第16話 見えない道筋とすれ違い
5月23日 誤字修正
雨が降り始めた。この所天候は安定しない。西からは夕日が差し込むが、酷く体に打ち付ける雨粒。
そんな中走っては木刀を振り、また走っては木刀を振り。それをひたすらに繰り返し続ける。いつまで続くのかと思った訓練は、奴隷商が切り上げ施設へと戻った事でやっと解放される。
「あいつ急になんだよ。コンラートの兄ちゃんもいねぇし」
ロルフがそう文句言いながらも、井戸水をさっと浴びてさっさと戻っていく。いつも男が先に水を浴びるので、それに続いてエリックやレオンが続いて行く。
それを中庭の縁で、雨宿りするようにレーナとクロエは座っていた。クロエは雨音に意識が持っていかれそうにながら、寒さに振るえるレーナに問いかける。
「猫。大丈夫なの」
会話する機会すらなかった。それの余裕すらない。この所緩かった訓練に比べ、休憩も異常に短く今も体は全身が悲鳴をあげている。
「今は……ミャーは部屋に戻した。奴隷商が居なくなってから」
レーナが黒猫に名付けたのがミャー。安直にも思ったし上クロエはその呼び方が小恥ずかしく、その名で呼ぶことはない。
「もう取り上げられちゃうのかもね」
レーナが黙る。元々暗い子ではあったが、あの黒猫が来てからそれなりに元気になっていたというのに。
段々と雨足が強まる。男達が屋内に戻って行き、布で視界を遮りラウラがカミラの水浴びを手伝う。そこでレーナが意を決したように言う。
「もうさ……正直に話さない……?」
クロエは唇を噛む。レーナはクロエの苦しそうな顔を見ながらも、声を絞り出す。
「ハンナちゃんも……可哀そうだし……なによりクロエちゃんも……」
だがクロエは強く言い返す。
「私が悪いだけだから。それは事実だし」
それはクロエにとって変わらない。結果的にハンナに濡れ衣を着せてしまったのは、クロエであるのが紛れもない事実。
だが、それでもレーナは申し訳なさそうに弱々しく言う。
「で、でもミャーも取り上げられちゃうなら……もう」
ラウラ達が体を洗い終えたらしく、物陰から出てくる。それを見てクロエも布を手に立ち上がる。
「でもレーナが処罰されるかもしれないから」
それに今更言っても仕方ないし信じてもらえるはずもない。クロエはレーナに手を差し出し、引っ張り上げる。
「だから黙っててね」
レーナは俯いてしまう。だがクロエに引っ張られようとも、その場所から動こうとしない。クロエは困り顔になりながらも、レーナの手を引こうとするが。
「私だげ何もしてない……」
クロエに引っ張られよろけながらも、その眼は強くクロエを見上げる。偶に見せる強情な面、それがここにきて出てしまった。
「別にいいの。それに正直に話してどうするの。絶対信じて貰えないよ」
おそらくただの言い訳にしか捉えられない。だがそれが事実だから余計に困っているのも確か。それは分かっていても、いい加減レーナも耐え切れないのだろう。
「なら……私が話す。奴隷商に」
クロエは困ってしまう。だが、ふとなぜコンラートではないのかとも思ってしまう。
「話すならせめてあの騎士じゃないの?奴隷商の奴が話聞くわけないじゃん」
するとレーナは信じられないと言いたげに目を丸くする。
「え、でも……あの騎士はクロエに……」
「?」
クロエにはレーナの動揺が分からなかった。
それもそうで、クロエにとってコンラートからは何もされていない。だがレーナにしてみればコンラートはクロエを襲った大人。そこにすれ違いが起きる。
「あのバカ騎士私達が嘘ついてるって疑ってたし、話せば多少は力なるかもよ。私は反対だけど」
クロエはそう言いながら歩き出して、井戸水を汲み出す。雨も酷く体を洗う意味を疑いそうになるが、レーナの元に戻ると、屋根の下で髪を雑に洗い流す。
そんな平然とするクロエが、ただただ不思議でならなくてレーナは固まる。
「え……レーナは……それでいいの?」
「別に。あいつにいつまでも付きまとわれるの嫌だし」
そうクロエは言いながら、井戸水で満ちた桶をレーナに寄せる。レーナはその桶に手を触れることなく、ただただ迷う。
「じ、じゃあ……そうするけど……ほんとに良いの?」
強情になったと思えば今度は何度も確認してくる。そんなレーナの様子を怪訝にしながら、クロエはブロンドの髪の汚れを落としていく。
「だから私はする意味無いって言ってる。けどレーナがしたいなら止めないよってだけ」
