゃない?」
だが、ハンナはコンラートの言葉を切り捨てるように、力を込めその木刀を振り下ろす。
「大丈夫です。必要に感じたら奴隷商の奴にでも頼みます」
風にハンナの黒髪が揺れる。それは横顔すら隠し、コンラートに表情を伺わせることすら出来ない。
だが、剣術は自分の担当だと、強く言い返す。
「クロエの事が許せない気持ちも分かるし、許せなんて言うつもりはない。でも今の孤立は君自身の為にならない」
そうコンラートなりに言葉を尽くすが、暖簾に腕押しで全くハンナに言葉が響かない。強引に引き戻そうかとも考えたコンラートだが、それはダメだと自分を自制する。
そして言葉を新調に選んだつもりで言う。
「……誰も君を拒絶しないからね」
それはコンラートがハンナの事情を知らないからこその言葉。それはハンナにとって全く的外れで、それで意思が翻る訳もない。
ハンナは再び素振りを再開し、淡々と答える。
「そうですか」
コンラートはその言葉を聞き、一度悩むがこれ以上は無理かと一旦引くことにする。そして、他の奴隷達の輪に戻ると、満面の笑みでアリシアが駆け寄ってくる。
「見て!!」
何かアリシアが掴み、その拳をコンラートに掲げている。どうしたのかとコンラートは首を傾げるばかりだが、アリシアは無邪気な笑顔のまま拳を開く。
「これ!!!」
それを見てコンラートは飛びのき変な声で叫んでしまう。
「━━ッッッいぅっわ!!」
アリシアの開かれた泥まみれの手のひら。そこにはいくつもの足が蠢く虫が這い出ている。
一度飛びのいたコンラートだが、なんとか息を整えながらもアリシアの様子を見ると。
「岩ひっくり返したのか……」
コンラートの視界には、アリシアの身長程はある庭に鎮座していた岩が転がっている。そしてその近くには芝が禿、湿った土の岩があった跡が見える。
コンラートは咄嗟にクロエやロルフを見るが、同じ感情らしく驚愕の色でアリシアを見ている。そしてこの時動けたのはラウラだけだった。
「ちょっとそんなばっちぃの触ったらダメでしょ!毒あるかもしれないんだから!!」
ラウラはアリシアの手のひらの土を払い、足で虫を追い払う。だが、その様子を不思議そうに眺めるアリシア。
「……?あの子毒ないよ?」
何を根拠に、そう思いながらもラウラはアリシアの肩に手を置く。
「どっちにしても。虫とか触っちゃダメだからね」
ラウラ自身アリシアの異様な力には気付いている。だが、それを認識してしまうと、今までのように関われないような気がして見ないようにする。
だが、他の奴隷達にとってはどうか。これまでは幼く健気に見えていた子供。それが手に負えないような力を持っているとなれば。いつ暴走して自分たちに危害を及ぼしかねないと、恐怖してしまう。
そしてついさっき危害を加えられたロルフにとってすれば、その心配はより増幅される。
「……龍人って人食ったりしねぇよな?」
ロルフが思った事をそのまま呟いてしまう。そしてエリックがまずいと明らかに顔に出してしまう。
「ロルフさんっ!!」
そうエリックが止めに入ったのが余計に行けなかったのだろう。アリシアがその二人の会話を聞いてしまい、自身の土で汚れた手を見る。
そして助けを求めるようにラウラへと眼を向ける。
「……私ってみんなとちがう?」
さっきのロルフを怪我させてしまった事。それに今の周囲の反応。それも相まって自身が異質なことに幼いながら気づきつつあるアリシア。
だがラウラはそんなこと考えさせないよう、ただ目の前の子を守ってあげたいと抱き寄せる。
「何も違わないよ。アリシアはただの可愛い女の子だよ」
さらさらとその銀色の長い髪を撫でる。それでアリシアは包まれ周囲から隔絶されるが、ラウラには周囲からの戸惑いの眼が見える。
それぞれにラウラは目を合わせて小さく頷く。気を遣ってくれと、そう言外に伝えていて、それをすぐに察したのはクロエだった。
「あ、アリシアちゃん。さっき練習してた剣の使い方教えてよ」
そう言いながらラウラ達へと近づいてくる。ラウラ自身気まずい感情はありつつも、そんな気遣いに言葉を零す。
「……ありがと」
だがクロエはラウラと眼を合わせられず、視線をアリシアに向けたまま小さく返す。
「迷惑かけましたから」
そうしてクロエはアリシアと視線を合わせるように屈むが、どうにも返事が来ない。それはラウラにとっても違和感で、どうしたのかとアリシアの様子を伺おうと距離を取ろうとする。
だがアリシアの小さな手は、ラウラの服を掴み離れようとしない。
「……どうしたの?」
ラウラがそう問いかけても、アリシアは小さく首を横に振るだけ。その様子にラウラは不安を覚えるが、ふと目の前にあるアリシアの角が少し大きくなった気がした。
何かがおかしい。そう心配になるのは、ラウラだけでは無くクロエも一緒に問いかける。
「どこか体調悪い?」
だがどうにも首を振るだけで何も答えないアリシア。だが、ふとラウラの見下ろした視界に写るアリシアの手。
(鱗?)
