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奴隷商の男  作者: ねこのけ
第二章
21/49

第21話 遠雷と邂逅


 湿気のある空間に広がる、鼻をつく酸味のある腐ったような匂い。そんな中、弱々しく今にも消え入りそうな吐息と、天井を叩く雨音。


 横たわるその肉塊。前身は未だ赤く爛れ皮は捲れて人の形を保っているかも怪しい。だがその淡い空色の瞳は開かれ続ける。


 痛みに溢れる涙は、荒れた肌に染み、それがより痛みを増長させる。全身で血管が脈打つと同時に痛む節々。それから逃れれる事は一切ない。


 そう思っていたが、この所彼女は安眠して寝れる日が続いていた。


「ありがとう」


 その人影になんとか口を動かして伝えようとする。だが、どうにも伝わらなく、その影の言葉すら聞き取る事が出来ない。


 だが確かなのは額に暖かな感覚と、全身を抜けていく痛み。それだけが毎晩の楽しみで、唯一の痛みから逃れられる時間。


 毎晩毎晩その影が来た。理由も分からず誰かも分からない。だけど毎晩決まって同じ時間に来てくれるその影。こんな姿になってまで、まだ見捨てない良い人がいるのだと思った。


 だがそれ以上に湧き出る罪悪感。


 自分でも助からないのは肌で感じている。なのにこんな私に付き合わせてしまっている申しわけなさ。何度謝ろうとしたか。でも、もう既に謝るだけの舌も喉もほどんと使い物にならなかった。


 そして意味も無くここまで生き残ってしまった。


「……」


 コヒュコヒュと漏れ出るような呼吸音。僅かに眼球に写る真っ暗な部屋。体はもう動かず、自分の先の短さを認識してしまっている。


 そしてどうやらその終わりが今日来たらしい。

 突然激しくなる、全身の関節が逆方向に曲げられていると思う程の痛みに、肌すべてに焼き印されたような熱さ。それは暫く使えないでいた喉すら動くほどだった。


「ア゛………アァッ……」


 人間の声とは思えない呻き。それを聞き取る余裕は彼女に無く、痛みから逃れるようにもぞもぞと蠢く。


 だが、その呻きは誰にも届くことなく部屋の中に木霊する。そしてそれは段々と小さくなり、荒かった呼吸は静かになっていく。


「……」


 そしてピタリとそれは止まる。体は動かず、彼女が痛みを感じる事も無くなっていた。


 ただ僅かに部屋を照らす雷鳴。それを遮る様にのそりとその体は持ち上がったのだった。


ーーーーー


 ラウラは部屋から逃げるように走り出ていた。あの場にいる全員が気に入らなくて、もう何もかも面倒になってしまっていた。


「猫って……そんなしょうもない言い訳……ッ」


 絶対嘘に決まっている。クロエの事だから自演がバレそうになって、咄嗟に言い訳をしただけ。


「なのになんで皆信じるのッ」


 乱暴になっていく足音。

 コンラートの能天気さに、クロエの邪悪さに、ハンナの嘘の甘さに。そして奴隷商の無意味な自己犠牲に、なにもかも腹が立っていた。


 だが、段々とラウラの足取りはゆっくりに、そしていつの間にか立ち止まってしまっている。


「……私がバカみたいじゃん」


 感情は拒んでいても理屈では分かっていた。あの場で私が笑顔で握手をすれば、一応の解決を見せていた事。クロエが謝罪して、あとはハンナを納得させる。それが一番の最善だったことも。


 だが、どうにもそれを受け容れられなかった。自分がなんとかしよう、そう努力したのに結局蚊帳の外だったこと。余所者の大人が勝手に解決をしようとしたこと。それが不満で苛立って仕方ない、そんな幼稚な感情だった。