レーナにはクロエの事が分からない。だが、レーナの短い人生で一番信用を寄せるのがクロエでもあった。だからレーナはゆっくりと頷き、その桶を手に取る。
「じゃあ話してみる」
「そ。無理だけはしないで」
クロエは先に髪を拭き終わり背を伸ばす。レーナを待っていてあげたいが、流石に寒すぎると屋内へと戻る。
「信じて貰える訳無いし、どっちにしても私が悪いのにね」
どうすればよかったかなんて私が知りたい。間違った事している自覚もある。だが今更引く訳にもいかなくなってしまっている。
「まぁ私は嫌な奴だし」
思い出す。反省するようにこの数日間の事を。
ーーーーー
「ミャー。どこ~」
クロエは小恥ずかしさを覚えながらも、真夜中の施設内を徘徊する。その目的は分かりやすく、目を離した隙に、部屋の外へと黒猫が逃げてしまったからだ。
「ご飯あげるから~」
レーナと手分けして施設内を探す。丁度奴隷商が逃げ出したハンナを探しに行っているから、まだバレてはいない。だがそれも時間が迫る。
「だから猫なんか飼うなって言ったのに……」
1階にはコンラートとラウラがいる。猫が1階へと降りてしまえばそれでバレてしまう。あの2人なら黙ってくれそうではあるが、余計なリスクを負いたくないクロエ。
するとふと窓の外に見えるその黒い人影。
「やばっ帰ってきたし」
しかもハンナもいる。
この時のクロエはもちろんハンナの事は嫌いだった。昼間あんな言い合いをしたのだから、当たり前。帰ってきたことにすら嫌悪感すらあった。
だが今は猫だと、窓から離れ探し始める。
そこで歩き回っていると、ふとドアが僅かに空いている部屋がある。
「ラウラさんの部屋?」
窓の外を見ればハンナが小屋に隠れ水浴びをしている。中庭の出入り口にはタオルを用意するラウラの姿。つまりラウラの部屋には誰もおらず、だがドアだけは開いている。
クロエはもしかしてと思い恐る恐る侵入する。すると案の定暗闇に浮かぶ、その黄金色の二つの瞳。
「もうなんでこんなとこまで……」
クロエは腰を落とし、ゆっくりと黒猫を抱える。だがふと月明りが差し込み、その壁には爪とぎの跡が。
「……どうしよ」
冷や汗が湧き出る。ハンナとクロエは喧嘩したばかり。こんな物見られれば奴隷商にチクられてしまう。そうクロエは思考をひたすらにめぐらす。
だが分かりやすい対策は思い浮かばず、とにかく藁で覆ってそれを隠してしまう。それは幸いにも部屋の隅だからしばらくはバレないはず。
「これで……」
クロエに落ち着くタイミングは無い。階段を登る足音が聞こえ、それがラウラのものだとすぐに気付く。クロエは急いで猫を背中に回し部屋の外へと駆け出る。
「大人しくしててよ。ほんとに」
独り言のように猫に語り掛けパタンと扉を閉めると、丁度ラウラとクロエは目があう。
そこで疑われぬよう必死にクロエは言葉を考える。
「あいつ帰ってきたんですね」
声は震えている。焦りすぎたせいか少し乱暴な言い方になってしまった。だがそれを気にしないようで、ラウラはほっとしたように笑顔を作る。
「良かったよ。本当に」
だがそう言ったまま何か考えるようにラウラは黙ってしまう。クロエの背中では猫がもそもそと動き、いつ鳴き声を上げるか冷や汗をかく。だからどうにか話をそらさないと、そう思い今日エドガーから聞いた話を思い出す。
「エドガーから聞きました。あいつが放火したんだって」
出来るだけ私が逆光になる様、月明りが差し込む窓の前に立つ。焦りから顔の表情は固まるが、ラウラはなぜか少し怒ったように単調に答える。
「らしいね」
まさかバレたのか。でも気付いたなら聞いてくるはず。ならハンナのことで怒っているのだろうか。
だが、それはクロエにとっても納得のいかない事でもあった。
「なんであんなの庇うんです。カンジ悪いしほっとけばいいでしょ」
これは本心からの言葉だった。正直クロエからしたらレイラと同じ黒髪だから、ラウラが贔屓しているようにしか見えない。なんであんな酷い事言う奴の味方をするのかと。
だがラウラは余計に表情を険しくするばかり。
「ならクロエは彼女の事は放っておいて。私が相手しとくから」
まるでクロエに期待していないと言わんばかりの態度。そして分かりやすくハンナへと肩入れするその言動。クロエの脳裏にはラウラの部屋にある爪とぎの跡が出てくる。
(バレたら私達の味方してくれない……?)
