第17話 不器用でそれでも愚直に
今更ながらコンラートの主のレーナと、クロエの同室のレーナが同名なのに気付きました……
伏線でも何でもない上、流石にややこしいと思いますので、コンラートの主の名前をシーナ・アルスデットに変えます。本当に申し訳ありません。逐次これまでの投稿分を変更していきます。
変更点
レーナ・アルスデット → シーナ・アルスデット
追記 5月23日誤字修正
コンラートが奴隷商の部屋を訪ねる少し前のこと。
ポツポツと天井を叩いていた雨音は落ち着き、雲の間からは月明りが差し込み始める。その部屋にはラウラとハンナ、2人の奴隷が寝藁に包まる。
だが、ただ会話はそこになく、背を向け合い互いに壁を見るだけだった。
「「……」」
相手が寝ているのかいないのか、それは互いに分からない。だが探る様に息遣いに気を配り、藁の香りを鼻腔に押し込む。
そしてそんな沈黙を破ったのはハンナだった。
「ラウラさん。もう放っておいてくれませんか」
この部屋にいるのは2人。勿論ラウラにもその言葉は聞こえてきていた。だがその言葉に従うかどうかは、また別だった。
「……放っておくも何も。私は皆の為にやってるだけ」
だがそんなラウラの気遣いも、ハンナは要らないと突き放す。
「私は庇って欲しくないです。それだけですから」
ラウラはハンナに対して距離感を掴めないでいた。周囲から嫌われる現状に可哀そうには思う。だが、本当にやってないとするなら、濡れ衣である罪を否定しない理由が分からない。
だからこそ不気味な存在というのが、正直な感想だった。
「だから庇うとかの話じゃないの。このままだと皆ギクシャクするって話。別にハンナだけとかそういう話なんじゃないの」
だが段々と苛立ってしまうのも事実。この所何も上手くいかないラウラにとって、意味の分からない行動をするハンナが悩みの種だった。
「……だから私は信じなくて良いんです。私が全部悪いんですから」
またそんな事を言うハンナ。どう聞いても悪人の言い方には聞こえない。自分が悪人だと言い張りたいなら、もっと嫌な奴を演じてほしいのに。
その気持ち悪さラウラは突っ込んで聞く。
「ほんとはやってないんじゃないの。ずっと黙ってたけどハンナがペンダント盗むタイミングないでしょ」
そうであって欲しい。そんな願望のあった言葉。だが望んだ答えは返ってこない。
「寝てたラウラさんに断言できるの?見ても無いくせに」
そんなハンナの言葉を、否定するように言葉を重ねるラウラ。
「放火もさ。ハンナ1人で出来る話じゃないでしょ。それこそ大人がやったんじゃないの?」
角度を変えどうにか切り口が無いか探すラウラ。そうやって言葉を選ぶも、ハンナは一向に折れない。
「……2回目だけど、ラウラさんは何も見てないからそう思うだけじゃない?あれも私がやった事だから」
何を言っても罪を認めてしまうハンナ。互いに壁と向き合って背中越しに話す異様な光景。自身の思い通りにならないハンナに対して、ラウラの口調には怒りが滲み出る。
「罪を被って良い人気取りって訳?結局それ周りが困るだけなんだけど。今明らかに皆ぎくしゃくしてるの分かってる?」
なぜ自分がここまで悩まないといけないのか。そもそもクロエもクロエで、解決したならいつも通りをすればいいのに、不機嫌を振りまいて気に食わない。
ラウラは自身の苛立ちを発散するように、強く寝藁を握りしめる。だが一向に来ない返事。
「無視はちょっとないでしょ……!」
ラウラは起き上がりハンナを見る。するとそのハンナは、いつのまにか藁に座りその視線は窓の外へと向いていた。
雲の間から差し込む一筋の月明りが、ハンナを照らすように降り注ぐ。
「ラウラさんは優しいですね。そこまで私を信用してくれるなんて」
ラウラは固まる。ハンナが歳は3つ下なのにやけに大人びて見えた。
だが、青白い月明りから眩しそうに目を背けたハンナは、ラウラと同じように目元にクマを作り、疲れ切っていた。
それでもハンナは優しく微笑む。
「でも大丈夫ですから。私の意図を汲んでください」
今までとは違う演技っぽくないハンナの言葉。それはラウラの求めていた回答のような気もしたが、理解をする事が出来ない。
