第19話 雨音と跡
パチパチと傘の上では雨粒が弾ける。
傘は意味を成さず足元は濡れ、革靴の中は既に気持ち悪くなっていた。
「さっむ」
冬のど真ん中。なぜ雪にならず雨になるんだと、不満をぶちまけたくなる奴隷商。だが外で急に叫ぶ不審者になる訳もいかないので、外套の奥に隠れ黙々と歩く。
そうしてしばらく歩けば、商工ギルドの扉を開ける。傘立てに傘を置き、服に着いた水滴を払いながら中に進む。
「13番札でお待ちの方ー!3番窓口へとどうぞー!」
活気のあるギルド内。奴隷商は整理券代わりの番号札を受け取り、人でごった返す中ソファへと座る。すると一週間ぶりの鼠顔の男が並んでくる。
「お、旦那ぁ。入金に来たんすか?」
ニコニコと話しかけてくるのはブラム。おおよそ売れ行きが良くて機嫌も上々といった所だろう。
「すまんが入金少し待ってくれないか。ちょっとトラブルがあってな」
コンラートらの代金支払い。それに充てる予定だった売却益はレイラ一人分しかない。利息でも付けられるだろうなと、思う奴隷商だったがブラムは意外に悠長だった。
「知ってますよぁ。ま、ウチと旦那の仲ですから3ヶ月は待ってあげますよ」
丁度降ろしたばかりなのか、じゃらっと音を鳴らし麻袋を掲げるブラム。
「……随分儲けてるんだな」
商工ギルドの中は受付と広い待合場所。雨ながらも月初だからか組合員は溢れかえっている。そんな中ブラムは声を潜めて囁く。
「いやぁ旦那のおかげさまでねぇ、ちょっと上客が出来まして」
「誰か紹介したっけか?」
そう会話をしながら奴隷商は呼ばれたので受付の列に並ぶ。すると付いてくるらしく、ブラムはベラベラと関係の無い事を話す。
「ま、全体的に好調みたいっすね。戦争も終わって略奪品も沢山入ってますし」
「物価が安くなって何よりだな」
その分首元に紋のある人間が街中に増えているが。
と、そこで奴隷商は思い出したかのようにブラムに聞く。
「そういえばなんで奴隷の物取り上げないんだ?前の騎士の鎧とか売れば良かっただろ」
そう聞くと特段秘密でも無いらしく、ブラムはポケットに手を突っ込みながら答える。
「ま、売却益が税金で持ってかれるのもありますけど。何より復讐に遭わない為ですかね」
「復讐?」
手際よく受付嬢がさばいて行く。その空いたスペースを埋めるように、ドアが開けられ更に組合員が室内に入り込んでくる。
「追い詰められた人間がなお後生大事に持ってる物ですからね。ちょくちょくありますよ?自由市民とか偉くなった奴隷が、取り返しに商人襲撃する事例」
奴隷商は初耳だなと思いつつ相槌をうつ。
「つまり恨みを買わない為か」
そう奴隷商が言うとブラムは同意するようにケタケタ笑う。
「そうですねぇ。ま、あの騎士は流石に高かったんで迷ったんですがね。場合によって方針を曲げたら碌な事にならんですから」
へぇ、と思いつつブラムの話を聞く。やはり善意で取り上げていなかった訳では無いらしい。コンラートやクロエらが高価な物持っていたのがレアケースで、そんなものだろうか。
その辺りで奴隷商の一個前の番号が呼ばれる。
「お、順番ですね。では繁盛願ってますよ」
「おう。互いにな」
奴隷商の元を離れ、別の商人へと話しかけに行くブラム。あぁ見えて人脈が広いのが、これだけ長く生き残っている所以なのだろう。
そうして自分の番になり奴隷商は受付へと赴く。そして会員証を差し出し、馴染の受付嬢に話しかける。
「以前盗賊の襲撃の件。どうなりました?」