手には人間のそれでは見ないような切れ目のような物がある。だが、それは傷という訳でも無いのか血が出ている訳でもない。それこそ本来体に備わった物かのようで……
すると、アリシアの頬が膨らみ肩が上がる。
「うぉえっ」
ラウラの腹部に広がる生暖かい感覚。それは酸っぱい様な異臭が鼻をつんざき、ラウラの顔を顰めさせる。
だがすぐに事情を察しラウラは、焦りながらもアリシアを座らせる。
「大丈夫!?」
どうやら嘔吐してしまったらしい。まだ病明けで無理をさせ過ぎてしまったのだろうか。そんな後悔が湧き出ながらも、汚れた自身の服を気にせず、アリシアの介抱をする。
「クロエちゃん!水汲んできて!!コンラートさんは綺麗な布を!!!」
そう手配を頼む内にも、アリシアは吐き出し続けてしまう。そして銀髪の間から見える首元にも、手のひらと同じ鱗のような切れ目が見える。
「大丈夫大丈夫。大丈夫だから」
まるで自分に言い聞かせるようにラウラはアリシアに語り掛ける。何か目の前の女の子が、自分に手の負えないような何かだと思わないように必死に。
そうして介抱をしていく内に、アリシアの体は段々と発熱していく。それは傍にいるラウラにも伝わる程で、どうしようと焦るばかり。
そんな中。クロエが、水いっぱいに満たした桶を両手で運んでくる。
「ラウラさん!持ってきました!」
それに続いて屋内に戻っていたコンラートも布を掲げ走ってくる。
「持って来たよ!」
ラウラは手早くアリシアの口元を拭き、すべてを吐き出させる。その頃には何故か鱗のような物は見えなくなり、体温も自然と下がっていた。だがそれで安堵する暇も無く、弱るアリシアの世話をせわしなくする。
するとコンラートが酷く心配そうに覗き込んでくる。
「俺になにか手伝えることは?」
クロエとコンラート以外はアリシアに近寄ろうとしない。こんな事があっても、やはりアリシアの力の大きさと、ロルフの頭の傷が脳裏に残っているのだろう。
「じゃあ部屋まで運んでもらっていいです?私も一度着替えてすぐいくので」
するとコンラートは二つ返事で、優しくアリシアを抱え足早に屋内へと走っていく。そしてラウラも早く服を着替えようと立ち上がる。
するとクロエが心配そうにしながらも歩み寄る。そして小声のまま耳打ちをしてくる。
「……鱗みたいなの見えました?」
咄嗟に見えないよう隠したつもりだったが、流石に傍にいたクロエには見えていたらしい。だが、下手に他の皆に心配させないよう、ラウラは嘘を付く。
「うん?分かんないけど鱗って?」
すると何かを察したようにクロエは頷く。この所気持ち悪いぐらいに性格が矯正されていて、ラウラからしたら気味が悪くて仕方ない。それもこれもあの騎士のせいなのだろうが……
だがどちらにせよ理解を示してくれるのはありがたい。そうラウラは目配せだけで返事をし、続いて屋内へと戻っていく。
そして残された中庭。遠巻きにそれを眺めていただけで、具体的に何があったか分からない面子だけが残ってしまった。
何より自ら仲間外れにされにいったハンナは顕著で。
「……ラウラさんも構いすぎでしょ。私じゃダメだから次はってことじゃん」
どうにもこの所精神的に平静ではないハンナ。そう彼女は零しながらも、どうせ自分には関係無いとひたすらに木刀を振り下ろし続けるのだった。
ーーーーー
奴隷商のフラフラとした足取り。それは今日の出来事のストレスに疲れを如実に表していた。
ガチャっと、扉を開ける。
どうやら消灯時間を過ぎていたらしく施設内は真っ暗で、物音ひとつしない程静かだった。
「水浴びだけして寝るか」
良かったと胸を撫で下ろす。これで帰ってきた時まで何か問題があったら、倒れてしまう気すらしていた。
奴隷商は、ひたすらに閉じそうになる瞼を抑え、借り物の正装を綺麗に畳み寒空の下中庭に歩み出る。
「さっむ」
半裸でこれはキツイ。だが文句を言っても仕方無いので、さっさと井戸水を汲み、その古傷だらけの体を洗い流す。
だがふと、視界にある景色がいつもと違うのに気付く。
「なんで岩がひっくり返ってるんだ」
そう怪訝そうに独り言を零した瞬間。どこかからうめき声のような叫び声のような、明らか尋常ではない声が辺りに響く。