だがこれ以上の対話は望まないのか、ハンナはそのまま毛布に被り、壁へと向いてしまう。
「意図って……それが分からないから……」
そうラウラが言っても返事は来ない。
ただ余計にハンナについて分からなくなってしまっただけ。それどころか、今の様子から本当にハンナがやっていないと思いたくなってしまっている。
「私はただ皆仲良くいて欲しいだけで……大人なんて頼らないで済むように……」
コンラートにクロエにハンナ。どうしてこうも問題を起こす人間ばかりやってきたのだろう。そのせいで私の胃はずっと痛く、しばらく寝れていない。
「もう……なんで……」
そう呻くラウラを背中に、ハンナは寝藁に埋もれる。
(これで良い。私が全部悪くなればそれで良い。どうせ余所者なんだから)
エドガー達から嫌われクロエ達からも嫌われている。下手に私に同情されれば、奴隷達が分断されかねない。
そう理屈で考えても、ハンナの心臓は縛られたように痛む。奴隷商の言ったように分不相応な立場に、重すぎる責任。
ギュッと目をつぶる。この所寝る前に同じように思考しては寝れない日々。それを忘れるように、今日は早く寝れるように願う。
「……?」
だがそこで聞こえる誰かの叫び声。ラウラとハンナは起き上がり、互いに目を合わせる。
「クロエちゃん……?」
ラウラがそう呟き立ち上がる。様子を見に行くらしく、ハンナもそれに付いて行く。藪蛇かとも思ったが、流石にこの深夜の叫び声は心配だった。
それにラウラの様子が心配だったのもあった。
「あの騎士が襲ったのかも」
そう言ってラウラは木刀を握りしめる。昼間あったというコンラートがクロエを襲ったという話。それはハンナも知る所だったのだが。
(そんな事する人かな。あの人)
コンラートを疑っていないハンナと違い、ラウラは疑いの色濃く、慎重にドアを開け廊下に顔を出す。そうして2人廊下に出れば、丁度そのコンラートが駆けだす所。
そしてその拳は握られ、黒い外套に身を包んだ奴隷商へと向く。
「お前って奴はいつもッ!!」
だが奴隷商は全く動かない。動く必要が無いからだ。
「お前も変わらないな」
コンラートの拳は寸での所で止まり、奴隷商の髪を揺らすだけ。奴隷は所有者に危害を加えられないからだ。
そんなやり取りの中、ハンナは奴隷商の手に握られたそれを見る。
(クロエさんのペンダントだ)
ハンナはなぜコンラートが怒っているのかを理解する。奴隷商がクロエのペンダントを取り上げようとして、コンラートが激怒した。おおよそそんな所なのだろうと。
すると奴隷商はコンラートの拳を掴み、表情の無い顔で振り払う。
「事実はどうでも良い。このペンダントのせいで問題が起きるなら、売ってしまおうというだけだ」
今どんな思考で奴隷商が行動しているのか。そこにハンナは、どこか同種のような感じる物があった。
(わざとらしい)
このタイミングでクロエのペンダントを取り上げる。問題解決という目的もあるのだろうが、わざわざ自分から嫌われにいっているようにしか見えない。まるで誰かから奴隷達の視線を逸らさせるために。
「……そんなに私が弱って見えたのかよ」
ボソッとハンナは呟く。それは誰かに聞こえる訳でもなく、ハンナを置いてきぼりに事態は進んでいく。
「じゃあお前らは大人しく寝て置け」
奴隷商は何事も無かったようにペンダントを持って階段を下ろうとする。だがそのペンダントはクロエにとって大事な物で、クロエが奴隷商を止めない理由にはならなかった。
「ちょ、ちょっと待てって!!なんでそれ持ってくんだよ!!!」
奴隷商に縋りつくように外套を掴むクロエ。だが、それを面倒くさそうに振り返り、奴隷商はペンダントを掲げる。月明りが宝石を通り抜け、廊下に半纏のように深紅の光が浮かび上がる。
「これ宝石があしらわれてるんだな。よくブラムに取り上げられなかったな」
だが、クロエにとっては思い出という付加価値が上乗せされた物。いくら値を積まれても売るはずの無い物。
「だからそれは兄さんので……!」
「そういやお前の家は一応貴族だったか。すっかり忘れてた」
まるでクロエを相手にしない奴隷商。それでもクロエは引かず奴隷商のペンダントを持つ手へと縋る。
