第18話 これから
5月23日 誤字修正
氷雨の降る底冷えの朝。目を覚ます奴隷達は、自身の体から出て行く白い息を見る。
「……さっむ」
藁と布切れ一枚のベットの奥へと逃げるように潜る。屋根には目覚ましのように、激しく打ち付ける雨音が聞こえ続けていた。
また二度目の睡眠へと瞼を閉じるが、誰かが藁をかき分け肩を揺らす。
「クロエ。朝だよ」
カサカサと藁が擦れる音がする。
「……ん。もう少し」
昨晩は全くと言っていいほど寝れなかった。だが今瞼を閉じれば、すぐに意識が途切れそうな程の睡魔がある。
「で、でも今日も訓練あるからさ……」
レーナが不安そうに怯えたように声を震わせる。レーナ自身も黒猫の事があり良く寝れていなかったからだ。
そしていい加減クロエはゆっくりと目を覚まし、いつものように枕元を探るがそこにそれは無い。
「……あいつに売られたんだった」
伸ばした手は藁を掴むだけ。毎朝毎晩、嫌な事があった日、死にたくなった日、いつもずっと抱えていたそれは無い。
「……兄さん」
そう呟きながらブロンドの髪にはさまる藁を取り払い、背筋を伸ばす。そしてカタッと椅子を動かす。
「レーナ。髪編むからこっち来て」
「あ、うん。ありがとう」
レーナの羊毛の様な優しい髪色。寝ぐせを治し藁を取り、梳いていく。そんな中、レーナは小動物のようにオドオドしながら聞いてくる。
「ぺ、ペンダントは……大丈夫なの?」
「……」
編んでいた手が止まる。大丈夫か大丈夫じゃないかで言われたら全く大丈夫では無い。昨晩感情を出し切って今は空っぽになってしまっただけだ。
するとレーナはゴソゴソとぼろい麻袋を漁る。
「わ、私も櫛あるから……これで交換できないか奴隷商に━━」
レーナが綺麗に手入れのされた櫛を取り出す。だが、レーナが言い切る前にクロエはそれを押し戻す。
「こんなのじゃ私のペンダントは買い戻せないよ。ちゃんと大事にしときな」
「で、でも……クロエのは……」
奴隷商が憎い。だがそれが自分の行いが招いた事なのも分かってる。もっと私が考えて、早くあの騎士を頼れば良かった……
「それは都合良すぎか」
1日前まで全く信用していなかった癖に。そう舌の根の乾かぬ内に信用してしまっている自分が、情けなくも感じてしまう。
「でも、あの騎士がなんとかしてくれるらしいからさ」
正直望み薄。ただあれだけ大真面目になんとかすると言われれば、とりあえず縋ってもみたくなってしまうだけ。
だがレーナにとっては依然として不審な大人であるのがコンラート。
「あの人……信用していいの……?」
「どうだろね。バカなのは確かだけど」
そんな会話の中。クロエとレーナの足元にその黒い毛玉の塊がすり寄ってくる。それは軽々しく跳ね、レーナの膝に乗る。
クロエは髪を梳く手を止め、寒さに指を折り曲げ白い息を吐く。
「この子も明日までだよね」
指の関節を温めるように擦り、またレーナの髪を梳く。その黒猫はクロエを見上げていたが、レーナが大事そうにその黒猫を抱えてしまう。
「ミャーは私と……一緒だから」
以前中庭にどこからか迷い込んできた黒猫。まだ少しの間しか飼っていないながら、レーナにとってこの環境で生きていく支えになっていた。
だがレーナの希望が通る訳無いと、クロエは思っていた。
「ご飯だってどうするの。奴隷商にバレた以上どうしようも出来ないよ」
昨日ペンダントと一緒に取り上げられなかっただけ温情と思うべき。だが、レーナがそう冷静に現状を認識出来ている訳なく。
「やだ……一緒だから……」
そう我儘を言うレーナだが、時間は着実に過ぎていく。下からロルフの大声が聞こえてきて、朝飯の時間だと教える。
「とりあえず行こ?」
コクっとレーナは頷く。どうやら猫を抱えたまま降りるらしく、バレたならどこまでもという事らしい。
そうして2人は食堂へと降りるが、何やらいつもと雰囲気が違う。そして食堂に入ったクロエらを見て、焦った様子のラウラが駆け寄る。
「コンラートさん見てない!?」
