第14話 騎士の矜持
クロエとハンナでひと悶着があった日の夜。
いつも通りの訓練と夕食を終えると、各々自室へと戻っていく。盗難騒ぎへの対応として、消灯時間を定めたが、それは奴隷商とコンラートは対象外だった。
「お前今度はロルフに怒鳴ったらしいな」
大人二人だけの食堂。入ってきた奴隷商の言葉にコンラートの手がぴたりと止まる。
「……別にちょっと声がでかかっただけだ」
「2階にいた俺にも聞こえてきたけどな」
奴隷商は酒をあおりながら、コンラートの向かいに座る。蝋燭は無く、窓から差し込む青白い月明りだけが、互いの視界の頼りだった。
「……いいだろ。別に」
コンラートの不貞腐れた投げやりな言い方。奴隷商はゆっくりと息を吐くと、コトっとコップを机に置く。
「まぁな。別に俺にとってはどうでもいいことだ」
コンラートは奴隷商から視線を逸らし、悔しそうに目を細める。
「……なら聞くなよ」
奴隷商は手に持った酒瓶を、もう一つの空のコップへと注ぐ。コンラートはそれを怪訝そうに見る。
「……なんのつもりだ」
「慰めてやろうってな。一々落ち込んでますって空気感出されると鬱陶しいんでな」
奴隷商は半分ほどまで注いだコップを、コンラートの目の前に置く。
いつものように言い返されるばかりだと思っていた奴隷商だが、コンラートは思いのほか弱々しく呟く。
「静かにしろって言ったり落ち込むなって言ったり要求が多いな。お前は」
奴隷商が置いたコップを遠ざけ、コンラートは飲もうとはしない。が、それを奴隷商が咎める事もせず、自身のコップをあおる。
その間にコンラートの顔を盗み見るが、やはり明らかに焦燥しているらしい。
「で、クロエの事はどうするんだ。結局今日は話さず仕舞いだったじゃないか」
奴隷商は気を事なく、今まさにコンラートの悩みの種を突っつく。するとコンラートは顔をゆがませると、額に手を当て俯く。
「……俺が知りてぇよ。あの子のこと」
あれだけ根明なコンラートもお手上げらしい。今日一日様子がおかしいと思えば、ずっと悩んでいたのだろう。
「会う度に自信が無くなっていくなお前」
弱々しい。いつもは騎士がなんだの言っていた奴とは思えない。
「……仕方ねぇだろ。子供の相手なんてした事ねぇんだから」
「言い訳か」
「言い訳だよ。なんか悪いかよ」
コンラートの右拳が机へと叩かれる。カタッとコップが倒れそうになるが、寸での所でバランスを保ち、水面は落ち着く。
「1か月だと思ったんだがな」
奴隷商はそう呟き、背もたれに体重をかけ椅子の足を浮かす。コンラートは訳も分からないと、ガラ着いた声で聞き返す。
「……あ?」
コンラートが前髪の間から奴隷商を見る。その奴隷商は酒を飲み干し席を立つ。
「まさか騎士様が1週間も持たないとはね。矜持とやらはそんなものか」
そんな煽るような物言いをしつつ、コンラートの酒の入ったままのコップを手に取る。するとやはりと言うべきか、コンラートは眉を吊り上げ、喉を唸らせる。
「煽ってんのか」
「ん?事実を言ったまでだな。まさか自分がまだ騎士だとでも思っていたのか」
コンラートはギリっと歯を鳴らす。そしてそのまま手を伸ばすと、奴隷商が握ったコップ奪い取る。
「あ、ちょっと……」
奴隷商の手に僅かに酒がかかる。それを意にも返さず、コンラートはコップを掲げる。
「舐めるなよ。俺は誰になんと言われようと騎士だ」
コンラートは奴隷商を睨みながらも、コップを口に付け喉を鳴らす。
そして数秒で中身を空にすると、乱暴にコップを机の上に叩きつける。急な事に奴隷商もあっけにとられたが、コンラートはそのまま部屋から出て行ってしまう。
そしてカラカラとコップが周り、それが落ち着くとまた部屋は静かになる。
「この酒下賜された高い酒なんだがなぁ……」
半分ほどになってしまったボトルを回し奴隷商は肩を落とす。正直コンラートが飲むはずもないと思って、注いだのだが煽りすぎただろうか。
「……柄でも無い事するもんじゃないな」
1人呟き、一旦自室へと戻り奴隷商はボトルを棚に置く。だがまだ今日はやるべき事が残っている。そう口元を布で覆い、いつものように向かいの部屋へと入る。