「返してって!!!」
「申し訳ないがこれは売る。この所金に困っててな」
だがコンラートが止めないはずもなく、奴隷商の進路を妨害するようにして立ちふさがる。
「流石に売るのはやりすぎだろ」
やっと解決できそうだったのに。そう悔いる気持ちがありながらクロエの為にとコンラートは体を張る。だが、奴隷商は表情をピクリとも動かさない。
「元々奴隷に物の所有権は無いと言っただろう。本来これも俺の物だ」
縋るクロエを振り払い立ちふさがるコンラートをどけて、奴隷商は階段へと向かう。
そこでラウラとハンナの傍を通り過ぎるが、一瞥すらしようとしない。だがすれ違いざま、ラウラが奴隷商に話しかける。
「それ。クロエのですよね」
「そうだな」
わざわざ足を止め答える奴隷商。その視線は未だラウラ達へとは向かない。
「それして意味あります。何も解決しないですよね」
奴隷商は聞こえるようにため息を吐く。
「だがこれ以上問題も起こらない」
奴隷商の態度に信じられないと歯噛みをするラウラ。それは他の奴隷達も変わらず、同じような反応をするが、奴隷商は意にも返さず止まった足を再開させる。
ジッとその様子を伺うハンナ。その中で、やはり確信したのは。
(なんでそんなに嫌われようとするの)
ハンナの中に確信にも近いものがあった。今回の騒動で、奴隷間の互いへとヘイトが色んな方向へ飛び交ってる。それを自分に集めて、うやむやにして強引に終わらせようとしているのではと。一番の悪人が現れれば、奴隷達が憎み合う理由も薄まるからだと。
それは自分が罪を認めれば全部解決するのではと。そう濡れ衣を負った自身の思考と同じだったからこそ、分かった事なのかもしれない。
だがハンナは意趣返しだと、すれ違う奴隷商へとこの言葉を返してやる。
「どっちがバカだよ」
その言葉は奴隷商に聞こえていたはず。だが、一瞬歩みが止まっただけで、奴隷商は階段を下っていく。
そんな中。やはり一番ショックが強いのはやはり持ち主のクロエだった。
「……え、え、え。なんで私のペンダントが……」
状況を理解出来ないのかクロエが手をわなわなとさせ、床へとへたり込んでしまう。
「なんで……」
ハンナはクロエの事が嫌いだった。だがそれとこれは別にしても、可哀そうにも思ってしまう。そう思うだけで、何かする訳では無い。
だがその騎士は、それを慰めるようにして、そっとその小さな背中を撫でる。
「大丈夫。俺が取り戻すから」
コンラートに何か作戦がある訳でも無かった。奴隷商の意図を理解していた訳でも無かった。だがクロエへと既に肩入れし始めていたコンラートに、彼女を見捨てる選択肢は無かった。
だが想いはいつも同じ方向を向く訳では無い。赤くなった目元でクロエはコンラートを見るが、そこには諦めの色が濃く。
「……もういいよ…元々……取り上げられてもって……思ってたし」
本心では言っていないのだろう、苦々しい言いぶり。この場に取り残された奴隷達は、何も言えずそれをただ眺める。
だがコンラートだけは強情にその道を貫こうとする。
「こんな終わり方は誰も幸せにならない。俺が絶対取り返すから」
コンラート自身どこか仕えていたシーナとクロエを重ねてしまっている。性格も真反対で、見た目が多少似ているだけ。だが、いつも強がって心の弱い所を隠そうとする。その本質を重ねて見てしまっていた。
「それでまたちゃんと謝ろう」
コンラートの視線が一瞬ハンナへと向く。
その辺りでハンナも何をしようとしていたのかを察する。未だにコンラートは対話によって丸く解決する事を諦めていないのだと。
だがハンナは意見を翻すつもりはなかった。ここまで来て自分がやってないと、あの時の選択肢を濁す事はするつもりがない。
そんなハンナの心中など知らず、コンラートはクロエを立たせてやり部屋に戻す。そしてラウラとハンナへと向き直る。
「またクロエと話す機会を作って貰っても良い?」
数歩分の距離を開け屈んだコンラートが問いかける。その距離は昼間の一件から気を遣ったのだと察しが付く。
だがその気遣いむなしく、ラウラは更に一歩引き返事をする。
