第25話 一難去らずにまた一難
5月28日 誤字修正
奴隷商は街中を歩く。
だがいつもの街とは景色が違い、小奇麗な建物が並び、すれ違うのは身なりの整った人間が多い。そして道路中央へと眼をやれば、豪華な馬車が隣を通り抜けていく。
「……場違いだな」
いつもの黒い外套で歩き回る奴隷商。その目的は定例会に向かうためで、もう三度目にもなるが未だ慣れない。
すると視界端では路肩を掃除する男がいる。見た目は清潔にされているが首には紋があり、その立場を予測させ、誰一人として視界に入れず通り抜けていく。
だからだろう、談笑する男二人組を避けようとして、その奴隷が転げてしまうのは。
「……」
男らは奴隷を気にすることなく通りすぎ談笑を続ける。奴隷も何か言い返そうとする素振りすら見せず、ただ表情の無い顔で立ち上がる。
奴隷商はそのまま歩き、落ちていた箒を拾う。そしてそれを奴隷へと差し出す。
「……ほら」
奴隷はジッとその箒を見つめ、何も言うことなく受け取る。そしてそっと頭を下げるだけで、奴隷商から背を向け自分の業務へと戻っていく。
それを横目に奴隷商は歩き進め、その荘厳な建物を前にする。
「相も変わらずデカいな」
そう独り言を零すと、どうやら奴隷商の後ろを歩いていたらしい官吏の声がする。どうやらそれは官吏にしては珍しく女の声だった。
「そこで止まられると迷惑なんだが」
振り返ると見た事の無い顔。内務省にいる人物なら奴隷商でも覚えているはずだが。そう思いながらも、道を塞ぐ訳にもいかず奴隷商は一歩引く。
「あぁ。申し訳ない」
軽く頭を下げ通り抜けていく官吏。紺肩にかからないぐらいの紺色の髪が揺れる。身なりからして誰かしらの貴族の娘だろうか。
「……にしても気が強そうで」
こんな男社会で生き残るのだから仕方ないのかもしれない。そんな事を思いながらも、奴隷商も続いて内務省の建物へと入っていく。
「本日の定例会への出席しにきました。諸書類はこれで」
出入口で衛兵に要件を伝え、少しすれば奥から案内訳らしき男が現れる。
「遠い所よくご足労頂きました。ささ、どうぞこちらへ」
人の良さそうな好青年。案内役を務めているという事は有望な官吏なのだろう。
そうして案内の元、奴隷商は踏み心地の良いカーペットを踏みしめ、建物内を歩き進める。それで少しもすれば、目的地の会議部屋の扉に到着する。
「今日は内務卿閣下もいらっしゃるのでお気を張り下さいね」
重厚感のある扉が案内役によって開かれる。伺えた中にはポツポツと人影が見える。それを認識しながら奴隷商は軽く頭を下げる。
「失礼の無いよう気を付けるよ。案内ありがとう」
好青年の微笑みに見送られ、奴隷商は会議室へと入る。そしてすぐ一番手前の席に腰を下ろし、全体を見るのだが。
(灯はあんなに高くて意味あるんだろうか)
高く高く掲げられる灯。それは骨組みは金色にされ、部屋内を良く照らす。椅子の一つ一つも一々詳細な細工がされ、これだけで奴隷商の月収は飛びそうな程。
そう辺りを首を動かさずに探るが、ふと見覚えのある顔がある。
(さっきの官吏か)
女で珍しいと思ったから覚えているが、どうやら同じ目的だったらしい。座る席は奥に近く、やはりそれなりの立場らしい。それに手元にある資料をジッと見つめて、ブツブツなにか言っているのを見るに、今日はあの官吏が何か発表するのだろうか。
するとまた扉が開けられ、部屋の中のざわつきが止まる。そしてその男を見て、誰しもが腰を浮かすのだが。
「あぁ礼は良いよ良いよ。そのままそのまま」
現れたのはプレヴァル侯爵。それが屋内の官吏達を窘めるように手で押さえる。そして幾人かを引き連れ入ってくるが、そこにはクリスの姿もある。