番号札を受け取った時点で要件は伝えてあったため、受付嬢は慣れた手つきで書類を取り出す。
「一応報告通り確認できました。ですが」
何か含みのある言い方をし眼鏡を掛け直す受付嬢。だがその言葉を聞く前に奴隷商の肩に誰かの手が置かれる。
「奴隷1人分の死体が足りないんだってさ。異族のネクロマンサーでもいたのかね?」
聞き馴染みの無いその声。
どこかで会った知り合いだろうかと、奴隷商は恐る恐る振り返る。だがそこにあるのは見知った顔ではない、人の良さそうな白髪の老人の姿。
茫然とする奴隷商だが、それとは対照的に受付嬢は焦って声を上ずらせる。
「ブレヴァル侯爵様!!どうしてこのような場所に!!!」
受付嬢の良く通る声のおかげで、他に居た組合員たちの視線までも集まる。そしてその視線の中心であるブレヴァル侯爵は、なんてことの無いように手をヒラヒラさせる。
「フラッと立ち寄っただけだよ。連絡しないでごめんね」
低姿勢で優しい声色で両手を合わせる。噂されるような聖人大臣閣下の印象その物。そして受付嬢も落ち着いたように、力が抜け椅子にパタンと座る。
「い、いえ……謝られるような事ではございませんが……」
「で、ちょっと彼借りて良い?今の話私が預からせてもらうよ」
強く奴隷商の肩を掴まれる。ほどほど奴隷商に選択肢というものは無いらしい。だが流石文官というべきか、受付嬢は怯えながらも言い返す。
「それは……こちらも業務上原因特定しないと……」
だが侯爵は一歩も引かない。
「大丈夫大丈夫。あとでウチのに報告書提出させるから。君も仕事が減って良いだろう?」
この老人は一代でこの地位まで上り詰めた実力者。今は確か内務卿といくつかの役職を兼任しているはず。そんな男の言葉に一文官がそれ以上逆らえるわけもなく、渋々頷いてしまう。
「分かりました……一週間以内ですと助かります……」
それを見てブレヴァル侯爵は満足そうに頷く。
「うん。外で待たせてる部下に明日にでも持ってこさせるよ!」
侯爵は元気にそう返事し奴隷商の肩をがっちりと掴む。人当たりが良く快活、多少強引だがその辺の貴族よりはよっぽど印象が良い。
ただ自身に関わって来なければ。
「じゃあこっち来てね?」
細く鋭い目つきが至近距離で奴隷商を捉える。ただ雑談をしたいだけという訳では無いらしい。だが奴隷商にも別に用事はあり、一枚の紙を受付に提出する。
「これ紛失届です。捜索お願いします」
なんとかそれだけ済まし、奴隷商は侯爵に連れてかれてしまう。
面倒事の匂いしかしない。だが遠い雲の上とは言え上司。逆らえば首が飛びかねないと、奴隷商は大人しくついて行きギルドの客間へと入っていく。
そして2人向かい合うように座るが、やはり侯爵の目的が分からなかった。面識なんてものは殆どなく、関りがあるはずも無い。クリスが仕えているのがブレヴァル侯爵この人だが、それでも高貴すぎて自身と関わる訳がないはず。
そう逡巡を巡らす奴隷商に、ニコニコと話しかける侯爵。
「いやぁ奴隷が襲われるなんて災難だったね?」
ギルドの職員がそさくさと紅茶を出していく。そしてすぐに出て行ってしまうが、紅茶に奴隷商は手を付けれない。
「はは……いやぁ厳しいですね。手塩にかけた奴隷達だったので」
侯爵は紅茶の香りを楽しみゆっくりと口を付ける。どうやらこの感じからして、レイラ達の一件に関わってきているらしいが。
(ならあの王家の押印もこいつが一枚嚙んでいるのか?)
