↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏颯記  作者: 槐
駿河編2

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

212/213

24-4 伊勢 田丸城14

 長野の軍勢が勇ましく鬨の声を上げる。

 それにつられるようにして、他の北伊勢衆も足を鳴らす。

 孫九郎は小さな頷きを返した。

 長野殿が最後に一礼をして、馬にまたがった。

 まだ山下の容体は安定しない。危篤に近い状態だと思う。体力がなければ、とっくにあの世に行っているだろう。

 それでも長野殿は、動くことを決めた。

 北伊勢の事を考えてというよりも、梅戸の動きを警戒してだ。

 直接約定を結んだわけではない。山下はまだ田丸城で預かっているが、それが人質になっているわけでもない。

 だが、言わずともわかる。

 あの目は、同じ北伊勢衆を信頼していない。腹に何かを秘めている顔だ。

「……行きましたね」

 傍らで、次郎三郎がつぶやいた。

「そうだな」

 孫九郎も、似たような温度で頷いた。

 北伊勢の国人領主たちは、賑やかで気のいい男たちだった。

 酔っぱらって騒ぎ、大声で笑い、だが腹の中では違うことを考えている。

「信濃の国人衆も、似たような感じでした」

 次郎三郎はぽつりと言って、城から遠ざかっていく軍勢を見送った。

「昨日までは肩を汲んで酒を酌み交わしていた相手を、隠した衣の下で刺そうとするのです」

 随分と教育に悪そうな考えだ。そう思って振り返ると、次郎三郎は横目で幸松を見ていた。

 幸松は首を傾け、よくわからないという顔をしている。

 山下に肩入れするなという忠告だろうか。

「そんな奴ばかりではない」

「はい、もちろんそうです」

 孫九郎の言葉に、次郎三郎は真顔で頷いた。

「常にその心づもりをしておくべきだと思うだけです」

「御屋形様」

 幸松が明朗な声で言った。

「御屋形様への裏切りは、この幸松が許しませぬ故、ご安心を」

 孫九郎はまじまじと、ひとつ年下の弟を見上げた。

 身体だけは、その辺の大人よりも大きいが、顔立ちはまだ幼い。だが、その邪気のないニコニコとした笑顔は、きっと見た通りのものではない。

「……そうだな」

 孫九郎は、頭を撫でようとした手をひっこめた。すでにもう、手を伸ばさなければ届かない身長差だ。 

 この子が衣の下に反逆の刃を持っているとは思わない。

 それは信頼ではなく、火が燃え川の水は流れるのと同様の、世の摂理だ。

 ざっざと規則正しい足音がして、そちらを見ると、黒衣の渋沢隊が足並みをそろえて近づいていた。先頭にいるのは、完全武装の見慣れた男前だ。

「城の門を閉ざしました」

 孫九郎は頷きを返す。

 これで、城内にいるのは今川軍だけだ。

 田丸城は戦時の態勢に入る。

「防衛は井伊殿の指揮に従え。そのほうは大手門の守りに専念しろ」

「……はっ」

 渋沢の顎の下で、黒い組紐が揺れる。それですら美しく見えるのは、この世のバグだな。

 今の季節、誰もが汗臭いのに、あの男の周りだけ薫風が吹いている気がする。

 ……気がするだけだが。

「風呂に入りたい」

 渋沢隊を見送りながら、孫九郎がポツリとそうこぼすと、小姓たちが下を向いて笑った。

 たぶん、気持ちはわかってくれたと思う。


 北畠家との交渉が始まった。

 こちらの交渉人は承菊。相手方は、北畠家家老の坂内右近将監(さかないうこんのしょうげん)殿だ。

 坂内殿は、北畠家の一門衆だそうだ。

 田丸殿の政敵だとか、そんな話も小耳に挟んだが、正確なところはわからない。

 交渉の場には、外宮にほど近い光明寺が選ばれた。

 臨済宗の寺で、承菊とは宗派が同じだ。しかも、古くから北畠家とも縁があるという。

 互いに兵を近づけず、供回りの人数を限ることで話がまとまった。

 孫九郎が加わることは、全方向から却下された。光明寺なら、危険は少ないと思うのだが。

「いいえ。不用心でございます」

 そう言ったのは弥太郎だ。

「忍びが複数、紛れ込んでおります」

 いつものことだろうと返したのだが、弥太郎の表情は珍しく険しかった。

「おそらく、甲賀衆です」

 甲賀? ……それはつまり、六角か?

 六角家が甲賀を支配領域に治めていて、忍びをよく使うというのは、京にいた頃に聞いた。

「承菊は大丈夫なのか?」

「影共を増やしました」

 承菊は僧侶なので、あの男自身が刀や槍を持って身を守るというイメージはない。交渉は井伊殿に任せた方がよかっただろうか。

 コツコツと、脇息を指で叩く。

 孫九郎が考え込んでいると、弥太郎がスッと飲み干した薬湯の湯呑を回収した。

「こちらも増援を呼びたいのですが」

「呼べる増援があるのか。どこかを手薄にはしなくない」

「ここが最も手厚くするべき場所です」

 あまりにも静かな口調だったので、気づかなかった。

 弥太郎の顔に、いつもの笑みがない。

「……それほど多いのか」

「はい。隠す気もないほどに」

 風魔衆は優秀だが、数がいない。いや、一国を守るぐらいなら十分なのだろう。だが、三河遠江駿府に加えて、伊豆相模。そこからさらに甲斐に伊勢志摩。

 人員には限りがある。ない袖は振れない。

 ふと、常に側にいるこの男が、いつ休んでいるんだろうといういつもの疑問に行き当たった。

 ますます忙しくなれば、いつか過労死するのではないか。

 いや弥太郎がいないのは困る。

「甲賀といえば伊賀だな」

 ぽつり、と言葉がこぼれた。

 孫九郎の視線は、揺れる簾の方に向いていたが、弥太郎が無言で固まったのが見えた。

「……何故そうお思いになられたのか、お伺いしても?」

 しばらくして、おそるおそるといった風に尋ねられて、はっと我に返る。

 未来の記憶でそう思った、とは言えない。

 孫九郎は軽く首を振った。

「佐吉を呼べるか」

 まだ清水にいるだろうか。

 あの男は伊賀の忍びだ。立派な伝手だろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
福島勝千代一代記
「春雷記1」
モーニングスターブックスさまより
6月19日発売です

i000000  i000000  i000000  i000000  i1167263
― 新着の感想 ―
甲賀と言えばバジリスクタイムだよなとか言い出すパチンカスじゃなくてよかったw
更新ありがとうございます。 佐吉さん出るの楽しみです。赤目も伊賀でしたっけ?北条は今は甲賀を雇っているんでしたね。 これは全面戦争の予感が。 承菊さんはずっと復讐にしか興味なかったのに、御屋形様…
まあ弥太郎さんからすればビックリしますよね。殆ど接触がないはずの他国の忍び集団に詳しいとか。普通は名前すら知らんものですし。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。