その様子から今の現状が悪いのは伝わってくる。だが、ここしばらくラウラとの気まずさを覚えていたクロエは、声のトーンを落とす。
「知らないです。何かあったんです」
ラウラはロルフを一瞥しながらも、さっきまで走り回っていたからか肩で息をしている。
「ロルフが部屋に呼びに行ったけどどこにも居ないの。昨日の事もあったから……」
「へぇ……そうですか」
心配になる気持ちはありつつも、他の奴隷達の前でその様子を出すには恥ずかしく素っ気なくする。そうしてクロエは食堂の端へと座るが、しきりに視線は窓の外へと向く。
「……」
隣にレーナが座る。レーナの腕には未だ大事に抱えられた黒猫がいるが、誰一人それを問い詰めない。
そして斜め向かいにはハンナがいるが、クロエは目を逸らすように窓の外を眺める。元々曇ったガラス窓だが、今日は雨なせいもあって余計に外が見えない。
するとコツコツと靴裏が木の床を叩く音がする。
「とりあえず飯を食え。俺はコンラートを探してくるからエリック、ラウラ。他に文字の読み書きを教えておけ」
いつもと変わらないスープの匂いと一緒に奴隷商が入ってくる。今日の当番はロルフとエドガーだったらしい。そのせいかスープの中の野菜が歪な大きさだった。
そして奴隷商は配膳を黙々と済ませ、去って行こうとする。昨日の今日で、奴隷全員から冷たい視線を浴びながらだったが、それを呼び止めるのがラウラだった。
「……昨日の事なんですけど」
自分の事を庇おうとしてくれるのはありがたい。けど、あぁやって言い返して何になるのか。それを当事者であるクロエが諦めてしまっていた。
だが、そう思いつつもクロエはその2人の会話を横目に気にしてしまっている。
「売ったと言っただろ。まだ何かあるのか」
キュっとクロエの心臓が痛む。だが返せと言っても無駄なのは分かってしまっている。これ以上考えると苦しくなると、ひたすらに見ないよう考えないようにする。
そう諦観の感情ばかりになるクロエなのだが、ラウラは結んだ麦色の髪を揺らす。
「違う。ハンナの事。何か知ってるんでしょ」
「……」
奴隷商の眼が一瞬クロエを向いた。目が合ってしまったクロエは息が詰まり心臓の音が激しくなるが、唇を噛み視線を逸らす。そしてハンナも困ったようにラウラを見て、手に持ったスプーンが止まっていた。
その様子に奴隷商が気付かない訳もなく、ラウラをあしらおうとする。
「もう終わった話だろう。疑問があるなら当人らに聞け」
そうは言ってもラウラは意地になり食い気味に言い返す。
「当人たちに聞いてダメそうだから聞いてる」
奴隷商は面倒そうに肩を落とし、一応説得できないか言葉をかける。
「そもそも今そんな場合じゃないんでな。コンラートのバカを回収しなならん」
ラウラは明らかに焦っていた。それは奴隷商にも見透かされているのか、これ以上相手にしないとそのまま食堂を出て行ってしまう。
「ちょ、っと、まだ話は……」
そして残されたラウラは出入口を見てその場に立ち尽くしてしまう。やけに食堂内は静まりかえり、天井や窓を叩く雨音が響く。
そんな中、ラウラを心配したようにロルフが肩を叩く。
「まぁあいつに話が通じる訳ねぇだろ」
だがこの所のストレスに加え頭痛で気の立っているラウラは、その手を振り払う。
「触んないで」
ラウラ自身も刺々しい自分の声に驚いた。だがそれを取り繕う程の余裕は無く、ロルフの言い訳にも睨んでしまう。
「え、あ、いや俺は心配してやっただけなんだが」
ロルフは、珍しく人を睨んでくるラウラにたじろぐ。そしてそれを追撃するようにラウラは続ける。
「そもそもあんたもあんただよ。ハンナちゃん相手に幼稚なちょっかいかけてさ」
身長はラウラの方が少し負けている。だがそれを気にしない程張り合い、ロルフを睨み上げる。それに対してロルフも引く訳もなく、表情を険しくする。
「あ?なんのことだよ」
ラウラはハンナを一瞥し気にしつつも、昨日の事を問い詰める。
