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奴隷商の男  作者: ねこのけ
第一章
13/49

第13話 暗中模索


 タッタッタと焦るような足音が、木造の廊下に響く。


「俺が……俺が助けないと」

 

 コンラートには何が事実か分からなかった。

 確かにハンナの様子からは無実でありそうで、クロエの様子は明らかに不審だった。だが、だからといってクロエが自演したとは、コンラートにはどうも考えられなかった。


「……だって子供だぞ。そんな邪悪な事する訳……」


 何か理由があるはず。そうしなければいけないほど彼女を追い詰めた何かが。


 そうして足早に廊下を抜けていくと、階段裏からすすり泣くような声が聞こえてくる。


 それに脚を止め階段裏を覗けば、長いブロンド髪に顔を隠したクロエが蹲る。


「……」


 コンラートは一瞬ためらいつつ、無言のまま隣に座る。やはり視点の高さからクロエが子供だと思い知らされる。


 するとコンラートが座るなり、その髪がのそっと揺れ呟く。


「……私はやってないから」


 明らかな涙声。これでは脅されて怯えているようだった。それを見てコンラートはあやすように優しく問いかける。


「じゃあハンナちゃんがやったの?」


 ビクッと肩を揺らすクロエ。明確に答えたくないのか少し濁して答える。


「……自分でそう言ってたじゃん」


 確かに、ハンナは自分が犯人だと自白した。

 だが状況からしてそうだとは考えにくく、余計に混乱させる原因となっている。しかし今頭の中で押し問答しても意味が無いと、目の前の助けるべき子供へと視線を向ける。


「じゃあ君はなんで泣くの。犯人が見つかったならそれで解決じゃないの?」


 目を見ようとするがクロエは伏せてしまい、全く視線は合わない。窓から入ってくる日光は雲に隠れ、辺りは余計に暗くなる。


「……」


 沈黙だけが返ってくる。コンラートは信じたいが、持ちうる情報ではどうしてもクロエが何か隠しているように感じてしまう。それに奴隷商に至ってはクロエの自演を確信してさえいたように見えた。


 だが何が事実か分からない以上、コンラートには話を聞くという選択肢しかなかった。


「俺に何が事実か分からない。けど話ぐらいは聞けると思う」


 そう口では言いながらも、心の中では話を聞いてどうするのかと、そう思ってしまう。本当にクロエの自演だったとしたら、恐らくコンラートは彼女を許せない。それはコンラートにとって正義ではなく、他者を貶める悪でしかないからだ。


 そう思考を巡らしていると、ふと辺りが静かになる。


「クロエちゃん……?」


 いつの間にかすすり泣く声は聞こえなくなっていた。遠くからは素振りをしているのであろう、男の子たちの元気な声が聞こえる。


 コンラートは壁に後頭部を預け、天井の木目を見つめる。だが隣からはひたすらに沈黙しか返ってこない。


「……」


 自分でも何が言いたいのか分からなくなっていくる気がした。クロエにどうして欲しいのか、ハンナとどうして欲しいのか、その着地点が無いまま話してしまっている。ただこの子供を放っておけないと、見捨てる自分が許せないと、ひたすらに口を動かす。


「何か話してくれないか。そうしないと俺はここから動けない」


「……」


 何かを考えているのか、それとも外との交流を拒絶しているのか。それでもコンラートは笑みを作って明るく振舞うべきだと考えた。


「まぁといっても頼りないかもしれないけどね。俺そこまで頭良くないからさ」


 クロエの頭を撫でようとしてその寸でで手を止める。だがその頭はゆっくりと上がり、ジッと正面の床を赤くなった目元で見つめている。


「……あいつが気に入らない」


 ガラガラとした声。それでもやっと話す気になってくれたと、コンラートは少しだけ嬉しかった。初めてここにきてから人の為になれている実感があったからだ。


 そしてクロエは語り出す。


「ずっと1人だったから話しかけたの」


 コンラートは急かさぬよう頷く。


「あぁ、前の訓練の時ね」


 確かその場には奴隷商もいた。会話までは聞こえなかったが、2人が話していたのを覚えている。


 その時に何か行き違いがあったのだろう。きっと何か仕方のない理由があったのだろう。そう期待を込めて言葉を待つが、それはコンラートの抱いていた子供の善性とは違う物であった。


