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奴隷商の男  作者: ねこのけ
第二章
26/47

第26話 ダンスと暗躍


 差し込む風。

 よく見下ろせる、この都市に広がる赤茶の屋根達。


 どうやらここは建物の3階らしく、ベランダのように縁だった所。そこにある柵にもたれ掛かるのが、先ほど定例会で暴れていたクラリス……公爵令嬢で良いのだろうか。


「まぁ来い」


 令嬢というにはあまりに表情が怖く、令嬢という単語に似合わずパイプで煙を吸っている。服装も正装ではあるが、女物というよりは男物のスーツっぽい服装。公爵令嬢だからこそ何も言われないのかもしれないが、だとしてもその立場の人間がすべき服装ではない。


「……で、何の御用でしょうか」


 奴隷商はこの明らか厄介者でありそうなクラリスに絡まれていた。もうクタクタで疲れ果て、今晩のプレヴァル侯爵の宴とやらに向け休んでおきたかったのが本音。


 だが、そのクラリスはまたパイプに口を付け、ふぅっと空に煙を吐く。


「さっきのあんたの案。クソダメじゃねぇか」


 キッと睨んでくるクラリス。何を言われると思えば、どうやら奴隷商の決死の覚悟の提案が気に入らなかったらしい。


 と言っても奴隷商からしたらクラリスの提案こそダメ。そもそも貴族側の立場を考えておらず、それを受け容れて貰えるよう根回しすらしていないではないか。


 そう苛立つが、言い返したところで仕方ないので奴隷商は感情を抑え返す。


「……そうですか。後学の為に教えていただけると」


 するとカンカンとパイプが柵を叩く。その紺色の眼は細くなり、刺々しくもまた長ったらしく喋り出す。


「そもそも北方の土地は皇帝陛下の親征によって手に入れられた土地なんだよ。だから貴族共に譲るべき土地では無いし、そもそもあと4年で税収が回復する見込みな以上譲るなど短絡的思考で━━」


 奴隷商は途中から話を聞くのを辞めた。別に自分の提案が正しいと思っている訳でもないし、この女史と政策論議をするのがあまりに面倒そうでしかないから。


(……こいつも長く居られないだろうな)


 公爵令嬢とはいえ、この性格では実家に帰されるのが目に見えている。というか1ヵ月であそこまで露骨に嫌われている時点で、って感じでもある。


 そう目の前で長々と講釈を垂れるクラリスを眺めるが、彼女は苛立ったように眉を上げる。


「お前聞いてるか?お前の提案が皇帝陛下の為どころか国として危うくさせているって話を……」


 そこで奴隷商はため息を吐く。正直この女に嫌われても自身の立場は危うくならなさそうだと判断したから。それに加えていい加減鬱陶しくもあり、疲れから怒りがそのまま出てしまう。


「だからなんだよ。現にアンタの提案は現実的じゃなくて棄却されたんだ。まともな代案も出せないくせに、俺にとやかく言わないでくれないか」


 すると案の定と言うべきか。カツカツと足音を立て距離を詰めて来るクラリス。


「代案がどうという話はしていない。貴殿の案が不十分だという話をしている。論点をずらさないでくれないか」


 ここまで来たら奴隷商も冷静にはいられなかった。ただただこの所のストレスを吐き出すように、苛立ちを言葉に乗せる。


「不十分でもあんたの提案の概要は満たせているだろ。現に国庫の税収問題は解決に向かっているじゃないか」


 少しだけ風が強く吹く。目の前のクラリスの紺色の髪は乱れるが、それを意にも留めず1言ったら10言い返す勢いで詰めて来る。


「それを目先の話だと言っているんだ。長期的には国庫の為になる土地を手放すなどありえない。私の言うように有無を言わさず領地を召し上げればいいんだよ。反乱でも起こすような不忠な輩なら叩き潰して、膿を出し切れば良い」


