20-2 伊勢 宇治 藤波本邸18 西対3-2
近づいてくる男を、足を投げ出して座ったまま迎えた。
数人の供を引き連れ、庭を横切ってくる。その足取りは滑らかで乱れなかった。
まず目についたのは、真夏の日差しを浴びてもなお濃い鈍色の狩衣だ。
年齢は四十半ばほどだろう。中肉中背で、これといって目を引く風貌ではない。
だからだろうか。隙なく整えられた身なりのほうに目がいった。
白い襟元の重なりは幅まできっちりと揃い、装束には目につく皺ひとつない。
後ろに続いていた者たちが、少し離れたところで足を止めた。
上部禰宜だけが、さらに数歩こちらへ近づいてくる。
護衛が警戒しない程度の距離をあけて、正対した。
廊下の高さのぶん、孫九郎の視線のほうが上にある。
「今川治部大輔様でございましょうか」
問う声は高くもなく低くもない。言葉には、このあたりでよく耳にする地訛りがあった。京訛りとは違うアクセントだ。
「上部禰宜殿」
孫九郎はにっこりと笑い、まくり上げられた腕を上げた。
「暑いのに大変ですね」
上部禰宜の視線が、ほんの一瞬こちらの腕に落ちた。
まだ年若い少年が精いっぱいの笑顔を浮かべたのに、返ってきたのは不穏な表情だ。
孫九郎は、何か怒らせるようなことを言ったかな、と首をかしげる。
「祭主様とのお話は終わりましたか」
終わったわけがないのはわかっている。簡単に片が付くようなものではないからだ。
上部禰宜はすぐには答えなかった。
しばらくして、その表情から険が抜ける。
それは心情の変化というよりも、表情を取り繕ったのだろう。
「治部大輔様は、此度のことをどのようにお考えでしょうか」
唐突に突き付けられた問いかけは強く、表情の平淡さからはかけ離れていた。
そこに若輩者を見下すような色はない。少なくとも、そんな気配は匂わせない。
だが、隠そうとしても隠しきれない警戒心が垣間見える。
孫九郎はしばらくじっと、そんな上部禰宜の顔を見つめた。
今川軍がここにいること自体を快く思わないのはわかる。
だが上部禰宜から感じ取れるのは、そんな感情論めいたものではなかった。
孫九郎は手にしていた扇子を膝の上で弄びながら、口を開いた。
「いろいろと難しいこともありますが、穏便に済むように願っています」
上部禰宜の眉間がピクリと動く。
「北畠殿は、どうやら事を荒立てたいようですが」
「そんなことは……」
そこで言葉が途切れた。
上部禰宜は、「ない」とは言わなかった。
孫九郎は頷き、手に持っていた無地の扇子を口元に当てた。
「小耳にはさんだのですが、渡会禰宜のご嫡男と、北畠家の姫君との縁談が決まったそうですね」
注意深く見ていたので、上部禰宜が驚愕したのがわかった。
わずかに目が見開かれ、すぐに元の表情に戻る。
それが寝耳に水だったからか、こちらに知られていることへの驚きなのか、はっきりとはわからなかった。
「この秋にと聞いております」
もう一押しすると、ぐっと顎が食いしばられる。
後ろに控えるお付きの者たちのほうが、わかりやすかった。表情が強張り、ある者は顔色を無くしている。
孫九郎はそんな彼らをちらりと見た。
「……申し訳ありません。まだ内々のお話でしたか?」
誰も口を開こうとはしない。こちらの視線を避けるように、ただ黙ってその場に控えている。
上部禰宜は返事をしなかった。
だが、否定もしなかった。
その後は、互いに当たり障りのない言葉を交わした。
上部禰宜の返答は、どこかうわの空だった。別のことで頭がいっぱいなのかもしれない。
それでも肝心なところでは尻尾をつかませないあたり、できる男なのだろう。
しばらくして、表面上は丁寧なあいさつをして、上部禰宜たちは去って行く。
最後、「お尋ねの件につきましては、いったん持ち帰らせていただきます」と言ったのは、非常に苦しそうだった。
来たときと同じく、供を従えて庭を横切っていく。
内心はどうであれ、足取りには最後まで乱れがなかった。
「御屋形様」
その背中が遠ざかっているのを見送っていると、庭先から近づいてきた土井が声を掛けてきた。
夕べから人を出して、宮川沿いを見回らせていた。
何かあったか。
目をやった先には、土井だけでなく幸松もいた。
真面目腐った表情で、一人前に片膝をついて地面を見ている。
「よろしいでしょうか」
一瞬、手元にある真桑瓜を食わせてやろうかと迷った。
いや今は仕事中だと意識を土井に戻す。
「どうした」
「吉田の町の門が開きました」
報告の意味を飲み込むまでに、瞬きを数回。
顔を顰める。
「相手は」
「北畠家の旗を持っておりました」
孫九郎は視線を、遠ざかっていく上部禰宜の背中に戻した。
あの男はこのことを知っているのだろうか。
少し考えて、首を振る。追いかけて尋ねても「持ち帰って確認する」と返ってくるだけだろう。
北畠軍を拒んでいたはずの外宮で、一の禰宜も三の禰宜も不在の今、これまでとは違う動きがあった。誰の判断かはわからない。
よくない流れだ。
だが相手が動いたのなら、こちらも対応を考えなければならない。
孫九郎はぶら下げていた足を引き上げ、立ち上がった。