クリス1人ではそんな代物用意できないはずと思っていた。だが主人の侯爵ともなればいくらでも用意出来る。
それは分かった。分かったが、結局なぜ奴隷商の様な小物に構うのか、それが考えても理解出来ない。
「警戒してるねぇ。流石に冒険者の身で、貴族社会で生き残ってるだけあるね」
見透かしたようなギラついた眼。これまでの会話から受けた、温厚な老人という印象から、狩人という印象に変わってしまう。
だが露骨に警戒していると思われ心証を悪くするわけにはいかない。
「私はただの末端の官吏ですから。歯牙にもかけられていないだけですよ」
ボロは出さないように。下手な事は言わぬように。気を付ける。
そんな奴隷商の胃が痛くなるようなやり取りだが、侯爵は意にも返さないように話題を元の路線に戻す。
「で、死体が1人足りないって件だけど。申し開きはあるの?」
薔薇の連中はこのブレヴァルの子飼いという噂。所謂実行部隊で、その立場まで上り詰めた原動力だという話。
(ならば逃げたクレートから情報が伝わっている可能性が高い。か)
ひたすらに思考をするが、何かしら目的があって問いかけているのが事実。奴隷商は、あくまで一貫性を持たせるしかなかった。
「報告書に書きませんでしたか?捜索しましたが一人分の死体は発見できなかったと」
奴隷商は侯爵の様子を見逃さぬよう伺う。だがその笑みからでは思考を読み取れない。
「そりゃ知ってる上で聞いているんだよ。でもその紋章があるだろう?探そうと思えば探せただろう?」
奴隷商の手首を指差す侯爵。死体であっても一定期間は契約が残る為、奴隷の位置を探る事が可能なのを言っている。
「あの時はまだ周囲に盗賊がいる危険性もありましたから。下手に魔力を使う訳にはいかず」
作り笑いを浮かべ後頭部を掻く。この探る様子からして、そこまであの現場の様子を知っている訳では無さそうか。
だがどうにも奴隷商にはザワザワと心に触れる物がある。それを見透かしたように侯爵は目を細め、嫌に笑う。
「へぇ。まぁ普通の言い訳だね」
何かを探るような面白がっているような。そんな印象だった。だが、いつまでもこのままでは埒が明かないので、奴隷商は少しだけ踏み込む。
「……どのような目的なんでしょうか?それこそ内務卿閣下が差配されるような一件でもないでしょう?」
ピクっと侯爵の眉が動く。そして机に肘を突き手を組むと体を前のめりにしてくる。それに対して、奴隷商は距離を取る様にして、背筋を伸ばす。
するとその侯爵は顔をクシャッとして、人懐っこい笑みを浮かべる。
「腹の探り合いは嫌いかい?」
「そういったのは不得手なものでして」
クリスが何か吹き込んだのか。そう思いたくなる程奴隷商と会話を続ける侯爵。暇では無い人物なはずだが、一向に本題に入り切らない。
そんな予測が当たってしまったのか、侯爵の口から知った名前が出てくる。
「前の襲撃ね。クリスがどうしても君に廃業して欲しいらしくてね」
嘘か本当か。それは分からないが、10年執着してくるクリスならやりかねないという印象。それを相手にする侯爵の意図は分からないが。
「それはあいつも暇ですね」
嫌な汗が全身を覆う。そんな奴隷商を面白がるように見ながら、侯爵は体を起こしソファの背もたれに体重をかける。相も変わらずニコニコと楽しそうな様子だったが。
「で、王家の押印のある契約書見てない?」
今までの陽気で軽い言葉とは別に、湿度のある低く重い声。顔はニコニコと張り付き、同じ人物が発した言葉とは思えない。
「知らないですね。何かあったので?」
しらを切るしかない。あの奴隷解放の契約書は、殆ど燃やしたから証拠は残っていない。知らぬ存ぜぬを貫けば、ボロは出ないはず。
「クリス君が捏造しちゃってねぇ。あ、折檻はちゃんとやったけどね」
話からして奴隷商の知らない所で、クリスはそれなりの地位にいたのかもしれない。だが依然として侯爵は、奴隷商の様子を伺うようにするばかり。情報の開示というより、それによる奴隷商の反応を見ているように感じる。
だからこそ下手に尻尾は出さないよう、知らない前提で聞き返す。
「その契約書の内容はお伺いしても?」