「その時あいつなんて言ったと思う?」


 まるで自分が悪いとは微塵とも思っていないような。ただただ恨みのこもった声に眼。それがコンラートに視界に写るクロエという女の子だった。


 コンラートは息が詰まる感覚を覚えつつ、そうであって欲しくないと促す。


「……なんて言ったの?」


 嫌な予感をしつつ言葉を待つ。するとクロエは笑い自己弁護するように言う。


「自分が一番空気悪くしてるくせに、全部私のせいにしてさ。せっかく大変だっただろうからって気遣ったってのにさ」


 思い出して更に腹が立っているのかクロエの握られた手が震える。そしてその言葉は溢れ、止まる事が無い。


「せっかくラウラさんが頑張ってるのに空気壊すし」


 ドンっとクロエの拳が床を叩く。そしてその拳は床にぶつかったまま震える。


「それで注意したら逃げ出してもっと迷惑かけるし」


 クロエの口調は震えながらも、確かに強い感情が籠っている。


「だから一回分からせないとダメだったんだよ」


 クロエの首に掛けられた分不相応なペンダントに、コンラートの視線が行く。そしてクロエはそのペンダントをギュッと握る。


「だから昨日あいつの寝床にこれを置いた。丁度ラウラさんもあいつ迎えに行っていなかったから」


 一度話し出したら止まらないのかクロエは、そう震え笑いながら自らの行いを自白していた。


 そして息継ぎをするような、わずかに乱れた呼吸音が辺りに響く。コンラートも頭の中を整理するように沈黙してしまう。


 だが、何も言わないコンラートが怖かったのか、クロエは髪の間から様子を伺う。


「……で、話したけど。信じてくれるんでしょ?」


 コンラートの緑眼は瞼の裏に隠れ、少しの間唸る。


 だがどうやら自身が想像しありたいと思う騎士像より、コンラートは器の小さい男であった。


「君がやったって事なんだな。ハンナちゃんが気に食わないから」


 大人特有の説教する寸前の様な声色。それに怯えクロエは、取り繕うようにまくし立てる。


「嫌いとかじゃなくてあいつが悪いから教えてただけ……そ、そう!あいつの為に私が泥を被ってやって━━」


 気付けば動いていたコンラートの拳。そしてそれはドンと壁を強く叩くと、クロエの体が跳ね言葉が止まってしまう。そんな怯えたクロエをコンラートは、無意識に睨んでしまっていた。


「君は自分が悪くないって言いたいんだね」


 コンラートにとって子供は守るべき純粋な存在。だが悪にも善にも染まりやすい、でもだからこそ周囲の大人が導かないといけない。


 そう考えていても、クロエのこの行動に思考は、本人の資質だと感じてならない。そうコンラートは、助け出すべき子供を、得体のしれない悪に見えてしまっていた。


「確かにハンナちゃんも悪い所はあった。けど君のやったことに正しさは無い。やりすぎだ」


 どうにか正しい道に戻さないといけない。いつのまにかコンラートの中には怒りの感情が多く占めるようになっていた。


「━━で、でもっ」


 それでもなんとか言い返そうとするクロエだったが、コンラートは聞くそぶりを見せない。


「でも。なんだ?」


 コンラート自身も、上から押し付けるのは好きじゃない。だがその悪を認める訳でもなく正当化している。それは善ではなく大人が止めるべきで、決して甘い言葉をかけるべきじゃない。それこそ自身が導く大人で騎士とならなけばいけない。