「……私も自分ばっか」


 ため息が零れる。


 これでこのまま一人になれればいいが、今日も訓練に座学とあるから顔を合わせないといけない。それが陰鬱でしかない。


 意味も無いと思いつつ私は部屋へと逃げた。奴隷商に咎められようが、今のうのうと顔を出すだけの余裕が無かった。


「……」


 自室へと戻れば空っぽ。何か物がある訳でもなく、ガランと寂しい部屋。ラウラはよろよろと進み入り、自分の寝藁へと飛び込む。


「あーーーーー」


 藁を布でくるんだだけの枕に叫ぶ。胸の内を吐き出すように、段々と大きくなるその叫びを押し付ける。


 そして肺の中の空気が出し切ると共に、その声は尻すぼみに小さくなっていく。それと共に段々と力が抜けていき、どっと疲れが滲み出る。


 少しずつ微睡んでいく意識に、変わらず激しく建物を叩く雨音。


「またひとり」


 ぽつりとつぶやく。するとそんな中、木の軋む音と共に入り込んでくる寒風。


「ラウラさん。一緒に戻りませんか」


 風と共に届くハンナの声。どれぐらい時間が経ったかラウラには分からないが、それが迎えに来たらしい事は分かった。


「……あとでいく」


 ラウラは伏せたまま右手だけあげる。行く気など無いが、それでも言葉の上ではそう返事する。


 だが、差し込む冷風が止まる事が無い。


「……私だって納得はしてないです」


 ラウラは返事をしない。それを知っていても、それでも良いとハンナは続ける。


「でも私と違ってラウラさんには信用があります」


 ごうごうと風が窓を叩く。

 遠くからは雷鳴が聞こえる。そしてキィっと扉が軋む音がする。


「それに……ラウラさんの心情も分かってるつもりです」


 さっきはあれだけ迷惑を掛けたというのに、そんな言葉を投げかけてくれるハンナ。その歳下からの優しさが、余計にラウラを追い詰める。


「……あんたに何が分かんだよ」


 情けないと自分でも思う。それこそハンナの方が苦しい立場なのは分かっている。

 

 だがそんなラウラの様子を、ドアノブを握ったままのハンナはジッと眺める。この短い期間で精神的に参っている人間を多く見てきたハンナ。そして自分自身一度は潰れた経験。


 今の自分自身この現状に混乱し苦しかった。それこそ今朝はラウラの行動を迷惑に思ってすらいた。だが、それでも弱っている人間にを見捨てる事が出来ないのが、ハンナの性質というものだった。


「何か……話したい事があったら呼んでください。同室ですから」


 その言葉を最後に部屋の中に差し込む寒風は止まる。今は1人で整理する時間だと、ハンナはそう判断したからだった。


 そして残されたラウラは深いため息と共に、髪留めを外し、仰向けになる。


「ほんと。情けない」


 視界を覆うように目元を腕で塞いでしまう。

 

 これまでの人生本当に碌な物じゃなかった。まともな人生というものを想像できないような生まれで、配られた手札はどれも貧弱。


「なーんでこんな人生なんだろ」

 

 ラウラの輪郭のぼやけた瞳は、ゆっくりと瞼の裏に隠れていくのだった。


ーーーーー


 ラウラは奴隷の子供だった。母も父も祖父も祖母も奴隷。産まれた時から首には紋があり、どうやっても決まった人生。

 

 そしてラウラにとって見慣れた景色は、薄暗い石壁に囲まれた空間だった。


「あと20年働けば市民権が貰えるって」


 家族5人。それが狭い部屋に押し込まれ、月明りだけを頼りに薄いスープを囲む。

 そんな中の父の言葉に、母は何も表情を動かさず答える。


「私のお父さんはそう言われたまま死んだけど」


 母の言葉に誰も言葉を発さない。ハツラツな歳のはずのラウラの弟妹らは、痩せこけ手元を震わせながらスープを啜る。


 それを遠い眼で眺めながら父は言う。


「でも働くしかないから。それでいつかラウラ達が解放されるなら」


 気の弱い父だった。産まれた時から奴隷で陽気な性格になる訳もない。だがそんな弱々しく曲がった背を覚えている。


 だがその父もすぐに死んだ。農奴として働く中、監督官達の”遊び”で水路に落ちたらしい。父とは違う農場で働いていたから、その現場は見ておらず、何も別れらしい別れも無かった。


 そして一人減った食卓。少しだけ石壁に囲まれた部屋が広く見えた。


 そこで皿を床に置いた母が呟く。


「私は街の方に行くことになったから」


 その意味を弟達も妹達も理解出来ない。だがラウラだけはそれの意味を理解していた。


「……いつ帰ってくるの」


 日に日に薄くなっていくスープと、小さくなっていくパン。母は自身のスープを末子に分けつつ答える。


「帰って来れると良いけどね」


 奴隷が自由に街に行けるはずもない。行くとしたら何かしらの役務に送られるとき。そして女が行くとすれば一つだった。


 そしてそこから帰ってくる事。それも殆どない事は、母も知っていて最後に言葉を残す。


「だから頼んだよ。お姉さんなんだから」


 この時も頭を撫でて貰う事は無かった。ラウラの人生では結局母から頭を撫でられたことはなくなったのだ。ただ、いつも無表情の顔を張り付ける母の顔しか、ラウラの記憶には残らない。