だが侯爵はニコニコしたままその問いには答えようとしない。それどころか、無視して別の質問をしてくる。
「騒動の後、君らが入った街でさ。入城した時4人っだったけど帰りは2人だったみたいだね?一人はレイラって言う奴隷の子だとして、もう一人は誰?」
やはりこの侯爵は奴隷商が目的でこのギルドにいた。それはこの下調べの仕方から察せるが、わざわざ城門の入退記録を漁るとは。
そう沈黙する奴隷商に、侯爵は被せて語り掛けてくる。
「シエナって子の死体が無いって話だよね?それで入場記録には女子2人となっているね?もしかして恣意的な報告とかしてないよね?」
質問に質問を重ねて聞き出そうとしてくる。それにこの様子からして、奴隷商の行動を殆ど掴み切っているのだろう。だが奴隷商を書類偽造に脱走補助で吊るし上げる目的なら、こんな回りくどいことはしないはず。
ならばと短い時間の中、どうにか奴隷商は言葉を捻り出していく。
「村娘に街までの案内をしてもらいまして。帰りは渡した駄賃で買い物をするらしく、私共は先に帰りました」
奴隷商の回答に蛇のように目が細くなり、笑みが絶えない侯爵。
「へぇ」
いくら誤魔化すように言葉を返しても、何も実感は得られず壁打ちをしているような気分になる。だが侯爵は小刻みに頷く。
「顔色一つ変えないねぇ。大抵表情でボロが出るもんだが」
侯爵は執拗にうんうんと頷き、三日月のように弧を描いて口角を上げる。
「君面白いね。クリス君が拘る訳だ」
体の芯を掴まれたような痛み。上手く言い訳をしたはずなのに、手応えの無い気持ち悪さ。
「……どうも」
結局何が目的かも分からない。そもそも侯爵の言った事を丸々信じる訳も行かず、分かるのは面倒なのに目を付けられてしまったぐらい。
「ま、でも、疑いをかけられて顔色一つ変えないってのも怪しいんだけどね。もう少し演技を学んだ方が良いかな」
そう言いつつも追及は終わるらしく、侯爵の目的は既に果たされたのかゆっくりと立ちあがる。
「じゃあ次の定例会で会おうね。話す事は無いだろうけど」
定例会。内政の指針を話し合う官吏による会議。基本高級官僚しか出席出来ないが、下流の意見を拾うためと、ランダムに選ばれる一般官僚枠。それに不幸にも選ばれてしまったのが奴隷商。
そしてそこのトップが内務卿であるこの侯爵、普段ほとんど顔を出さず代理ばかりだが。
「次回はご都合がついたのですね」
「そうだね。行く理由が出来たのと、面白いのが見れそうだからね」
奴隷商はこの侯爵の子飼いを殺した。そこで逆恨みでもされるかと思ったが、どうやらまだ生かされるらしい。
そう終わりの近い雰囲気を感じ、安堵する奴隷商だが、ふっとその侯爵は屈みこんで顔を覗き込んでくる。
「クリスのお願いだったから渋々だったけど。君に興味もっちゃったな♪」
至近距離で老人にそんな事を言われて、恐怖しない人間はいないだろう。どうにか奴隷商は表情を保つが、気付けば侯爵は部屋から出ていくまで呼吸を忘れてしまっていた。
そしてバタンと絞められた扉。それと同時に止まっていた呼吸を奴隷商は取り戻す。
「もういいって……面倒事は」
こんな真冬だというのにびっしょりと汗をかいてしまった。今朝のコンラートが鎧を売った件ですら、もう忘れそうになってしまっている。
「まだ昼前かよ。これで」
ブツブツと文句を言いながら奴隷商は客間をあとにし、商工ギルドの待合室に戻る。だがその部屋に入ったタイミングで、ひょこっと現れる栗色の髪に包まれた琥珀色の瞳。
「よ。ちょっとぶり」
今日は優しい色味のカーディガンを身にまとうディアナ。相変わらず冒険者らしくないが、服を買う余裕があるなら金返せと言いたくなる。
「大臣閣下は?」
ディアナは出入口を指差す。
「すぐ外出てったよ」
「そうか。やはり、俺が目的だったのか」
以前ディアナが警告してきた事だ。クリス達が何か動いているという話。それがこんなすぐに起きると思わなかった。
そんな奴隷商の心情を察したように、ディアナはいたずらに笑い奴隷商を見上げる。
「女の子の話はちゃんと聞くべきって事だよ~?」
疲れた事もあったが、奴隷商自身ディアナと話すとつい口が軽くなってしまう。それが良い事か悪い事かは別にしても、この所の気の重さは忘れられる。