「前走ってた時わざとコケさせようとしてたでしょ。窓から見てたけど、あーゆうの本当に嫌い」
すると心当たりがあり思い出したのか、ロルフは動揺の色を見せる。だがロルフ自身悪い事をした自覚はそこまで無く、言い訳をするようにつらつらと零す。
「だ、だってそもそもあいつがクロエのペンダントを盗んだからで……」
またそんな事を。そう思いつつラウラは、苛立ちをぶつけるようにロルフを咎める。
「でもロルフには何もしてないよね?ロルフがいじめて良い理由にはならないよね?」
まくし立てるように責めるように言葉をぶつけるラウラ。最初こそは強く言い返していたロルフも、だんだんと勢いが失われていく。
「んなん言ってもよ……」
こいつはダメだとラウラはロルフから視線を外す。
「ここにいる全員幼稚なんだよ。もう少し頭使ったらどうなの」
吐き捨て食堂内を見渡すラウラの言葉。誰も言い返さないように思えたが、反発するのは沈黙を貫いていたエリックだった。
「飯の途中なんだけですけど。うるさいから外でやってくれません?」
頬杖を突き眠そうな眼でラウラ達を見るエリック。その姿が余計にラウラを苛立たせ、怒りの矛先が向く。
「なッ━━そもそもあんたも無関心なせいもあるんだけど!?」
だがエリックからしてもいい迷惑であった。勝手に周りが喧嘩してギクシャクして、それで自身が悪いと言われればカチンと来てしまうものがあった。
「知らないですよ。勝手に喧嘩してただけだし。それに問題のペンダントも都合よく無くなったしもう良いじゃないですか」
クロエは更に居心地が悪くなる感覚を覚え食事に手を付けれない。だがそんなクロエに気を遣う人物は誰一人いない。
そしてラウラは、エリックの煽るようなその言いぶりに語気を荒げた。
「……なにそれ。それは解決してないでしょ。誰も幸せになってない!!」
言い合いがヒートアップしていく内にラウラはロルフを押しのけ、エリックへと詰めかかっていた。だがそれを意にも返さず、エリックはパンを咀嚼し飲みこむ。
「それにラウラさんさ。少し頭使ったらどう?」
エリックはラウラの瞳を指差し、それを誘導するようにハンナへと向ける。そしてその向けられたハンナは気まずそうに頬を掻く。
「彼女の反応で分かるでしょ。今のラウラさんはただただ迷惑だって」
言われなくても分かっている。昨晩にも本人にも言われたのだから。それを承知の上で、ラウラはここにいるのだと引くことは無い。
「で、でも……!私は皆の為にやって!!」
ラウラはダンっと机が叩き、木皿が揺れる。木皿から黄金色のスープをこぼさないよう、エリックは手で押さえ呆れる。
「彼女からしたらお節介なんでしょ。理由は知んないし、知る気も無いけど」
何か言い返そうとラウラは言葉を探す。だがエリックのお節介という言葉が、昨日のハンナとの会話に引っ掛かってしまう。そして沈黙が続き、ラウラの熱くなっていた思考が落ち着いて行ってしまう。
だがそれを拒むように、ラウラは何とか言葉を紡ぐ。
「で、でも……クロエのやった事だって許されないし……」
エリックは目を細め手元でパンを一口大に千切る。
「って言われてるけど。どうなの?」
エリックの言葉が窓の外へ視線を逃がしていたクロエへと向く。だがクロエは視線を返すことなく、ボソッと返す。
「なんで私が責められてるのか分かんないけど」
クロエ自身もう嫌だった。正直に全部話してしまいたいと思ってしまっている。だがコンラートの事もあり黙っているしかない。それに、皆に責められるのが怖くて、咄嗟に嘘で自分を守ってしまった。
だがハンナに濡れ衣を着せているという事実は、クロエの心臓を縛り付ける。
そんなクロエの心中は知らず、表面上の言葉だけを受け取った、エリックが向き直りラウラを見る。
「だってさ。ラウラさんの考えすぎじゃ無いの?」
カンカンとエリックがスプーンで木皿を叩く。もうその黄金色のスープは白い湯気を立てなくなってしまっている。
だがまだ納得いかないと、ラウラは下を向き拳を握って肩を震わせる。