それを睨むように視界端に入れる奴隷商だが、間に割って入る様にプレヴァル侯爵が覗き込んでくる。
「やぁ。調子はどうだい?」
喉が詰まるような横隔膜が張る感覚がする。奴隷商はどうにか動揺を悟られぬよう、努めて平静にする。
「いやぁ……中々どうにも」
プレヴァル侯爵の右手が奴隷商の方を掴む。それはがっちりと逃がさないという意思表示で、耳元で囁いてくる。
「あとでちょっと話がある。いいね?」
表面上確認をとるような言葉だが、その実態奴隷商には拒否権は全くない。それを認識し、胃が痛くなりそうになりながらも、ゆっくりと頷く。
「……はい」
すると奴隷商の真横にあった侯爵の顔が、あまりに無邪気にクシャッと笑う。
「聞き分けが良くて助かるよ」
そう言って侯爵は奴隷商を解放し、クリスらを連れ部屋の奥へと進んでいく。その際クリスが、奴隷商を睨み下ろしてくるが、互いに声を掛ける事はない。
それからは疎らに官吏が集まり、定刻になる頃には20人ほどの面子が机を挟み囲みあう。
(やっぱ場違いすぎないか)
見れば、内務卿は勿論、人事に民部に財務と内務省内にある重要ポストのトップがそろい踏み。誰もかれも高貴な血筋で、1人が名乗るのに時間がかかって仕方ない。
そしてその中で初めて見る顔だった、出入口で会ったあの女の官吏が立ち上がる。
「内務省主計部主計官長。クレリアン公エルネストが子クラリスと申します。このような場にお招きいただき恐悦至極に存じます」
奴隷商と話した時は気が強そうに見えたが、流石にこういう場においてはしっかりと名乗るらしい。しかも若くて女なのに、かなりの上位の職に驚く。
と、そこで奴隷商の記憶に掠る物があった。
(あぁこいつがか)
最近ある官吏が任官したという話。融通の利かず愛想も悪く、加えて口の強くて疎まれている官吏がいる噂だった。確かそれも女官吏という話で、親のコネだなんだとやけに評判が悪かったのを覚えている。
そして噂は正しいのか、この場にいる面子は誰もこれも微妙な反応。舐められやすいその立場とは言え、有力貴族の息女でこうなってしまうとは。
そんな事を想っていると、ふと自分に視線が集まっているのに気付く。
「あっ……っす」
次は自分の番だったことを忘れていた。集まる冷たい視線に冷や汗をどっと掻きながらも、奴隷商は喉を震わせる。
「な、内務省商工部━━」
奴隷商は舌を必死に回しなんとか自己紹介をしていく。だがどうにも他に比べ短く終わり、誰からも反応を得る事もなく終わっていく。
それでもとりあえずやりきったと、ほっとしたように椅子へと力なく座る。どうにもこんな堅苦しい場は慣れない。そしてそのまま長ったらしい名乗りが続いて行くのだが。
「内務卿閣下にご紹介に預かりました。ケーン伯クリス・ボーモントと申します。若輩者ですがどうぞよろしくお願いいたします」
いつのまにか貴族になったらしい。平民育ちの冒険者が随分出世したらしいが、それもこれも内務卿閣下の権力か。
そう思っていると、ふとクリスの勝ち誇ったような視線が奴隷商に向いていた。
「……ッチ」
誰にも聞こえないようボソッとストレスを吐き出すが、どうにも苛立ってしまう。
そんな儀礼的な自己紹介は進み、残りの位の高い人物が名乗りを終えると、やっと議題が始まっていく。
「では定例報告から。直近の奴隷価格下落における取引業者に対する支援について━━」
だが、どうせ奴隷商が何か意見を言う機会があるはずもない。あった所で聞く耳を持たれるはずも無く、下手に目を付けられるだけ。だから黙って奴隷商は、眠気になんとか負けないよう唇を噛む。
「次は、北方王国の天領経営の赤字については━━」
