22-3 伊勢 宇治 藤波本邸2-2
祭主様の見舞いにはいかなかった。
行けば、余計に怒りが湧き上がるとわかっていたからだ。
ただ先生の奥方にはお会いして、屋敷内に兵を増やす許可を得た。公家の屋敷だからと遠慮して、馬への細工のような余計なことを、またされてはたまらない。
ちなみに先生のご嫡男は内宮で神職の修行中だそうだ。先生にも神職の位はある。それはいずれ祭主職を引き継いでいくためだ。
今回はそれが、付け入られる隙になった。
「岩出様と……ご子息ですか」
藤次郎が苦い表情をする。
奥方に聞いて初めてそのことを思い出した時点で、すでに後手だ。
だが別の言い方をすれば、内宮の神職にも味方がいるはずだ。
先生と、まだ会ったことのないご子息との間に隔意がなければ、そう乱暴なことにはなっていないかもしれない。
「ご子息の立場からすれば、今川軍が藤波屋敷を占領し、禰宜様の何人かを拘束し、祭主様の身柄も押さたと考えてもおかしくはありませんね」
やめてくれ。自覚はある。
藤波禰宜が突出しただけで、ほかは穏便に考えてくれる禰宜たちであってほしい。
孫九郎は溜息をついた。
そのあたりは東雲に対処を頼んだ方がよさそうだ。
あの男の気質は知っている。孫九郎の行動を悪くは取らないはずだし、孫九郎が乗り込むより早く内宮の状況を把握できる。
「東雲殿を呼び戻すか」
まだ日も高い。夜までには戻ってきてくれるだろう。
「御屋形様」
藤次郎が居住まいを正した。
「慎重になられるお気持ちはわかりますが、機を逸すれば何が起こるかわかりませぬ」
孫九郎ははっとして、藤次郎を見た。
上に立つ者が軽々しく動くわけにはいかない。たったひとつの間違いで、大勢の命が失われるかもしれないからだ。
だが同時に、慎重すぎて後手に回って、取り返しのつかないことになる恐れは常にあった。
「……今更か」
「はい今更にございます」
孫九郎は苦笑した。
この男こそが、常に慎重に物事を見るタイプだった。そんな藤次郎に言われるとは。
確かに、今更躊躇しても仕方がない。
今川家がこの場でもっとも大きな力を持ち、その気になれば神職全員の首さえ切れる立場にあることは確かなのだ。
そのアドバンテージがあるうちに、動くべきだ。
「屋敷に百残す。残りで内宮に向かう。支度を」
「すでにできております」
孫九郎はまじまじと、藤次郎を見上げた。
昔は誰が見ても優しげな好青年だったが、今はそこに、一本芯が通っている。
悪名など恐れない。確かにそれこそが、今の孫九郎に必要なマインドだろう。
「……わかった」
孫九郎は頷いた。
西対に戻る予定だったが、やめた。休憩などしている暇はない。
すぐにも動く。
目指すは、内宮だ。
藤波屋敷を出たところで、恭一郎の帰参が告げられた。
「御屋形様!」
にっこにこのその表情を見て、うまくいったのだと察する。
その結果も気になるが、肝心の北畠殿はどうしたのかと問うと、やってきた鶸に差し出したとのことだ。それでいい。
「歩きながら聞く」
「はい!」
恭一郎は元気に歩きながら、報告を始めた。
まったく声を潜めなかったので、周囲には丸聞こえだが構わない。
話によると、北畠殿と直接つながっているのは細川だった。細川京兆家。
それはそうだろう。正室をそこから娶っている。
ちらりと脳裏を過ったのは、三好殿の顔だ。
今の京兆家の当主は、三好殿が長く扶育していた若者だと聞いている。
あの男の仕込みか? あるいは、細川京兆家の内部には、根強い今川家への遺恨があるのかもしれない。
かつての三河侵攻は、それだけの恨みが残ってもおかしくない戦だった。
「大内の話は出なかったのか」
「出ました」
問うと、明朗な返答。
「ついでに、六角の名前も」
恭一郎の声は弾むようで、顔にも笑みがあるから、最初はわからなかった。
その笑顔の裏側に、怒りがある。
はっきりと伝わるその感情に、孫九郎のほうが怯んだ。
「今川家は大きくなりすぎたそうですよ」
まだ少年らしさを残す高い声はよく通り、周囲からの視線がこちらに向いた。
「御屋形様が邪魔だそうです」
「……そうか」
細川京兆家は、西の大国、大内家と組んだ。
このぶんだと六角家だけではなく、畿内の多くも今川家を敵とみなしているのだろう。
大内家は京における権威と、さらなる領地拡大を求めている。
細川京兆家はその援助を受けながら、かつての権勢を取り戻そうとしている。
六角家をはじめ畿内の勢力は、その波に乗ろうという算段か。
図式はわかった。
彼らにとって、東の大国である今川家は共通の敵というところだろう。
北畠殿が承菊の名を出し、今川家を貶めようとした件については、過去の因縁があるのだろうと予想していた。
だがやはり、それだけではない。
今川家に対抗する勢力が、手を組み始めている。
予想しなかったことではない。
幕府そのものが今川家を叩こうとしているのだ。
大内が一条家の乗っ取りを仕掛けているのも、長年の仕込みではあるのだろう。だが、一条家が孫九郎と親しいと知って、一気に計画を進めたのではないか。
村上家追討の御内書が山内上杉家に届いたのも、もしかすると……
あれだけ喋っていた恭一郎が、いつのまにか口を閉ざしている。
孫九郎は黙って歩き続けた。
険しい表情になっているのは自分でもわかる。
ジワリと胸に湧き起こっていたのは、世を敵に回す恐怖ではない。怒りでもない。
いうなれば……武者震いか。
一条家と愛姫については、ここでは話せないです
恭一郎もそのあたりはわきまえています




