24-6 伊勢 田丸城16
孫九郎が知っている伊賀の忍びといえば、服部半蔵ぐらいなものだったから、その藤林とやらがどういう立場なのかはわからない。
佐吉と見間違えたほどに細身の、非力にしか見えない男だった。
胡坐ではなく両膝をついて控えている様子も、大物には見えない。
それなのに、目が合った瞬間に、ただ者ではないと感じた。
暗がりからこちらを見ている静かな目に、読み取れるものはない。
警戒も、敵意も、好意も。
ただ、見られている。それだけだ。
数秒間見つめ合った末に、藤林がふっと視線を緩めた。
この距離からでも、相好を崩したのがわかった。
「倅に、すぐに参れと呼びつけられました」
特徴のない優し気な声だった。
……いや待て、今なんと言った?
「佐吉のことか」
「もう三十年ほども前ですが。某が養い子として育てました」
孫九郎はしばらく黙って、その顔を見つめた。
佐吉が伊賀の忍びだということは知っていた。だが、伊賀忍びを代表してくる男が養父だとは思ってもいなかった。
孫九郎はゆっくりと身体から力を抜き、脇息に腕を乗せた。
「佐吉には随分と世話になっている」
「ありがたいお言葉にございます」
当たり障りのない返答だ。
わざわざこのタイミングで佐吉とのかかわりを言ってきたのは、こちらを試すためか。油断させるための嘘だということもあり得る。
すっと弥太郎が席を立った。
何をするのかと思えば、孫九郎の前に出て胡坐をかいて座った。
ピリッと空気に刺々しいものが走った。
「……弥太郎」
下がれ、という意味を込めて名を呼んだ。だが弥太郎は動かなかった。
前にもこんなことがあったなと、思い出す。
確か、風魔小太郎と対面した時だ。
あの頃よりは、弥太郎の肩越しに藤林の顔が見えるだけマシか。
壁になって孫九郎を守ろうとしているのはわかるが、今回はこちらが招いた側だ。
もう一度、下がるように言おうか迷った。
……いや、風魔小太郎と同程度に、身を挺する必要がある相手だとみなしたのだとしたら。
距離はおおよそ四間。藤林はまだ廊下にいる。
だが忍びにとって、この距離でも十分とは言えないのかもしれない。
「仕事を頼みたい」
孫九郎はできるだけ構えた気配は見せずに言った。
「……そのように離れていては声も聞こえぬ。近う」
不意に、己が夜着だということを意識した。普段から防具を身にまとっているわけではないが、素襖よりも無防備に感じた。
だが、今更着替えるのもおかしい。
さりげなく胡坐をかいて開いた裾を直し、リラックスして見えるように脇息に体重をかけた。
自然と顔が傾いて、弥太郎の腕越しに視線が通った。
藤林はまだ両膝を突いた姿勢のまま、動いていない。
「弥太郎」
そしてもう一度、弥太郎を諫めた。
この肌がひりつくような空気は、殺気というやつか。
孫九郎はひとつ息を吐いてから、パチンと手を打ち鳴らした。扇子があれば、そちらを鳴らしていただろうが、あいにくと近くにない。
「南」
「……はっ」
宿直の南が、低くかすれた声を上げた。
「客人だ」
それでも、誰も動かなかった。
間の悪い沈黙が流れる。
……どうしろというのだ? 朝までこのままか?
すっと、廊下に誰かが姿をみせた。昼番なので休んでいるはずの谷だ。他の護衛を引きつれ、藤林の真後ろに立った。近すぎる距離だ。
藤林はそれでも、動揺する気配はなかった。
しばらくじっとこちらを見てから、軽く一礼して腰を浮かせる。
孫九郎は傾いた視線で、弥太郎の指が小さく動くのを見た。
三度目の声掛けはしなかった。
敷居をまたいで数歩進んだ藤林が、その場で胡坐をかき、一礼する。
谷ら護衛だけでなく、宿直の者たちも刀に手を掛け、非常に物々しい。
「すまぬな。必要な用心だ」
孫九郎がそう言うと、藤林は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「まだ不用心かと存じます」
「……ほう」
「我らのような者に、直々に声を掛ける御方はおられませぬ」
「何故だ」
孫九郎は本気でわからずに首をひねった。忍びの仕事は命がけだ。命を懸けてもらうのなら、こちらもきちんと対応するべきではないか。
「恐れながら申し上げます。たった今でも、某は治部大輔様に毒矢を仕掛けることができます」
その言葉の意味を頭が理解するより先に、弥太郎と谷が動いた。
息がぴったり合っているというよりも、孫九郎にはその差が知覚できなかったというべきだろう。気づいた時には、二人は刀の切っ先を藤林の喉元に突き付けていた。
二人だけではない。そのほかの護衛や宿直の側付きたちも抜刀している。
孫九郎はゆっくりと瞬きをして、続く長い沈黙を数えた。
「……毒矢か。痛そうだな」
考えた末、頭が悪そうな台詞がこぼれ出た。
大勢に刀を突き付けられている藤林が、目じりに深い皺を寄せて笑った。
「痛みなど感じる間もなく、泡を吹いて息が止まります」
「それは恐ろしい」
孫九郎は両手で腕を擦った。
「どのような毒だ? 弥太郎、是非とも聞いておけ」
「家伝の毒にて、外には出せませぬ」
「……佐吉なら知っているだろうか」
くすり、と小さく笑う声がした。次いで、もっとあからさまに、「はははは」と。
幾つかの切っ先は首の皮に傷をつけているのに、藤林は呵々と声を上げて笑い続けた。
それがあまりにも可笑しそうだったので、しまいに孫九郎は、そんな変なことを言ったかと心配になってきた。
「申し訳ございませぬ」
不意に、廊下の暗がりの方から声がした。
佐吉の声だとすぐに分かった。
「親父殿が大変なご無礼を」
姿は見えない。だが、例によって暗がりで平伏しているのだろうとわかる声の響きだ。
孫九郎は気を取り直して、身体をまっすぐにして座り直した。
「そのほうもおるのなら、入ってまいれ。仕事の話をしたい」
ぴたり、と藤林の笑い声が止まった。