というか呼ぶ意味も無いのになぜ自分を呼ぶのだろうか。本気で上は、血筋も人脈も無い下っ端から革新的な意見が出てくるとでも思っているのか。
「この所届を得ず、違法に奴隷紋を付けた奴隷の売買が頻発しており━━」
だが、長い。あと半年の辛抱とは言え、この時間があるなら資金集めに奔走したい。
そう全く話を聞いていない奴隷商。だが、そのプレヴァル侯爵はニコニコと奴隷商をジッと見ていた。
「君はどう思う?実際に奴隷達と関わる身として」
その言葉は確実に上の空だった奴隷商へと向いていた。そしてその奴隷商はというと、心臓が一気に縮むような痛みを感じながら、首はギィっと音を立てながらその侯爵を見る。
「え、えぇ……そうですねぇ」
必死に思考を巡らす。
だが、幾ら考えた所で聞いていなかった話の流れは掴めない。それにどうせまともに話は聞かれない。そう思う事にして振り切って答える事にし、ゆっくりと立ち上がる。
「奴隷に関わる身としては、やはり奴隷価格の不安定さがそうした諸問題の原因になっているかと」
笑顔を張り付けプレヴァル侯爵の顔色を伺う。色々濁して広範囲に当たる様に言ったつもりだが、どうだろうか。
そう不安がっていると、どうやら乗り切れたらしくプレヴァル侯爵は頷いてくれる。
「まぁ儲けが出ない状況で、国に手数料払うのを嫌がる商人は多いだろうしねぇ」
発表していたらしき官吏が、プレヴァル侯爵の言葉に頷く。どうやら未登録の奴隷売買の問題について話していたらしい。
そこでなぜかプレヴァル侯爵は、奴隷商に問いかけ続ける。
「で、君ならどうする?」
「……私が……ですか」
周りがなぜこいつに聞くんだと、明らかに怪訝そうな顔をする。それは奴隷商も同意だが、やはり以前の件で目を付けられたのは確からしい。
「一度国が買い上げるか、下限価格を設定するのが今すぐできる対策かと……」
どうにか安パイに答えたつもり。だが、それが良くなかったのか面白くなさそうにプレヴァル侯爵の顔は真顔になる。
「ふーん」
俺にどうしろと言うんだ。ここで下手に奇をてらって意見を出せば、叩かれかねない。それで無難に言ってはつまらないと。
奴隷商は一刻も早くこの場から居なくなりたくなる。だが幸運な事に、そこでプレヴァル侯爵の興味が移り、女官吏のクラリスへと問いかける。
「君はどう思う?」
すると表情一つ変えずクラリスは立ち上がる。そして艶やかな紺色の髪を耳に掛け、自信ありげに声を張る。
「一斉検挙以外無いでしょう。元を正せばこの国の奴隷は全て皇帝陛下の物です。それをわざわざ商人どもに貸し出してやっているのですから、約定を違える不忠な者どもに気を遣う必要性はありません。それこそ不正な売買に手を貸す貴族の噂もありますし、膿を出し切ってしまいましょう」
一言が長いというか、息継ぎをせずよくもまぁ言い切れたものだと感心する。それに何か裏があるのか、クラリスは特定の官吏をジッと見ている。
そんなやり取りを見る奴隷商。あのクラリスとかいう官吏の、一々刺々しいというか、自身が攻撃されていないとしても少し腹の立つ言い方。この少しの時間で、この官吏が嫌われている理由が分かった気がする。
だが1人、プレヴァル侯爵は高笑いをする。
「いやぁ、流石建国以来の重臣のご息女だ!苛烈公の血筋がそうさせるのかな!?」
明らかに微妙な空気になる。だが、その言葉にもクラリスは顔色一つ変えず、言葉を返す。
「それで、内務卿閣下のお考えではご対応はどうなさるので」
プレヴァル侯爵は問い返され目を丸くする。だが質問には答えるらしく、うーんと唸りながらも、元々結論は決まっていたかのように答える。
「来週には親征軍の凱旋もあるからね。そこで入ってくる奴隷の処遇を決めてからにしようと思ってるかな」