 全く話が通じない相手ならまだ良かった。だがこいつに関しては、どこか前提の考え方から違って話がかみ合わない。それが余計にむず痒い様な腹の立つというか。


「だからそもそも配下の貴族をぞんざいに扱うなという話なんだ。誰もがあんたみたいに忠義に溢れている訳じゃない」


 そう一応伝えるのだが、やはりどうにも話がかみ合わない。


「忠義が足りないような配下なら早めに潰してしまえば良い。いつ背中を刺されるか分からないだろ」


 多分これ以上この女史と関わるべきでもないし、意味も全くない。それに本人が意図をしているか分からないが、人を小ばかにするような言い方に腹が立つ。


 だが、少しだけ。奴隷商はこんな人間に同情したようにこれだけ伝える。


「人には感情がある。恨みは消えないし受けた恩は忘れない。例外もあるが、他人にも思考や心情があるのを理解した方がいいぞ」


 すると、さっきまで言い終えるとすぐ言い返して来たクラリスの口が止まる。だが、それは納得した沈黙では無く、明らかに表情は無く嫌な予感しかしない。


 やはり要らぬことを言った。そう自分の不合理さを恨みながらも、逃げるように背を向けようとする。


「……失礼した。私はこれで」


 だが、その奴隷商の進路を妨害するように、クラリスは足を踏み出し、その目尻の上がった眼で見上げて来る。それを怪訝そうに奴隷商は声を落とす。


「……まだ何か」


 クラリスはすぐには何も答えない。だが、そのは動き奴隷商を押しのけてドアを塞ぐように前に立つ。それで何を言うかと思えば、全く表情を見せず真顔で口を開く。


「あんたはまともに話せる。下級官吏なのが勿体ない」


 そう言ってバタンと扉の向こうへとクラリスが消えていく。そして残された奴隷商と、辺りに吹き付ける寒風。


「今まともに話してたか……?」


 甚だ怪しい。どうにも彼女と俺で見ていた景色が違うのかもしれない。


 そんな事を想いつつも、奴隷商はスゥっと息を吐く。西の空は段々と朱くなっている。鐘の音も遠くから街に響いている。


「とりあえず着替えるか」


 宴が何を指すか分からないが、正装に着替えるべき。確か貸出のそれがあったはずだと、奴隷商はベランダをあとにし屋内へと戻っていく。


 そうして慣れない堅苦しい服装に着替え、外に出ると配られた招待状に目を通す。


「……プレヴァル侯爵の屋敷か」


 足が重すぎる。だが、招待状を受け取った以上いかない訳も行かず、ポツポツと灯のつく道を歩く。


 そして王城の程近く。そこに広大な屋敷と庭を備えた敷地が見える。


「王宮よりでかいんじゃないか」


 奴隷商は招待状を見せ門をくぐる。だが、どうにも見える他の招待客の格が高く、奴隷商の肩身は狭くなるばかり。それに着飾った婦人も多く見え、奴隷商は少し嫌な予感がする。


「……踊れないぞ。俺」


 そんな不安を抱えつつ玄関では、外套と借り物の帽子を預け屋敷へと入る。こんな夜中だというのに辺りは眩しく灯に照らされ、良い匂いが香ってくる。


 そこで来客をわざわざ出迎えているらしい、プレヴァル侯爵と眼が合う。


「この度はご招待いただきありがとうございます」


 貴族社会の作法はあまり知らないが、礼をすればいいだろうと頭を下げる。すると温和で腰を低くしたプレヴァル侯爵は、奴隷商へと語り掛ける。


「いやいやこちらこそ君みたいな有望な若者に来てくれて嬉しいよ。さ、会場へ」


 そうして招かれた奴隷商だが、会場内に見えるのは談笑をする貴族に、見た事のない様な豪勢な食事に加え、楽団らしき楽器を持った集団。


「……舞踏会じゃねぇか」


 どうにも室内の飾りは煌びやかでおかしいと思えばだ。そう思いながらも、居場所は無いと端により時間が過ぎるのを待つ。


 遠目に見ても庶民にとっては優雅でも、作法やら上下関係が薄っすら見え息苦しい。

 だが、そんな中でも、高貴な立場であるクラリスが壁際に立っているのが見える。髪色と合わせたのか、綺麗な紺色のドレスに身を包んでいるが、誰一人話しかけにいかず、ジッと手に持ったグラスを見て俯いている。


「見るからに嫌われ者だな」


 そこでどうやら始まりらしく、プレヴァル侯爵の挨拶から始まり楽団が弦を取る。だがどうせ最初は立場の上の人間が踊るので、先ほど取っていた菓子を頬張る。


「……これうま」


 甘味を久々に食べたのもそうだが、昼から飯を食べて無かったのもある。そうして金のかかってそうな食事に舌鼓を打ち、端で時間が流れるのを待っていると、偶にしか会わない上司が近寄ってくる。