そしてゆっくりとその視線を2階のその部屋へと向ける。
「……そうか。今日はそういう日か」
奴隷商はため息を何とか抑え、さっさと服を着替えて階段を駆け上がる。その声の部屋にある程度察しがついていたからこそ、迷わずにそのドアノブを捻る。
「……ッ」
目に入った光景に思わず奴隷商はナイフを抜きそうになる。
それは得体のしれないバケモノがラウラを食らおうと掴んでいるようにしか見えなかったからだ。
だが、そのラウラは泣きそうな顔になりながらも叫ぶ。
「ダメ!!アリシアだから!!」
その言葉は奴隷商の耳にも入るがどうにも記憶と一致しない。牙は異常なほど伸び、皮膚は銀色の鱗で覆われ顔すら原形をとどめず爬虫類のそれに近づいてしまっている。体もラウラの2倍ほどに大きくなり人間かと言われても怪しい。
だがラウラが嘘を付く理由も無いと、奴隷商は舌打ちが漏れつつも走り出す。
「一日でも魔力放出しないとこれかよ」
まさかマティアスの言葉がそこまで重い物だとは思わなかった。一日でここまでなってしまうとは全くの予想外。
そしてすでにアリシアの人間の意識は飛んでいるのか、ラウラの体がひしゃけそうになるほど強く握ってしまう。そしてその伸びた口元と牙が向かうが。
「ラウラ!すぐ逃げろ!!」
奴隷商は仕方ないと拳を握る。この様子では力でどうにか抑え込むしかないと、そう判断したのだが、ラウラは泡を吹きながらもバカな事を言う。
「傷……つけないで……あげて」
バキバキと明らかに鳴ってはいけない音がラウラから鳴る。みるみる内にアリシアが人間よりも龍としての特徴が表れてしまい、尻尾に翼らしき物も麻服を突き破り始める。
奴隷商はラウラの言葉を無視し、全力で体重を乗せアリシアの脇腹あたりへと拳を叩きこむのだが。
「……まじか」
魔力で筋力を強化してまでやり、当たった瞬間も風圧がそれなりにあった。なのにアリシアはビクともしない。それどころか衝撃でこちらの右腕の骨が何本かいってしまった。
だが注意は引けたのかラウラは地面へと投げ捨てられ、推定アリシアの鱗の奥の爬虫類の眼は奴隷商を捉える。
「……ドラゴンスレイヤーになれたりしますかね」
奴隷商は冷や汗を隠すように冗談を言うが、その返事と言わんばかりにその黒く伸びた爪が襲い掛かる。
「……っと、流石に分かりやすい」
だが中身はアリシアだからなのか、振りや予備動作が大きく随分攻撃は避けやすい。だとしても、ここも狭い室内なだけあって、藁が多く舞いいつ床が抜けるが気が気でない。
それになぜか屋内だというのに花が舞い奴隷商の視界を遮る。
そしてその一瞬。奴隷商にとって一番まずい展開が目の前で起ころうとしまう。
「ラウラ!!窓から外に逃げろ!!!」
咄嗟に叫ぶ。だが、ラウラは先ほどの事で体が動かないのか、奴隷商の言葉に一切反応を示さない。
そしてそう奴隷商が焦る理由は、目の前では、龍の銀の鱗が赤く発光し煌めいているからだ。その煌めきは喉元へと集まり、この暗闇では眩しいほどに口元から溢れている。
そのせいか部屋の中赤色に反射し、目を見開くにはまばゆ過ぎた。
「……火まで吐くとは想像通りのドラゴンだな」
室内がドンドンと熱くなる。龍の口元からは炎が漏れ出て今にも吐き出しそう。だが、ラウラはその近くで転げ動けないまま。
まさに八方塞がり。ラウラを逃がそうにも今アリシアを刺激すれば、2人纏めて丸焦げになってしまう。
「ただ待っていても丸焦げかッ」
地面を蹴る。正直どうにもならないと咄嗟に体が動いたからこその行動。だが、龍もそれを見逃すはずも無く、しっかりその燃える喉を奴隷商へと標準を合わせて来る。
その喉元と目が合うと思わず死を自覚してしまう。それに炎が近すぎるのか、服がチリっと燃える。明らかに人間がいていい温度ではない。
だが、今更逃げる事も出来ないので奴隷商は飛びラウラを抱える。
「歯ァ食いしばってろッ!!」
明らかに関節がダメな方に曲がってしまっているラウラ。体の骨が滅茶苦茶になってしまっているかもしれない。だからか反応も薄く、生きているかも怪しい。
それでも奴隷商は抱えたまま、窓を目指して足を延ばす。だが、右の眼球に写る景色は、かっぽりと喉を開けた龍が、その牙を伝い炎が溢れようとしている。