「……まだ寝てないのか」
「……」
返事は来るはずも無い。なぜならその言葉を発する口すら、赤く爛れ呼吸するので精一杯だからだ。
「痛みで寝れないって所か」
水色の瞳が奴隷商を見る。相変わらず良く見えてないようで、微妙に焦点が合ってない。
「大人しくしてろよ」
奴隷商は目の前の子供の額に手を当てる。そして暖かい感覚が流れ込み、淡い水色の日暈を作る。
そうして数分も経てば、水色の瞳は閉じられ浅かった呼吸が深くなる。それを確認して奴隷商は去ろうとするが、ふとその手に目が行く。
「……これは」
黒くくすんだ皮膚。それは到底身体として機能しているとは思えず、この子供の残り時間を教えている様。
「あと3日もつかどうかか」
ゆっくりと手を離し布を被せる。
何を感じて、何を思おうが、助けようが無いのは事実。下手に感情移入するだけ無駄。そう部屋から出ようと体を起こす。
するとそれと同時に背後に気配を感じる。そしてその気配は問いかける。
「何してるんです」
こいつもか、そう思いながら奴隷商は振り返る。
「……もう消灯時間だが」
そこには麦色の髪を結ばず下ろしたラウラの姿がある。今日の昼はかなり荒れていた様子で、変わらず声が低く疲れが滲み出ていた。
そしてそのラウラは少し背を伸ばし、奴隷商の向こうにいるその子供を見る。
「……この子……生きてるんです?」
「どうだろうな。これを生きていると形容して良いのか、俺には分からない」
無意識かラウラは口元を覆い、眉をひそめてしまう。初見ではその反応が普通で、決してラウラの人間性が欠如しているのではない。それこそこれを人と判別できるかも怪しいのだ。
だが、それはそれとしてだ。わざわざ消灯時間を設けたのに部屋から出たという事は、何か目的があるのは確か。
「で、何の用だ」
「……」
返事は無く沈黙だけが返ってくる。
おおよそ向かいの奴隷商の書斎に来ようとして、気付いたのだろう。そう思いながらも要件を待つのだが、ラウラは口を結び答えない。
奴隷商は呆れ、ラウラを避け部屋を出る。
「あまりここに長居するものじゃない。一度出るぞ」
そうして奴隷商はラウラを連れ、自身の書斎へと入る。その途中ラウラが咳き込んでいたのは、やはり空気が悪かったのだろう。
そして奴隷商は、キィっと音を立て椅子に座る。
「ハンナのことでまだ悩んでいるんだろう?」
奴隷商がそう問いかけても、ラウラは入り口で立ったまま何も答えない。だがそれは肯定の沈黙なのか、ジッと床を見てしまう。
少しだけ煽る様に奴隷商は、ラウラの触れて欲しくないであろう事に触れる。
「レイラは俺に一度も頼る事は無かったぞ」
「……ッ」
ラウラの肩が跳ねる。ラウラが一番敬愛していたレイラの事、それは予想通り触れて欲しくない所だったらしい。
だがそれで余計にラウラは黙り込んでしまう。奴隷商からしたら、何を求めてここに来たのか、それが全く分からない。それはラウラ自身もそうなのかもしれないが、奴隷商はため息を零しつつ、椅子から立ち上がる。
「しっかし嫌いな俺を頼るとは随分気に病んでるんだな」
「んな訳……ッ」
伏せていたラウラの顔が上がり、キッと睨んでくる。それを無視して奴隷商は歩き、ラウラの数歩先で止まる。
「他人の事でここまで自分を追い詰めるとはな。どうしてこうも利他的な人間は多いんだろうな」
レイラとハンナの事を思い出しながら、奴隷商はラウラを見る。だが、ラウラはその言葉の意味を計りかねているのか、何も答えない。
「……」
そして奴隷商はラウラへと近づき手を伸ばす。それで殴られるとでも思ったのか、ラウラは手で顔を覆い体を縮める。
「━━ひッ、ごめんなさい……!」
「殴らねぇよ」
この過剰な反応からして何か過去にあったのだろう。だが言った通り殴るつもりは毛頭なく、ラウラの肩を通り抜け扉を開ける。
「……俺じゃなく仲間を頼れ。俺に出来る事はない」
奴隷商は至近距離からラウラを見下ろす。まだ肩が震えているが、落ち着いて不服というか困惑というか、そんな顔をしている。
「さぁ消灯時間だ。子供は寝るんだな」
