↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏颯記  作者: 槐
駿河編2

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

171/215

20-1 伊勢 宇治 藤波本邸17 西対3-1

 漏れ聞こえてくるのは声ではなく、重々しい衣擦れの音だった。

 いやそれは音ではなく、張り詰めた空気の震えだったのかもしれない。

 床につく手、下げる頭の角度まで揃ったその一幕は、遠目にわかるほどの緊張に包まれていた。

 孫九郎は、障子を閉じるように指示をした。

 使者と聞いたが、想像していたよりも正式なもののようだ。使者というよりも、外宮の有力者の誰かが話し合いに来たのだろう。

 障子が閉められても、神職たちの一糸乱れぬ所作がもたらす緊張感が、聞こえない音として伝わってくるようだった。

「外宮三の禰宜、上部様です」

 弥太郎の報告は少し遅かった。普段の今川忍び衆なら、この程度の情報はもっと早くに集めていただろう。

 理由は、鶸らに止められていたからだそうだ。率直に“邪魔をされた”と言わないのは、これまでの孫九郎と東雲の関係に配慮してか。

 鶸が情報を遮断した理由はわかる。これはあくまでも、神宮における政治の問題だからだ。

 だが、今川家が完全に無関係とも言い切れなかった。

 小さく息を吐く。

「北畠家と渡会家との縁組みは、内密にされていたのだな」

「はい」

 弥太郎は、いくらか申し訳なさそうな表情をして頷いた。

「おそらく、知っている者は多くはありませぬ」

 孫九郎は扇子を弄び、その先端が不規則に揺れるのをじっと見た。

「来ているのは三の禰宜か。では二の禰宜は」

「ご高齢にて、臥せっておられるそうです」

「では実質、渡会禰宜の次席がきているのか」

 弥太郎は小さく頭を下げる。

 上部禰宜まで知っていたのなら、渡会家だけの謀とは言い切れなくなる。

 もし北畠家と、外宮の最大勢力である渡会家が婚姻で結ばれたなら、内宮はどうなる。

 平時なら、神宮と北畠の関係が深まると喜ばれたかもしれない。だが今のこの状況では、ことさらに内宮が排斥されようとしているとしか見えない。

 いや実際そういう状況を狙っていたのだろう。北畠か、渡会か、あるいはそのほかの何者かが。

 孫九郎の脳裏に、小夜殿の震える白い手が浮かぶ。

 彼女はこのことを知って、どんな思いでいただろう。

 いくら恨みがあっても、家門の存続にかかわる秘密を告発するには勇気が要っただろう。

 孫九郎はちらりと、閉めた障子の先を盗み見た。

 日差しが透けて、松の木の影がくっきりと刻まれている。

 渡会家に肩入れする気など毛頭ないが、外宮のすべてがこの謀に関わっているとは思えない。

「……試してみるか」

 上部といったか。後ろ姿を見ただけだが、揃った所作の一団を率いるそれなりの人物に見えた。

 もちろん所作だけで人となりがわかるわけがない。

 だったら、直接会ってみよう。

 本来であれば、先触れを出して申し入れるべきだが、身構えられる前に感触をつかみたい。

 

 孫九郎はあえて、主殿の様子を探らせなかった。

 後から東雲に聞けばわかることだ。

 神経質になっている鶸を、逆なですることはない。

 ただ、帰り道からよく見える廊下で、通りかかるのを待つことにした。

 西対の端の、庭に面した廊下。主殿からは木が目隠しになっている場所だ。

 あえて身なりは整えない。装束は直垂ではなく、薄手の素襖。烏帽子もつけない。

 廊下に座って、裸足を揺らした。

 藤次郎からは咎めたてるような目で見られたが、ニッと意味ありげな笑みを返す。

 格式ばった相手だからこそ、あえて構えずにいた。

 暑いので、たらいに水を張って足首をつけたかったが、さすがに行儀が悪すぎるのでやめた。

 ただ冷えた瓜を切らせた。先生が差し入れてくれた、甘い真桑瓜だ。

 客人が帰る道筋はわかりやすい。主殿を出て庭へ下り、池を大きく回って南東の門へ向かう。

 その庭道は、西対の近くを通っていた。

 待つことしばし。

 孫九郎は日常使いの扇子でパタパタと顔を扇いだ。

 西対の軒が落とす影は濃い。そこから一歩先へ出れば、うだるような日差しの中だった。池の水面が眩しく光り、その照り返しがなおいっそう強い。

 切ったばかりの瓜はよく冷えていた。ひと切れ口に運ぶと、淡い甘さとともに冷たさが喉を落ちていく。

 もうひと切れ取ろうとして、やめた。

 やがて、松の木の向こう側に、真夏には重厚すぎる濃い色味の装束が見え隠れした。

 池を回る庭道を歩いてくるのは、外宮の神職たちだ。

 先頭にいるのが上部禰宜だろう。遠目にもわかるほど、きっちりと装束を整えている。

 狩衣の広い裾が歩みに合わせて揺れ、その下にはたっぷりとした指貫。頭には烏帽子をかぶり、暑さにも負けずどこにも崩したところがない。

 見ているだけで暑そうだ。

 孫九郎は顔をしかめ、薄手の素襖の袖から出した腕を眺めた。

 一瞬だけ、軽装すぎることが気になった。

 いや、これでいいのだ……と、気を取り直して足先を揺らす。

 神職たちはすぐにこちらに気づいた。

 それはそうだ。孫九郎だけではなく、周囲には護衛や側付きたちが控えていたのだから。

 上部禰宜が足を止め、しばらく視線が交わった。

 距離は離れている。着物の色と容姿がそれとなくわかる程度だ。

 上部禰宜はひと目でそれとわかる上級神職だが、孫九郎は下手をすると休憩中の小姓にみえたかもしれない。

 孫九郎は軽く目礼した。

 数呼吸の後、相手側も丁寧な礼を返してきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
福島勝千代一代記
「春雷記1」
モーニングスターブックスさまより
6月19日発売です

i000000  i000000  i000000  i000000  i1167263
― 新着の感想 ―
魔王が神職に仕掛けて参りました
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。