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夏颯記  作者: 槐
駿河編2

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23-8 伊勢 田丸城8

 身体を動かす機会は、意識して作るようにしている。

 せっかく見知らぬ城に来たのだ。あちこち見て回りたいという気持ちもあった。

 散策といっても、本丸曲輪の中だけだ。

 二の丸には北伊勢衆が滞在している。朝から顔を合わせて、面倒な話になるのは御免だった。

 主殿の脇を抜けると、思いのほか風が通った。

 雨が降ったわけでもないのに、土の匂いが濃い。草の青臭さも混じっている。

 孫九郎は歩きながら大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。

 建物の裏手へ回り、土塁へ向かう道に入る。

 途中、歩哨とすれ違い、向こうはすぐにこちらに気づいて姿勢を正した。

 孫九郎は軽く手を上げて応じ、そのまま先へ進む。

 見晴らしのよい場所を見つけ、足を止めた。

 田丸城の標高はそれほど高くないので、遠くまで見渡せるわけではない。

 だが、本丸を中心に広がる複数の曲輪の様子はよく見えた。

 屋根がいくつも重なり、その間を人が行き来している。

 曲輪と曲輪をつなぐ道は、真っすぐではない。

 門へ向かうには一度大きく回り込まなければならず、途中で道の向きも変わる。

 なるほど。外から見た時にも面倒な造りだと思ったが、上から眺めると、いっそうよくわかる。

 攻め込む側は大変だろう。

 孫九郎は振り返り、斜め後ろに立つ承菊を見上げた。

 時々……いや、かなりの割合で腹が立って仕方がない男だが、こいつが無血でこの城を落としたのは間違いない。

 僧形のまま、血を浴びることを厭わぬ男。穏やかな面の下に、恨みと呪いを隠した男。

 使い勝手がいいとは言えないが、間違いなく使いどころは多い。

 そんな承菊が、じっと見られて訝しげに首をかしげる。

 孫九郎は「いやなんでもない」と手を振った。

「それで、話があるのだろう」

 軽く咳払いをする。

「聞こう」

 見上げる僧形の男の顔が、にこりと朗らかに微笑んだ。


 承菊の話は、田丸領の統治についてだった。

 ほっとした。意外とまともな話だった。

 この男の行政能力については疑うまでもないので、当面の対応については任せることにした。

 ただし、今川がいつまでも田丸領を抑えているとは限らない。

 実際に動くのは、地の者を中心にしたほうがいいとは言っておいた。庄屋や、小さな町衆たちのことだ。

 宮川の氾濫で大きな被害が出ているが、田丸城には放出できる米はない。すべてが壊滅したわけではないので、領内で米を回して凌ぐしかない。

 そのあたりは細かな配慮が必要だが、承菊はこういう仕事もそつなくこなす。むしろ弱者に対してはしっかり面倒をみるほうだ。

 大湊からの米も少し回すように伝えよう。困っている者たちに手を差し伸べるのは、田丸を預かる者としての責任だ。……それがいつまでなのかわからなくても。

 承菊は深く頭を下げた。何故かこの時ばかりは、大仰だとは思わなかった。

 そろそろ戻ろうと、話を切り上げようとしたその時。

 孫九郎は二の丸曲輪からこちらを見ている男に気づいた。

「……あの男は」

 承菊も気づいたようで、先ほどまでは少し緩んでいた視線が、鋭く光っている。

「土井、わかるか」

 孫九郎に問われて、側付きの土井は目を細めた。

「山下殿ではないですか?」

 長野殿の配下の山下か。そんな気もするが、この距離ではよくわからない。

 遠目に、山下らしき男が誰かに何かを言われたように振り返った。声を掛けた相手の姿は、建屋の影になって見えない。

 山下らしき男が、こちらに背を向けて手を大きく動かしている。何をやっているんだ?

「あっ」

 土井が声を上げた。理由は孫九郎にもわかった。

 山下が、ふらりとその場で膝をついたのだ。

 何だ? どうした?

 訝しく思いながら見ていると、膝をついた山下の周囲に人が集まり始める。

 尋常な雰囲気ではない。

 身を乗り出している土井を挟んで、孫九郎は承菊と目を見交わした。

 もしかして……襲撃された?


 あっという間に、事態は大ごとになった。

 孫九郎は倍に増えた護衛に囲まれ、本丸の奥に連れて行かれた。

 何が起こったか調べるようにと命じたのは弥太郎にだが、その場には承菊もいて、直接二の丸に様子を見に行ってくれることになった。

 半刻ほどやきもきしながら待って、戻ってきた承菊は渋沢を連れていた。

 この二人が並んで逆光の中に立っていると、死神が来たのかと思うほど背筋が冷える。

 孫九郎は思わず背筋を伸ばし、二人を迎えた。

「どうだった」

「はい」

 孫九郎が問うと、承菊が柔らかい口調で答えた。

「山下殿は深手を負いましたが、まだ生きております」

 “まだ”生きている……か。つまり予断を許さない状況だということだ。

「話は聞けたか」

「長野様がかなりお怒りで、近づくことはできませんでした」

 承菊はそう言って、ちらりと隣の渋沢を見た。

 なんでも、看病に当たっているのが端の女で、その女から怪我の様子などを聞けたらしい。

 ……まあ、だいたい予想できるが、渋沢が聞き出したんだろうな。

 その渋沢は、どうやら女目線では物憂げに見えるらしい表情で、長く息を吐いた。

「意識はありますが、熱に浮かされて要領を得ないようです」

 物憂げというよりも不愛想だが、それはこの状況が気に入らないからだ、というのは長い付き合いでわかる。

「長野殿は、何が起こったか把握しているのか」

「はい」

 承菊は頷いた。

「北畠の間者が紛れ込んでいました」

 それは、国人領主たちの中に北畠殿につく者がいるということか? あるいは城に侵入者がいるのか?

 孫九郎は、静かに部屋に入ってきた弥太郎に目を向けた。

 弥太郎は一礼して、薬湯の入った湯呑を運んできて置いた。

「山下様を殺そうとしたのは、長年長野家に仕えていた下男です。草として潜り込んでいたようです」

 孫九郎は長い息を吐いた。

 いよいよ、面倒なことになってきた。

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― 新着の感想 ―
ついに最新話に追いついてしまいました... 冬厳記から始まる勝千代くんの物語にひきこまれ、 通しで楽しく読ませて頂きました! 続きを楽しみに、日々待ってます...!(o´艸`)
更新ありがとうございます。 長野家の下男なら今川を責められないから、北畠に恨みが向いて国司様に対する遠慮がなくなるのでは? 承菊さんは今回まともな対応…本当に能力は高いんですよね。 夏颯記が完結し…
なんで襲うのが、孫九郎でも長野殿でも落城させた承菊でもない?その山本某は間者を使い潰すのに相応しい獲物なの?日中目撃者が多い中決行した理由は? 気になるとこだらけ
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