「……だから嘘ついてるんでしょ」
ラウラは小さく呟いた。だがエリックの耳には正確に届かず、不審そうに眉を顰める。
「ん?なんて言いました?小さくて聞こえな━━」
ラウラの眼が見開かれ喉が張り裂けそうな程肺から空気を押し出す。
「だからクロエが嘘ついたって言ってんの!!!あいつ性格悪いしやってんでしょ!!!」
金切り声。それが冷え込んだ空気を切り裂き反響する。目の前でそれを受けたエリックも、まさかのラウラの反応に目を丸くしている。
「……え、いや……うん。別にそれは僕も思ってるけど……」
どうしようかと悩むようにエリックはハンナを見る。だがハンナは居心地の悪そうにしつつも、ため息と共に席を立つ。
「私。昨日言いましたよね」
ハンナはジッとラウラを見る。昨日言いたい事は言ったと、後はお前が理解するだけだと、そう伝えるように。
そして他の奴隷達の視線も集まってしまい、ラウラはその光景に一歩後ずさる。
「い、いやでもさ!!クロエが脅してる可能性だってあるじゃん!!!」
「……」
ハンナは無言のままラウラを見て、肩をゆっくりと落とす。
「ごめんなさい。私の意地に付き合わせて。もうほんとに大丈夫ですから」
そう言ったまま顔を伏せ、力なく座ってしまうハンナ。
そしてその言葉の意味を、この場ではクロエにしか正確に伝わらない。だが、どうすればいいのか分からず、クロエの視線はひたすらに沈んだまま。
明らかにギクシャクした空気。エドガー達のハンナと同郷の奴隷も、何が何だか分からず怯えるだけ。雨な事もあり屋内は暗く、淀んでいた。
(もう私が自演したって言っちゃおうかな)
コンラートの奴は話し合おうと言ったけど、自分の口で言ってしまおうか。猫はバレたけどレーナを庇わないといけない。それに流石にハンナに対しての罪悪感が、クロエの小さな心を殺し始めていた。
「あのさ」
クロエは立ちあがる。部屋の中の奴隷達の視線が集まる。
その集まった視線に喉が詰まる感覚に、呼吸が浅くなってしまう。だが、それでもここで引いたらいつまでも何も出来ないと、声を出そうとする。
「実はさ━━」
だが、それと時を同じくして、濡れた足音が廊下の外から響く。それを雨音が遮ろうとするが、その異音に食堂内全員の視線が出入口へと向く。そして段々と近づくその足音に混じって、何か金属同士がこすれ合う音が聞こえる。
そこでロルフは立ちあがり、出入口の傍に立つ。
「皆下がってろ」
ロルフの言葉に他の奴隷達もジッと部屋の端へと下がる。それはハンナも例外ではなく、戸惑いながらもその足音に異様な雰囲気を感じていた。
「僕が魔法放つから。ロルフさんは取り押さえてください」
エリックが手元に石魔法を用意しつつロルフの隣に並ぶ。そうしている内にも足音は大きくなり、その荒い息遣いも聞こえてきていた。
そしてその足音がすぐそこまで迫った瞬間。誰もが息を飲み、見知らぬ手が開けっ放しのドアの縁にかかる。
それを見てロルフは叫ぶ。
「エリック!!!」
「分かってるッ!!!」
エリックの手のひらの先に生まれた石塊。それは渦を巻き尖った先端が、空気を掻き分け飛んでいく。手加減無しのその威力は風圧を生み出し、近くにいたロルフも目元を手で覆い隠す程だった。
その石塊は瞬きをすれば一瞬で出入口へと迫り、そこに現れた顔へと一直線に向かって行く。だがその現れた顔は、エリックらの見知った金色の髪に緑眼のそれだった。
「帰ってきたよって━━ッ!?」
眼前へと迫るそれにコンラートは目を見開き、咄嗟に体を捻る。パシュッとした擦れる音と共に、コンラートの向こうではガラスが割れ雨風が侵入してくる。
そこでコンラートは戸惑うような声が漏れる。
「……え?」
コンラートは、その石塊を避け切る事は出来ず、金髪がパラパラと落ちる。それを気にしつつも、コンラートは麻袋を片手に弱々しい声色になる。
「え、俺そんな嫌われた……?」
びしょ濡れになって明らかに顔色も悪いコンラート。それを見てロルフとエリックは分かりやすく慌てる。