別に猫が捨てられるのはいい。それで食料をちょろまかしたレーナが罰を受けるのがクロエには許せない。同室のラウラが隠ぺいしてくれるかもと期待していただけに、焦る。
「私かハンナ。ラウラさんはどっちの事信じる?」
何が。それを焦りすぎて言葉を省いてしまった。だがラウラは少しの思考の末答える。
「その時にならないと分からないかな」
その言い方は明らかクロエの味方にはならなさそうだった。2年の付き合いより、2日3日のハンナを信用するという事。だが、猫の件なら話せば分かってくれるはず。
そうクロエは説得しようとするが、再び猫が背中で動き出す。
(こんな時に……)
もう流石に危険かと思い、クロエは諦める。次の日の朝にでも事情を説明すればいい。そう猫の存在がバレないよう、鳴き声が聞こえても大丈夫なよう足音を立てこの場をあとにする。
そうして私は部屋に戻るがレーナの姿は無い。
「まだ探してるのかな」
黒猫を離して、部屋の中に開放する。今外に出てレーナを探してもまた猫が脱走すると困るので、大人しく部屋で待つ。
「あんたはほんと暴れん坊だな」
猫を膝の上に乗せゆっくりとその毛並みを撫でる。なんだかんだクロエもこの猫に愛着は湧いていたのだ。
「私のペンダントはもう持ってくなよ~」
キラキラした物が好きなのか、よくクロエのペンダントで遊んでいるこの猫。そのせいで最近は枕裏に隠さないといけなくなった。
「はぁ……ねむ」
そうクロエが欠伸をすると、そこでやっとレーナが戻ってくる。その手には芋が握られており、黒猫を見た瞬間安心したように崩れ落ちる。
「良かったぁ」
どうやら探すついでに餌を取ってきたらしい。危険な事だからしないで欲しいが、レーナは毎晩こうやって盗んでくる。
「もう部屋の扉あけっぱにしないでよ」
クロエはそう注意し、黒猫をレーナへと預ける。レーナは猫を抱きしめると満面の笑みになり、幸せで満ちた顔になる。
「~~~」
小動物はどっちなのか。そう思いたくなるクロエだが、流石に夜も遅く眠い。
「私先寝てるから。おやすみ」
「あ、うん!おやすみクロエ!」
そうして私はすぐに意識が落ちていく。
それで次の朝はいつも通りで、ラウラにどう話すか考えながらレーナの三つ編みを編んでいた。
「あとでラウラさんには猫の事話すからね」
レーナの髪は羊毛の様な優しいベージュ色をしている。それこそ結ばずに降ろせばいいと何度も行ったのに、母がいつもやっていたからと頑なに拒否する。
そんな強情な所もあるレーナだから心配したが、コクっと頷く。
「クロエに……任せる」
ハンナの事はあるがとりあえずは関わらなければ良い。ラウラがなんとかするだろうと。
そう三つ編みを終えると、クロエはいつも通りペンダントを首に掛けようと枕裏を漁るのだが。
「……あれ?」
無い。
「え、でも昨日ここに……」
部屋に戻ってすぐ仕舞ったはず。なのにどこにもない。
「え、え、え」
冷や汗がぶわっと湧き出る。心拍は跳ね上がったように激しく脈打つ。そこで耐え切れなくなり、私は叫ぶ。
「私のペンダントが無い!!!」
とにかく慌てた。それに大声を出してしまったばっかりに、部屋へと人が集まってしまう。猫の存在がバレる訳にいかないから、部屋の中には他の子を入れないようにした。
のだが、そこにくる奴隷商。
「中庭に落としたんじゃないか」
部屋を覗き込む奴隷商。猫の事もあるが大事な形見であるペンダントが無い事。それで焦りながらもどうにか事情を説明する。
だが事態の重要さを伝えようと、思わず過大に言ってしまう。
「だから無いって言ってんじゃん!!起きてすぐ気付いてずっと探してんの!!!」
クロエは別にこれぐらいの事は良いと思った。実際起きてから10分ぐらいで気付いたのだから。そもそもこの時のクロエは焦りすぎて、そんな些事すら気にも留めていない。
そして奴隷商は中庭に落ちているのだと。そう言ったがクロエの記憶には確実に部屋にペンダントを置ていた。
ならば誰かが持ち出したのでは。そうクロエが疑い出すのは当たり前で、その動機がありそうなのはハンナしかいなかった。