つまりは先延ばしをするという事。なら聞かないで欲しいのだが、一応会議な以上意見を求めたに過ぎないのだろう。
そんな事がありながらも議題は進んで行き、定例報告会は終了に向かっていく。はずだったが、今日はまだあるらしい。
プレヴァル侯爵は、立ち上がりクラリスへと視線を集めるように言う。
「で、今日彼女がこの帝国をより良くする為の献策をしてくれるらしくてね。ちょっと皆々方のお耳をお貸しいただきたい」
プレヴァル侯爵がそう低姿勢に礼をし、その紹介で立ち上がるクラリス。まだ続くのかと奴隷商は面倒に思うが、とりあえず聞く。
そしてクラリスはプレヴァル侯爵の後ろを回り、全員の視線が集まる様中央にいく。その姿は自信に溢れ、何をするのかと奴隷商の興味も少しだけ向く。
「では、皆様にお配りした資料にお目をお通しください」
奴隷商は言われた通りに何枚かある紙を捲る。のだが、なぜか他の官吏達は紙を捲る素振りすら見せず、奴隷商が1人異常な行動をしてしまったような感覚になる。
だがそんな異様な光景にもクラリスは表情を変えず、淡々と話し始める。
「御覧の通り度重なる親征に祭事による出費が重なり、帝国の財務状況は極めて厳しい現状になっています」
奴隷商は言われた通りに資料を眺めるが、確かに直近5年で蓄えがかなり寂しい数字になっている。どうやらこれを主計局の人間として問題提起をしたいらしい。
そう思ったのだが、どうにもベクトルが少し違うらしく。
「それもこれも皇帝陛下の直轄領が少なく、重臣貴族らの専横が進んでいるからに他ありません」
官吏たちがザワザワし始める。
それもそうで官吏とはいえ、殆どが貴族の人間ばかり。平民は殆どおらず、クラリスはこの場の全員に喧嘩を売っているにも等しい発言。
そしてその言葉が一番向けられているであろう、プレヴァル侯爵はなぜかニコニコと不機嫌を顔に出さない。それが奴隷商には気味悪く見えたが、クラリスも調子変わらず、刺々しく続ける。
「ですので、私が選定した12の関所と5つの都市に7つの鉱山を天領として召し上げ、国庫の収入源としようと。そういった提案になります」
配られた資料にはわざわざ地図付きでその地点を示している。だがどれもこれも主要な鉱山や港、主要街道ばかりで、貴族たちが簡単に手放す訳の無い重要な土地ばかり。
そしてこの場にいるのは貴族官吏。自身の権益が不当に奪われそうになれば、その提案を受けるはずも無く、いくつもの声が反発をする。
「任官1か月で出過ぎた事だと思わんのか」
西方の重要地域の辺境伯の息子が声を上げる。だが怯む事無くクラリスは睨み返す。
「思いません。私の献策が国益にそぐわないと思われるなら道理で却下して頂きたい」
この様子では一切根回しという事をしていないらしい。誰一人クラリスに味方をせず、次々と不満が噴出する。
「そもそも貴殿の実家であるクレリアン公の領地から差し出すのが道理であろう!」
そんな批判をしてくる貴族官吏を、クラリスは呆れたように鼻で笑い、手に持った紙を叩く。
「……資料を見ていないので?都市2つと関所4つを差し出していますが?もう少しまともな批評をしていただきたい」
だが理屈で言い返したところで、クラリスの態度も相まって批判はヒートアップしていく。
「そもそも金が無いからと臣下の領地を召し上げるなど、全く道理にかなっていないではないか!」
奴隷商以外の貴族たちは既に立ち上がり、その指先はクラリスへと集中している。ただプレヴァル侯爵周囲だけ静観しているのは、事前に提案を知っていたからなのだろうか。
奴隷商は巻き込まれないように気配を消しながら様子を伺う。そんな中でも、一切怯む事の無いクラリス。