「い、いやいや違いますって!!な!?エリック!?」
「そ、そうです!ただ不審者だと思って!!」
わなわなとしつつエリックは、コンラートを招き入れとりあえず椅子に座らせる。するとロルフは慌てたように言う。
「すぐ温かいスープ持ってくるんで!!待っててください!!!」
ロルフは急いで食堂を出て行ってしまう。そして一旦落ち着く食堂内だが、割れた窓から雨粒に冷風が流れ込んでくる。
そしてこれまで年上たちの喧嘩についてけず、置いてけぼりだったエドガーがコンラートの隣に座る。やっと自分と話をしてくれる人が来てくれたと、この空気感から逃げるように、その麻袋を突っつく。
「騎士の兄ちゃんのそれ何?」
そう聞かれ誇らしそうに麻袋を持つコンラート。
「え、あぁこれ?実はね」
そう言ってコンラートは麻袋を逆さにして、机の上にその中身を吐き出させる。そしてそれは暗い食堂内で、異様に眩しく輝く。
「え、これ全部お金!?」
「そうだよ。全部で4000ゴールドある」
エドガーは初めて触るのであろう金貨を手に持って満面の笑みになる。だが、そんな反応をするのは彼だけで、ラウラ含め他の奴隷達はその金の出所が気になって仕方なかった。
さっきまでの会話で気まずいのかラウラ達は声を発さない。そんな中言葉を飾ることなく、エリックが問いかける。
「それ盗んできたんです?」
するとコンラートは誇らしげに胸を張る。
「そんな事しないさ。鎧と剣を売ったんだよ。まぁ正規の商人は相手にしてもらえなかったけど」
あはは、と。なんてことの無いように笑いそう言うコンラート。だが散々コンラートが大事な物だと言ってきた鎧。それは奴隷達も知る所であった。
「でもあの鎧って大事な物なんじゃ……?」
エリックは意味が分からないとそう問う。だが後悔は無いと晴れ晴れとコンラートは言い放つ。
「でも約束は守らないといけないからね。それに物に拘らなくても俺は騎士だから」
そう言ってコンラートは麻袋に金貨を詰め、それをクロエの目の前へと置く。それを見てクロエも頬杖から顔を上げ、明らかに動揺する。
「……そこまでして」
コンラートは屈みクロエと視線を合わせる。
「君の大事な物なんだろ?これで取り返そう!」
クロエはただただその輝きに怯えるしか出来ない。
「……私なんて嫌な奴なのに」
さっとクロエは視線を逸らしてしまう。真正面からの善意を受け取り切れなかったからだ。だがそれはいつまでもやってくる。
「皆完璧じゃないんだよ。人に迷惑もかけるしかけられる。その時に真摯に謝って同じ過ちを犯さないかが大事だから」
コンラートの濡れた髪から水滴が滴る。クロエもどう反応したらいいのか分からず呆気にとられ、ラウラも何か聞こうとしてそれを引っ込める。
そして丁度良くロルフが帰ってくる。
「コンラートさん!とりあえず体拭いて!!」
ロルフはスープを取りに行ったはずだが、その手にはタオルがあり、コンラートはそれを受け取る。
「あ、うん。ありがとね」
コンラートは受け取った髪を拭く。だが軽く拭くだけで、コンラートはクロエを正面から真っすぐに見る。
「もう全部正直に話せるね?」
自分で話しなさいと。クロエはそう言われた気がした。
「……」
言葉が上手く繋がらない。あれだけ騒いでおいて実は猫がやりました、でもハンナのせいにしていました。そんな事言ってしまえば嫌われてしまうと。
自分ばっかな思考にも嫌悪してしまいそうになるクロエだが、コンラートはそれを受け容れるように優しく微笑む。
「多分また同じような喧嘩するよ。それで毎回毎回クロエちゃんが責められるけど罪は償えない。そんなのが続けば、心根の優しい君は壊れてしまう」
タオルを机に置き、コンラートはブロンドの髪を掻き分けクロエの肩に手を置く。そのクロエの体は酷く細く冷たくなっていた。
「君が一人ぼっちになっても俺は味方する。それで安心してくれないかな?」