 そして次の日の朝にはまた部屋が少し広くなった。そしていつもと違い、ラウラが朝食を貰いに行こうと、監督官らの所へと向かうのだが。


「お前の所2人減ったんだよな。ちょっと飯寄越せよ」


 隣の牢の中年の男。それが列に並ぶラウラに話しかけてくる。だが、ラウラに相手をする元気はなく無言でその返事をする。


「……ッチ、だんまりかよ」


 同じ奴隷でも大人は信用してはいけない。奴隷だからって善人な訳もなく、誰もかれも余裕がないから。


 だがラウラが配給のパンを受け取り、牢へと戻るさなかのこと。


「じゃ、もらってくぜ」


 2つしか無いパンの一つを、そう無造作に持って行ってしまう隣人。流石にラウラも許す訳にいかず声を出す。


「それ……私達のです」


 痩せこけっているとはいえ、体格では2倍以上ある相手。だがその男はラウラを相手にもせず、自分の牢へと戻っていく。


「ガキはそんぐらいで十分だろ」


 そんな自分勝手な言葉を大人が言う。

 こんな経験が何度も何度もあったからかもしれない。ラウラの中に大人に対する不信感が募ったのは。


 そうして戻って朝食をラウラ達は摂る。自分の分を減らし下の子達にご飯を多く分配するのだが、今朝は落ち着くことなく妹が急に吐き出してしまう。


「大丈夫だから。ゆっくり落ち着いて」


 一個下で今年で12になる妹。その背を優しくさする。


「お姉ちゃんが一緒だから」


 この時には既に限界だったと思う。でも、限界でも頑張らないと、正気を保っていないと死んでしまう環境だった。


 だが、その吐き気が始まりでしかなかった。

 

 次の日いつものように農作業が始まる。丁度収穫期な事もあって、辺りは麦色で広がっている。


「……腰いた」


 同じ区画で妹弟らは働いている。だが一緒にいる時間は短く、その顔を見る事すら少ない。そんな中どこからか怒声が聞こえる。


「なァにが休ませてくださいダァ!?鉱山送られてェか!?」


 いつもの怒声と何かがひしゃけるような音に、鞭の空を切る音。それをいつものことだとラウラは無視して、収穫をしていく。


 そしてその日の夜。妹の顔は腫れていた。どうやら作業中また吐き気と体調不良が襲ったらしい。ラウラは日中のあの怒声の意味をやっと知る。


 ラウラは妹を介護するようにスプーンにスープを満たす。


「食べれる?」


 ラウラは妹に少量ずつ嚥下させるように落ち着かせる。だが妹は胸の辺りを抑える。


「……いたい」


 体調が明らかに良くなかった妹だが、この日は監督官に呼ばれたらしく、帰ってきたのは夜遅くだった。昼間の罰という事だったが、帰ってきた妹の乱れた髪で察してしまうものがあった。


 だがラウラは何も聞く事が出来なかった。聞ける様子では無かったからだ。


「今日は寝よう。ね?」


 優しく妹の背を押す。そして残しておいたパンを与える。


 そして数か月後。段々と妹の様子は変わっていく。だが、それを誰も指摘はしない。ある意味女の奴隷にはありがちな常識で、ラウラ達にとってはクソみたいな常識。こんなのが罷り通るのが異常な世界。


