表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏颯記  作者:
駿河編2

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

105/108

12-6 志摩 神島6

 日差しが遮られた濡れ縁のひとつに、並んで腰を下ろしている。

 かつての孫九郎が生まれ育った環境ならまだしも、この時代だととてつもなく非礼だ。

 だが姫様の手が、孫九郎の袖をつかんで離さなかった。

 その不安そうな様子を見ると、やはり比べてしまうのは、かつてのお転婆だったお姿だ。

 廊下を走り、こぼれるような笑顔を浮かべ、孫九郎が尻餅をつくほど勢いよく抱き着いてきたこともあった。

 思い出してしまうとたまらなくなって、袖をつかんでいた手をぎゅっと握った。

 愛姫様は息を飲み、おずおずとこちらを伺う気配がして、小さく、本当に小さく、泣きそうに細い声で「あにさま」と呟いた。

 孫九郎はどう答えたらいいのかわからず、無言で手に力を込めた。力を込めたと言っても、壊れものを扱うようにそっとだが。

 姫様の手はほっそりしていて、やわらかく、心もとなかった。指先が冷たく、爪先の血色も悪い。

 女の子の手だ。まだ十歳そこそこの。

 改めて、彼女に襲い掛かった苦難に胸が痛んだ。

 同時に、生きてここにたどり着いてくれたことに感謝した。命がなかった可能性も十分にあった。

 かつて一条邸で助けられたように、今度は孫九郎がこのお方の役に立つ番だ。

「良い天気ですね」

 お互いに何も言わないままに、しばらく海を眺めた末、孫九郎の口からこぼれたのはそんな言葉だった。

 違う、そうじゃない。天気の話をしてどうする。

 そう思いながらちらりと横を見る。

 薄い布越しに、愛姫様の口元が見えた。

 血の気の失せた唇と、白い肌の色に、居心地が悪いというか、そわそわするというか、どこに目をやればいいのかわからず視線が泳ぐ。

「痛みますか」

 思ったままの言葉がこぼれ、しまったと口を閉ざした。

 これも違う。デリカシーにかけることを言ってしまった。

 孫九郎が焦ったことに気づいたのだろう、しばらくして愛姫様が小さく笑った。

「……痛うはない」

 いや笑ったのか、泣き声なのかわからない。

「ずっと布を当てとったらようないそうや」

「痛みがないならよかった」

 孫九郎はもう一度、握った手に力を込めた。

 今度は、励ますように。

「姫様が生きていてくださって、本当によかった」

 髪が燃え、頬にあんな大きな火傷を負い、きっとその時は命に係わる状況だったはずだ。

 何があったかなど聞けないが、とにかく今生きていることを感謝した。

「よく頑張りましたね」

 ひゅっと、息を飲む音がした。

 また泣かせてしまったかと思ったが、彼女は泣かなかった。

 愛姫は少し肩を上下させて呼吸を整え、「はい」と小さく頷く。

 冷たかった指先に、わずかに温もりが戻った気がした。

 それだけで、心から「よかった」と安堵した。


 海が美しくオレンジ色に染まるまで、ただ並んで座っていた。

 お互いに言葉はなかったが、心地よい時間だった。

 風が西向きに変わり、湿度を増した気がして、戻る刻限だとわかった。

 まるで幼い子供のように手をつなぎ、ゆっくりと歩く。

 並ぶと愛姫様のほうが背が高く、それが悔しいと言うと、被衣越しにくすくすと笑い声が聞こえた。

男子おのこが大きゅうなるのはこれからです」

 孫九郎がぐっと胸を張ると、また朗らかに笑う。

 百合の傍に立っていた時のような、今にも消えてしまいそうな風情はなくなり、ほんの少しだが元気が戻ったように見えた。

 それがたまらなくうれしかった。

「お勝」

 社に戻ると、本殿の縁側に寒月様が立っていた。

 その目がつながれた手に向くのがわかって、慌てて離そうとしたのだが、愛姫様がぐっと力を込めた。

 振り払うわけにはいかない。……どうしよう。

 幸いにも、咎められることはなかった。

「万千代が目を覚ました」

 このまま意識が戻らなかったら、危なかったそうだ。

 おかげで少量だが重湯を口にし、薬が飲めた。

 まだ安心できる状況ではないが、悪い知らせではない。

「よかった。明日もう一日様子を見て、三河に渡りましょう」

 孫九郎は嗚咽をこぼす愛姫様の背中をそっと撫でた。

 見間違いでなければ、寒月様の目にも涙が浮かんでいた。


 夜。

 孫九郎はひとり、あの濡れ縁に座っていた。

 神島の社はそれほど大きなものではなく、大勢が休める場所はない。

 孫九郎は優先順位が高い方だが、一条家の三人と東雲がいるので、そちらの方々に本殿と離れを使ってもらった。

 孫九郎がいるのは、社務舎だ。

 常時使われているわけではないようで、法具や小物などが整頓されて置かれている。

 気候もいいし、雨風を凌ぐことができれば十分だ。

 夜半、なかなか寝付くことができずに、月を見ながら考える。

 この先、お三方の為に何ができるだろう……と。

 公家のことは畑違いだが、土佐半国の統治となれば話は別だ。

 周囲は武士ばかり、土佐一条家の国元にいる家臣も多くが武士だろう。

 それは孫九郎にとって、馴染み深い問題だった。

 だが、土佐はあまりにも遠く、今川から兵を出すのは現実的ではない。

 まずは忍びを入れて、状況を探らせよう。

 寒月様たちが、どうしても土佐に向かわなければならない理由があるなら、まずはそこを知りたい。

 ――大内家か。

 孫九郎は薄い月をじっと見上げ、西の大国に思いをはせた。

 大内家と一条家の領地は、隣接しているわけではない。

 わざわざ狙ってくるということは、その間にある国を獲る目途が立ったということだろうか。

 いや……そうとも限らない。伊予を取るために、一条家を押さえようとしたのかもしれない。

 孫九郎は、視線を夜の海に下ろした。

 夜の海は、まるで墨を塗ったように濃い闇色だ。

 月あかりの照り返しがなお、その暗闇を濃くしているように見える。

「御屋形様」

 深く考え事に没頭していた孫九郎は、呼ばれてすぐに我に返った。

 驚かなかったのは、声を掛けてきたのが宿直の南だったからだ。

 何だ、と聞き返すまでもなく、浜のほうから幾人かが駆けあがってくる音が聞こえた。

 しばらくして護衛に誰何されたのは、清水九兵衛だった。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
そういえば春雷記回想 宿命編 駿河 今川館2 「お勝」 「はい」 「こうなるやもしれぬと、予想していたと言えばどうする」  抑揚のない囁くような声だった。 「世の中をひっくり返すにはどうすればよいかと…
草葉の陰の出歯亀どもが、目を細めて「甘酸っぱ~い」とか同意で思ってそうw 愛姫様の孫九郎好き好きアピールを見て、寒月様もそうか、そういう道もあるかと考えてくれればいいな~。 春雷記 書籍化おめでとう…
感想から春雷記が書籍化するのを知りました!! 教えていただき有難う御座います♪ 嬉しい!!待ち遠しい(((o(*゜▽゜*)o)))♡ 孫九郎くんと愛姫ちゃん、初々しい(//∇//)このまま見守りたい…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