「誰かが盗んだ」
だからクロエはハンナの部屋を探らせようと誘導した。それは成功しラウラとハンナの部屋を漁ると、クロエの予想通り出てくるペンダント。
そこでクロエにとってハンナはペンダントを盗んだ極悪人となった。
その後ハンナと言い合いにもなったが、認めようとしないその態度にクロエの怒りは更に噴出する。どうして盗んでおいて、こんな知らないふりができるのか。あれだけ気を遣ったのになんでこんな仕返しをするのか。
ひたすらに怒りが満ちるクロエ。だが奴隷商の取り持ちで、一度朝食をとることになる。クロエとしては食べる前にハンナを問い詰めて欲しかった。だが渋々とそのスープを口に運ぶ。
(許せない。言いたい事あるなら正面から言えよ)
ハンナを睨む。だが口の中に転がる少し大き目な芋。
そんな些細な切っ掛けで思い出すクロエ。
(そういえば昨日猫がいたのって)
体の動きが止まる。
怒りはすぅっと抜けその代わりに焦りが心を埋めていく。寒いはずなのに冷や汗が止まらない。
(で、でもそんなのありえない……)
そう思いたいが、あの黒猫はよくクロエのペンダントに興味を示していた。それにクロエがペンダントの存在を確認したのは、黒猫が逃げ出す前。
クロエは、ハンナの顔が見れなくなっていた。
それに思考を巡らせば当たり前に分かること。
(そもそもハンナが盗めるタイミング無いじゃん)
ハンナが帰って来てからクロエは二階にいた。ラウラが来るまで誰一人二階へは上がってきていない。
つまりよく考えれば理解出来た事。ハンナが犯人では無いと分かれば、あとある可能性があるとすれば。
クロエは焦る。この事実を正直に話しても信じてもらえるはずがない。猫のせいでなんて言っても誰が真に受けるのか。それどころか猫の存在がバレ、取り上げられレーナが奴隷商に処罰されるだけ。それにハンナへと濡れ衣を着せたと、自身が責められてもしまう。
ならどうにか誤魔化さないと。そう思考を巡らすが、気付けば周りは食事を終えていた。
そして奴隷商はレーナを止める。
「レーナ。お前も残れ」
レーナは奴隷商に問い詰められれば猫の事を言ってしまうかもしれない。それはまず避けないといけない。レーナを残そうと問い詰める奴隷商の目の前にクロエは立つ。
「レーナは関係ないでしょ。心が強くないんだから巻き込まないでよ」
声は異常なほど震えていた。どうすればこの場を切り抜けれるのか、ひたすらに考えるが、それより早く奴隷商は心中結論をつけてしまう。
「巻き込んでいるのはお前だろう。クロエ」
その言葉の意味は全く分からなかった。何に巻き込んでいるのか、奴隷商が何を指して言っているのか。だが沈黙は不味いと、一番簡単な方法へと逃げる。
「は?何言ってんの。そもそもこいつが盗んだのが悪いんでしょ」
ハンナには申し訳ないとは思う。だが、下手に嘘を付いて誤魔化せば余計に怪しまれる。保身に走ったクロエだが、奴隷商は疑念の目を向けたまま。それはコンラートが間に入っても変わる事無く、レーナへと問いかける。
「で、レーナ。聞きたい事があるんだがいいな?」
レーナでは誤魔化せない。口下手なレーナならボロを出してしまう。そう止めようとするが、奴隷商に睨まれクロエのの言葉は引っ込む。
「今朝何故これを結んでいた?起きてからずっとペンダントを探していたはずなのに」
クロエは初めて意味の無い嘘を悔やむ。あの時の不用意な言葉が、奴隷商に疑念の目を向けられる原因となってしまった事に。
だがこればかりは勘違いに気付いてもらうしかない。そうクロエはまくし立てる。
「今日は偶々早く起きただけ!!そうだよね!?レーナ!?」
本当の事。早く起きて髪を結んだだけ。ただの言葉のあやだと伝えようとするが、そんな焦った姿のクロエがどう捉えられるか。
それは嘘がバレそうになり隠そうとしている子供にしか見えなかった。
「今お前に聞いてない。黙ってろ」
魔法で命令をされたクロエの喉は、言葉が通り抜ける事が無い。それで何も出来ずにレーナが問い詰められるのを傍観するしかなかったが、またも庇うようにコンラートが間に入ってくれる。