「流石にもう女の子の年齢では無いんじゃないか?」
奴隷商は弄る様に笑いそう言う。ある意味ディアナなら良いかという甘えもあったのだが、脛に割と強めにケリを入れられてしまう。
「もうってなんだ。このクソ」
痛みから屈んでしまう奴隷商。だが自分の口が悪いのは分かり切っている為、強く言い返せない。
「お前金属仕込んだ靴で蹴るなよ……」
こんな会話をしながらも奴隷商は辺りを見渡すが、クリスの姿は見えない。侯爵に付いてきているのではと思っていたのだが、当てが外れたのだろうか。
そんなよそ見しがちな奴隷商の意識を向けようと、ディアナは奴隷商の屈んだ頭を小突く。
「あの大臣が出てきたんだよ。もう引き際なの分からない?」
見下ろすその琥珀の瞳。さっきまでの砕けた雰囲気は消え、至って真面目な雰囲気。やはり委細は知られてしまっているらしい。
「なんとかなったから大丈夫だ。それにそこまで大事でも無いぞ」
待合室の長椅子へと座る奴隷商。それを追いかけて隣で足を組み座るディアナだが、分かってないと言いたげに首を振りため息をつく。
「あの大臣の噂聞いた事あるでしょ?暗い方の」
「……まぁな」
市井一般の印象。それと奴隷市場や貴族社会でのあの侯爵の印象は大きく異なる。だが、だからと言って奴隷商がこの稼業を辞める理由にはならない。
「ただ。その忠告は受け入れられない」
待合室にあふれる人混みは変わらず雑踏になっていく。そしてその雑踏を掻き分けるように、ディアナは鋭く奴隷商を見る。
「クリスの奴本気だよ。あんたがその仕事続ける限り邪魔するよ」
声色は至って真面目。その琥珀の瞳に吸い寄せられるように、周りの景色がぼやけてしまう。
こんな様子のディアナだが、この所会う度にいつも同じ事を言ってくる。だからいつまでもこんな話をしたくもない奴隷商は、話を逸らす。
「昨日の金助かった。正直この所厳しくてな」
すると呆れたと言わんばかりにため息をつき、ディアナはジト目になる。
「助かったも何も借金だから。感謝は私がすること」
足先の黒いブーツを揺らしながら、じーっと睨んでくるディアナ。だが奴隷商は視線を合わせることは出来ない。
「なら一括で返してほしいんだがな」
そう言うとディアナはわざとらしくよそ見をしてしまう。
「ん。聞こえなーい」
だが結局何を言われようと奴隷商は廃業するつもりは毛頭ない。それこそ他人であるクリスに決められる義理は無いからだ。
そうして時間が経っていくが、この言い合いもいつものように平行線で終わっていくのだろう。今回もそう思っている奴隷商だが、やけにディアナが粘る。
「でも大臣が接触してきた。この国の内情も最近怪しいし、何か起こるよ」
声を伏せディアナが囁く、初耳の不穏情報。やっと他国との戦争も終わり、異種族の諸部族連合も下したというのに、今度は内乱の兆しと来るか。
「……勘か?」
だが違うらしくディアナは確信めいた表情で答える。
「私が無根拠にこんな話するとでも?」
まぁそれはそうかと納得する。10数年の付き合いならば、その手の適当な事を言う人物では無いと分かる。だがそれをまともに取り合った所で、奴隷商に何が出来る訳がない。
「地獄耳だもんな。お前」
ディアナは呆れ、目を細め肩を落としてしまう。
「すぐそうやって茶化す」
世相がどうなろうと奴隷商には関係ない。身に降りかかる火の粉なら払うが、関係無い以上この仕事で贖罪を続けるだけ。
「すまんな。今日はもう帰る」
そう立ち上がる奴隷商だが、その手をディアナは掴む。まだ何かあるのかと振り返るが、ディアナは窓の外を気にしながら言う。
「外に。いるからね」
誰を。それは聞かないでも話の流れで察した。
ブレヴァル侯爵がここにいた事。ディアナが今日ここに奴隷商と侯爵が来ることを知っていた事。その二つで察しがついていた。
「二股とはいい女だな」
そう茶化すが、ディアナは至って真面目な表情のまま。
「ただ2人の友人に仲良くして欲しいだけだから」
そんなディアナの琥珀の瞳を最後まで見る事が出来なかった。奴隷商は背を向けたままギルドの建物をあとにする。
すると土砂降りの中。雨粒で空を歪んで反射する道路脇。そこにポツンと立つ一本の傘。