「皇帝陛下は親で、臣下は子です。親の危機には子が支援するのが道理では?」
なんとなく奴隷商が話の流れを見て思うのが、クラリスという官吏は皇帝陛下への忠義が厚いのだろうということ。ここまで針の筵になってまで、貫こうとするその意気はすごいと思うが、どうにも批判が溢れかえる。
「そもそも主従を親子で例えるのが間違っている!それに臣下を顧みない君主は歴史上必ずと言っていいほど暗君なのをご存じないか!?」
まだプレヴァル侯爵は何も仲裁しないのか、ニコニコとその言い合いを眺める。
「君主を立てれない臣下が多いから暗君にならざる負えなかったのでしょう。我が帝国にそんな害虫がいる訳ないと信じていますが」
クラリスの暴言にも近いような害虫発言。それが余計に、論点をズレさせてしまっていく。
「こんな不躾な献策!!登用してくださった内務卿閣下の面目を潰す気か!!」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、クラリスは眉を上げわざとらしく言う。
「……?なぜ私の提案が閣下の面目を潰すので?まさか貴方は閣下が領地を差し出すのを嫌がるような、小心者だと仰りたいので?」
クラリスにそう言われた禿げ頭の貴族は、歯ぎしりを鳴らし黙ってしまう。この辺りで、クラリスに何を言っても無駄だと思い始めたのか、貴族官吏たちは静かになってしまう。
と、そこで静観をしていたプレヴァル侯爵はパンっと乾いた音を両手で鳴らす。
「皆皇帝陛下の為に熱い議論をありがとう。ここでどうだろう。多数決を取ってみないかい?」
クラリスは表情を変えずプレヴァルを見る。他の貴族たちもその提案なら良いと、鞘を納めるように各々席へと戻っていく。
「じゃあ彼女の献策に賛同する人」
クラリスの長い手が一本あがる。だがそれ以外は誰一人上げず、勿論奴隷商も面倒ごとに巻き込まれたく無いので手を挙げない。
「彼女の献策に反対な人」
ゾロっと沢山の手が上がる。その中には奴隷商の手も含まれている。
(せめて根回ししろよ)
この光景を見て奴隷用はそう思うが、何かする訳でも無く意思表示を終え手を下ろす。それで今日は終わりかと思えば、プレヴァル侯爵の視線はまた奴隷商へと向く。
それに奴隷商は気付かないふりをするが、プレヴァル侯爵の声は会議室内に響く。
「ん~やっぱ皆も生活があるから反対だよねぇ。私としては彼女の献策も一理あると思うから、形にしてあげたいんだけど……」
まさかクラリスの提案に賛同するのかと、貴族官吏たちはざわざわとし始める。
そしてその視線が集まるプレヴァル侯爵はというと、逃がさないと言いたげにジッと奴隷商を捉え続ける。
「君はどう思う?」
奴隷商は思わず天井を見上げてしまう。答えないわけにはいかないので、とりあえず言葉を用意する。
「私は政には疎いもので。聡明なる官吏の皆様の総意が正しいと思いますが」
上手くかわしたつもりだった。
だが下手に隙を与えてしまったらしい。プレヴァル侯爵は意地悪に笑い、おちょくるかのように厳しい事を言ってくる。
「私は彼女の意見に賛同なんだけど。私は聡明じゃないってこと?」
このクソジジイ。そう思わず口に出しそうになるが、唇を噛みどうにか抑える。そして震える喉で釈明をする。
「内務卿閣下が聡明でないはずもありませんし、それが分からないとなればやはり私に政は向いていないのでしょう」
のらりくらりと避けようとする奴隷商。それをじれったく感じたプレヴァル侯爵は、誰が見ても分かる様に顔を顰め、声に圧を増す。
「君は下の人間として意見を上げるのを求められそこにいる。その責務を放棄すると?」