「やぁ。中々居心地悪そうだね」


「いやぁ……なんとも」

 

 その上司は確か地方貴族の次男で、人受けの良い爽やかな中年と言った所。奴隷商相手にもそれなりにフランクに接してくれるからありがたい。


「でも誘われたって事は今日の君の献策が余程気に入られたんだろうね。内務卿閣下そういう若者好きだしね」


 手に持ったグラスには薄黄金色の液体が入っている。それを掲げて来るので、奴隷商も手に持ったグラスを合わせる。


 グラス同士が辺り高い音が鳴る。


「それは光栄なことです」


 そんな多少関りのある人間と挨拶がまばらにありつつ、奴隷商は端に決まっているようにする。そうしている内に舞踏が広がっていくが、奴隷商には関係の無い事。


 すると、奴隷商にとって会いたくもないその顔が近付いてくる。


「なんで平民がここにいるかと思えば。お前か」


 その不快な声を発する人間を見ようともせず、奴隷商は酒をあおる。


「成り上がり臭くて敵わないな。香水合って無いんじゃないか?」


 すると、わざわざ聞こえるように舌打ちが聞こえてくる。だが、それでも絡んでくるのか、クリスは奴隷商と一歩距離を置き睨んでくる。


「……最後の警告だ。今すぐそのクソみたいな職を辞めろ」


 奴隷商は持っていたグラスを預け、正装に身を包んだクリスを見る。


「何度も何度もしつこいな。別に俺が何をしようとお前に関係ないだろ」


 するとクリスは奴隷商に近づき、睨み上げて来る。


「じゃあお前と話すのもこれが最後だな」


 そう言ってクリスは奴隷商の脇を通り抜けて去ってしまう。何度も何度も絡んできては、同じような事を馬鹿の一つ覚えで言ってくる。


 そんな事がありつつも時間は過ぎていき、奴隷商も踊らなくて済みそうかと安心しそうになる。


 だがそんなこと許され無いらしく、ふとプレヴァル侯爵がこちらを見ているのに気付く。どこまで目を付けられてしまったのかと自身の境遇を恨みそうになる。


「……踊らないと失礼か」


 胃が痛くなる。社交界の舞踏など殆ど知らないからだ。それに加えこの場にふさわしいだけの奴隷商に身分は無い。


 だがそうも言ってられないので、どうにか相手がいないらしい貴族令嬢へと話しかけるが。


「申し訳ありません。先にお誘いを受けてまして……」


 申し訳なさそうに距離を取られてしまう。それでも相手を変え、奴隷商は誘っていくのだが誰からも相手をされない。


「……帰りてぇ」


 視界端では奴隷商の誘いを断った令嬢がクリスの手を取っている。明らかにわざとで、クリスは奴隷商へと一瞬視線を送ってくる。


「……」


 もう時間もそれなりだ。帰ってしまおうか。そう思えるほどに奴隷商の精神的なダメージは蓄積されていた。


 だが、もう一人。踊る相手すらいない人間が1人いた。それはこの室内にいる全員が気にしつつも、声を掛けない。


「お前誘えよ」

 

