23-6 伊勢 田丸城6
初めての城でも、夏の夜は同じだ。
耳をすませば虫の声がして、時折野鳥も鳴く。
風が簾を揺らして、月明かりが細く部屋に差し込んでいる。
孫九郎は、宿直のかすかな気配を感じながら、臥所で目を閉じていた。
先ほどからずっと、承菊の声が頭から離れない。
理路整然と述べられた策に、どこから口を挟めばいいのかわからなかった。
今回、田丸まで兵を進めてきたのは、北畠と敵対する北伊勢の諸家だ。
当然、すべての国人衆が参戦したわけではない。
その中でも注意したいのが梅戸家だ。
北伊勢に勢力を持つこの家は、近江の六角と血縁関係にある。当主同士が兄弟なのだそうだ。
今、長野らは兵を率いて南下している。
当然、本領の守りは手薄になっている。
彼らと敵対している近隣の勢力が、この好機を逃すだろうか。
そしてそれは梅戸家だけではなく、鈴鹿山を隔てた先にいる六角家にも当てはまる。
田丸城に集まっている北伊勢衆は、北畠から領地を切り取るつもりでいる。
だが、北に残してきた領地を六角に脅かされたらどうする?
せっかく奪った土地を捨てて引き返すか。それとも今川に助けを求めるか。
承菊は、後者になると読んでいる。そうなれば、こちらから頭を下げて協力を求める必要はない。向こうから今川を頼ってくるのだから。
つまり、ほとんど労力なく、伊勢の一部を自勢力に引き入れることができる。
承菊の策をまとめると、そういう内容だった。
理屈はわかる。わかるのだが……。そう都合よくいくだろうか。
六角だけではなく、北畠がどう動くかもわからない。
当主は神宮に捕らわれ、田丸城も失った。だが、北畠の軍勢そのものが壊滅したわけではない。多気の本領には、まだ十分に戦える兵がいる。
孫九郎は、暗がりの中でぱちりと目をあけた。
うっすらと天井の模様が見える。明るい夜だ。
静かな夜の気配が漂う中、孫九郎はブルリと身震いした。
――六角と北畠が手を結んだらどうする。
北伊勢衆を挟んで争ってくれるならともかく、両家が今川を共通の敵とみなせば、話はまるで違ってくる。
……冗談ではない。
そもそも伊勢に領地を増やしに来たわけではないのだ。
一条家への余計な介入をやめさせ、それで終わるはずだった。
それがどうして、六角の動向まで気にしなければならなくなったのか。
承菊がそのことを考えていないとは思わない。むしろ孫九郎よりずっと深いところまで計算しているはずだ。
それでもなおこの策をすすめるのなら、あの男の中では上手くいくという勝算があるのだろう。
孫九郎は月明かりが差し込む簾に目を向けた。
風でゆっくりと揺れている。
静かな夜にもかかわらず、頭の中は忙しない。
ずっと、承菊の策について考えている。
「御屋形様」
暗い部屋の隅から声がした。弥太郎だ。
護衛と宿直らが身じろぐ気配がした。
孫九郎は臥所に横たわったまま、そちらを見た。
「田所恭一郎様がおみえです」
「……こんな時刻に?」
「お休みのようなら、明日の朝にすると」
恭一郎は、田丸の城代と話をしていたはずだ。
明日の朝でもいいということは、急を要しはしないが、真夜中に報告をあげたいと思うほど、重要な何かがわかったのだろう。
「夜分に申し訳ございません」
月が差す明るい屋外から声がした。
いつの間にか廊下に黒い影が控えている。
普段よりトーンを落とした小さな声だが、恭一郎だ。
孫九郎は身体を起こした。
「どうした」
「城代の永富二兵衛が、気になる話を」
横になっているときには暑さを感じなかったが、起き上がるとジワリと汗がにじんだ。
恭一郎の影をまとった簾が揺れて、夜風が吹き込む。
「中に」
影が頭を下げる。
するりと室内に入ってきた恭一郎は、当たり前だが昼間と同じ服装だった。
孫九郎よりも年上だが、童顔なのでずっと年若く見える顔が、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「お休みでしたよね」
「真夜中だからな」
お前も寝ないと背が伸びないぞとか、早く寝た方がいいとか言いそうになって、いや仕事をしていたのだと言葉を飲みこむ。
「明日の朝でもよかったのですが、念のために」
孫九郎は頷いた。そうしてくれる方がありがたい。
「申せ」
「はい」
月あかりを背に、恭一郎は背筋を伸ばした。
「北畠家のご嫡男と、六角家の姫君の間で、縁談が進んでいるようです」
宿直の誰かが息を飲む音がした。
「それは確実なことか? ただ進んでいる、というだけのことか?」
「城代の身分では、それ以上のことはわからないようでした」
なんでも、北畠殿のご正室がずいぶんと乗り気で、嫡男が生まれる前から話があったらしい。
「正式な話は、ご嫡男がもう少し大きくなられてからだと思うのですが」
孫九郎は黙って腕組みをした。
ご正室は京兆家の姫君だ。六角家と細川家との関係を考えると、ほとんど決まっていたと言ってもいいのではないか。
俄然、先ほどの危惧が現実性を増してきた。
承菊にもこの情報を共有するべきだな。
静かな野鳥の声が聞こえた。
まだ夜中だと思い出す。
「……起きているかと声を掛けてみろ」
誰にかとは、聞き返されなかった。