「……」
結局何かあった訳では無い。だがラウラは何か言いたげに、睨むだけで奴隷商の書斎をあとにしていく。
それを見送り奴隷商はまた自室の椅子へと、ゆっくりと深く腰を下ろす。
「そろそろ限界か。あいつも」
誰もかれも悩んでばかり。その対応に加え、コンラートの事もあり訓練も甘くなってしまっている。
「俺も中途半端だな」
椅子に座ったまま奴隷商は、ゆっくりと意識が落ちていくのだった。
ーーーーー
コンラートは体の内が熱くなる感覚を覚え、それを冷まそうとまだ真冬の中庭へと出ていた。それは勢いで呑んでしまった苦手な酒のせいだろう。
コンラートは酒気を吐き出そう様に空を見上げる。半分にも満ちない月が雲の間から現れる。それを眩しそうにコンラートは手で顔に影を作る。
「……もう年明けか」
この国では年明けをそこまで祝わないのか、あまり騒ぎは聞こえてこない。
毎年毎年かつての王城では大きな祝宴が行われていた。それこそ一般市民を王宮まで通して、国全体で新年を祝う一大行事。この時間もいつもなら、騒がしさで寝れた物では無く、コンラートも今のように酒で酔いが回ってた。
だが去年のこの日は、満月だっただろうか。王城の静かな離れの庭での事だった。
「だーれもコンラートの事見向きもしないじゃん~。私には良い顔する癖にさ~」
不満そうに唇を尖らせ、机に両手を伸ばす深紅の瞳にブロンドの姫。それの向かいに座るのは緑眼の騎士。
「仕方ないですよ。卑しい産まれの緑眼ですから」
遠くではまだパーティの喧騒が聞こえる。その中心にいたのが、コンラートの仕えるシーナ・アルステッドだったのだ。
そのシーナの深紅の瞳がコンラートをジッと見上げる。
「翡翠みたいで綺麗なのにね。私は好きなんだけど」
コンラートにとっては余りある誉め言葉。思わず心が躍るのを抑え、平静を装って答える。
「そう言ってくれるのは姫様だけですよ」
コンラートは目を逸らしながら、淹れたての紅茶に口を付ける。シーナは焼き菓子を口に放り、飲み込むとテーブルに手をつく。綺麗なブロンドの髪にまつ毛が良く月明りに反射する。
「それはコンラートが周りを見ようとしてないからじゃない?もっとコンラートの魅力を分かってくれる人はいるんだよ?」
優しくシーナは微笑む。だがコンラートにとって他人はただどうでも良く、シーナさえいればそれでよかった。
「……私にはそれが姫様なんです。姫様が分かってくださればそれ以上は」
そうコンラートは言うのだが、シーナはプクっと頬を膨らませる。
「すぐそういう事言う~真面目に話してるんだけどぉ」
「はは……いやぁ」
ふとコンラートの翡翠の瞳とシーナの深紅の瞳があう。コンラートからすれば、その深紅の瞳の方がよほど綺麗で宝石のようだった。
そして互いに視線が合い、数秒の沈黙。だがすぐに互いに耐え切れなくなり、肩を揺らし笑う。
「もーコンラートって私の事好きすぎじゃない?」
いつも笑顔の絶えず綺麗で小さな顔。それがコンラートにとっては、たまらなく愛おしかった。
「それは貴女の騎士ですから。一生お傍にいますよ」
紛れも無い決意。それは拾われた時から決めていて、この先も一生変わる事の無い決意。
それを知ってか知らずか、シーナは面白がるように聞く。
「それは私が誰かに嫁いでも?」
その言葉にコンラートは迷いなく即答する。
「その時もどこまでも」
コンラートはジッとシーナを見る。だが今回はシーナは顔を紅くし、そっぽを向いてしまう。
「……そう。やっぱバカな私の騎士様ね」
「えぇ。いつまでも貴女の騎士ですよ」
そんな記憶。青白い月光に包まれた静かな記憶。それは今はどこか遠くへ行ってしまっている。
「……やるか」
現実を見るように、夜空の月を見上げ、木刀を握る。思い出せば出すほど心が締められていく気がし、ただ頭を空っぽにしようとする。
だがふと僅かな月明りに反射する、かつての主と同じブロンドの反射に目が行く。
「姫━━、な訳ないか……」
出かけた言葉の有り得なさに笑ってしまいそうになる。だがすぐにそれが誰かを判別し、コンラートは笑みを再び作る。