 そう自分の行いが正しいのだと、理屈ばかりが積み上がり、クロエの言い訳を聞かずして、コンラートの怒りは止まる事が無い。


「それに、そのペンダントご家族の形見なんだろ?そんな使い方して良い物なのか?」


「……それは」


 子供の心は強くない。それを理解してても、自身の想像を超えたこの子供の悪性に語気が強くなる。


「君のやったことは人一人を追い詰める事だ。それはちゃんと認識しないとだ」


「……はい」


 こんな言い方ではダメだ。騎士らしく余裕のあって優しく接さなければいけない。話を聞くと言っておいて、この子に今怯えさせてしまっている。


 それを分かっていても、コンラートの湧き出た正義感と怒りは止まらない。


「今すぐ謝って白状しなさい。それが更生出来る唯一の道だ」


「……」


 クロエがゆっくりと立ちあがる。それを見上げコンラートは分かってくれたかと、安堵しそうになるが、それは勘違いというものらしかった。


「謝らない。謝らないから。私悪くないから」


 目元からあふれ出しそうな程の涙が、桃色の瞳を覆う。そして吐き捨てるようにクロエは言い放つ。


「あんたなんかに話さなきゃよかった。何が話してくれだよニセ騎士が」


 それだけ言って小さな体は走り去ってしまう。それを見送り……いや引き留める事が出来ずに、右手は空振ってしまう。


 そして一瞬の静寂と、遠来から聞こえてくる雷鳴。辺りは急に暗くなりだしていた。


 そんな中座ったまま立てないでいるコンラート1人。


「……あぁ違うだろ……なんで……」


 どうしてこうも自分の感情をコントロールできないのか。


「何がしたいんだよ。俺は」


 目にかかりそうになる前髪をかきあげる。そうやって視界を広げても、壁しか見えず遠くに消えて行く足音。


「これじゃ追い詰めただけじゃないか……」


 ダメだと思いながらも、言葉は止まらなかった。もっと言い方もあれば穏便に仲直りさせれる道もあったはず。それを騎士であるはずの自分が、怒りに流され壊してしまったのか……


「……いや違うか」


 思い出す。騎士になる前のただの一兵士だった頃に、姫様の騎士だった時代。謂れのない風聞に誹謗。それでどれだけ虐げられて、罪を着せられてきたか。


「……子供に八つ当たりかよ」


 コンラートは、よろよろと立ちあがり壁に体重をかけながら歩き出す。行き場も無かったが、そんなコンラートを止めるようにして、その男が肩を叩く。


 コンラートは視界にある革靴から視線を上げる。


「……お前かよ」


 前髪越しにそれを見上げると、真っ暗な外套に身を包む奴隷商だった。


ーーーーー


 奴隷商はレオンの肩を叩く。

 するとその癖ッ毛の奴隷は分かりやすく動揺して、声を上ずらせる。


「は、はい……?」 


 奴隷商はそんなレオンの細い二の腕を掴み言う。


「ちょっと来い」


 有無も言わさず中庭の端へと奴隷商はレオンを連れていく。ラウラやロルフが視線を送ってくるが、奴隷商が睨み抑える。


「なんでお前を呼んだか分かるか」


 奴隷商は目の前に立つレオンにそう言いながら、縁石へと腰を下ろす。するとレオンはハンナを一瞥し、ボソッと言う。


「放火……の事ですよね」


 おそらくレオンはハンナの放火の件に関して知っている。これまでの出来事からそう奴隷商は察していた。


「その事だがな」


 レオンは小さく縮こまってしまう。見れば顔も痩せこけ、寝不足なのが丸わかり。焦燥しているというのが見て取れる様子。


「その件について誰にも何も話すな。これ以降一切」


 問いただされるものだとばかり思っていたのだろう。今日初めてレオンの顔が奴隷商を捉える。


「……えっ」


 目的は決まっていた。ハンナの自己犠牲を無駄にしない為だ。それにここでレオンが情報を吐けば、更に事態はややこしく悪化してしまう可能性が高い。

 

 それに加えてあるとすれば。


「それがお前の罰だ」


 経緯は分からない。だが確実に言えることは、レオンはハンナに裏切ったという事。ハンナが逃げ出そうとした時、レオンに助けを求めるような視線を送っていた。そしてその意図をレオンも分かっていたが、ハンナを見捨てた事。それを悪いとは一概に言えないが、心証はもちろん悪い。


 そのレオンの真意を探ろうと奴隷商は伺うが、口を結んだまま沈黙してしまう。


(これは当たったか)


 心中思い当たる節があるらしく、酷く苦しんだような顔をするレオン。子供なのもあるが、誰もかれも余裕が無い。


「ハンナには礼ぐらい言っておけ。それだけだ」


 奴隷商はそう言って立ち上がる。レオンはその場に立ち尽くしたままだが、焦らず一度自分の中で考えさせるべきなのだろう。それこそ罪悪感があるという事実さえあれば今はいい。


