24-5 伊勢 田丸城15
果たして亀のように田丸城に籠っていることが正解だろうか。
孫九郎はその問いを、井伊殿にも渋沢にもしてみたのだが、返答はどちらからも、「本丸にいらしてください」だった。
藤波屋敷がどうなっているか気になったし、北畠殿とも話をしておきたかったのだが、現状の北畠軍の動きが不穏なので、気軽に「ちょっと出かける」わけにはいかない。
井伊殿から、もう一度、三河から援軍を呼ぶことを提案された。
田丸城で防衛する自信がないからではなく、北伊勢衆が帰還したので、兵力の補充をしておくべきだという意見だった。
ーーそんなことをしたら、本当に今川が伊勢に侵攻したみたいじゃないか。
呟いた孫九郎に、皆が複雑な表情をする。
……わかっている。今更だ。
承菊はここにはいないが、あの男はそれを前提に動いている。
そして孫九郎は、否定しなかった。
自分でもそう思うのだから、周囲の目がどう見るかなど明白だ。
「申し上げます!」
孫九郎が日課の散歩をしている最中、駆け寄ってきた土井の大声に驚かされた。
「駿河屋佐吉が御用聞きに参っております」
「佐吉?」
孫九郎は振り返って、間違いなく佐吉本人がそこにいることを確かめた。
相変わらず小柄で、影が薄く、申し訳なさそうな表情をしている。
弥太郎に呼べとは言ったが、こんなにすぐに来るとは思わなかった。
まだ二日しか経っていないぞ。
「お呼びと伺いまして」
佐吉は少し離れた場所で、商人らしい所作で頭を下げた。
孫九郎はその姿をまじまじと見てから、後ろに立つ弥太郎に目を向けた。
にこりと笑顔を返されたが、わかる。風魔忍びではないこの男のことを、弥太郎はまだ完全には信じていないのだ。
「大湊で、安濃津の商人と商談をしているところを捕まえました」
「大湊にいたのか」
孫九郎が問うと、佐吉は困惑したような表情で愛想笑いを作る。
それは不興を恐れているようにも見えたが、この男はそんなかわいらしいタマではない。
「手前どもも、安濃津の蔵を使わせていただいております」
そうだった。もともと堺商人の総番頭だった佐吉の伝手を使っての蔵の誘致だった。
「それに、御屋形様が伊勢においでですので」
御用商人としての仕事をするつもりで来ていたそうだ。
米は足りているが、炭や塩が心もとなかった。宮川での小競り合いで、失った矢などの補充も必要だ。
「それは助かる」
孫九郎はぱっと表情を明るくした。
戦において、物資の枯渇は直接勝敗に関わるほどに重要だ。
佐吉を促して、本丸曲輪の本屋敷に向かう。
話している内容は、備品ついてだ。耳を澄ませている者がいるとしても、それ以外の話はしていないから、問題ない。
「おお、佐吉!」
「これはこれは三浦様」
「丁度頼みたいものがあったのだ」
屋敷に入ってからは、藤次郎が率先して、不足しているものを発注していく。
佐吉は慌てず、手元の紙にその内容を控えていく。
そして数刻後には、佐吉は用を終えて城を後にしていた。
いつもの御用だという顔をして。
孫九郎の“頼み事”など、おくびにも出さず。
それからさらに二日ほど経った。
戦況はほとんど変わらず、北畠家との話し合いも難航している。
承菊は毎日田丸城に戻ってくるので、そこで報告は受けている。
ただ、非常に楽しそうなのが気になる。
……わざと引き伸ばしてるんじゃないだろうな。そう問いかけたら、心外そうな顔をされた。
決着がつかないのは、話が平行線だからだ。
北畠は田丸を返せという。北畠殿の身柄も引き渡せという。
「譲る気がない話し合いは、話し合いとは申せませぬ」
そう言った承菊の表情は、やはり楽しそうだった。
……何か企んでいるな。
白状させようと何度か質問してみたが、帰ってくるのは奇妙に上機嫌な微笑みだけだ。
もしかすると、互いに援軍の到着を待っているのかもしれない。
ふと、今川軍と六角軍が向き合う状況を想像してしまった。
よくない。本当によくない。
勝てないとは思わないが、六角を相手に戦ってもいいことはない。
そういえば、佐吉が国元から孫九郎の鎧兜を運んできた。
「念のため」と藤次郎は言う。奥平からの書付にもそうあった。
どうしよう。どんどん望まぬ方向に流されて行っている気がする。
その夜。いつもの薬湯を運んで来た弥太郎が、ひどく神経質になっていることに気づいた。
もともと表情が顔に出ない男の、珍しくピリピリとした様子に、孫九郎は思わず声を掛けた。
「どうした」
今日も一日、たいした騒動もなく終わり、あとは寝るだけ。
そんな空気に、不穏が混じる。
「……いえ」
弥太郎は一瞬で表情を改めた。いつもの役人のような顔だ。
「なにかあるのか」
甲賀忍びが動き出したのか、そういう意味での問いかけのつもりだった。
弥太郎は引き結んだ唇で、一瞬だけ口角をあげた。
「忍びの者を、あまりお信じになられませぬよう」
佐吉のことか。
伊賀の忍びにつなぎをつけようとしていることを、弥太郎は良く思っていないのだろう。
すっと、風が動く気配がした。
宿直の男たちが身構える。
いつの間にか、真っ暗な廊下に、小柄な男が両膝をついて控えていた。
かなり距離があったのに、それに気づいた瞬間にぎょっとした。
最初は佐吉かと思った。
だが違った。
白髪の、年齢がよくわからない男だ。
「夜分に失礼いたします」
その声は穏やかで、京訛りに似て非なるイントネーションがあった。
「藤林長門守と申します」
佐吉がつなぎをつけてくれた伊賀の忍びだと気付くまで、十数秒かかった。