 そんな中相変わらず体調の悪い妹。だが、奴隷がそれで休めるはずもなく。


「姉妹揃って文句バッカだなぁ?奴隷の癖によォ」


 なんとか休めないか監督官の男へとラウラは頭を下げる。だが頭上から響く気持ちの悪い声。可能性が低くとも、なんとか説得しようと、妹を守ろうとする。


「体調が悪いまま奴隷が死んでしまえば、それこそ奴隷主様たちの為になりません。どうか、どうか、ご理解ください」


 出来るだけ低姿勢に。理屈を立てて相手が理解できるように。そうしたつもりだが、その男にはバカにされているようにしか感じられなかったらしい。


「あ?奴隷のクセにナニむずかしィこと言ってんだ?」


 乱暴にラウラの髪の毛が掴まれる。それで何をされると思えば、上げられた顔面に男の膝が叩きこまれる。


「オメェらは黙ってゆーこと聞いてれば良いんだよォ!」


 意識が飛びそうな程何度もラウラの顔面には膝が叩きこまれる。


 バコッバコッとおよそ人を殴る時になってはいけないような音が響く。だが誰もそれを助けようとも、視界に入れようともしない。

 それでもラウラは歯を食いしばり、なんとか意識を保たせる。


 そしてしばらくして、やっと飽きたのか、その男はラウラを投げ捨てる。


「今日も仕事したなぁ~」


 男の呑気な声が、地面に伏せられたラウラに聞こえる。顔には青あざ、鼻血は当たり前のように流れ、奥歯が抜けてしまっていた。


 だが、ラウラの心はなんとか保っていた。


「……くっせぇんだよ。クソ野郎」


 なんとか体を起こす。血はダラダラと地面へと垂れて行ってしまう。だが、それでもこの日は妹を守れたと、役目を果たせたと満足していた。


 そして一つラウラの中に決まった事。


(大人なんてクソだ)


 出会う大人は皆クソ。もれなくクソ。両親だってこんな境遇になると分かっていて、私達を生んだんだから同類。


「皆で乗り越えよう」


 心配そうにする妹の肩に優しく手を置く。同じ境遇の奴隷同士で助け合うしか生き残る方法はない。裏切りなんて以ての外。


 そんな経験がラウラの人生観を形成していく。だがこれ以降のラウラの生活は、ひたすらに暴力の中。一度目を付けられれば、理由を付けて殴る蹴るが当たり前。


 こんな境遇。いつか死んでしまってもおかしくない生活。転機があったのは2ヵ月後の事。どうやら農場を所有する貴族の経営が悪いらしく、一部の奴隷が売りに出される事になる。


「オメエ毎回鬱陶しいから出てけ。妹ちゃん達は俺がしっかり面倒見てやるよ」


 私だけ。私だけが売られる。死ぬなら家族と死にたい。そう思っても奴隷である私には拒否権などなく、監督官の気持ち悪い笑みに見送られる。それは妹達との見送りすらない、何も感情の整理できない別れだった。


 そうして私は、いくつかの商人を転々と送られた。どうやら自分には価値が無いらしく、売り払われては端に追いやられ、忘れ放置される日々。


 それで一年ほどだった頃だろうか。このまま死ぬんだろうなと漠然と思っていた中、あの男が現れたのは。


「こいつは?」


 ゆらゆらと浮かぶランタンには、少し若い男の顔が見える。だが、酷くやつれ疲れているように見えた。


 するとその隣にいる鼠顔の男が答える。


「いやぁこいつは上物でっせ!魔力はありやすし面だって悪くねぇですよ!?」


 汚らしい大人。どうやら売り残りの私をどうにかしようと、嘘をついているらしい。特有の嘘を付く卑しい大人の顔だった。


 だが、黒い外套に包まれた男は、表情を変えることなく問いかける。


「……こいつは売られてどれぐらいになる」


 その質問を意味が分からないと言いたげに、鼠顔の男は首を傾げる。


「まぁ売られて1年ですかねぇ?各地を転々としてたらしくてぇ」


 奴隷商の眉が鼠顔の事を疑うように動く。だが、それでも奴隷商は懐からペンを取り出す。


「500ゴールドで買う」


 どうやらこの男に売られるらしい。そう思ったのだが、鼠顔は粘る。


「最近10人も売ったらしいじゃないですかぁ?もう少しお気持ちを?ね?」


 人を目の前に、まるで商品かのような取引が行われる。彼らからしたら物でしかないとしても、ラウラにとって不快なものでしかなかった。


 だが、未だにその奴隷商の顔はフードの奥に隠れ見えない。


「……もう4人も死んだよ」


 そんな呟きに鼠顔は意味の分からないといった顔をする。


「?出荷代金を貰ってるなら関係無くないですか?」


 一瞬の沈黙。だが奴隷商は思い出したかのように相槌をうつ。


「……そうだな。そうだった」


 大人二人は契約書を交わし、私を買っていく。そして連れて来られた施設は、意外にも小奇麗な所だった。食事は比較にならない程ちゃんとしているし、部屋だって相部屋。暴力も呼び出しも無い、そんな環境。


 普通なら喜ぶべき環境。だがラウラからすれば、奴隷を買っておいて中途半端に、施している気にでもなっているのかと。加害者の癖に聖人ぶっているのかと。大人への不信感に加え、奴隷商の態度が気に入らなく、そう苛立ってしまっていた。