 そうコンラートの様子を見に行こうとする奴隷商だったが、中庭に足音を立てて入ってくる長い長いブロンド髪が1人。


「……あいつ失敗したか」


 クロエが奴隷達の輪に入っていく。そして蹲り泣きわめき、周りは心配するように慰め、優しい言葉をかける。


 だがその中1人。少し離れた所でどうすべきか分からず、立ち尽くすラウラがある。自分から板挟みになって苦しんでいるらしい。


「……どうするか。これは」


 奴隷商はとりあえず騎士様を迎えに行こうと、中庭をあとにするのだった。


ーーーーー


「……お前かよ」


 コンラートの嫌悪するような緑眼が奴隷商を見上げる。いつもの根明さはどこかへと行ってしまっていたらしい。


「さっきクロエが泣きながら中庭に走り込んできてな。失敗したらしい騎士様の顔を見に」


 奴隷商の顔が中庭へと向く。だがコンラートはそれが出来ず、俯き奴隷商の革靴を見つめる。それの肩を奴隷商はポンっと叩く。


「まぁ今回はいい。ハンナが望んだ事だ」


 コンラートはゆっくりと怯えながらも、日の差し込む窓を見る。そしてその視線の先には孤立し木刀を振るうハンナに、奴隷達の輪の中慰められるクロエの姿がある。


「思う所があるのは分かる。だがハンナの選択は尊重してやれよ」


 奴隷商自身ハンナに肩入れしている自覚はある。だが、あくまでこれ以上面倒事が広がらない為でもある。


 そんな意図をつゆ知らず、コンラートは不安そうに呟く。


「……クロエはどうする。これが良くない成功体験になったら……」


 コンラートは奴隷商の思っていた以上に精神的に参っているらしかった。だが、奴隷商がそれを慰める義理は無い。


「ならお前がなんとかしろ。自称騎士ならガキの一人ぐらいなんとかしてみろ」


 コンラートは奴隷商に乱暴に突き放される。それに怒りを感じる事も無く、戸惑いコンラートは奴隷商を見上げるが、その表情に変化はない。


「……で、でも……俺は……嫌われただろうし……」


 そうコンラートが言った瞬間、珍しく奴隷商が肩を揺らし笑いを口元で抑える。それを怪訝にコンラートは見つめるが、落ち着いたところで腹をさすりながら奴隷商は言う。


「お前そういうの気にするんだな。あんなバカっぽ感じ出しておいて、存外繊細じゃないか」


 煽られているとしか思えないその言葉に、コンラートは思わず殺気立ってしまう。


「……煽ってんのか」


 違う違うと奴隷商は手を振って否定する。


「いやいや新たな一面が見れて嬉しいよ。これでお前に腹が立っても多少は溜飲が下がる」


 あれだけの騒動があったのになぜ奴隷商はここまで笑えるのだろうか。それこそハンナは苦しい現状に、クロエは間違った道に行ってしまったというのに。


 そう沸々と怒りが湧いてくるが、コンラートの体は奴隷商の手が再びがっしりと肩を掴む。そして耳元で底の見えないような低い声が響く。


「正義感だけじゃなんともならないんだよ。いい加減現実見て考えろ」


「……」


 言い返せなかった。言い返そうとしてもさっきのクロエの顔がチラつき言葉が喉元を乗り越えれない。だがその逡巡の内、奴隷商はコンラートの背中を押す。


「じゃ、午後の剣術頼むな。俺はラウラとエリックに読み書き教えるから」


 コンラートは転びそうになりながら、明らか困惑しつつ奴隷商に振り返る。


「え、俺このままあそこに行くのか……?」


「そうだ。いつもの無神経さで突っ込んで来い」


 そう言い残して奴隷商は窓からエリックとラウラを呼ぶ。そしてコンラートに一瞥すらせず、二階へと登っていく。


「え、俺……が」


 そこに残されたコンラートは、戸惑いつつもラウラとエリックとすれ違い中庭へと降りざるおえない。

 だがなんとか持ち直すように胸を何度も強く叩く。


「やるしかない。俺がやるしか……」


 逃げ出したい。またクロエに対してどんな顔して話せば良いか。全く分からない。それでもコンラートは木刀を握り、奴隷達の前に出る。


 一斉に集まる視線。クロエはコンラートについて何も言っていないのか、他の子からは敵意のある視線は無かった。だがやはり、そのクロエの視線だけは、敵意で満ち満ちていた。


