12-5 志摩 神島5
英虞衆の処分は、北畠家に一任することにした。
北畠家は公家だ。半ば武士のように伊勢をおさめてはいるが、考えたかたは公家的だと思う。
寒月様は、摂家に手を掛けようとした海賊衆を許しはしないだろう……と予想していた。
だが承菊は懐疑的だ。井伊殿もそうだ。
北畠家が公家だというのは確かだが、だからといって味方とは限らない。一条家の政敵側についている可能性もある。
それでも最終的に英虞衆を引き渡すことにしたのは、北畠家の動きを見るためだった。
これで、一条家と今川家との密接な関係を悟るだろう。
果たして東海の大国を敵に回す度胸があるだろうか。
これまで志摩は、半自治のようなかたちで見過ごされてきた。だが北畠家がその気になれば、状況は彼らの優位に動く。
今回の一件が、海賊衆への介入の口実になるからだ。
だが北畠家は公家だ。海で海賊行為をしている者たちが勢力下にいると認めるだろうか。
英虞衆どころか、志摩の海賊衆全体を、ないものとして扱う可能性があった。
だとすれば、この海域は独自の勢力圏だ。
土地は志摩の国で、北畠氏の影響下とされているが、海は手付かず。
そしてまだ、そこを掌握する余裕がある者はいない。
「熊野灘の航路の安全は、今川家にとって大きいです」
承菊の穏やかな口調に頷くのは井伊殿。
関東と関西をつなぐ唯一といってもいい航路は、主要な街道と同じぐらいに重要だ。
孫九郎は立ち上がり、静かになった浜辺を見下ろした。
鳥居の向こうに見える湊には、少し前まではひしめく子船があったが、今は数隻になっている。
海賊衆はそれぞれの拠点に戻って行った。
英虞衆が船団を壊滅状態にされ、北畠家に突き出されるという末路を目の当たりにして。
「どうなるだろうな」
果たして、縄で縛られたまま突き出された英虞衆は、北畠家でどんな扱いを受けるだろう。
罰せられるだろうか。赦されるだろうか。
「さあ。こちらは高みの見物でよろしいかと」
井伊殿の口調は、気のせいではなく楽しそうだった。この男はこういった“隙”を嗅ぎ取る嗅覚に優れている。
「志摩の海賊衆は、北畠家の出方によっては転びますぞ」
そして唆してくる。露骨なまでに。
風が少し強い。
夕刻が近いが、まだ空は青く、海は穏やかだ。
孫九郎は平和そのものの美しい情景に長く息を吐いた。
血なまぐさい海戦が終結したのは、たった数時間前だ。多くの血が流れ、多くの命が海の藻屑となった。
それでもなお、海は常と変わらない。
今となっては遠い日の記憶と同じ色の海、同じ色の空。
伊勢湾のその穏やかさは、ひどく現実とはかけ離れているように見えた。
「若君の熱が下がるまで待つのは危ういか?」
孫九郎は意識を実務的なことに切り替えた。
「そうですな。いつまでも気候がいいとは限りませぬ」
井伊殿も濡れ縁から立ち上がり、孫九郎の横に歩み寄った。その足元で、パチリと松の古枝が折れる音がした。
「また志摩の海賊衆が襲って来るやもしれませぬし」
「それは……そうだな」
伊良湖の岬はすぐそこだが、ここはまだ志摩だ。興津や三河の水軍が警戒にあたっているが、神島にいる今川兵の数は少ない。
可能な限り早く、寒月様を含めお三人を三河に移動させた方がいい。
問題は、その時期だが……。
「そういえば井伊殿」
不意に、承菊が近づいてきて井伊殿の腕に手を置いた。
「先日お願いしていた件ですが」
「……ん? おお」
孫九郎が振り返ったときには、二人は何故か少し離れたところにいた。
「そうだな、あの件を話さなければ。承菊殿、湊のほうで」
「はい」
そして挨拶もそこそこに、あっと言う間に遠ざかって行った。
――なんだ?
孫九郎はぽかんと口を開けた。
その、直後。
「……あにさま」
潮風に木がそよぐ音に交じって、声がした。
小さな、だがはっきりと耳に届く声だった。
巡らせた視線の先に、離れの傍の白い百合の群生が目に入る。
その脇に、薄手の被衣に薄藤色の小袖の少女がいた。
「愛姫様」
孫九郎は驚愕の声を上げ、きょろきょろと周囲を見回した。
何故護衛がいないのだ。姫様をしっかり守るようにと、鈴にも頼んでいたのに。
小走りに近づくと、愛姫様は怯えたように後ずさった。
孫九郎はその場で足を止め、片膝をついた。
「日差しが強うございます。あちらに濡れ縁がございますので、どうか」
怖がっている子に何と言えばいいのだ? 一緒に行こう? いやそれはぶしつけだろう。
愛姫様は数歩後ずさったところで足を止めた。孫九郎にとっては長い間があいて、おずおずと頷く。
ほっとして手を差し出すと、愛姫様の足がわずかに前に出た。
その足元にくぼみがあることに気づいたのは、風を孕んだ被衣が白百合に引っ掛かり、彼女の体がぐらりとよろめいてからだ。
とっさに手を差し出した。
支えようとした孫九郎と、支えを求めた愛姫様と。
互いの手が強く結びついて、同時に潮風が濃厚な百合の匂いを伝えてきた。
「……あっ」
風が吹いて、被衣がめくれた。
ただれた頬の火傷の跡が、日差しに強い赤色として浮かんだ。
孫九郎は黙って被衣を掴み、ふわりと愛姫様の頭にかぶせた。
きっと出歯亀どもがどこかで見ているんだぜw