「だが、その心構えだけは無くすなよ」


 確か入って少しした頃。レイラに対して奴隷商が言った言葉。まるで奴隷達の事を想っているとでも言いたげな、その言葉と優しそうな顔。その中途半端さが堪らなく不快だった。加害者の癖に善良であろうとしている気持ち悪さ。まるで自分は正しい事をやっているとでも言いたげな顔。


「……なら私達全員助けろよ」


 この時雨音に隠れるよう、私は呟いた。だがこの時奴隷商に反発をしたレイラに、懐くのは仕方のない事だったのかもしれない。


「レイラさんは怖くなかったんです?」


 夜。まだ施設に来たばかりのラウラは、同室のレイラに問いかける。そしてレイラは、毛布に包まったまま寝返りを打つ。


「怖いに決まってんじゃん。でも誰かが言わないと終わらないから」


 自分と同じだと思った。自分と同じように誰かの為に自分を犠牲に出来る人。レイラは初めて分かってくれる人が出来たと、心臓が跳ねたのを覚えている。


「わ、私も!次は一緒に言います!」


 藁が辺りに舞う。そんなまだ幼いラウラを見て、レイラは微笑む。


「うん。心強いよ」


 それからはひたすらにレイラと行動を一緒にする。いつでも傍にいて、レイラが何か言えばラウラも賛同する。そうしてレイラが売られた後も、代わりが務まる様頑張ろうと思ったのに。


「なのに何やってんだろ」


 同室であり3つも下のハンナに気を遣われる始末。いつかのレイラとは似ても似つかないダサい姿。震える喉で深く息を吸う。


「……嫌なこと思い出した」


 藁に包まれる。今頃妹弟たちはどうしているのだろう。4年も経てば随分身長が伸びただろうか。レイラさんは上手くやっているだろうか。

 

 そんな現実逃避の様な回想。だが現実は変わらず、ひたすらに天井を叩く雨音。その現実では、仲間であるはずの奴隷達とも関係を壊してしまった。


「……戻らないと」


 ふらっと立ち上がる。辺りは雨雲のせいで暗く正確な時間すら分からない。そんな中廊下へと歩き出し、木の床を軋ませる。


「……座学やってるんだっけ」


 あるそれなりの広さの部屋がある。いつもはそこで座学をやるのだが、今日は全員でやっているのか賑やかな声が漏れ出ている。それはラウラの望んだ様子だが、そこの輪に当人である自身は居ない。


 それを直視できず、ラウラは逃げるように階段を下っていく。


 タッタッタッタ


 雨音にかき消されながらも1階へと降りる。だがどこにも人の気配が無い。中庭に出て雨に打たれれば、何かいい案でも浮かぶだろうか。そんなバカげた発想だけで、ラウラは歩き出す。


 だが、ふとその廊下の奥へと視線が向く。そこに何か目的があった訳では無い。何か吸い寄せられるように、覚束ない足取りでその部屋の前へと行く。


「……」


 そして掴むドアノブのひんやりと冷たい感覚。この中にはひどい状態の病気の子がいたはず。


 そんな記憶が掠めながらも、口元を袖で隠し、ゆっくりとノブを回す。


「……えっ」


 強烈な匂いは残っている。床に染みた体液の文様が浮かび上がっている。だが、そこにいたのは確かに人。


「というより……」


 その雲のように浮遊感のある長く伸びた銀色の髪。それは床まで伸びて、その体を覆っている。


「……龍人?」


 ラウラは伝聞上の情報からそんな感想が漏れていた。

 銀色の髪束の隙間からは2本の角らしきものが生え、小さな顔には牙の先端が見えている。


 そしてその顔はラウラを捉え、淡い空色の混じった水銀のような瞳がジッとこちらを向く。


「……」


 上位生物とでも言えばいいのだろうか。そんな種から違う、位の差を感じる。そしてそれは立ち上がるが、そこまで身長は高くないらしい。


 だがそれでもかかってくる強烈な圧。押しつぶされそうな圧迫感。それらから逃げるように、ラウラは尻餅を付き後ずさる。


「ま、まって……」


 ラウラの知っている童話では龍の一族は人を食べ、気まぐれに村を襲う存在。それが迫りラウラをジッと見下ろす。


「わ、私は敵じゃないから……」


 なんとか説得しようとするラウラ。

 

 すると時を同じくして近くに雷鳴がし、沈黙する龍人の顔を暗くしてしまう。その瞳は自ら輝いているかのように、妖しく反射していたのだった。

 

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