「クロエなんかと話してなんとかなるの。それにそれどころじゃないでしょ」
ラウラも限界なのだろう。本音が漏れつつ冷たい物言いになってしまう。だが、それでもコンラートは笑みを崩さない。
「俺がなんとかする。君達子供が気にする事じゃない」
ラウラは何が子供だと。そう言い返したくなる。散々威勢のいいことだけ言っておいて、結局何もしてないこの男がどの口でと怒りたくなる。
だが目の前の騎士の真剣そのものの顔に、言い返す事が出来ずラウラは顔を伏せる。それを横目にハンナは口を挟む。
「コンラートさん」
「ん?なに?」
これを言うべきか迷う。それこそ奴隷商が求めていない事で、自分も奴隷商の立場なら言って欲しくないこと。だが、それでも境遇を重ねてしまう。
一人ぼっちで理解されないのは苦しい。その行いを正しい事だと思っていたら猶更。
私は自己満足でも良いと、奴隷商に何も返せないのが嫌だと、コンラートへと頭を下げる。
「あいつの事も分かってあげてください」
あの日迎えに来て、ハンナが会話した奴隷商という人間。それは誰にも理解されようとしなく、言葉を尽くさないから勘違いされる、されようとしている人間。
それが酷く寂しく見えてしまったから出た言葉。その意味をコンラートが理解したかハンナには分からないが、その騎士の緑眼はジッと捉える。
「うん。冒険譚も童話もハッピーエンドしか好きじゃないんだ」
そう言って奴隷商を追うようにして階段を降りていくコンラート。そして廊下に残ったのはラウラとハンナのただ2人だけ。
「……部屋戻りましょう」
ハンナがそう呟くが、ラウラは遠い月明りに反射する雲を眺める。それを不思議そうにしていると、ラウラはふと呟く。
「ハンナちゃんは奴隷商の事好きなんだね」
唐突な言葉。その言葉の意味を咀嚼するのに時間がかかったハンナだが、すぐにそれを否定する。
「え、いや……ちがっ」
ハンナは心臓が小さくなり体が熱くなる感覚を覚える。そんな分かりやすく動揺するハンナを横目に、ラウラは訂正する。
「親愛的な意味。まぁどっちだとしても私には理解できないけど」
そうしてラウラは先に一人部屋へと戻って行ってしまう。それを追おうとするが、ふと窓の外に目が行くハンナ。
「……あれって」
裸足の足音が遠くなっていく。
ハンナの覗いた窓からは、ロングコートに身を包んで帽子を被った女の人が正門に立っていた。その手には何か詰まった麻袋が握られており、それを受け取るのが奴隷商。
「……」
ハンナは唇を噛む。咄嗟に状況を察してしまったからだ。
自分以外にも奴隷商を分かっている人物はいるのだと。自分と同じ境遇だからこそ、理解者は自分しかいないと思っていたのが恥ずかしく感じる。そう正門で笑顔で奴隷商と話す、その女を見て思ってしまう。
「一人ぼっちは私だけかよ」
自嘲的な笑いが漏れる。するとその女とは突然顔を上げ、ハンナと目が合った気がした。
「……ッ」
笑いかけてきたと思う。その意図はわからないがハンナは、逃げるように窓から離れる。
「……別にそういんじゃないし」
ハンナの足音は乱暴に廊下を叩く。そして遅れて自室の寝藁へと飛び込むのだった。
ーーーー
コンラートはクロエの為に走り出す。とにかく売られる前に奴隷商からペンダントを取り返さないと。そうひたすらに施設内を見て回る。
だがどこにも奴隷商の姿は見えない。
「……もしかしてもう売りに行ったのか?」
そこまで遠くには行っていないはず。なら外まで追いかけに行く選択肢もある。
だが衛兵に見つかれば一発アウト。ここで捕まれば何もかも失敗してしまう。
そう迷いながらも息をあげるコンラート。そして最後の最後にと、コンラートは奴隷商の書斎の前に立つ。
「最悪ここで籠城してやる」
ペンダントを返さなければこの部屋の物を壊していく。そう実力行使で交渉だってしてやる。魔力で命令されても何度も繰り返して、根競べしてやる。
だが今はこの部屋の中だ。そう足を踏み込むがやはりどこにも奴隷商の姿は見えない。が、どこかにペンダントを隠した可能性もあると、コンラートは室内を漁る。
「どこかにないか……」
そうして漁っていく内に、普段奴隷商が座っている机の引き出しに手を掛ける。
