22-2 伊勢 宇治 藤波本邸2-1
藤波屋敷の外観そのものは、何の変りもなかった。北畠の襲撃のあとを、応急処置的に直されているだけだ。
今川軍が周囲を囲っている。兵の数は十分。
目の前で、無傷の正門がギギギと重い音を立てながら開く。
孫九郎は黙って歩を進めた。
その前後を護衛達が固め、藤次郎と土井と幸松と、そのほか小小姓たちも続き。村井を筆頭に、屋敷を囲っていた兵たちの一部も中に踏み込んだ。
ジリジリと、藤波家の家人たちが後ずさる。
内側からの抵抗はなかった。
いや、止めろと言われていたとしても、険しい表情の今川勢を押しとどめることはできなかっただろう。
無言のまま、さらに奥へと突き進む。
東対の横を通り、池を迂回し、その間にも家人がいたが、誰も何も言わずに道をあけた。
近づくと、主殿から神職たちが現れた。
人数は予想していたよりも多い。
中には体格が良い者も混じっているが、その手に武器はない。
「と、とうとう本性を現したな!」
軒先まで出てきた禰宜らしき男が声を張る。
孫九郎は無言のまま歩を進めた。
階に足を掛ける。少し考えて、足を戻して草履を脱ぐ。
すたすたと階段を上がると、高位神職たちはいつの間にか広間の奥まで引いていた。
孫九郎はぐるりと周囲を見回した。
「祭主様はどちらに」
威勢よく声を上げた禰宜も、そのほかの誰も、その問いには答えなかった。
見たところこの場にはいない。北奥か離れだろう。
「では、祭主様を手にかけようとした禰宜殿は?」
「てっ、手にかけようなどと!」
下座のほうにいた若手の禰宜が声を上げた。
孫九郎の真正面からの視線を浴びて、その禰宜はみるみる間に顔色を悪くした。
内宮にも外宮にも、禰宜は十人ずついるという。皆、代々禰宜を出す家の者で、内宮の禰宜は皆同じ荒木田一族だと聞く。
もちろん全員が意見を等しくするとは思わない。ただ、古くから続く一族にはどこにも、同調圧力というものがある。外宮だけではなく、内宮の禰宜たちにもそれはあるようだ。
「階から突き飛ばされ落ちたと聞きましたが」
「違う!」
じっと見ていると、必死で首を横に振る若手の禰宜と、その隣にいる十歳ほど年上の禰宜が顔を俯けた。
「治部大輔殿、そのように踏み込み我らを脅すとはいったいどのようなおつもりか」
先ほど孫九郎に向かって、「本性を現したな」と指を突き付けた禰宜が、取り繕った声色で言った。
この男は知っている。ずっと祭主様に頭が上がらない様子だった藤波禰宜だ。
藤波といっても、祭主様や先生の家門、公家半家の藤波家とは血筋からして違う。こちらは荒木田の藤波家だ。
同じ藤波だから、藤波屋敷の差配をするつもりか。あるいは武家の小僧だから事情を知らず、同じ藤波なら祭主家の身内だとでも思うと考えたか。
孫九郎は薄く笑った。
「脅す?」
武家が本気で脅すとどういうことになるのか、わかっていないようだ。
「こちらこそ、祭主様を害そうとは大それたことを考える」
違う、と否定しようとしたのだと思う。
だが孫九郎はその先を言わせなかった。
すっと腰の扇子を抜き、まっすぐ藤波禰宜に突き付けた。
「おのおの方、祭主様の意識が戻られるまで謹慎なされよ。沙汰は岩出様がなさるだろう」
藤波禰宜は真っ青になった。藤波禰宜だけではない、この場にいた四人の禰宜全員がだ。
孫九郎はさっと扇子を振った。同時に、背後からお行儀よく草履を脱いで上がっていた者たちが一斉に前に出た。
神職たちが息を飲み、身をこわばらせる。
「こ、ここをどこだとっ!」
「祭主家のお屋敷ですね。祭主様が害され、意識のない状態です。非常時故にこの治部大輔が預かります」
「そのようなことがまかり通ると思うておるのか!」
柱まで後ずさり、真っ青になった藤波禰宜が悲鳴のような声を上げた。
孫九郎は突き付けた扇子をパチリと鳴らした。
「祭主様を害した者に言われとうない」
その声は、静まり返った広間によく響いた。
禰宜たちの威勢の良さは長く続かなかった。
荒くれ者の猪武者たちが威圧すれば、臆して何も言えなくなった。
千年続く禰宜の血筋に生まれついた者たちだ。こういった荒事にとんと無縁に生きてきたのだろう。
「藤次郎」
「はい」
「祭主様が害されたと何度言った?」
「……五度ほどでしょうか」
孫九郎は小さく頷いた。意図的に何度も「祭主様を害した」と言い続けたお陰で、神宮の禰宜を捕えろという命令に躊躇する者はいなかった。
様子を見ていた他の神職や、藤波家の家人たちも同様だ。
神職がどう考えるかは定かではないが、藤波屋敷の家人たちが、祭主様を害した相手に厳しい目を向けるのは確実だ。
禰宜たちがそれぞれ別の部屋に連れて行かれ、広間が一気に閑散となった。
孫九郎は最後のひとりが見えなくなるまで見送って、ようやくほっと肩の力を抜いた。
「祭主様は?」
「離れです」
孫九郎の問いかけに答えたのは村井だ。
「先生は内宮に向かったのだな?」
「はい」
孫九郎は顔を顰めた。
祭主様の嫡男である先生も、もしかすると危ないかもしれない。
何事もなく無事ならいいのだ。だが、夕べから戻っていないということは……あまりいい予感はしない。
「弥太郎」
「はい」
今の今まで気配がなかった弥太郎が返事をした。
確実に、宇治に戻るころにはいなかった。いつ戻ったのかなど、聞くだけ無駄だ。
「先生の様子を見てきてくれ」
弥太郎が一礼して去り、孫九郎は長く息を吐いてその場に腰を下ろした。
胡坐をかき、額を擦る。
覚悟を決めなければならない。
場合によっては、内宮に兵を送り込む必要が出てくる。