「クロエちゃん。もう消灯時間だけど」
「……」
縁に座りただ建物の間の夜空を見上げるクロエ。コンラートの存在に気付いていたのか無視していたのか、それは分からなかった。
だが今やっとクロエの桃色の瞳が向く。
「そう。じゃあ寝る」
この場を離れようと立ち上がり、さっさと屋内へと戻ろうとしまうクロエ。それをみすみす逃すコンラートでは無く。
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
それを焦ったコンラートは無理やり二の腕を掴むが、クロエは振り返り嫌悪の色を示す。
「痛いんですけど」
焦ったばかりにコンラートは強くクロエの腕を握ってしまっていた。だが、力を弱めつつもその手を離さない。
「もう一回話さないか?このままじゃ誰も幸せにならない」
今度は失敗しないよう。冷静に話そうとするが、クロエは対話を望まない。
「別にあんたに幸せにしてもらいたいとか思ってない。てか話たじゃん、これ以上なんかある?」
「で、でも……」
言葉が繋がらない。どんな言葉をかければもう一度話せるか、笑ってくれるのか。それがコンラートの経験と思考では出てこない。
「あの時は言葉が強すぎたのは謝る!けど!!でも!言っていた事は間違いじゃないだろう!?」
どうにか自身の考えを分かって貰おうと言葉を吐き出すコンラート。だが、それももう遅くクロエは振り返らず語気を強める。
「なら結局私が悪者って言いたいだけじゃん。ほんと、なんなのお前」
その細い腕で無理やりに振り払われてしまうコンラートの手。コンラートも離すまいとまた強く握っていたはずなのに、もうクロエのブロンドの髪は屋内へと消えてしまう。
「ちょ、っと……」
クロエが悪いはず。それを教えなければいけない。だがコンラートは上手く言葉が出てこなかった。
「力……強いんだな」
コンラートは自身の手のひらをジッと見る。そしてクロエの座っていた近くに、見慣れないボロボロの木刀に気付く。
「……ダメだ」
手のひらを握り胸へと手を当てる。
「こんなんじゃ姫様に顔向けできない」
酔っていたせいもあるのだろう。だが意気消沈していたはずのコンラートは、空回り気味なやる気をおこしてしまっていた。
そうして次の日のクロエとの会話を頭の中で考えつつ、木刀を振るうこと次の朝。コンラートは炊事場にて、桶に貯めた水面に自身の顔を写す。
「よし、笑えてる」
そのままの作り上げた顔で、コンラートは出来上がったスープを手に食堂へと入る。寝不足なせいか頭が痛いが、そんな事を悟らせぬよう笑みを張り付ける。
「朝ごはんだよ~」
昨日は言いすぎてしまったが、コンラートを見て嬉しそうに笑みを浮かべるロルフ。それが大きな声で手を上げる。
「あ、おはよ!コンラートさん!」
「うん、おはよう。ロルフ君」
それを見て安堵しつつ、コンラートはスープの入った皿を配膳する。そして例外なくコンラートは、クロエの皿を机に置く。
「おはよう。クロエちゃん」
ジッと真正面から覗く。だが分かりやすく嫌そうに顔を逸らされてしまう。
「……」
当然のように無視をされたが、それでもコンラートはそのまま隣へと座る。だが、すぐにクロエが席を移ろうと立つ。
それに合わせてコンラートも自分の皿を手に持ち、腰を浮かす。
「あ、俺も移動しようかなっ……」
それを見てクロエは呆れたようにコンラートを見下す。
「……付いてくる気満々かよ」
クロエは心底嫌そうにコンラートを見るが、諦めて元の席に座り直す。そしてコンラートは距離を縮めようと話しかける。
「で、今日は剣術でも剣舞をやってみようと思うんだけどさ。俺もそこまで得意じゃないけど王宮とかで見るとやっぱ煌びやかですごくて━━」
年頃の女の子が何が好きか分からない。だからレーナが好きだったものを思い浮かべながら、必死に会話を続ける。だが、やはりクロエは無反応で食事を黙々と続ける。
「そういやさ!炊事場に卵があったから焼き菓子とかも作ってみようかなって思って━━」
コンラートのスープは一向に減らないが、クロエのスープは皿の底が既に見え始めていた。それにロルフら他の子供らも、そんなコンラートを不思議に見つつも食事を終えようとしていた。
