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夏颯記  作者: 槐
駿河編2

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185/214

21-6 伊勢 山田近くの高台2

 そろそろ日が西に傾く頃、北畠殿を捕えたという知らせが届いた。

 本人は泥まみれで、同行していた兵たちにも多大な被害が出ており、正直、捕えたというより保護したといった方が近い。

 潜伏していた場所が大水に削られ、そこへ上流から木が流れてきたらしい。

 その場に恭一郎を含む今川軍が到着し、救助に当たったのだが、崩落しつつある岸の岩にしがみついて「助けてくれ!」と悲鳴を上げるさまは、少々見苦しいものがあったとか。

 ……いや、誰がそう口にしたわけでもない。

 報告に来た田所の家臣が、そんな顔をしていただけだ。

 だが、そういう空気は伝わるものだ。

 孫九郎は眉間に入りそうになる力を緩め、急使をねぎらった。

 恭一郎は、念のために周辺を調べるとかで、現地に残っている。

 手はず通り、尋問に入ったのだろう。

「御屋形様はこちらでお待ちを」

 立ち上がろうとした孫九郎を、藤次郎が制した。

「恭一郎もわかっております」

 プロに任せろという意見を、素直に受け取り、床几に座り直した。

 様子を見るだけのつもりだったが、孫九郎が出て行けば、逆に意固地になってうまく聞き出せないかもしれない。

「御屋形様、上部禰宜さまがいらしております」

 次郎三郎が駆け寄ってきて、来客を告げる。

 ここは今川軍の本陣だが、戦の時のような本格的な構えはしていない。

 戦場なら周囲を陣幕で囲い、外には旗や幟がずらりと並ぶ。大将のいる場所には馬印を立て、出入口を兵が固め、槍や弓がすぐ手に取れるよう並べられる。伝令が駆け込み、物見が戻り、軍議に呼ばれた武将たちが絶えず出入りする。

 だが今は旗を数本立てて、ここが今川の陣だとわかる程度だった。

 陣幕がないからこそ、上部禰宜が近づいてくる様子がよく見える。

 禰宜殿の一団は、あわてず騒がず落ち着いた足取りだった。いやこんな時だからこそ、慌てる様子を見せたくないのだろう。

 一団の最後尾には東雲。相変わらずの白装束が、まだ強い日差しを受けて輝いている。

「治部大輔殿」

 上部禰宜は孫九郎の前に立ち、これまでにないほど丁寧な所作で頭を下げた。

 続く供の者たちも、深々と礼をとっていく。

 数秒の間、彼らの下げた頭をじっと見た。長い礼だ。

 最後尾の東雲と目が合って、孫九郎は小さく頷き返した。

「頭をお上げください」

「この度は、山田の者への甚大なご配慮、まことにありがたく」

「禰宜殿」

 孫九郎が声を掛けてもなお、上部禰宜は頭を下げ続けた。

 遠くからの視線を感じる。山田の町の人々が、じっとこちらを見ている。

「宮川は暴れ川だと聞いておりました故、心配になっただけですよ」

 しばらくしてようやく頭を上げた上部禰宜が、孫九郎を見て小さく頷く。

「今朝がたはまだ、ここまで水嵩が増すようには見えなかったのですが」

「上流のほうで雨が続いていたのかもしれません」

 北畠殿は流木に危うく押しつぶされそうだったと聞いた。どこかで崖崩れでも起きたのだろう。

 本当に、この時代の川は恐ろしい。

「外宮のほうには被害がないようですね」

「ありがたいことでございます」

 会話は続いている。だが上部禰宜が、何かを言おうと言葉を選んでいるのがわかる。

 孫九郎は気づいていたが、あえてそこには触れなかった。

「藤若殿とその乳母をお助け下されたことも」

「たまたまの巡りあわせです」

「渡会本家の後継ぎです」

 ぴたり、と会話が途切れた。

 孫九郎は開きかけた口を閉じ、正面に立つ上部禰宜を見た。

「……決まったのですね」

「はい」

 渡会家の嫡男は廃嫡か。父親も責任を負わされるだろう。ということは、あの子が次の一の禰宜か? 利発な子だが、幼すぎる。

「藤若殿は、二の禰宜様が養子として引き取ることが決まりました」

 一の禰宜の位は、渡会家ではなく別の者が預かることになったそうだ。藤若を渡会の後継ぎと言ったところを見ると、家門は存続するのだろう。

 落としどころとしては、そんなものか。

「治部大輔殿」

 改めて、上部禰宜が背筋を伸ばした。

 来るな……と思ったので、孫九郎は反射的に微笑みを返した。

「はい、何か?」

 上部禰宜はそれを見て言葉に詰まった。

 こてりと小首をかしげると、さらにもっと逡巡する。

「……北畠様のことですが」

 とうとう切り出したが、先が続かなかった。

 やはりそれが本題かと思いながら、孫九郎は愛想よく頷いた。

「山田におられたとは聞いております。ですが、出会っておりませぬ」

「……まことにございますか」

 本当だとも。孫九郎は(・・・・)会っていない。

「まさか川を渡ったのでしょうか」

 上部禰宜が青ざめた顔で宮川に目を向けた。まだ茶色く濁った水が荒々しい流れをみせている。この状態の暴れ川を渡るのは、自殺行為だ。

「今川軍から逃れようと……」

「自軍と合流しようとなさったのかもしれませぬ」

 孫九郎は北畠殿の名誉のために、ささやかな貢献をした。

 実際のところは泥まみれになり、危うく流木とともに川に吞まれるところだったが、それを上部禰宜に伝える必要はない。

「あるいは、まだ町におられるのやも」

 そう言い終わったところで、東雲と目が合った。

 孫九郎は気づかなかった振りをして、上部禰宜に視線を戻した。

 ……この分だと、長く秘密にしておくことはできなさそうだ。

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― 新着の感想 ―
多分、設定が崩れてるって、ルビ表示の設定のことですよ〜(修正済)
外宮の人たちがまだ北畠をかばおうとしないといいけど
>「山田におられたとは聞いております。ですが、出会っておりませぬ」 >「……まことにございますか」 >本当だとも。孫九郎は会っていない。 文脈を読めば何もおかしくないです。 以前会ったかどうかを聞か…
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