20-4 伊勢 宇治 藤波本邸20 厨
内宮の話し合いは続いている。
重鎮らしき十名ほどが、額を突き合わせて相談し始めて、二日目になる。
なかなか決着がつかない。
それもそうだ。彼らは内宮の神職であり、これまで荒事に直接対応する必要などなかったのだ。
孫九郎は他人事のようにそんなことを考えながら、難しい顔をして主殿に出入りする神職たちを見ていた。
庭歩きも飽きてきて、西対に引き返そうと再び歩き始めてしばらく。
「孫九郎殿」
呼び止められて振り返る。東雲だ。
いつものように白々とした装束だが、どこかくたびれて見える。
目の下に隈。髪も普段より乱れている。
「……お疲れですね」
「そうやな」
東雲は否定せず、ひと息ついた。
「厠に行く間もないわ」
「徹夜ですか?」
「……孫九郎殿はよう眠れたようやな」
孫九郎は真顔で「いいえそんな」と否定しておいた。
さわやかな朝だと感じているなど、おくびにも出さない。
「祭主様はどうされていますか? 皆さま、なにかお口に入れられた方がよろしいのでは」
東雲の返事は溜息だった。
そんな気にはなれないと言いたいのかもしれない。
孫九郎は少し考えてから、東雲の腕を引いた。
何だと言う顔をされたが構わず、厨のほうに向かう。
土間があって、大勢が忙しそうに出入りしている。
そのほとんどが、今川軍の勝手方だ。
「こちらへどうぞ」
厨の片隅にある小さな板間に座らせて、孫九郎自身も隣りに腰かけた。
あえて、もてなそうとはしない。
目の前では、米を炊く釜から湯気が立つ。ものすごいスピードで米が握られ、山積みになっていく。
これは屋敷内にいる今川兵用の朝飯だ。
握り飯と梅干。座る時間がある者にだけ汁物がつく。
「少しでも食べてから戻ってください」
東雲は、小さな皿にのって出てきた巨大な握り飯をまじまじと見下ろした。
箸がいったかなと心配してきたところで、東雲の手が握り飯を掴んだ。
ためらいなく頬張り、もぐもぐと口が動く。
「……うまい」
「食わねば頭が回りませぬ」
孫九郎も頷き、東雲に渡されたものより小ぶりな握り飯に手を伸ばした。
味噌をつけていない代わりに、塩味の利いた握り飯だ。
梅干しもあるのに塩分が多すぎるというのは令和の感性で、顔を顰めたくなるほど何でも塩辛いのはこの時代のスタンダードだ。
東雲は巨大な握り飯をぺろりと平らげた。もう一個勧めてみたが、それよりも汁物が欲しいという。調理をしていた者がさっと椀に熱い味噌汁をついだ。わかめの味噌汁だ。こちらも塩の味が強い。
「……様子を聞きたいのやないか」
一息ついてからそう問われ、孫九郎は口の中のものを飲み込んでから首を傾けた。
探るつもりで連れてきたわけではない。
疲れ切っている男を放っておけなかっただけだ。
「いえ、何が起ころうとも対処できます」
東雲の目が、ふっと和らいだ。手のひらを膝のあたりで左右に振る。
「昔はこないに……こまかった童子がなぁ」
「さすがにそんなに小さくは……たぶん」
途中で自信がなくなって、いやそんなはずはないと顔を顰める。
「……これから大きくなりますので」
「うん、そうやな」
微笑まし気に見るのはやめて欲しい。
「父上は強硬姿勢や」
ふっと、東雲は言った。
「周りが合意せえへんのは、半分ぐらいは内宮のもんも北畠の息がかかっとるからや」
孫九郎は残りの握り飯を手に乗せたまま、その言葉の意味を咀嚼した。
祭主様は、外宮と北畠が内密に結ぶことを許すおつもりはない。更に内宮にも影響力が及んでいるとなれば、なおのことお怒りだろう。
だが、合意がないと方針すら決まらないとは思わなかった。
権威はあっても、武家のようにトップダウンで命令が通るわけではないということだ。
「それは、さぞお困りでしょう」
「困っとるというか……」
「力になれることがあれば何でも仰ってください」
孫九郎の何気ない返答に、東雲はぎょっとしたように目を見開いた。
「……なんや今、恐ろしいことを言うたな」
「はい?」
ブルリと身震いし、「いいや」と首を振る東雲を見ても、孫九郎には何のことやらわからない。
東雲はしばらく腕をこすりながら黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「言葉は選ばなあかん」
今川家当主の“何でも”は、たいていの者にとって重いのだそうだ。
いや、孫九郎だって無条件で何でもすると言っているわけではない。当たり前だ。
東雲はまだ腕をこすりながら、普段の彼の穏やかな表情で笑った。
「せやけど、少し気が楽になったわ」
「腹が満たされれば、気持ちも落ち着きます」
「……そうやな」
東雲は気を取り直したように立ち上がった。
そして何を思ったか、厨からどんどん運ばれて行く握り飯を、個別にいくつか包ませる。
「先生と祭主様にですか?」
「いいや」
振り返って孫九郎を見下ろした東雲は、悪戯っぽく口角をあげ、「ふふふ」と含み笑った。
「眉間に皺寄せてる連中の前で食うてやる」
……絶対に叱られるだろそれ。
東雲は目ざとく漬物を見つけて、笹包みの中に入れさせた。
まあ何にせよ、多少は元気が回復したようでよかった。
厠=トイレ
厨=台所
たぶんみなさんご存知だと思いますけど、漢字が似ているので一応