コンラートのまっすぐな善意を至近距離で浴びるクロエ。今までも何度もクロエ自身白状しようか迷ってきた。だがそれをする勇気と、罪を認める事が出来なかった。
だが、コンラートの言葉が決定打だった。クロエはコクっと頷き、小さく呟く。
「……絶対?」
「うん、絶対」
するとコンラートの手は優しくほどけクロエは立ちあがる。そしてその細い足はハンナの目の前へと立ち止まる。
「「……」」
気まずい沈黙。それは嘘を付いたハンナに、真実を話さなかったクロエ、2人に共通していた。そして先にクロエの頭が下げられる。
「まずごめんなさい。私の為に嘘をついて、濡れ衣を背負ってくれてありがとうございます」
そこから一連の流れをクロエは全て説明する。あった嘘といえば猫を飼いたいと言ったのは、レーナでは無くクロエだとしたことぐらい。
長々とそれでも最後まで話しきるクロエ。だがハンナからは沈黙しか返ってこない。それでもクロエの頭は下がり続け、ブロンドの髪は床へと垂れたまま。
そんなクロエを見下ろし、ハンナは表情を歪ませ言う。
「私がやった。私がペンダント盗んだって言ってるじゃないですか」
そこでやっとハンナの口が開かれる。そしてそれは滝のように言葉は止まることは無い。
「全部自己満足じゃないですか」
ハンナ自身なぜここでクロエが自白し始めるのか理解出来なかった。これまでどんな思いで自分が嘘をついて、孤立していたのか。その意味を無意味にされているのに等しいからだ。
「1人で解決した気になって。私が苦しんだ事も全部無駄って事ですか」
だがクロエは頭を下げたまま。それに昨晩の窓の景色から、ハンナは苛立ちを覚える。
「それでそこの騎士が味方してくれるなら良いですよね。どうせこの後も私は1人だってのに」
結局これでは私が苦しい思いをしただけだと。ここまで来たらクロエには黙っていて欲しかったまであったと。
「これで私が皆と仲良くできると思ってるんです?結局自分ばっかじゃないですか」
ハンナの声は段々と震えてきていた。これまでずっと抑え込んできていた物を吐き出すように、その言葉は雨音に負けない程あふれ出していた。
「私だって嫌で嫌でたまんなかった。けど私が我慢すれば皆は仲が良いままでいられたから。だから我慢したのに、なんで滅茶苦茶にするの?」
コンラートは間に入ろうと思ったが、これは2人で解決するべき問題だと沈黙しジッとその会話を見る。
「なんで嘘の意味をなくしちゃうの?」
最後に絞り出すように零れたハンナの言葉。それは責めるでもなく怒るでもなく、ただただ悲しそうな声色だった。
そして謝れば解決だと思っていたクロエ自身、どう言葉を帰せば分からないまま口が動いていた。
「……でもこれでハンナ……さんは皆と仲良く出来る」
そんな絞り出したクロエの言葉にハンナは鼻で笑い飛ばす。
「ほんとにそう思ってるならおめでたいね。ここまでの事があって良くそんな考えになるよ」
クロエには謝ることしか出来ない。ひたすらに自分が悪い事をいい加減自覚してしまっていたから。だから頭を下げ続けるクロエだが、それを見下ろしたハンナはため息を吐く。
「……まぁでももう良いよ。許すから。それにどうせバレた嘘だから」
許すというにはあまりにも刺々しい言い方。咎めるという表現の方が正しいのだろう。
そうしてハンナは、頭を下げたままのクロエを無視して去ってしまう。これを解決とは呼べないが、まずスタートラインに立ったと、コンラートはクロエの背に手を置く。
「これから償っていこう。それが君の罪の重さだよ」
「……はい」
それを見ていたロルフらもどう反応したらいいのか分からないでいた。だが事実として何があったのかは理解したのか、コンラートへと問う。
「じゃ、じゃあハンナの奴は悪く無いって事か?」
その問いをコンラートは答える訳にはいかないと黙り、クロエを見る。するとクロエは顔を固まらせつつも言う。
「ハンナちゃんが悪くないと知ってて罪を擦り付けてた。悪いのは私」
未だ頭を下げるクロエを気まずそうに見てロルフは頷く。それを見てコンラートは付け加える。