だが結局それも意味も無く、奴隷商はクロエへと近寄り再び睨んでくる。
「お前が疑われない為とかな。自演だと」
話が変な方へと転がっている。猫の事を隠しレーナを庇おうとしたら、今度は自分が犯人だと言われる。これではペンダントすら返って来なくなってしまう、そう焦りクロエはギュッとペンダントを握る
「ち、ちがう………」
だがどう言い訳すれば良いか分からなかった。あまりに色んな要素が絡まり合い、クロエの思考では整理がつかない。
「可能性の話だ。なぜそこまで動揺する」
クロエは必死に考える。自演していないと言い訳しつつ、レーナに奴隷商の眼がいかないようにして、真実である猫の件を隠すこと。
そうひたすらに思考する中、クロエの頭上では大人二人が話す。
「じゃあ俺が見た人影は何だ」
その話題はクロエにとってまずいもの。恐らくレーナが芋を盗みに部屋を出た時を見られたもの。それをレーナに問い詰めさせるわけにいかない。
そして奴隷商はクロエへと問いかけた。
「否定しないならお前なんだな?」
だからクロエはその問いに頷いた。こうすることでしか、レーナを庇えないと思ったから。それ以外の方法が浮かばなかったから。
だがそのささやかな対策も、奴隷商の言葉で破綻が目に見えてしまう。
「で、俺はお前に正直に話すよう命令も出来る。どうする?」
どうしてここまで追い詰められなければいけないのか。クロエは体の力が抜けそうになる。だからあとはハッタリをするぐらいしか、選択肢が残されていなかった。
「……やれるならやればいいじゃん。それで潔白証明できるんなら」
だがそれで引く奴隷商では無く、命令を口に出そうとする。
クロエは諦めたように天井を見上げるのだが、そこで沈黙を貫いていたハンナが声をあげる。
「私がやった。だから聞かなくていい」
驚かずにはいられなかった。クロエからしたらハンナは絶対やってもないのに、自ら罪を認めたのだから当たり前。
だからクロエが動揺するのは当たり前。
「な、なんでさっきまでと言ってる事が……」
そう問いかけてもありもしない自分の罪を認め始めてしまうハンナ。それはクロエにとって気持ち悪くもあったが、今の危機的状況から抜け出しそうなことに安堵してしまう汚い感情もあった。
「そ、そう。なら良いけど。もう盗まないでよ」
言ってから自己嫌悪に陥る。結局ハンナの無実を知りながら罪を着せ、それで助けられた自分が情けないと。それに耐えられなくなり、クロエは逃げるように走り出す。
だがそれで他の奴隷達の所へと行くだけの厚顔さは無く、1人階段裏に蹲る。
「どうしよどうしよどうしよ」
本当にハンナが悪い事になってしまった。嫌いな相手とは言え、自分が仕向けたような物でそれに罪悪感が無いのは嘘になる。それにいつハンナに濡れ衣だと告発されるかも分からない恐怖。
何か全て解決する手段が無いのかと考えても思いつかない。そうしている内にストレスから、クロエの袖は濡れて呼吸は浅くなる。
だが、そこで現れるのはコンラート。顔は見れないが恐らく叱りに来たのだろう、そうクロエは思っていた。
だから咄嗟に叱られたくないと自分を守る様にクロエは言う。
「私はやってないから」
チクリと心が痛む。なら私は誰がやったと言いたいのか。
「じゃあハンナちゃんがやったの?」
それに対して自分の言葉で答える事が出来ず、ハンナの言葉を借りる。
「自分でそう言ったじゃん」
だがコンラートからしても、今のクロエの様子は違和感だった。
「じゃあ君はなんで泣くの。犯人が見つかったならそれで解決じゃ無いの?」
その言葉にクロエは何も答えられない。ここでハンナのせいにするのは簡単。だが自分の言葉で、他人を陥れるだけの決意が無かった。それを悪い事じゃないと思えるほど、クロエの罪悪感は薄くなかった。
そうして黙ってしまうクロエを、どうにか慰めるようにコンラートは言葉を尽くす。だがその言葉の半分も聞かず、クロエは悩む。
(どうすれば……)