だがそんなコンラートの努力もむなしく、クロエは乱暴に椅子を引き立ち上がる。
「うるさい。しつこい。きもい」
「あ、ちょっと待って……!」
コンラートは急いで食事をかきこみクロエを追う。だがその後もひたすらに無視され続け、気付けば訓練の時間となってしまっていた。
そして中庭にて。コンラートは奴隷商に剣術を任せられ、意気揚々と声を張る。
「じゃあ皆で模擬戦してみようか!それぞれの実力も見てみたいし!!」
そう言ってコンラートは対戦相手を選定していく。そしてクロエの相手はすでに決めていた。それこそこれで解決できるのかもしれないと。
「クロエちゃんとハンナちゃん!そこでやってみようか!」
「……は?」
クロエが露骨に怪訝そうな顔をする。ハンナも口には出さないが、明らかに呆れた顔をする。だが、それでもこの2人に会話をさせたいとコンラートは引き合わせる。
「思う所もあるのは分かる!けどこのまま何年も悔恨があるのは不健全だからね!!」
コンラートはそう胸を張るが、理解出来ないとエリックが口を挟む。
「でもハンナが盗んだのは事実でしょ~?クロエに無理させるの可哀そうだし、仲のいいレーナとやらせたら?」
それに同調するようにロルフも声を上げる。
「なんなら俺がハンナの相手やっても良いぜ!!人のモン盗む奴相手なら遠慮いらねぇーし!!」
その言葉にコンラートは思わず眉を顰める。なんとか納得してくれないか思考するが、そこで奴隷商が現れる。
「申し訳ないがハンナとエリックを借りてくぞ」
そんな唐突な提案、コンラートが受け入れられるはずもなく抵抗をする。
「は?いや今日は剣術を……」
「魔法の練習をすると言っただろう。エリックとハンナしか魔力持ちいないんだよ」
問答無用と言わんばかりに、奴隷商はその二人を連れて行ってしまう。どうにも言い返す事も出来ず、コンラートはただ残される。
(まだだ。また夕方にでも機会はある)
これぐらいでしょげててはダメだ。一度空回ったぐらいで折れてはダメだ。そう切り替えコンラートは振り返り笑顔を張り付ける。
「よし!じゃあ残った皆で模擬戦といこうか!!また組み合わせ決めるね!!!」
そうしてやけにうるさいコンラートを背中に、奴隷商らは中庭の端で魔法の訓練を始める。
「エリック。手本を見せてやれ」
面倒そうに肩を落とすエリック。だがロルフのようにわざわざ逆らう無意味さを理解しているらしく。
「……なんの魔法のです」
「石魔法でいい。的に当ててみろ」
エリックは言われた通り右手を掲げ、藁で出来た的をジッと見る。そしてその掌の先の空間に石塊が現れ、液体のようにグルグルと波打ち大きくなっていく。
「……っと」
エリックは小さく唸り、その石塊を飛ばす。多少の風圧でエリックの赤髪が揺れ、少し遅れて的の藁が地鳴りと共にはじけ飛ぶ。藁がパラパラと落ち、剣術をしていた奴隷達の視線も集まる。
「魔力はどれだけ残った」
「あと30発は撃てます」
以前より成長したからか、自信ありげに答えるエリック。だが冬の時期そこまで訓練させてなかった弊害か、奴隷商の予想以下の成長速度ではあった。
「そうか。じゃあまだまだだな」
期待と違うと不快そうに顔を顰めるエリック。
「……はい?」
「30発じゃあ戦場で5分も戦えないぞ。お前は剣術は出来ないから猶更な」
わざと聞こえるように舌打ちをしてくるエリック。だがそれを無視して奴隷商は、エリックの右手首を掴む。
「もっと体の中で魔力を練れ。体外で練るとそれだけ魔力が霧散して無駄になる」
難しい事を要求している。それだけエリックには期待している奴隷商の表れでもある。だが、そんな期待エリックにとっては求めたものでは無い。
「……助言どうも」
奴隷商の手をまるで汚い物かのようにエリックは振り払う。やけに機嫌が悪いなと思いつつも奴隷商は、ハンナへと視線を向ける。
「水魔法以外は使えるのか?」
ハンナは全くの無表情だった。そう意識しているのだろうと、思わせるぐらいにだった。
「出来ないです」
