22-4 伊勢 皇大神宮 参道1
藤波屋敷からしばらく歩いたところに橋がある。
五十鈴川に架かる宇治橋だ。
そこを渡ると、宇治とは雰囲気ががらりと変わった。
道の左右には垣や塀が途切れ途切れに続き、その奥に神職たちの屋敷が点在している。
さらに進むにつれ、家々は疎らになり、代わって杉の木が目立つようになった。
真っすぐ伸びた道の先に、大きな鳥居が見えてくる。
その向こうが、皇大神宮の宮域だ。
祀られているのは、天照大御神。日本人なら、知らぬ者を探すほうが難しい神だろう。
孫九郎はそのまま歩を進め、鳥居をくぐった。
空気が変わったような気がした。
参道の左右には、空を覆うほどの杉の巨木が立ち並んでいる。
人の一生などとは比べものにならないほど長くこの地に立ち、幾度となく繰り返された争いや政変も、ただ黙って見てきたのだろう。
そう思ったところで、腰に帯びた刀がずしりと重くなった気がした。
ここから先へ、武器を置かずに入る意味はわかっている。
それでも外す気はなかった。
これまでの配慮は脇に置いた。……いや、使い切ったと言った方がいいだろう。
孫九郎は早足に歩を進めた。
やがて、その行く手を塞ぐように、神職たちが並んでいるのが見えた。
険しい表情には、間違いなく拒絶の色がある。
だが、その奥にわずかな怯えも見て取れた。
脅したいわけではない。だが、そうしなければならないときもある。
「ずいぶんと不躾なご訪問でございますな」
中央の男が柔らかな口調で言った。
穏やかな雰囲気の、五十代ほどの男だ。
背が高く肩幅も広いので、高位禰宜らしい身なりが非常に見栄えがする。
今川軍を前にして、にこやかな表情を崩さないことからも、一筋縄ではいかない男だということがわかった。
表面上は、至って穏当な人物に見える。
だが孫九郎は知っている。
いかに“まともな人物”であったとしても、立場によっては敵になるということを。
「岩出様をお迎えに上がりました」
孫九郎は負けじとニコリと笑顔を返した。
「祭主様に対する狼藉の件についても、こちらにご報告をした方が良いかと存じまして」
ほんのわずかにだが、男が怯むのを感じた。
知らなかったからか。孫九郎が“狼藉”と言ってくるとは思わなかったからか。
「祭主様が、内宮の禰宜お二方に突き飛ばされ、頭部に怪我をなさいました」
「今川治部殿」
男は止めようとしたのだと思う。
だが孫九郎は続けた。
「いまだ意識が戻らず。奥方様もたいそうご心配なさっておられます」
ざわり……と、神職たちの狼狽が伝わってきた。
「岩出様も昨日より戻らぬとお聞きしております。よもや拘束しているのではないでしょうな」
「お待ちを。何を言うておられる」
孫九郎は自然な仕草で刀に手を置いた。大げさな動きをしたわけではない。
だが神職たちはいっせいに、ジリリと後ずさった。
男が慌てたように手を上げる。
「治部大輔殿。何か行き違いがあるのではないか」
「下がられよ」
孫九郎は穏やかに言った。
「あるいはここに、岩出様をお連れしてください」
男はなおも何かを言おうとしたが、数回動いた唇は結局言葉を刻まなかった。
孫九郎は頷いて、柄に手を置いたまま一歩踏み出した。
後ろから、今川兵たちの足音が続く。
数歩ほど進んだところで、神職の一部が逃げ出した。
だが、目の前の男と、主要な者たちはその場にとどまった。
距離が近づく。
その禰宜は背が高く、孫九郎の目線はかなり上のほうを向いた。
「内宮を穢すような事はしとうありませぬ」
いくらか声を抑えてそう言うと、男の形の良い眉がぎゅっと寄った。
「……脅されるか」
「配慮はしております」
この場で穏便に話をしているだけでも、十分な“配慮”だ。
孫九郎は続けた。
「禰宜であろうが所詮は人。野心を持つことが悪いとは申しませぬ」
「なにを」
「ただ、ことが成らなかったときの覚悟はなさるべきだ」
男が鋭く息を吸った。
目を見開いて、改めて何かに気づいたような表情をした。
はっとしたように左右を見て、数を減らした神職たちを、そして改めて孫九郎を見下ろす。
「北畠は助けに来ませぬ」
とどめのその言葉に、男の呼吸が乱れた。激しく瞬きをして、動揺を隠そうとしている。
「……待たれよ」
男はひとつ大きく息を吸った。
「何がどうなっているのですか」
孫九郎は首を傾けた。
不意に、この男が本当に何も知らないのではないかと思ったからだ。……そんなはずはない。
「御神に首を垂れるのに否はない。ただその威を借りて、神宮を己が手に掴もうとするのは目にあまる」
孫九郎の少し声を張ったその言葉に、誰かが小さく悲鳴のような声を上げた。
それはまだ若い神職だった。
顔色が真っ青で、唇を震わせている。
何かを知っている。初対面でもそうとわかる反応だ。
「……そんな、そんなことは」
「山根。何か知っているのか」
山根と呼ばれた神職は、ゴクリと唾を飲んだ。
尖った喉ぼとけが上下に動き、真っ青な唇を震わせながら湿らせる。
「二の禰宜様。どうかご堪忍を」
山根はそう言って、その場で膝を折った。