「あ、え、っと。剣術。今日もしようか」


 自分でも分かる程声が震えている。どうにかクロエの視線を認識しないようにしているせいか、目が泳いでしまう。


「お、騎士の兄ちゃん遅いじゃねーか!」


 相変わらずの元気なロルフがコンラートを出迎える。その反応に少しの安堵をするコンラートだが、やはり視界の中に張り付いて離れない桃色の瞳。


「え、エドガー君とレオン君はどう?慣れてきた?」


「俺は元々才能あったからな!」「……はい」


 レオンはやけに暗い顔で風に消えそうな声で返事をする。それに不安を覚えるが、相変わらず好意的に接してくれるエドガーに、コンラートはなんとか持ち直そうとする。


 だが三つ編みの少女のレーナが、クロエを守る様にコンラートとの間に立つ。


「わ、私達は、自分達で……やります。今日は……」


 自分で今どんな表情をしているか分からない程、頬が張るような感覚。だが、歪にでもコンラートは無理に笑う。


「あ、え、あ。うん。じ、じゃあ分からない事が合ったら聞いてね!」


 言葉は上手く出ず声が震え続ける。だがそれに気付いてか気付かずか、レーナは大げさにお辞儀をしてクロエと一緒に離れて行ってしまう。


「カミラちゃんは……」


 何かしていないと。そう焦って辺りを見渡すと、エドガーがコンラートの足元で跳ねる。


「こいつは俺と一緒だから大丈夫!とゆーか俺が剣術教えてやってるしな!」


 エドガーの後ろに隠れてしまうカミラ。彼女とは中々会話が出来ないでいたコンラートだが、嫌われていない事にすら感謝してしまいそうになる。


「じゃ、じゃあやろうか」


 そう言うと残った子供達が木刀を握りしめ、コンラートに見せつけるように素振りを始める。そしてその瞬間、ハンナを無意識に無視していたのに気付いてしまう。


 ダメだ俺は皆の間を取り持たないと。そう体を捻りハンナを見て息を吸うコンラート。


「あ、ハン━━」


 咄嗟に声を出そうとするが、ロルフがコンラートの袖を掴み耳元で大きな声を出す。


「俺と模擬戦してくれよ!!」


 耳がキンとなり頭が一瞬ぼやける。

 それがいけなかったのか、それとも余裕がなかったせいか。思わずコンラートの声が大きくなってしまった。


「うるっさいなぁ!!大きな声出さなくても聞こえてるよ!!!」


 言った傍から気付いてしまう。自分がやってはいけない事をした、これまでの積み重ねを崩してしまいかねないと。


 そう恐る恐るロルフを見ると、綺麗な金色の前髪越しに茶色の瞳が揺れていた。


「……え、あ……え、ご、ごめんなさい」


 心臓が締まる感覚がする。冷や汗を浮かべながらなんとか口を回す。


「あ、ちょっとそう言う意味じゃなくて……や、やろうか?模擬戦?ね?」


 ロルフの肩を優しく掴み必死に笑みを作る。今日は失敗ばかりで自分が嫌いになってしまう。だがまだ誤魔化す事が出来たのか、ロルフは戸惑い首を傾げつつも顔が少し明るくなる。


「え……ん?わ、分かった?」


「そう!じゃあ今からやろうか!次はエドガー君もレオン君も一緒に!」


 空回りしているのだろう。だがそれを忘れるように、その日はひたすらに腕を動かし、頬が痛くなる程口角を上げ続けたのだった。


ーーーーー


「大体書けてるな」


 貴重な紙を使いエリックとラウラにさせていたのは、本の書き写しだった。助かる事に覚えが早くて、もう教える事はならしい、そう見比べた原本を見つつ奴隷商は思う。


 するとエリックは頬杖を付き窓の外を見る。


「で、次は何するんです」


 冷たく敵意を隠さないエリックの強い語気。ハンナの一件で余計に機嫌を悪くさせてしまったらしい。だがやる気があるのは奴隷商にとっては良い事だと、ぼろい椅子から立ち紙を机に置く。


「次は算術だな。あとはもう他の言語も練習してみるか」


「そうですか。じゃあ始めてください」


 ペンを持ち直しだるそうに目を細めるエリック。それを横目にラウラはその場に立ったまま、奴隷商へと尋ねる。


「ハンナちゃんは……あれは本当なんです」


 またそれかと。奴隷商は呆れながら同じ事を答える。


「さぁ本人がそう言ったからな。自ら罪を被るバカはいるはずも無いから、真実なんだろう」


 誰もかれも他人に振り回されて、それで勝手に傷ついてしまっている。それはラウラも例外ではなく、落ち着かない様子。


「……でも昨日のあの様子でやります?どうにも私には違和感が……」


 エリックの鉛筆がカツカツと机を叩く。

 奴隷商はレオンに言ったように、ハンナに同じ事を伝える。


「だがハンナの証言は変わらない。周りがとやかく言う事では無いな」


 今日のハンナはラウラとの関りすら拒絶している。奴隷商からしたらラウラを巻き込まない為だとは察しがつくが、ラウラ本人からしたら理解出来ず戸惑いが強いのだろう。


(ラウラなら分かってくれるだろうに。不器用でしかない)