だが今は訓練だと、奴隷商は思考を巡らせる。
「そうか。水だけか」
水魔法は日常生活では便利だ。それこそどこでも清潔な水が出るというだけで、重宝される魔法。だが身を守るには、氷魔法まで昇華させないと意味を成さないのが殆ど。
「氷か石どっちがいい」
急に言われて困惑するのも当たり前で、ハンナはうんうんと唸る。
「そう言われても……どっちが良いんです?」
エリックは暇なのか、手のひらに石塊を浮かべ成形を始める。それを横目に奴隷商は答える。
「氷の方が難易度は高いが戦術の柔軟性はあるな。石は簡単で魔力消費も少ない上、殺傷能力も高い」
ここまで会話をする中で、ハンナの視線は偶に他の奴隷達へと泳いでいた。それは明らかに平静を装うとしつつも、周囲の反応に過敏になってしまっているからなのだろう。
だがそれを悟らていないと思っているクロエは、頷き余裕のある様に答える。
「じゃあ氷で。水魔法好きだから」
そんなハンナの選択を奴隷商は拒絶せず、その方向で進める。
「分かった。お前の魔力量を知りたいから出せるだけ水を出せ」
水魔法の派生形は魔力消費が多い。ハンナには難しいかもしれないと思いつつも、奴隷商は井戸を指差す。大人しくそれに従いハンナは歩き出し、手のひらを井戸の壁面へと向ける。
そして奴隷商へと振り返り確認をしてくる。
「良いです?」
「良いぞ」
奴隷商がそう合図すると、ハンナは息を吸い肩に力を入れる。
そして現れた水は、波のように白い泡を立て、空間に浮かび上がってくる。それが互いに引かれ合うようにぶつかり、歪な水玉を造る。
「……溜め長いな」
エリックがそう呟く。魔力を持っているからか、多少その流れが見えるからこその感想なのだろう。そしてそれは奴隷商と同じ感想で、ハンナは吸い込んだ息を吐き出す。
「これは……」
奴隷商らの視線の先では、ハンナの作り出した水玉は形が崩れ一直線に井戸の暗闇へと向かって行く。
そしてそれが井戸の壁面へと当たれば、滝かと思う程の水が弾かれる轟音が響く。
それを見て奴隷商はハンナへと近づく。
「もっと威力は上げれるか?」
音に負けないように奴隷商は声を張り上げる。するとなんてことのないようにハンナは答える。
「……?うん。壊れたらまずいかなって。まだ3割ぐらい」
エリックもそれなりに魔力に関して才能はあった。それこそ歳を考えれば、かなりの上澄みでもあって掘り出し物だと思っていた。だがそれを踏まえても、魔法が違うとはいえ、単純な威力と技能で見ればハンナが数段上なのは明白。
「あと何分維持できる」
「この威力のままなら20分はいける。全力だとさっき言った5分は持たないかも」
魔法に関して知識があるコンラートも、指南をやめハンナをまじまじと見ている。それはそうで、この歳でここまで出来るのは、魔法スクールでも中々見ないレベル。
「……誰かに教わったのか」
「おじいちゃんが詳しくて。いつか身を守る為にって」
水魔法では戦闘に向かないと奴隷商は言った。それは威力を増せば増すほど、使う魔力量が膨大になり、かつ殺傷力を持つまで速度を上げるには、要求される技量が高いからだ。だがその2つの障害をハンナは既にクリアしている。あとは水の成形が自在になれれば一流だが、それを要求するのは時期尚早だろうか。
まさかの事実に悩む奴隷商だが、とりあえず今魔法で教える事は無いと判断する。
「……今は一旦教えることは無いな。コンラートに剣術を教われ」
魔術だけが使えても剣術が出来なければ一人では生きていけない。そう判断しての事だったが、ハンナからすれば意味の分からない行動でもあった。
「え、氷魔法は?」
「それはまた今度だな。先に体力と筋肉を付けた方が良い」
「え、あ、はぁ」
そんな何言っているんだという顔をされても、仕方がない。それにこの魔力量だと、魔力の消費に体がついて来ないかもしれない可能性もある以上、先に体作りを優先させた方が良い。
そう思考しながらコンラートの方へと歩いて行くハンナを見送る。すると、それを見てかクロエが木刀を投げ捨てる。
「お腹痛いので休みます~」
