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夏颯記  作者: 槐
駿河編2

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172/215

20-2 伊勢 宇治 藤波本邸18 西対3-2

 近づいてくる男を、足を投げ出して座ったまま迎えた。

 数人の供を引き連れ、庭を横切ってくる。その足取りは滑らかで乱れなかった。

 まず目についたのは、真夏の日差しを浴びてもなお濃い鈍色の狩衣だ。

 年齢は四十半ばほどだろう。中肉中背で、これといって目を引く風貌ではない。

 だからだろうか。隙なく整えられた身なりのほうに目がいった。

 白い襟元の重なりは幅まできっちりと揃い、装束には目につく皺ひとつない。

 後ろに続いていた者たちが、少し離れたところで足を止めた。

 上部禰宜だけが、さらに数歩こちらへ近づいてくる。

 護衛が警戒しない程度の距離をあけて、正対した。

 廊下の高さのぶん、孫九郎の視線のほうが上にある。

「今川治部大輔様でございましょうか」

 問う声は高くもなく低くもない。言葉には、このあたりでよく耳にする地訛りがあった。京訛りとは違うアクセントだ。

「上部禰宜殿」

 孫九郎はにっこりと笑い、まくり上げられた腕を上げた。

「暑いのに大変ですね」

 上部禰宜の視線が、ほんの一瞬こちらの腕に落ちた。

 まだ年若い少年が精いっぱいの笑顔を浮かべたのに、返ってきたのは不穏な表情だ。

 孫九郎は、何か怒らせるようなことを言ったかな、と首をかしげる。

「祭主様とのお話は終わりましたか」

 終わったわけがないのはわかっている。簡単に片が付くようなものではないからだ。

 上部禰宜はすぐには答えなかった。

 しばらくして、その表情から険が抜ける。

 それは心情の変化というよりも、表情を取り繕ったのだろう。

「治部大輔様は、此度のことをどのようにお考えでしょうか」

 唐突に突き付けられた問いかけは強く、表情の平淡さからはかけ離れていた。

 そこに若輩者を見下すような色はない。少なくとも、そんな気配は匂わせない。

 だが、隠そうとしても隠しきれない警戒心が垣間見える。

 孫九郎はしばらくじっと、そんな上部禰宜の顔を見つめた。

 今川軍がここにいること自体を快く思わないのはわかる。

 だが上部禰宜から感じ取れるのは、そんな感情論めいたものではなかった。

 孫九郎は手にしていた扇子を膝の上で弄びながら、口を開いた。

「いろいろと難しいこともありますが、穏便に済むように願っています」

 上部禰宜の眉間がピクリと動く。

「北畠殿は、どうやら事を荒立てたいようですが」

「そんなことは……」

 そこで言葉が途切れた。

 上部禰宜は、「ない」とは言わなかった。

 孫九郎は頷き、手に持っていた無地の扇子を口元に当てた。

「小耳にはさんだのですが、渡会禰宜のご嫡男と、北畠家の姫君との縁談が決まったそうですね」

 注意深く見ていたので、上部禰宜が驚愕したのがわかった。

 わずかに目が見開かれ、すぐに元の表情に戻る。

 それが寝耳に水だったからか、こちらに知られていることへの驚きなのか、はっきりとはわからなかった。

「この秋にと聞いております」

 もう一押しすると、ぐっと顎が食いしばられる。

 後ろに控えるお付きの者たちのほうが、わかりやすかった。表情が強張り、ある者は顔色を無くしている。

 孫九郎はそんな彼らをちらりと見た。

「……申し訳ありません。まだ内々のお話でしたか?」

 誰も口を開こうとはしない。こちらの視線を避けるように、ただ黙ってその場に控えている。

 上部禰宜は返事をしなかった。

 だが、否定もしなかった。


 その後は、互いに当たり障りのない言葉を交わした。

 上部禰宜の返答は、どこかうわの空だった。別のことで頭がいっぱいなのかもしれない。

 それでも肝心なところでは尻尾をつかませないあたり、できる男なのだろう。

 しばらくして、表面上は丁寧なあいさつをして、上部禰宜たちは去って行く。

 最後、「お尋ねの件につきましては、いったん持ち帰らせていただきます」と言ったのは、非常に苦しそうだった。

 来たときと同じく、供を従えて庭を横切っていく。

 内心はどうであれ、足取りには最後まで乱れがなかった。

「御屋形様」

 その背中が遠ざかっているのを見送っていると、庭先から近づいてきた土井が声を掛けてきた。

 夕べから人を出して、宮川沿いを見回らせていた。

 何かあったか。

 目をやった先には、土井だけでなく幸松もいた。

 真面目腐った表情で、一人前に片膝をついて地面を見ている。

「よろしいでしょうか」

 一瞬、手元にある真桑瓜を食わせてやろうかと迷った。

 いや今は仕事中だと意識を土井に戻す。

「どうした」

「吉田の町の門が開きました」

 報告の意味を飲み込むまでに、瞬きを数回。

 顔を顰める。

「相手は」

「北畠家の旗を持っておりました」

 孫九郎は視線を、遠ざかっていく上部禰宜の背中に戻した。

 あの男はこのことを知っているのだろうか。

 少し考えて、首を振る。追いかけて尋ねても「持ち帰って確認する」と返ってくるだけだろう。

 北畠軍を拒んでいたはずの外宮で、一の禰宜も三の禰宜も不在の今、これまでとは違う動きがあった。誰の判断かはわからない。

 よくない流れだ。

 だが相手が動いたのなら、こちらも対応を考えなければならない。

 孫九郎はぶら下げていた足を引き上げ、立ち上がった。

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― 新着の感想 ―
『まだ年若い少年が精いっぱいの笑顔を浮かべたのに』それが通ったのは、ちんまいラブな村上軍だけではなかろうか。少年擬態に自信がある御屋形様、かわよ。4つ下の妹よりもちんまいとはいえ、流石に御屋形様は「あ…
残った真桑瓜を美味しく頂いたのは誰なのか気になる
御屋形様、年齢的にも無邪気な子供はもう無理なんじゃあないでしょうかw
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