「売るにしたって流石に……」
ギィっと音を立て引き出しを開ける。するとそこには何かのリストらしき紙が入っている。コンラートはそれを手に持つ。
「人の名前……?」
そしてそれをいくつか見る内に見覚えのある名前がある。
レイラ オークランス伯爵使用人 生存確認 ○
シエナ 公営売春街 生存確認 × 輸送中の盗賊襲撃による
他にもずらっと名前の後に同じような内容の文言がある。そしてそれを何枚も捲って行けば、○を二重線で消した部分も増えていく。
「……これは」
そうして最後の一枚を見るが、それは一度クシャクシャにしたのか皺だらけだった。
「……5年前」
知らない名前ばかり。だが10人近くある名前の内○のあるのは2人だけ。
ふとハンナの言葉がコンラートの中にフラッシュバックする。
「あいつの事も分かってあげてください。か」
この紙から薄っすら見える奴隷商の顔。それは冷酷な人間には思えない。だが、それでも奴隷商の行いを肯定する訳にはいかない。
そう次探さねばと顔を上げるコンラートだが、部屋の外から足音が聞こえてくるのに気づく。まずいとコンラートは咄嗟に紙を仕舞い、奴隷商の席を離れる。
そしてコンラートがギリギリ誤魔化しきれた所で、奴隷商は書斎の扉を開ける。
「人の部屋で何をしている」
コンラートに脂汗が滲み出る。
「お、お前からペンダントを取り返す為だ」
コンラートが上がった息を隠すように睨むが、それを意にも返さず奴隷商はその脇を通り抜けてしまう。
「遅かったな。3000ゴールドもしたぞ、これで前逃げた奴隷分はなんとかなったな」
奴隷商の手に握られた重量感のある麻袋。それを見てコンラートの息が詰まる。
この短時間でクロエの思い出を売り払う奴隷商が信じられないと。止まることなく怒りが噴出し、コンラートは奴隷商へと掴みかかり壁へと押し付ける。
「誰に売った!!」
コンラートの手を押し返すように奴隷商は掴み返す。
「それを聞いてどうする」
だがコンラートの力が強く、奴隷商は強く壁に押し付けられる。
「良いから教えろ」
「……お前が襲撃しかねないから教えられないな」
奴隷商はコンラートから目を逸らしつつも、その力の強さに気圧される。だが、奴隷商は喉元に魔力を込める。
「部屋から出ていけ」
「……ッ」
魔力を使った命令。それはどれほど意志の強い者でも逆らう事は出来ず、コンラートも例外なく部屋の外へと体が動いてしまっていた。
「お前もいい加減冷静になれ」
奴隷商は首元をさすり、そんな言葉だけをコンラートに送る。
そして部屋の外へと出たコンラートの体は自由になる。中にいる奴隷商へとまた突撃する事も出来るが、それに意味が無いのも理解しているつもり。
「それにもう売ったとなると……」
これではクロエがあまりに不憫だ。あれだけ頑張ってきたのに結末がこれだなんて。そんな状態でハンナ達と円満な解決が出来る訳も無い。
「それだけはダメだ」
まだ喧嘩をして日が浅い。まだ修復だってできるはず。
そしてコンラートは自身の意思で静かになった廊下を進み、手のひらに握られたカギを見る。
「……俺に出来る事は」
コンラートは靴を履く。辺りはまた天候が悪くなりつつあった。そして書斎から盗んだカギを回す。
その命よりも大事なそれを抱え、雨雲が月を覆いつつあった夜空の下に駆けだすのだった。
ーーー
月明りは既に奴隷商の書斎に届かなくなっていた。薄暗く視界も悪い中、奴隷商は深く椅子にもたれる。その手には麻袋が握られており、それを引き出しに仕舞おうとするのだが。
「……あいつ引き出し勝手に開けたな」
乱雑に仕舞われた紙。あまり人に見せる物でも無いので、いい加減施錠するべきだったと後悔する。それらを整理し、金を仕舞うため鍵のついた一番下の引き出しを開ける。
ガラガラっと空っぽな音と共に、それは転がる。
「だがこっちは見ていないか。あの様子だと」
2段目の引き出しを開け、ポツンとおかれたそれを見る。すると僅かに雲の間から月明りが差し込み、反射すると深紅の灯へと変化する。
「本当に。中途半端で嫌いになる」
パタンと引き出しを閉じる。そして奴隷商は深く椅子に座り、少しの間瞼を閉じるのだった。