さっさと屋内へと戻って行ってしまうクロエ。それを見てコンラートが焦ったように追いかける。
「え、ちょっとクロエちゃん……!」
相も変わらずコンラートの奴は、クロエへの対応に苦難しているらしい。空回りしているのははた目からも明らかだが、奴隷商はとりあえずエリックに指示を出す。
「……エリックはいつも通り、限界まで魔力を使い切れ。その後剣術組と合流だな」
「はい」
淡白な返事をするエリック。そして仕方ないと腰に手を当て、残った奴隷達へと近づく奴隷商。
「悪いがあとは俺が剣術を教える」
揃いも揃って嫌そうな顔をされる。今日に関してはラウラでさえ顔を伏せ体で拒絶を示している。だがそれはいつもの事だと、奴隷商は声を張り上げる。
「じゃあまず1時間は走るぞ!!!手ェ抜くなよ!!!」
今までの甘々な訓練を覆すように、ひたすらにランニングでの体力作り。何をするにしても結局は体力が無いとどうにもできない。だが栄養が充足しているとは言えない子供には、中々きついのも事実。
そんな中負けん気を出すのだが、分かりやすく男児といった2人。
「……負けてられっかぁ!!な!!エドガー!!」
「あ……はい!!そうっす!!ロルフさん!!!」
そう意地を張り、走り続けるロルフやエドガーのようなタイプもいる。が、大半はレオンのような子供に体力を期待してはいけない。
「無理……てか剣術………じゃないのか」
レオンもレオンでこの所寝不足なのか日に日にげっそりしていっている。まだハンナに接触はしていないようだが、偶に話しかけようとしては諦めている。
そんな事情にも気遣うことなく、奴隷商が睨むとレオンは渋々走っていく。他の奴隷達も続いて走っていくが、やはり一番体力の無いレーナがすぐに根を上げる。
「あ、あの……ちょっと休憩を」
「まだ10分経ってないぞ」
体力が無いのは仕方ない。だが体力をつけるには訓練を続けるしかない。のだが、それでもレーナは申し訳なさそうに声を震わす。
「部屋に、わ、忘れ物をして……」
肩で息をし、今にも吐き出しそうな様子のレーナ。奴隷商は屋内の様子を伺いつつ、その要求を受け入れる。
「……3分。それだけ待つ」
おおよそクロエの様子を見るついでにサボりたいのだろう。それは分かっていた奴隷商だが、結局は走らせるのは変わらない。なら言い訳を潰しておいた方が良いという判断。
するとまた1人近づいてくる奴隷が。
「私も様子を見に行っても良いです?」
目元のクマが酷く顔色も悪いラウラがそう提案してくる。流石にまだ息は上がっていないようだが、体調は悪いのだろう。
「レイラの真似事か?」
誰にも相談する気配を見せないラウラ。また1人でなんとかしようとしているのだろう。そう思っての言葉だったが、意地になってしまったのかラウラは睨んでくる。
「ダメですか?」
どうするか奴隷商は悩む。だがコンラートの様子も気になるのもの事実。そう判断し奴隷商は道を開ける。
「すぐ戻って来い。なら良い」
そう言うとラウラは頷きレーナの後を追っていく。また厄介な事にならねば良いが、そう思いながら残って走る奴隷達を眺めるが、やはり孤立しているのが分かりやすいハンナ。
するとロルフは一周遅れになったハンナの背中を捉える。そして追い抜こうと分かりやすくスプリントする。
「……わざとだな」
ハンナと体が当たりそうになる程距離を近づけ、傍を走り抜けるロルフ。ハンナはバランスを崩しかけ、なんとか転ぶのを防ぐ。
「まぁロルフからしたら悪人でしかないが……」
ロルフからしたら仲間の形見を盗んだ奴がハンナだ。嫌う理由は分かるが、その行為に幼稚であるのには変わりはない。
そう観察している内に中庭を数周回っていく奴隷達。通り抜けるハンナは、明らかに苦しそうな顔をしているのは、体力が無いからという理由だけでは無いのだろう。
奴隷商はため息を零しつつ、背後の施設へと振り返る。
「で、コンラートは大丈夫かね」
この現状に面倒さを覚えつつ、少しの嫌な予感のする奴隷商。いつまでも戻ってこないラウラ達を追おうと、屋内へと足を進めるのだった。
諸予定があり、明日は23時に投稿します。