「……こんな所でか」
奴隷商は自信の生存を諦め、窓に向けてラウラを投げようとする。
だが、すぐそこまで迫っていた熱気はスゥっと消え、赤く照らされていた室内は突然真っ暗になる。
いきなりの事で一瞬フリーズする奴隷商。だが咄嗟にラウラを抱え直した奴隷商の眼下には、服は破け藁に落ちた”人間の姿”のアリシアが転がってしまっている。
「魔力切れか」
奴隷商の眼にはそう映っていた。そして今の騒動を聞きつけたのか、バタバタと外から足音が鳴ってくる。それは恐らくコンラートの物で、奴隷商は咄嗟に伏せておくべきだと判断する。
「誰も入るな!!!部屋に戻ってろ!!!」
魔力を込め声を張る。アリシアが龍になったと事が奴隷達に広がれば、余計に扱いに困ってしまうからだ。
するとその足音は遠ざかり扉が開くことはない。そうして奴隷商は腕の中で、顔を歪めるラウラを藁に置き、手のひらをかざす。
「この部屋は使い物にならないな」
壁は真っ黒に焦げでしまい、煤臭くなってしまっている。それにこの爪の跡では入室自体禁じた方が良いだろうか。
そう思考しつつも奴隷商は手のひらに日暈を作り、ラウラの体を丁寧に治療するのだが。
「滅茶苦茶だな」
アリシアの様子を気にしながらも治療するが、どうにもラウラが重症すぎる。ここまで骨が折れていると、全てを治しきれるか分からない。それこそ魔法でもどこを怪我しているまでか分からないのだ。
「おい。ラウラ。他に痛い所は」
だからひたすらに目に付く所を治療しながら、患者から聞き出そうとするのだがラウラは変わらず。
「アリシアは……?」
「今は自分の事を心配しろ。死ぬぞ」
腕が反対方向に曲がっているのを無理やり直すようにバキッと音を鳴らす。それでラウラは顔を歪め声を漏らすが、どこか痛いのか分からない程のケガなのか。
「ぜ……んぶ」
奴隷商は肋骨へと手をやる。どうにもラウラの呼吸がおかしく感じ、嫌な予感が過ったからだ。それで触診するが、やはりと奴隷商は再び魔力を込める。
「ここまでされてよく心配する」
まだ2日しか一緒にいないというのにどこまでアリシアに肩入れしたのか、それか誰かに重ねてしまっているのか。
未だ痛みに全身を支配されているというのに、ラウラの瞳はしきりにアリシアを探すよう辺りを見渡している。それを確かめつつも奴隷商はアリシアの様子を伺う。口元の藁が揺れているのを見るに、呼吸をしているのは確かで今は生きているらしい。
そうしてまた15分程。奴隷商の額には冷や汗がダラダラと垂れ、魔力をほとんど使い切ってしまっていた。
「……分かる所は治療出来たか」
ラウラの体を起こすが、やはり治癒魔法を連発して身体に負荷がかかってしまったらしい。かなりぐったりとした様子。だがそんな様子になってもその手を伸ばす。
「あ、アリシアちゃん……」
奴隷商はラウラの肩を掴みそれを抑えようとする。だが、ラウラの中で先ほどの光景がフラッシュバックしたのか、瞳に恐怖の色が満ちその指先は震えてしまう。
それは死を間近にしたからこその反応。冷静になればなるほど、恐怖が後から湧いてきているのだろう。
それを見て奴隷商は安心させるように情報を開示する。
「来週にはアリシアは売る。だから安心しろ」
奴隷商はそう言ってラウラから手を離し、寝息を立てるアリシアを抱える。そしてその背を見る事しか出来ないラウラは。
「……ッ」
売るという事を拒絶しようにも、死の恐怖がラウラの言葉を引っ込めせてしまう。
「今日は空いている部屋にでも寝ておけ。後処理は俺がしておく」
それぐらいしか奴隷商が言葉をかける事しか出来ない。ラウラにとって良かれと思ってアリシアの世話を任せたが、それが裏目に出てしまったと後悔しかない。
先ほどの熱気はどこへやら。腕の中にあるアリシアは冷たく小さくなり、子供らしく寝息を立てている。
「これは……どうすれば」
この龍人をどうするべきか。それが全く分からない。これをこのまま凱旋に出して問題無いのかも不明。ただただ胃が痛くなる。
「明日マティアスの奴呼び出すしかないか」
奴隷商は瞬きをするだけで眠りそうになりながら、アリシアを抱えフラフラと花びらの散る部屋をあとにするのだった。