「嫌だよ。あんなのと関りあるとか思われたくない」


 コソコソとそんな声が聞こえてくる。あの家の格で誘われないというのは相当な嫌われ具合。そして同性からもどう思われているか。


「殿方に相手されなくて可哀そうで堪りませんわ。私なら恥ずかしくてこの場にいられませんよ」


「えぇ今日も会議で内務卿閣下に泥を塗ったと噂ですしねぇ」


「それはまぁまぁ。よくこの場に顔を出せましたこと」


 冷めたような嘲るような視線が壁際に1人立つクラリスへと向く。本人がどう思っているか、その表情の無い顔では分からない。


 だが確実に優雅な楽団の曲の間を縫い、そんな悪口は本人に届いているのだろう。そしてその会話で、相手にされていない奴隷商自身もどういう見方をされているのかも気付く。


「……背に腹は代えられないか」


 奴隷商も一度はしないといけない。だが誰からも相手にされない。そもそも平民である自分を誘ったのだから、プレヴァル侯爵が手を回してほしいのだが、それも無い。


 コツコツと慣れない靴を鳴らし奴隷商は歩く。そしてその向かう方向を察したのか、周囲の嘲笑にも近い視線が集まる。


「……どうせ余り物同士だよ」


 ボソッと呟き奴隷商はクラリスの傍に立つ。それは未だグラスを見つめたまま、こちらに視線を寄越そうともしない。


 それでも奴隷商は一礼をして片手の後ろに回し、もう片手を差し出す。そして周りの誘い方を思い出しながら、声を絞る。


「この踊りのお相手を寝返れば光栄です」


 そう誘ったはいい物のすぐに返事が来ない。それどころか目すら合わせようともしないクラリス。


 そして少しの沈黙の後、それは睨むように見下ろしてくる。


「失礼だとは思わないので?貴殿の家格でこの私を誘う事に」


 確かにそれはそうなのだが、そもそも誘われてすらいない人間に言われると腹が立つ。だが、ここまで来たら奴隷商はひたすらに笑顔を張り付けるしかない。


 そんな奴隷商を見てか、クラリスはため息と共に手に持っていたグラスを置く。


「ただ。暇だったので良いでしょう」


 そう言って手を差し出してくるので、奴隷商は指先を支えるようにその手を取る。そしてそのまま室内の中央へと向かい、奴隷商とクラリスはダンスを始めるのだが。


「下手すぎませんか。それでよく私を誘おうと思いましたね」


 一々小言を伝えて来るクラリス。だが、事実奴隷商も上手くないのは自覚しているから、どうにも言い返せない。


「ほら足捌きがまずなってない。私に恥をかかせないでくれません?」


 ただただ苛立つ。だが、ここで喧嘩をしようものなら恥の上塗り。なんとか笑顔を作るしかない。


「いやぁ……申し訳ない」


 クラリスはこちらと目線を合わせようとしない。奴隷商はずっとそのつむじに話しかけている。プレヴァル侯爵はこちらを満足そうに見ているから、目的を果たしたとは言えどうにも腹に据えかねてしまう。


 そうして奴隷商にとって苦痛だった時間も終わる様に、楽団員が弦を置く。それに合わせて、他の躍っていた貴族たちも礼をするので、奴隷商も合わせる。


「……では、あちらまで」


 クラリスに手を添え、元々居た場所までエスコートする。それは黙って受けてくれるのか、延々と続いていた小言無しに付いてきてくれる。


 そしてやることはやったと、クラリスから手を離しまた礼をする。


「素晴らしい時間をありがとうございました」


 半分嫌味。いや、8割嫌味の言葉で締める。それでこの場からさっさと去ろうとするのだが、クラリスが呼び止める。


「ちょっと時間を借りても?」


 奴隷商の動きかけた足を止める。どうするか一瞬悩むが、断るのも流石に無礼かと向き直る。そして渋々声を絞り出す。


「……えぇ」


 するとクラリスは歩き出すので、それに付いて行く。


 そこで周囲から向けられる好奇の視線にも気付かず、奴隷商はクラリスの背を追いテラスへと行く。それはある意味奴隷商に社交界の常識が無いからこそなのだろう。


 そして2人は緊張感のあった室内をあとに、肌寒いテラスへと出る。


「……何か御用で?」


 すると、クラリスは柵に背中を預け振り返りフッと笑う。珍しく女性らしい顔を見た気がしたが、その笑いの意味を説明することなく、手招きをする。


「まぁいいから来い」


 逆らう事も無いので、奴隷商はクラリスから少し距離を開け柵へともたれ掛かる。その視線はクラリスとは逆で、眼下の庭園を見下ろしていた。


 そして早速と言うべきかその毒舌が飛んでくる。


「あの場にいた貴族共クソだっただろ」


 屋内からはまだあるのか楽曲が響いてくる。それに耳を貸しながら、奴隷商は濁す。


「皆様優雅で目を惹かれてばかりでしたよ」


 どこで誰が聞いているか分からない。だから下手な事を言わないようにするのだが、クラリスは言葉を飾る事をしない。


「こんなどうでも良い会食に金を使うならもっと必要な所に回せばいい物を……」


 会話というより愚痴。それがクラリスの口から漏れ出るが、奴隷商は外気に汗が冷やされ身震いをする。


「人脈形成に派閥管理に縁組。どうでも良いというには役目が多くあると思いますが」


 一応対面上はこの舞踏会を肯定するように言葉を作る。だがそれで沈黙してしまうクラリスに、面倒な予感を感じる奴隷商。


 だが、そのクラリスは一拍置き、満足げに頷く。


「やっぱりあんたはまともに会話出来る」


 その紺色の瞳は奴隷商を捉えてきていた。


 どうやら変なのに気に入られたかもしれない。肩書だけ見れば高貴な人物だからと喜ぶべきかもしれないが、相手がこれとなれば話は別。ここまで嫌われた人間となれば、逆に奴隷商の立場がより狭くなってしまう。