相も変わらず当事者なはずのクラリスは表情を一つも動かさない。それどころか、自分の献策に注文を付けられるなら、言ってみろとそんな顔すらしている気がする。
奴隷商は重い腰をあげ、全体の視線を浴びる。
「……では僭越ながら」
おそらく下手な意見を言えば、プレヴァル侯爵の気を害してしまう。飛ぶ鳥を落とす勢いの侯爵に嫌われれば、奴隷商のような些末な存在がどうなるか。
必死に生き残るために思考を巡らす。だが時間をあまりかける訳にもいかないので、なんとかなってくれと願い口を開く。
そこでふと、今日の議題を思い出す。
「北方の王国の征服地。今は全て皇帝陛下の直轄地ですが、民衆からの反発に苦戦しかなりの赤字が垂れ流されていますよね」
今日の資料にそんな事が書いてあった。あと数年もすれば軌道に乗り収入が安定するとの事だったはず。
そしてプレヴァル侯爵も同じ資料を手に頷く。
「うん。そう書いてあるね」
プレヴァル侯爵はそう言って、続きを促すように資料から視線を挙げる。そこで奴隷商は、虚勢を張る様に腹に力を入れ、震える足を抑える。
「ならばいっその事領地の転封をしてしまえばよいのではないでしょうか。北方は穀倉地帯で鉱物資源も豊富ですし、喜ぶ貴族も多いかと。それで空いた領地を皇帝陛下の天領とすれば、不満な人間はいないでしょう」
口の中が嫌に乾く。これが正しいと思っている訳でも無く、ただそれっぽい提案が出来ればと口を回し、プレヴァル侯爵の顔色を伺う。
するとどうにも読めない表情を見せるプレヴァル侯爵。
「数年後の利益より目先の利益ってことかぁ」
長期的に見れば北方の土地を治めれば莫大な利益がある。だが今は赤字を垂れ流す不採算事業。そんな現状から発想を得た提案で。
「ですが、将来的に収益が見込める土地ならば、貴族も満足のいく転封先の土地として適切かと」
頭の中が熱い。周囲から自分がどう思われているか気にする余裕すらない。だが賛同の声が聞こえない辺り、やはり貴族官吏らにとって容易に受け入れられるものでは無いのだろう。
そしてそれを説明するようにプレヴァル侯爵は言う。
「土地は値打ちだけで決まる訳じゃない。先祖代々の土地には値札を付けれない程の価値がある」
その言葉に貴族官吏たちが深く頷く。どうやら奴隷商の提案は受け入れられ無さそうかと。そう焦りそうになる奴隷商だが、プレヴァル侯爵の口から想定していなかった言葉が出る。
「じゃ、私の領地を交換しようか。幸い私が初代の家だからね。土地に拘りはないし、それで皇帝陛下の御為になるなら」
奴隷商は全身から力が抜けるような感覚に陥る。自身の提案を受け入れたという事は、少なくとも首が飛ぶことは無くなりそうだからだ。
だがある意味献策を潰されたクラリス。それは苦い顔をする。
「転封先と元の土地の選定は誰がなさるおつもりで」
奴隷商は自分が話題の中心からずれたと、静かに椅子へと座る。それをプレヴァル侯爵は一瞥しつつも、クラリスへと返事をする。
「それは私の方で進めて、皇帝陛下にご裁断していただくよ。もちろん君の献策だってことはしっかり伝えるからね」
柔和な笑みを浮かべるが、クラリスには拒否権は無いと、そう言外に伝える圧がある。それは流石に大立ち回りしていたクラリスでも、引かざるおえないもので渋々俯く。
「……はい。お気遣い痛み入ります」
まぁ心中はどうあれプレヴァル侯爵が身を切って、帝国の財政を支えたという事は事実。献策をしたクラリスが、それを拒めるわけもない。
そして今度こそやっと終わりらしく、プレヴァル侯爵は声を張る。
「じゃあ今日はこの辺りで締めようか。今晩ちょっとした宴があるから、皆参加してね」
そうして異常に疲れた定例会が終わっていく。奴隷商も酷く汗を掻き、ただ悪い結果に陥らなかった事に安堵するしかない。