顔を伏せ考える。やはり自分にはハンナのせいにするだけのことが出来ない。でもだからといって、正直に事実を話せる訳もない。
だが、ふと。その人を犯人にしてすべて悪い事にしても良い人物に当たりが付く。ここまできたら責任を負うべき人物。
それは
(私だ)
それこそ奴隷商の言う通り自演ということになれば、悪いのはクロエただ一人となる。ペンダントが取り上げられるかもしれないが、それでもクロエはこれぐらいしか解決策は見えなかった。
だからクロエは嘘をついた。自演したと、全部ハンナを恨んでやったと。正義感に満ちたコンラートが、嫌うような人物をクロエは演じた。
そして最後に。間違ってもコンラートがクロエに同情しないよう止めに言う。
「あんたなんかに話さなきゃよかった。何が話してくれだよニセ騎士が」
庇って貰えず逆上しているように。そしてコンラートにとって一番言われたくない言葉を選ぶ。こうすれば、勝手にコンラートが私の自演を皆に言いふらす。そうすればハンナも濡れ衣が晴れ、この問題は私が犯人で終わる。
そうやることはやったとコンラートの前から去っていく。あとは私が悪者として残り続けるだけで良い。それでレーナがミャーと一緒に笑ってられるならそれでいい。
「それにハンナに濡れ衣着せたのは事実だし」
勘違いとは言え、まず疑って追い詰めたのはクロエ自身。事実に気付いてからも、ハンナに罪を擦り付けて楽になろうともしてしまった。
ある意味因果応報。罰がちゃんと悪い奴に降りかかっただけだ。
ーーーーー
そう思い出しても結局何をすればよかったか分からない。最初の最初でハンナがやった訳ないと気付けばよかったのか。それともあの時ペンダントが無いと叫ばなければよかったのか。
「もうめんど」
コンラートはなぜかクロエの自演の話を言いふらさない。ハンナもクロエに同情したのか濡れ衣を自ら着に行く。レーナは罪悪感に勝てず自白しようとする。
誰もかれも思い通りに動いてくれない。
「私にどうしろってんの」
クロエは自室のドアノブを捻る。一階では夕飯の準備をしているのであろう調理音が響く。今日の当番は確かレーナとカミラだっただろうか。
そんな無為の思考のまま部屋の中へと入る。
「……やり直したい」
いい加減解放されたい。自分が原因だから余計に棘が差刺さって抜けない。
軋む木の床。一日中訓練した疲れもあり、食事を前にして眠りに落ちそうになる。だがそこにいるのは、また面倒な騎士だった。
「あ、レーナちゃん……じゃないか……」
お目当てでは無かったらしく、苦笑いを浮かべるコンラート。クロエはいつもの感じの悪い自分を演じる。と言っても素で嫌いな人にはいつもしているような対応でもあった。
「何。勝手に入んないでよ」
そう突き放すクロエだが、コンラートは意を決し伝える。。
「俺はレーナちゃんから話を聞こうと思ってる。君が答えてくれないのなら」
どうやらレーナとコンラートは互いに考えている事は同じらしい。だがクロエは出入口を塞いだまま立ちふさがる。
「あんたってさ。なんで私の自演の事誰にも言わないの。ハンナが可哀そうじゃん」
コンラートが言えばそれでハンナは楽になるはず。そう思っていたのだが、コンラートは困ったような顔をする。
「俺もそう思うんだけどなぁ……奴隷商の奴に止められててな」
ここにきて奴隷商。クロエへと疑念の目を向け、自演したのではと問い詰めた。だが今度はクロエ自身の悪評をせき止めている。
「なにそれ。意味わかんないんだけど」
「そうだよ。だから俺も困ってるんだよ」
2人は会話がスムーズになる。
だがここでクロエは、どうせレーナが話すのなら、自分が全部言うのが筋ではと。その役目をレーナに押し付けるべきでは無いのではと。
そう自分だけが知っている真実を吐き出したい理由を作り上げる。それはもう既にクロエが限界になりつつあったからだ。
そしてクロエはゆっくりと息を吸う。
「信じても信じなくても良いけどさ。最後まで話聞いてくれる?」
そうして自分の言えるだけの事実をクロエはコンラートに伝える。意味が無いとこれで何が解決するのかと。自分が楽になりたいだけじゃないかと。