 そう思っても奴隷商は介入しない。結局外から勝手に推測しているに過ぎない以上、それは過干渉というものだからだ。


 そう重い空気になりながらの会話に、嫌気がさしたのかエリックが更に強く鉛筆の芯を机にぶつける。


「ラウラさんも気にしすぎだって。別に一人になりたがってるんだから放っておけば」


 その言葉に分かりやすく眉を吊り上げるラウラ。そしてイライラしているのか、怒気を孕ませる。


「……エリックだってさっき庇ってあげてたじゃん。なんでそういう事言うの?」


 だがエリックも一歩を引く訳もなく、面倒そうに目を細めながら答える。


「そりゃ面倒になりそうだったからだよ。あの様子のロルフさんとクロエは五月蠅くなりそうなの、ラウラさんが一番良く知ってるでしょ」


 自身の赤みがかった髪を触りながらエリックは唇を尖らせる。どうやらラウラとは違い、ハンナの事は良く思っていないらしい。


「だけどでしょ……一人にさせたら」


 いつにもなく張り合う二人。奴隷商も藪蛇だろうと介入はしないが、エリックは投げやりに答える。


「じゃあラウラさんがやればいいじゃん。同室なんだし」


 するとラウラの手はバンっと机に叩きつけられ、エリックを強く睨む。


「そんな言い方ないでしょ!皆で助け合わないと、こんなクソみたいな奴の所に買われたんだから!!」


 ラウラの細い指が奴隷商へと向く。


 そして言い放ってすぐに気付いたのか、まずいと顔に書いてラウラが振り返る。少し気まずい感覚を覚えながら、奴隷商は表情をどうしたら良いのか迷う。


「悪口は本人の居ない所でやってくれないか」


 そう言ったのは良い物の、ラウラは興奮しているのかどんどんと声量を大きくしていく。


「べ、別に事実だから良いでしょ!自分の事善人だって思ってる訳!?」


 この所明らかにキャパ以上という感じなクロエ。今は一層それが顕著に見えた。


「思っては無いな。ただ、いつものお前ならしないミスでちょっと驚いてな」


 いつもは感情を見せないというより隠しているラウラ。それこそ敵意すら見せないよう立ち回っている節すらあったが、珍しく心の内が漏れ出てしまったのだろう。


「と、とにかく!ハンナちゃんに何かしないでよ!!」


 何を言っても聞かないのだろう。そう判断し、奴隷商は次の勉強だと、本を閉じ新しい紙を取り出す。


「……お前は何に焦ってる。らしくないぞ」


 紙を手渡そうにも受け取らないラウラ。だが声は弱々しく迷うように呟く。


「だから……私は皆を守る為に……」


「高尚な考えだな。コンラートと息が合うんじゃないか?」


 奴隷商はエリックへと視線をやるが、関わりたくないのか面倒だと窓の外を見てしまう。

 そんな中、ボソッとラウラが零した言葉に察しがついてしまう。


「私はただレイラさんみたいに……」


「あぁまたそれか」


 以前までのラウラの同室はレイラだった。それこそ良く懐いて一緒によく行動していたのが記憶に新しい。一過性の物かと思っていたが、やはりそれに固執しているらしい。


「まぁ俺は関与しない。自分で何とかしろ」


 奴隷商がそういう物の、不満そうにラウラは睨んでくる。


「……またそうやって無責任な……あんたが買った奴隷なのに……」


 無責任。そんな言葉に少しだけ奴隷商は言い返したくなってしまう。


「自分らを奴隷と認めるんだな。いつも嫌がっていた割に」


 感情が行ったり来たりで忙しいが、ラウラは奴隷商に対する敵意は変わらず睨み上げてくる。


「……あんた本当に嫌な奴だな」


 ここしばらくで良く言われる言葉。ただそれを否定する気は奴隷商には毛頭ない。


「知ってるよ。じゃあ授業続けるから席戻れ」


 子供の我儘に付き合う気は無い。ラウラもハンナもレオンもだ。自分がやりたいなら勝手にやれ、どうせ5年後には売るのだから関係ない。そう自身を納得させる。


「じゃ、四則演算から始めるぞ」


 奴隷商の仕事は奴隷の価値を上げる事。諍いを修める事や機嫌を取る事では無い。今はこうやって剣術を教え、文字を教え、生き方を教えるだけ。それが奴隷商の決まった生き方なのだった。


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