「だからクロエちゃんとどう関わるかはロルフ君が決めることだよ」
そしてコンラートはラウラを見る。やはりラウラはやりきれない様な顔をしている。そう思っていると、ラウラはカツカツと足音を立て、クロエの頭上から話しかける。
「私があれだけやったのに。猫って……舐めてんの?」
そんな嫌味が飛んでくるのも仕方のない事なのだろう。ずっと悩んでハンナの為に動いていたからこそ、クロエの変わり身に嫌悪してしまうのだろう。コンラートもそこは庇う事は出来ないと思っていると、クロエは更に頭を深く下げる。
「ごめんなさい。本当に……」
また深く頭を下げるクロエ。でもハンナと違いラウラは、言葉の上でさえもその謝罪を受け取ることは無かった。
「ごめん。ちょっと今日はクロエと会話できない」
そう言ってラウラもカツカツと足音を立て食堂をあとにしてしまう。そしてやはり残る気まずい空気。それを振り払うようにコンラートは手を叩く。
「じゃあ今日は雨だしね!!皆で屋内で訓練しようか!!!」
コンラートに人の感情を操れるような会話術は無い。ただ明るく楽しく、そんな空気を作る事しか能がない。そう自分で思っていたからこその、出来うる、やれる事だった。
だが、また食堂の出入り口に黒い影が現れる。
「雨の中、人に探させといて随分元気だな。バカ騎士」
びしょ濡れで黒い外套に身を纏った奴隷商を見て、コンラートは思い出したように声を上げる。
「……あ、そうだ!!奴隷商!!」
駆け寄るコンラートを嫌がる様に、一歩引く奴隷商。
「うるさい。一々声がでかい」
そんな奴隷商にコンラートは麻袋を持ち目の前に持ってくる。
「お前これ!!金は用意したぞ!!!」
ジャラっと音を鳴らし麻袋を掲げるコンラート。それを見て奴隷商は怪訝そうにしつつも受け取り、その中身を伺う。が、それを見て余計に眉間に皺を寄せる。
「……奴隷が盗みをすると俺も罪に問われるんだが」
またその反応かと。コンラートは否定するために声を張る。
「盗んでねぇって!!俺の鎧と剣を売ったんだよ!!!」
「お前……」
呆れたように額に手を当てる奴隷商。そして子供に説教でもするように、強く責めるように言う。
「そもそもお前の鎧も剣も俺の物だって話したよな?」
「いやでも……あれは俺のだし……」
まだ理解していないのかと、いい加減殴りたくなる奴隷商だがなんとかそれを抑える。
「それに誰に売った?商人が奴隷紋のある奴と商売する訳無いだろ」
普通ならコンラートがペンダントを買い戻せと奴隷商に問い詰める場面。だが奴隷商の圧にコンラートはたじろいてしまっていた。
「……路地裏のおっさん」
そう答えると部屋に響くほどの大きなため息が奴隷商から零れる。ブラムは奴隷の所有物を勝手に売らないが、それの価値はしっかりと調べる男。そしてその情報は奴隷商も受け取っていた。
「だからぼったくられるんだろ。あれ一万ゴールドは軽く行くだろうに」
その言葉にコンラートの頬が引きつる。
「……え、まじ?」
奴隷商は室内の様子がおかしい事に気付きながらも、面倒に説明をする。
「逆に、大事な大事なお前の姫様から下賜された装備が、安物とでも思ってたのか?」
「え、いやそれはそうだけどさ……」
だがここで思い出したかのようにコンラートは顔を上げる。コンラートにとっての最優先事項で、忘れてはいけない事だ。
「て、てか!なんで俺が責められんだよ!!そもそもお前がペンダントを勝手に売ったのが悪いんだろ!!!」
近距離で叫ばれ耳を抑える奴隷商は、何度目か分からない同じ説明を返す。
「勝手も何も俺の物なんだよ。お前の鎧もペンダントも」
そう言って奴隷商は麻袋を手に去って行ってしまう。だがそれをただ見送る訳もなく、コンラートは足がもつれながら追いかける。
「ちょ、ちょっと待てって!!俺の金だってそれ!!!」
奴隷商は振り返る事すらせず麻袋を掲げ、中の金貨を揺らす。そしてわざと食堂内の奴隷達に聞かせるように声を張る。
