22-5 伊勢 皇大神宮 参道2
うなだれて号泣する山根を見下ろしていると、遮るように二の禰宜殿が前に出た。
武人だと言われても疑わないその体格で、威圧するように睨んでくる。
その、いかにも危険物を遠ざけようとする態度が、神職たちの孫九郎に対する認識なのだろう。
「ここまできて、何も知らぬでは通りませぬ」
孫九郎は、より近くなった二の禰宜殿をじっと見上げた。
「本当に知らぬなら、怠慢」
ひと言ひと言、区切りながら言う。
「知らぬふりをするなら、相応の覚悟を成されよ」
この場に残っていた神職たちは、それなりに肝が据わった者ばかりだろうが、若い武士の傲慢な言い分に怒りを露にしたのは数人だった。
ほとんどが恥じ入るように下を向き、二の禰宜殿の視線を避けている。
二の禰宜殿はそれを見て、なおいっそう顔色を悪くした。
なるほど。本当に何も知らないらしい。
内宮の二の禰宜ともなれば、権威は相当なもののはずだが、これまでどこかに閉じこもっていたか、遠方に出ていたか、政敵に情報を遮断されていたか。
どちらにせよ……遅い。
「お時間を頂けませぬか」
二の禰宜殿が絞り出すような声で言った。
「そのつもりはありませぬ」
孫九郎はきっぱりと断った。
「岩出様をいますぐこちらにお連れ下さい。さもなくば、踏み込ませていただく」
「待たれよ」
「今も待っております」
この間にも、命に障るようなことが起こるかもしれない。これ以上は本当に待てない。
押し問答をしていると、正宮のほうから転がるように走ってくる少年の姿が見えた。
知っている顔だった。岩出様のお付きの子だ。名は知らない。
さっと場の空気が凍った。
孫九郎は腹に力を込めて、最悪の知らせに備えた。
……いや、まだそうと決まったわけではない。
青ざめた顔の少年が、荒い息をつきながら口を開いた。
その時、何かが聞こえた。人の声だと思う。
その場にいた全員が、一斉に正殿のほうを見た。
「……この臭いは」
二の禰宜殿が低い声で言った。
孫九郎は駆けだした。
二の禰宜殿も、他の神職たちも、今川兵も。全員が正殿に向けて全速力で走った。
これは木が燃える匂いだ。
孫九郎は途中で置いて行かれた。いやそもそも、二の禰宜殿はものすごい健脚だった。
かなり引き離されたところで気づく。正宮の奥手から、煙が上がっている。
「あの火を消せ!」
孫九郎は声を張り上げた。
ここは伊勢神宮だぞ。内宮の、神々がおわす神聖な場所だ。間違っても火事で失うわけにはいかない。
神職たちは大勢いたが、青ざめた顔で立ち尽くすばかりだ。
二の禰宜殿の怒声が遠くから聞こえて、なんとか火を止めようとしているのはわかる。
孫九郎のあげた声に反応した今川兵たちが、どんどん追い越していく。
そこかしこで、消火活動が始まる。
藤次郎らが指示を出し、立ち尽くしていた神職たちもㇵッとしたように動き出す。
「御屋形様」
孫九郎は、さらに先に進もうとしたところで、谷に止められた。
わかっている。火事の現場は混乱している。非力な孫九郎がいても役には立たない。
待つようにと言われたのは、正殿から離れた手水舎の脇だった。
煤けた臭いが漂っている。湿った木が燃えた、独特の匂いだ。
神職たちと今川兵の協力の甲斐あって、火は無事消し止められた。
幸いにも、大きな被害にはならなかった。
前日が雨だったので、柱や屋根がまだ湿っていたせいもあるだろう。
正殿は無事だ。
燃えたのは、先生が監禁されていた正宮内の一棟だけだった。
二の禰宜殿の指揮で、これ以上火が燃え広がらないようにと、隣接する棟のひとつが壊された。
思い切った処置だが、それをしていなければ被害は更に広がっていただろう。
「お力添えを頂き、まことにありがとう存じます」
かなりの時間が過ぎ、あたりが暗くなってから、手水舎まで来た二の禰宜殿が深々と頭を下げた。
周囲には明かりがなく、薄い雲で覆われた月明かりだけが光源だ。
孫九郎は、煤で汚れたその顔を見上げ、改めて大事には至らなかったことに安堵した。
「孫九郎殿」
その大きな体格の向こう側から、先生の声がした。
孫九郎はほっとして、ようやく肩の力を抜いた。
途中、ご無事だということは聞いていた。だがこの騒ぎで、その後どうしているかはわからなかったのだ。
「父上は」
先生が真っ先に尋ねてきたのは、祭主様のことだった。
孫九郎はいい返事ができないことに顔をしかめた。
いや、今頃意識が戻っているかもしれない。元気に脇息を投げているかもしれない。
先生は孫九郎の表情を見て、それ以上は問わずに頷いた。
「事情をお伺いしても?」
こちらから改めて問う。このタイミングでの出火は、先生のほうで何かあったに違いないからだ。
先生は暗がりですっと目を伏せた。
「……ここでは言えぬ」
ひそめた声には、苦いものが混じっていた。
「藤波屋敷にお戻りになられますか」
返事は深い溜息だった。
そうだな。いくら祭主様が心配でも、今はまだ戻れないだろう。
孫九郎が知っているのは、この火事の火元は先生が監禁されていた部屋であり、ろうそくを倒したのは、一の禰宜だということだけだ。
正宮=区域・お宮
正殿=天照大御神がおわす中心建物