「先日はどうも。お陰様で借金生活だよ」
一本の傘の傍にもう一本の傘が近付く。そしてその声は雨音に負けることなく、銀髪の男へと届いていた。
「ならそのまま辞めたらどうだ。少しはまともな仕事斡旋してやるよ」
眼鏡をかけ切れ目の男。クリス。
相変わらず憎まれ口で、いつもなら流していた。だが今回に至っては奴隷を殺された事もあって、奴隷商からして許せそうになかった。
「俺の事気に入らねぇならほっとけよ。俺が一度でもお前の邪魔したか?」
雨足はどんどんと激しくなっていく。もはやどう避けて歩いても足元が濡れてしまう。
そんな現状すら気にせず、男2人は睨み合い互いを見下ろすようにしていた。
「お前がその仕事してるのが気に食わねぇんだよ。あの子を見捨てといて、恩もクソもねぇんだな」
奴隷商の触れて欲しくない昔の記憶。奴隷商の中で、雨音は遠くへ苛立ちが増して行く。
「……ハッ。お前のせいであぁなったの忘れたのかよ。都合の良い頭だな」
だがクリスも張り合い、苛立ったように煽るように言い返す。
「お前がいなければ俺が助けれてた。責任転嫁するなよ」
互いに睨み合う。顔を合わせればいつもの険悪な雰囲気。10年経った所でその熱量は変わらない。違うのがあるとすれば、明確な怒りが10年来に奴隷商にあった事だろうか。
「だけどお前が殺したようなもんだよな。今回の俺の奴隷達」
一瞬だがクリスは苦い顔をする。だがそれでもクリスは一歩も引こうとはしない。
「あれは事故だ。それに俺の警告を無視したお前にも責任がある」
痛い所を突かれたのだろう。奴隷商もクリスの性格からしてこの反応は予測できた。それを止めることなく、傷口に塩を塗りたくる様に奴隷商は続ける。
「事故なら奴隷ごとき死んでもいいのか?それはそれは高尚な理念で」
会話は平行線。どちらも自身が正しいと一向に引こうとしない。だがクリスが水たまりを蹴り、奴隷商の裾を汚すと共に煽る。
「人を売買するクソみてぇな仕事してる奴には、分かんねぇのかもしれんがな」
クリスは奴隷商に一歩詰め寄り至近距離になる。そして食い殺さんとばかりに奴隷商を見る。
「俺はお前みたいに子供を殺す趣味はねぇんだよ。クソ殺人鬼」
奴隷商は思考より先に傘を捨てた。そしてその空いた手でクリスの気に食わない面に一発入れようと、襟元を掴み拳を掲げる。
「お前に俺の何が分かる」
どんな気持ちでこの10年このクソみたいな仕事をしてきたか。10年前どんな気持ちであの一件を過ごしたか。現実を見れないこんな奴に、とやかく言われたくない。
怒りが溢れ周囲の音も景色も遠くなっていく。だが確かに強く握った拳の感覚はあった。
「どいつもこいつも理想論ばかり。虫唾が走る」
拳を振り下ろそうとする。
だが、奴隷商の拳は届かなかった。その右腕にはディアナが巻き付くように抑えていたからだ。
「衛兵いるから……!抑えて!!」
拳をぶつけようと力を込めても先へと進まない。そうしていく内に雨粒で体中が濡れていく。
拳は嫌々でも降ろさせられ。冷える体と共に段々と思考も落ち着き、ディアナのその言葉の意味を理解する。
「これもお前の作戦かよ。クリス」
襟元を掴み上げ顔を近づけるが、飄々とクリスは答える。
「約束も忘れるような奴は牢獄がお似合いだからな」
苛立って苛立って仕方ない。だが駆け寄ってくる衛兵を横目にクリスを道路に投げ捨て、奴隷商は傘を拾う。
「……助かった」
それだけディアナに一瞥し奴隷商は帰路につく。だが水たまりを蹴る足音は2つ分、奴隷商の耳に届く。
「ちょっと。ほんとにアンタ休みなって。おかしいよ2人とも」
傘を差さないのか、彼女自身も全身濡れてしまっているが、それを気にせず奴隷商を追いかける。だが奴隷商にとってそれは余計なお世話だった。
「あいつの為になぜ俺が我慢しないといけない」
聞き分けの無い子供を相手にするかのように、ディアナは呆れたように漏らす。
「もう……だから」
テンポの速い奴隷商の足音に合わせるように、ディアナも足元を濡らしながらついてくる。
だが次のディアナの言葉で、奴隷商の足がピタッと止まってしまう。
「もういいじゃん?10年前だよ?」