「だからこれも俺の金だ」
そして大人二人の騒がしい声が廊下の奥へと消えていく。そして当人らが居なくなった食堂で、ずっと事の顛末を眺めていたレーナが呟く。
「な、なんかさっきまでカッコ良かったのに……」
その言葉に、珍しくエリックが同意するように返す。
「……まぁコンラートさんらしいけど」
エドガーとカミラはやっと明るくなった空気に、解放されたように硬かった表情が解ける。それぞれ反応は違うが、同じ事は思っていた。
「ほんと善人というかバカというか」
クロエのそんな呟きにその場にいた全員が同意するのだった。だが、クロエにハンナにラウラ。それぞれの問題は解決どころか、さらに面倒になっていたのもまた事実だった。
「あんなクズとは違って」
それは誰の言った言葉だろう。だが、誰を指してどんな行動を指して言ったのか。それはハンナ以外の奴隷達の共通する所だった。
ーーー
そうした会話が交わされる食堂とは別に、奴隷商の書斎にて。奴隷商は深く椅子に座り、麻袋を机の上に置く。
すると入るなと言ったのにずけずけと書斎に踏み込むコンラート。
「で、いつ買い戻しに行くんだ?」
そんなコンラートから距離を取る様にして、奴隷商は窓際まで行き、薄暗いその雨雲を見上げる。
「一晩中この雨で、あんな重い鎧持って走ったんだな」
褒めても無いのにコンラートは誇らしげに胸を張る。
「それぐらい出来て当たり前だ」
呆れたように振り返り、奴隷商はコンラートに言う。
「……いや、それはお前だけだな」
だがこんな会話は後回しで、ペンダントを早く返せとコンラートは奴隷商へと詰め寄る。それから目を逸らすように、再び奴隷商は雨足の強まる外を眺める。
「別にする必要ないというのに」
意味を省いた言葉。当然コンラートに正確に伝わるはずも無く、その怒りを買う。
「あ?あのペンダントは家族の形見なんだぞ?」
奴隷商はコンラートへと向き直り背筋を曲げる。どうやらコンラートの冤罪騒ぎはどうにかなりそうかと、安心する。
「ん?あぁそういう意味じゃなくてだな」
そしてその右手を伸ばし、机の一番下の引き出しに手を掛ける。それを見て警戒するコンラートだったが、奴隷商の持ち上げるそれを見て動きが固まる。
「お前……なんでそれを……」
「まだ売る前だったんでな。先方には俺から断っておく」
深紅に輝く宝石のあしらわれたペンダント。それを奴隷商はコンラートに向け投げ飛ばす。だがコンラートは戸惑うばかりだった。
「じゃあなんで俺に売ったなんて嘘を……?」
それを大事そうに受けとりつつも、明らかに理解出来ないと動揺するコンラート。だが奴隷商は必要以上に説明はする気は無い。
「さぁな。だがこれはお前が返してやるのが一番丸い」
言葉を尽くさない奴隷商は、当然コンラートにとっては異様に見える。
「……お前が益々分からない」
だがこれでコンラートは鎧を売ってまで奴隷の形見を取り返した英雄だ。代わりに奴隷商は悪人になるが、その方が今より幾らかマシなのも事実。
「理解されるつもりは無いな。それに今日も訓練だからさっさといけ」
思考を開示する事も無く、奴隷商は追い出すようにコンラートを押す。たじろぎながらもコンラートは、大事そうにペンダントを抱え歩き出す。
そして怪訝にしながらも、言われた通り扉に手を掛ける。
「もう盗むなよ。誰の物も」
その言葉に奴隷商は一拍置き答える。
「あぁ。そうだな」
バタンと閉じられる扉。響く雨音。書類を見るには暗いと奴隷商は蝋燭に火をつける。
「せっかく手を回したんだがな。全部取り越し苦労か」
方々を駆けまわって当面の経営資金をかき集めていた。それがダメだったら本当にペンダントを売る気だったのは、面倒だから口を噤む。
だがこれでしばらくの問題は無くなったと、肩の荷が下りた感覚を覚える。そして雨音に掻き消えそうなほどの声量で、奴隷商は白い息を吐く。
「……ほんと。よくやる」
そしてまだ仕事はあると。奴隷商は椅子から立ち上がるのだった。