 そう危機を察知した奴隷商は、咄嗟に柵から体を離し軽く礼をする。


「……そろそろ帰らないといけないので。これで失礼」


 だがその進路を遮る様にクラリスは立ちふさがる。


「まぁそんなに焦る事はないだろ」


 少しだけ。ほんの少しだけ口調が柔らかい気がするのは、勘違いであってほしい。だが、その似合わない笑みを向けられてしまう。


「有望な官吏は囲い込んでおきたいしな」


 奴隷商は天を仰ぐ。


 どうしてこうも変な人間ばかりが近寄ってくるのだろう。どうしてこうも面倒事が終わらないのだろう。


 そしてその後悔はまだ積み重なるらしく、クラリスの言葉に奴隷商は自信の運の無さを恨みそうになる。


「畑違いだが、凱旋での龍人見物の担当になった。これから仕事で関わるからよろしく」


 差し出された手と、その情報。ただでさえアリシアの見物はどうしようかと悩みの種だったのに、それが更に面倒な事になっている。


 だが仕事上関わるとなれば、奴隷商がその手を取らない訳にもいかず。


「……以後よろしくお願いします」


 渋々クラリスの冷たいその手を取る。令嬢らしい苦労の知らなさそうな柔らかい手のひらだった。


 そしてその柔らかい手のひらは奴隷商の手を強く握り返してくる。それで今日一ハキハキと声を張るクラリス


「皇帝陛下の為。共に頑張ろう!」


 満足げな笑顔のクラリスとは対照的に、奴隷商は歪んだ笑顔を何とか張り付ける。


「え、えぇ……頑張りましょう」


 それだけやってクラリスは奴隷商の手を離し、屋内へと戻るらしい。そして去り際に一言、小さく手を振ってくる。


「じゃあまた」


 奴隷商はどうすればいいか分からずその場に立ち尽くす。最後の年相応の女子らしい素振りに戸惑っていた。


「……まぁ帰るか」


 だが、流石に疲れすぎた。そう奴隷商も室内に戻り、プレヴァル侯爵の元へと向かう。プレヴァル侯爵は貴族と談笑していたらしいが、奴隷商を見るなり中断しあちらから距離を詰めて来る。


