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夏颯記  作者:
駿河編2

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11-7 三河 伊良湖3

 細く続く砂浜の向こう側に、安宅船よりは細身だが、商船よりは重そうな帆船が一隻、浮かんでいる。

 その周囲を取り囲む小舟は、三河衆のものだ。

 それぞれが船に明かりを灯し、遠目にはまるで蛍が集まる美しい情景のようにも見えた。

 だが本来、木造船の上で火を焚くのは危うい行為だ。おそらく実際は、戦場そのものの緊迫した状況なのだろう。

「御屋形様」

 暗がりから声がして、護衛が身構える。

 だが、わざと足音を立てて現れたのは弥太郎だった。

 志摩の海賊衆について、ある程度の調べがついたのだろう。

 孫九郎は頷き、井伊殿と辿った伊良湖の湊に向かって歩き始めた。

 その間に、まずはごく一般的な説明を受ける。

 志摩には複数の湾があって、その湾ごとに一家がある。大まかに言うと十三家。主には英虞湾を支配領域にしている者たちだが、それ以外の、外洋に面した湾を根城にしている者たちもいて、緩い対立関係にあるそうだ。

 九鬼は、その外洋組の代表格だった。

 代表格といっても弱小、先代が死んで跡を継いだばかりの新米当主だということもあって、重鎮たちから軽く見られているとか。

「一条家のお二方については、英虞湾の主だった者たちが協議して、身代金を奪うために隠しているようです」

 弥太郎によると、よそ者が入り込みづらい環境なので、調査が困難なのだそうだ。

「御屋形様のお考えの通り、志摩の海賊衆は一枚岩ではなく、今回のことにも否定的な意見を持つ者はいるようです」

 一枚岩でないなら、そうなるだろう。

 うまい汁の分け前が全員にいきわたるとは思えないから、あえての逆張りをする者が出るのは想像がつく。

 孫九郎は歩きながら、沖合の船に目を向けた。

 九鬼はどうだろう。敵である場合と、味方になり得る場合とを考える。

 ふと、九鬼という名に聞き覚えがあることに気づいた。“くき”と聞いて素直に九鬼と思い浮かび、海賊衆だと察知したのは、誰かに聞いたからではない。

「御屋形様?」

 立ち止まった孫九郎に、承菊が訝し気に声を掛けてくる。

 孫九郎はじっと、明かりのともる夜の海に目を凝らした。

 そうか……と、ひとり納得する。

 教科書か大河ドラマかで聞いたことがあるのだ。

 詳細の記憶はなくとも、後世にまで名が残る水軍の名門だということは予想がつく。

 自然と頭の中にこの辺りの日本地図が浮かび、渥美半島と志摩を押さえることの地政学的な意味を、今更ながらに考えた。

「どうかされましたか」

 孫九郎はなおもじっと沖合を見つめてから、後ろを振り返った。

 色白の承菊の顔が、淡い月明かりに照らされてはっきりと見える。

「九鬼は志摩を欲しがると思うか」

 孫九郎の問いかけは唐突だった。

 聞いていた者たちのほぼ全員が、ぎょっとした様子で息を飲む。

 例外は、承菊と弥太郎だ。

 承菊は首を傾け、しばらく孫九郎を見つめてから、うっすらと唇をほころばせた。

「機会があるなら、望むでしょう」

 だが、おいそれと今川に膝を屈したりはしないだろう。

 たった一隻の船で、三河湾に乗り込んできている。

 そこに井伊殿が出向き、話し合いの場がもたれているということは、大国相手にも臆さず交渉を試みる胆力がある証だ。

 血気盛んなだけではなく、理性的に話ができる男なら……悪くはない。

「ならば、機会をやろう」

 孫九郎はぽつりとつぶやき、再び歩き始めた。


 孫九郎の意を受けて、承菊が小舟に乗って交渉中の井伊殿の元へ向かってくれた。

 遠ざかっていくその影を見ながら、苛々と足踏みをする。

 本当は自分で行きたかったのだが、船酔いで無様な真似をさらすのは交渉に不利だと諭されて諦めた。

 ……直接“無様”だと言われたわけじゃないぞ。承菊の言わんとしていることはそうだろうなと読み取れただけだ。

「あと半日下さい」

 弥太郎が、近くにいる井伊殿の家臣には聞こえない声量で囁く。

「必ずや見つけてみせます」

「銭の動きを見ておけ。受け取った銭がどこに動くかでわかる」

 もちろんそれより先に、鈴が何らかの合図を出して、囚われている場所がわかるかもしれない。

「向こうも人質を探されていると考え、わざと厳重な警備をしておらぬやもしれぬ」

「鈴が怪我などをしておらぬようなら、少数の見張りなど排除できますが」

 一瞬、孫九郎の脳裏に幼い鈴の姿が過った。まだ女童の、小柄な子だった。

 そんな彼女と、“排除”という言葉が噛み合わず、戸惑う。

 いや、あんなに幼い頃でも、鈴は立派な忍びだった。

「無理はさせるな」

 開かれた町ではなく、閉鎖的な土地柄だ。捕まっている場所から逃げ出せても、その先が続かなければ意味がない。

 孫九郎は、絡みつくような潮風を顔に受けながら、話し合いが続く船をじっと見つめた。

 こみあげてくる焦燥感が、静かに腹を焼く。

「狙い通りに事が動けば、助け出す隙もできる」

 呟く言葉は、自身に言い聞かせるものだった。

 それまで海賊衆がお二方を丁重に扱ってくれるといいのだが。

 大金がかかっているのだから、間違いはないと思うが、何事も絶対はない。

 孫九郎が何より気がかりなのは、囚われの身のお二方が、さぞ恐ろしく心細い思いをなさっているだろう、ということだ。

 愛姫は火傷の跡を抱え、万千代君は高熱で寝込まれていると聞く。

 心細いで済めばいいが、万が一お二方にかすり傷でも負わせるようなことがあれば……

 孫九郎は無意識のうちに、ギリと奥歯を噛み締めていた。

ちなみに今の高校のカリキュラムだと、日本史を全く学ばず進級できないそうです

2022年の改変以前は、世界史+日本史or地理という選択制でした

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― 新着の感想 ―
渥美と志摩押さえられたら海運に影響出て 津島持ってる勝幡織田家のお財布に大影響ですね これからどうなるか楽しみに待ってます!
孫九郎が転生者な事を忘れてたわ
北条との諍いよりもヤル気が段違いで高くなりそうでドキドキするね。
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