だが、内務卿閣下からの宴の誘い。それを断る事はまず出来ないので、また気を締め直す。
「……晩までどこで時間を潰すか」
ざわざわと雑談をする官吏達。それの間を抜け、さっさと会議室をあとにしようとする奴隷商。こんな重苦しい場に一秒でも長くいたくないからこそだったのだが、その皺のある手が肩をがっしり掴む。
「ちょっと話あるって言ったでしょ。疲れたのは分かるけどさぁ」
そういえばと奴隷商は思い出す。また胃が痛む感覚を覚えながら、振り返るとやはりそこにはプレヴァル侯爵がいる。
「さっきの提案良かったよぉ。君がいてくれて良かった良かった」
おだてても何も意味が無いというのに、肩を何度もたたき褒めてくれるプレヴァル侯爵。奴隷商は薄気味悪い感覚を覚えながらも、その要件を伺う。
「それで。お話というのは」
もう汗は絞り切ってしまったのか出ない。ただ喉が震え異常に喉が渇いてしまう。
そんな奴隷商にプレヴァル侯爵は顔を近づけ、耳打ちをしてくる。
「今度の皇帝陛下の凱旋にさ。君の所の龍人の奴隷を見世物にしたくてさ」
奴隷商の呼吸が止まる。一斉に頭の中に疑問が浮かび上がり、瞳孔が異様に揺れてしまう。
(アリシアが目覚めたの昨日だぞ……なんでそんな早く)
だが、経緯はどうであれ、事実としてこの侯爵にその事が伝わってしまっている。それが問題で、一難去ってまた一難ということ。
焦りに動揺で満ちる脳内だが、沈黙は不味いと反射的に奴隷商は答える。
「……内務卿閣下の要請とあれば喜んで」
奴隷商にはそう言うことしかできない。どこまでいっても下っ端の官吏でしかなく、それがアリシアにとってまずいのを理解していてもどうにもできない。
だがその我慢の甲斐あり、プレヴァル侯爵の顔は微笑む。
「二つ返事とはいいね。お礼と言ったらあれだけど金銭支援と、観覧席に君の奴隷達も招待するよ」
それだけだったのかプレヴァル侯爵は奴隷商を解放し、他の貴族官吏達へと話しかけに行く。
それをボーっと眺めていると、人混みの間からクリスが得意げにこちらを見ているのに気づき、無視し背を向ける。
「つっかれた……」
キィっと扉を開け、どうしたものかと奴隷商は内務省の荘厳な建物中を徘徊する。
「どっか一人になれる所は……」
どうにもまずいことになった気がしてならないアリシアの件。どうせ断る事は出来ないのだから、心配しても仕方ないが、それでも胃を痛めてしまう。
そうしてしばらく時間が経つ。すると開けた事のない一つの扉が見え、その床との僅かな隙間からは外の光が見える。それに引かれるように奴隷商は歩みを早める。
「外の空気吸えば多少マシになるか」
ドアノブを押すが、ギギっと歪な音がする。あまり使われていないのかもしれない。そう思いながら扉を開けば、薫ってくるのは葉巻の煙。
「……あっ」
奴隷商は扉を開けて後悔する。一番面倒そうな人間がそこにいたからだ。そしてその人間は柵に体重をかけ、フーっと煙を吐きながら言う。
「お前か」
彼女の手に持つ、パイプの先から上がる煙と一緒に彼女の青髪が風に靡く。その眼は見るからに不機嫌そうに、ジッと奴隷商を捉えている。
そこで奴隷商は咄嗟に目を逸らし、扉を閉めようとする。
「失礼しまし━━」
だがガタッと扉は音を鳴らし、それ以上閉まる事が無い。
視線を上げれば、扉には細い指がかかり、その向こうからは、不機嫌を隠さない声が響いてくる。
「何を逃げる事がある。ちょっと来い」
ギギっと扉は無理やり開かれ、クラリスの不機嫌な紺色の瞳が青空を背景に現れる。
どうやら今日はとことん面倒ごとに巻き込まれる日らしい。奴隷商に抵抗するだけの元気はなく、ため息と共に諦めたように扉から手を離すのだった。