 そして奴隷商は先に礼をし帰宅する意思を表明する。


「本日はお誘いいただきありがとうございました。またの機会があれば」


 するとポンポンとプレヴァル侯爵は肩を叩いてくる。


「君も良くやったよ。いやいやほんとに」


 その言葉が何を指すか、それを聞き返さずとも分かる。そしてプレヴァル侯爵は続ける。


「だから一緒に頑張ってね。期待しているよ」


 どうやらクラリスをあの任に命じたのはプレヴァル侯爵なのだろう。全くいい迷惑だが、奴隷商は言葉を飾る。


「期待に沿えるよう粉骨砕身取り組ませていただきます」


 するとプレヴァル侯爵はニコニコと奴隷商を見て、顔を近づけると耳打ちをしてくる。


「何せ龍人だからね、皇帝陛下への献上品としてはこれ以上のものはない」


 奴隷商の動きが止まる。聞き間違えだろうかと思い、もう確認を取る様に問い返す。


「……献上するという話は初耳なのですが」


 するとプレヴァル侯爵はわざとらしく首を傾げ奴隷商の顔を覗きこんでくる。


「あら?言ってなかったっけ?まぁ凱旋のあとに私の方でお金補填するから安心して」


 そう言って話は終わりだと、奴隷商の肩をポンポンと叩いて去って行ってしまう。またも奴隷商に選択権は無く、話が進んでしまっていたらしい。


 だがこの日の奴隷商に思考をするだけの元気は残っていなかった。


「……一回寝てから考えよう」


 奴隷商はそう呟き、外套と帽子を受け取り帰路に就く。流石に時間も時間なので、この借りた正装は後日返せばいいだろう。


 そう厳かで煌びやかな光景から一転、真っ暗な街の中を一人分の足音が石畳を叩く。すると、顔に当たる冷たい感覚。


「……またか」


 今朝はせっかく天気が良かったと思えば、また雨とくる。ただでさえ悪い気分が陰鬱になりそうになりながら、その真っ暗な夜空を見上げるのだが。


 視界を覆うまた違う暗さ。そして雨音がパチパチと弾けるような音が鳴るが、奴隷商の体は濡れる事が無い。


 奴隷商は背後にある気配へ向け問いかける。


「お前はいつも俺を監視でもしてるのか?」


 するとまた奴隷商とは違う足音が聞こえ、それが隣に並ぶ。


「傘返しに来ただけだから。困るでしょ」


 それはディアナだった。暗くて顔は見えないが、それでも怒っているのは空気感で伝わる。そしてそれの理由は奴隷商にも分かる。


「助かる」


 奴隷商はディアナの手から傘を受け取ろうとする。だがその傘を握るディアナの手はピクリとも動かない。


「私がここいにたのはあんたの為じゃない。内務卿の方がきな臭いから」


「……そうか」


 奴隷商自身ディアナが何をしているのか分からない。何かコソコソと情報を集めたり暗躍しているようだが、それを奴隷商が聞き出そうとした事は一度もない。


 だから今回もそれに触れず奴隷商は軽口をたたく。それは以前の謝罪を言えないが、関係を修復したいからこその奴隷商の弱さだった。


「でも俺の傘を持っていたって事は、ついででも気にしていたんだな」


 奴隷商とディアナは一つの傘の下歩き出す。だが、そのディアナは表情を変えず、暗闇によく反射する琥珀の瞳で聞き返してくる。


「そうって言ったらどうする?」


 まるで奴隷商の心中を見透かしたような言い方。だがそのディアナ自身も心拍は高く、緊張していたのは事実だった。


 そこで敵わないと思い、奴隷商もちっぽけな意地を張るのを辞める。


「……前はすまなかった。少し感情的になりすぎた」


 ディアナは奴隷商に見えないよう口角をあげる。それは安堵とまだ傍に入れるという喜びが混じった物。


 そして奴隷商の隣を歩く足音は少しだけリズミカルになる。


「私も言葉が過ぎたのは謝る。けどあの日言った事は翻さないからね」


 そこに関して奴隷商は触れない。恐らくその点で和解出来る事はないと思っているからだ。だから話を変えるように奴隷商は言う。


「じゃあこの件は終わりだ。来月もちゃんと借金返せよ」


 するとディアナはわざとらしく目を丸くし白々しく言う。


「え?私が何もしなかったら、踏み倒せそうだった感じ?」


 そんないつもの冗談を言い合うノリを懐かしく思いながら、奴隷商もわずかに微笑む。


「かもな」


 そうして談笑し2人は歩くが、いつまで経っても返されない傘。奴隷商は再びその傘を引っ張ると、思いのほか簡単にディアナの手は解ける。


「じゃあ私はまだやる事あるから」


 後ろで立ち止まったディアナはもう一本持っていたらしい傘を広げる。もう一本あるならわざわざ一つの傘にいなくても良かったのに、そう思う奴隷商。


 だが、奴隷商はただ単純に言う。


「まぁ頑張れ」


 ディアナは笑顔で頷く。そして元来た道を戻るのかと思えば、足先はこちらを向き、ディアナはまた距離を詰めて来る。それは笑顔が張り付いているが、何か暗い物がある。


「ちなみにテラスで仲良く談笑してたの。誰?」


 女のものとは思えないような力で、奴隷商の肩が掴まれる。ディアナの眼を見るに怒っているらしいのは分かり、嘘は付かないよう答える。


「仕事仲間だ。これからの挨拶で」


「……ふーん」


 嘘かどうか確かめるようにジッと奴隷商の顔を見て来るディアナ。だが、少しして満足したのか奴隷商を解放し、軽い足音で手を振ってくる。


「じゃあね」


 そうして騒がしくもディアナは雨音に消えるように去っていく。それを見送った疲労困憊の奴隷商も、今度こそ1日が終わったと再び帰路に就くのだった。

明日はいつもより遅く23時に投稿するつもりですが、それでもより遅くなってしまうかもしれないです。

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