そう思いつつもクロエは壁に背を預け座ると、目の前の騎士に吐き出した。
ーーーーー
コンラートは黙ってクロエの話を最後まで聞いた。聞きたい事に突っ込みたい事は沢山あった。
だがクロエが嘘を付いているようには見えず、コンラートはゆっくりと確認するように問いかける。
「じゃあクロエちゃんは勘違いでハンナちゃんを疑った。実際はあの黒猫が犯人だったけど、なぜかハンナちゃんが罪を認めてややこしくなったと」
あれが全部演技だと思うと末恐ろしく感じる。この数日間のクロエの様子を見ていたコンラートはそう感じていた。だが吐き出して楽になったのかクロエは、汗ばんた肌を拭い息を落ち着ける。
「そう。まぁ私も自演したって嘘ついてもっとややこしくした自覚はあるけど……」
だけどと、クロエは続ける。
「私がハンナに濡れ衣着せたのは事実。それは謝りたい、あいつ嫌いだけど」
コンラートはやっと道筋が見えたような気がしていた。夢の中の姫様は周りを見ろと言ったが、それはクロエの事だったのかと。今更にそう自分で勝手に解釈していた。
「なら俺に任せてくれない?ちゃんとハンナちゃんと2人で話せる場を設ける。奴隷商にも話は通す」
ジッとコンラートはクロエを見る。自分の予感は間違って無かったと、信じて良かったとそう思えた。そのクロエは小さく頷き、ブロンド髪の向こうに桃色の瞳を隠す。
「迷惑かける……ごめん」
そんな彼女の頭をコンラートは撫でる。1人で正解も分からず藻掻いて失敗して罪悪感に苛まれて。その中で、失敗する事もあるしそれで人に迷惑をかける事もある。だがそれでも今謝ろうと自分の口で言った。
その事実をコンラートは大事にしたかった。
そうして慰めるように撫で続けるコンラート。普段のクロエならそれを拒絶するが、今ばかりはその手を振りほどかない。それほどに本人が思う以上に限界だったのだ。
そして少しだけクロエに笑顔が戻り顔が上がる。
「あと、お腹痛かったのはほんとだから」
こんな顔をする子なんだとコンラートは思う。やはり年相応な所もあるんだと感じる。
「それは……ごめん」
そうしてこの日は一旦お開きにした。もう食事をしたら寝るだけの時間。皆疲れているだろうから、明日の朝にまた時間を設けよう。そうクロエと相談して決めたからだ。
そしてこの日の終わり。コンラートは奴隷商の部屋へと向かう。その足取りは意気揚々としていた。
「これで皆仲直りできる。俺が役に立てる」
足音は跳ね、施設の木の床を鳴らす。
「これで姫様に顔向けできる」
そしてコンラートは書斎の前にて立ち止まる。ゆっくりと息を吸い奴隷商のドアをノックする。
だが返事はない。
またノックする。
だが返ってくるのは沈黙だけ。
「入るぞー……」
そう部屋を覗けば真っ暗な中に誰もいない。いつもはこの時間には自身の書斎にいるのだがと、コンラートは疑問に思う。
するとそれと同時に2階から叫び声が聞こえる。それは女の子の高いので、クロエのそのものの声だった。
「なにがッ」
コンラートは急いで走り出す。せっかく解決出来そうなのにまた何かと。悔しさの様な怒りのような感情を滲ませる。
そして2階へと上がると、書斎にはいなかった奴隷商の姿。と、叫び声の主であるクロエが奴隷商へと縋りついている。
「えっ……なにがどうなって……」
そんなコンラートを奴隷商が捉える。その手にはクロエのペンダントが握られていた。
「ちょっと金が無くてな」
その言葉の意味が分からず、コンラートは拳を握っていた。何があったか分からずとも、今奴隷商がクロエの形見を取り上げているのは事実だからだ。
「それをクロエちゃんに返せ」
そう言っても奴隷商は引こうともしない。
「奴隷の所有物は元々俺の物だ。返すも何も」
その言葉にコンラートは怒りと共に走り出していた。やっとコンラートの中で、解決の光明が見え始めた矢先の事だった。
昨日の投稿(15話)急ぎすぎて誤字が複数あったので、この話(16話)投稿後に修正させていただきます。