荒くなった呼吸は白くなり荒れる雨空へと昇っていく。ギギっと音が鳴りそうなほど、ぎこちなく首は回り、追いかけてきた女を見下ろす。
「あ?」
一瞬ディアナが怯えたような表情になる。だがすぐに唇を噛み、強く睨み返してくる。
「もう前向いたらって言ってんの。お墓参りだって一回も行ってないでしょ」
ディアナのその言葉に怒りが湧き出てくる。だがその怒りに釘を刺すように告げられる、墓参りという単語。感情が滅茶苦茶になりながら、奴隷商は存外弱々しく言い返す。
「だからなんだよ。前向いてたら偉いのかよ」
珍しく出た奴隷商の幼稚な言い返し。ディアナは慎重に言葉を選ぼうとする。
「私はアンタが償いの為にその仕事してるの分かってる。でも不器用すぎだし、いい加減自分の人生を生きなって」
可哀そうな者を見るようなディアナの眼。奴隷商にとってそれは堪らなく嫌で、向けられたくない類の眼。自分に向けられるべきではない、他人からの感情。
「しばらく顔は見せないでくれ」
奴隷商は傘をディアナに押し付け、すぐに背を向け歩き出す。それをディアナには追いかける事が出来ず、雨粒の柱の向こうに消えて行く背中を見送るだけ。
「私じゃダメなの……?」
雨音にその声は掻き消え、誰にも届くことは無かった。
ーーーーー
奴隷商は思考を止めとにかく歩いた。服が濡れる事すら気にせず、嫌な事から逃げる様に施設へと戻る。そうして施設の入り口に到着するが、そこには誰かが立っている。
「あ、丁度良かったっす!これ郵便なんでサインお願いします」
押し付けられる紙と傘。この陰鬱な天気にも負けないような快活な郵便屋だった。
「あ、あぁ……どうも」
配達員の傘に入りサインを書く。そしてその便箋を受け取る。それを確認しさっさと去って行ってしまう配達員を見送り、黙々と施設に戻っていく。
「……あいつらは2階か」
天井を叩く激しい雨音。
それを耳にしながら、文字の読み書きを教えるよう指示したのを思い出す。だが奴隷商は階段へとは向かわず、濡れたまま書斎の扉を開ける。
そして受け取った便箋をその辺りに投げ捨てようとするが、ふと止まる。気になったように、そのまま便箋を開けその中身の紙を広げる。
そこに書いてある文字は、淡々と無機質な物だった。
死亡報告書
ケビン・ランドルフ 19歳
冬季に起きた鉱山での落盤事故により死亡。正確な死亡日時不明
何も遺品も無い。死を飾る言葉さえ無い。そもそも奴隷商が金を払ってこの手紙を要求しなければ、届きすらしなかった物。
「……」
その紙をぐしゃぐしゃにしてしまう。丸めてその文字が視界に入らない様に。
何通何十通目の物。これまでなんども受け取ってきた物で今回も慣れたように処理するだけ。
だが今日の奴隷商には、湧き出る感情を抑えるだけの余裕が無かった。
「何が償いだよッ!!!」
ぐしゃぐしゃになった紙を投げ飛ばし、怒りを発散させる。その紙は転がり、壁にぶつかり止まってしまう。
そして奴隷商の感情はとどまらず、辺りに積まれた書籍を蹴飛ばしてしまう。
「この役立た━━」
暴れようとする奴隷商だが、バランスを崩し情けなく地面に座り込んでしまう。
肩で息をし前髪を掻き分けるように頭を抱える。髪は濡れ前身は重く、部屋の中は暗く灯は無い。奴隷商は這うように動き、地面に転がるその紙を拾う。
「俺だってただの人間なんだよ……」
大事そうに抱えたその皺だらけになった1枚の紙。それを両手で抱えたまま、奴隷商は起き上がる事無く1人で蹲る。
酷く暗く。屋根を地面を叩く雨粒は絶えることの無い。誰かの怒りも泣き声も悔恨も、どこにも届かず雨音に流されていくのだった。
ここで一章は終わりです!
ここまで読んでくださった皆様ありがとうございます!!
ブックマークやリアクションに評価等励みになりました!!!
そして次話更新は5月23日(土曜)の更新となります。書き溜めが無くなっているので、週の真ん中あたりは投稿をお休みすることが増えるかもしれないです。出来るだけ毎日投稿はしますが、その辺りご了承いただけると幸いです。
それと、途中キャラの名前でご迷惑おかけしたことは重ねてお詫びします。また二章以降も面白いと思ってもらえるよう書いていくので、ぜひ読んで行ってもらえると嬉しいです!




