12-6 志摩 神島6
日差しが遮られた濡れ縁のひとつに、並んで腰を下ろしている。
かつての孫九郎が生まれ育った環境ならまだしも、この時代だととてつもなく非礼だ。
だが姫様の手が、孫九郎の袖をつかんで離さなかった。
その不安そうな様子を見ると、やはり比べてしまうのは、かつてのお転婆だったお姿だ。
廊下を走り、こぼれるような笑顔を浮かべ、孫九郎が尻餅をつくほど勢いよく抱き着いてきたこともあった。
思い出してしまうとたまらなくなって、袖をつかんでいた手をぎゅっと握った。
愛姫様は息を飲み、おずおずとこちらを伺う気配がして、小さく、本当に小さく、泣きそうに細い声で「あにさま」と呟いた。
孫九郎はどう答えたらいいのかわからず、無言で手に力を込めた。力を込めたと言っても、壊れものを扱うようにそっとだが。
姫様の手はほっそりしていて、やわらかく、心もとなかった。指先が冷たく、爪先の血色も悪い。
女の子の手だ。まだ十歳そこそこの。
改めて、彼女に襲い掛かった苦難に胸が痛んだ。
同時に、生きてここにたどり着いてくれたことに感謝した。命がなかった可能性も十分にあった。
かつて一条邸で助けられたように、今度は孫九郎がこのお方の役に立つ番だ。
「良い天気ですね」
お互いに何も言わないままに、しばらく海を眺めた末、孫九郎の口からこぼれたのはそんな言葉だった。
違う、そうじゃない。天気の話をしてどうする。
そう思いながらちらりと横を見る。
薄い布越しに、愛姫様の口元が見えた。
血の気の失せた唇と、白い肌の色に、居心地が悪いというか、そわそわするというか、どこに目をやればいいのかわからず視線が泳ぐ。
「痛みますか」
思ったままの言葉がこぼれ、しまったと口を閉ざした。
これも違う。デリカシーにかけることを言ってしまった。
孫九郎が焦ったことに気づいたのだろう、しばらくして愛姫様が小さく笑った。
「……痛うはない」
いや笑ったのか、泣き声なのかわからない。
「ずっと布を当てとったらようないそうや」
「痛みがないならよかった」
孫九郎はもう一度、握った手に力を込めた。
今度は、励ますように。
「姫様が生きていてくださって、本当によかった」
髪が燃え、頬にあんな大きな火傷を負い、きっとその時は命に係わる状況だったはずだ。
何があったかなど聞けないが、とにかく今生きていることを感謝した。
「よく頑張りましたね」
ひゅっと、息を飲む音がした。
また泣かせてしまったかと思ったが、彼女は泣かなかった。
愛姫は少し肩を上下させて呼吸を整え、「はい」と小さく頷く。
冷たかった指先に、わずかに温もりが戻った気がした。
それだけで、心から「よかった」と安堵した。
海が美しくオレンジ色に染まるまで、ただ並んで座っていた。
お互いに言葉はなかったが、心地よい時間だった。
風が西向きに変わり、湿度を増した気がして、戻る刻限だとわかった。
まるで幼い子供のように手をつなぎ、ゆっくりと歩く。
並ぶと愛姫様のほうが背が高く、それが悔しいと言うと、被衣越しにくすくすと笑い声が聞こえた。
「男子が大きゅうなるのはこれからです」
孫九郎がぐっと胸を張ると、また朗らかに笑う。
百合の傍に立っていた時のような、今にも消えてしまいそうな風情はなくなり、ほんの少しだが元気が戻ったように見えた。
それがたまらなくうれしかった。
「お勝」
社に戻ると、本殿の縁側に寒月様が立っていた。
その目がつながれた手に向くのがわかって、慌てて離そうとしたのだが、愛姫様がぐっと力を込めた。
振り払うわけにはいかない。……どうしよう。
幸いにも、咎められることはなかった。
「万千代が目を覚ました」
このまま意識が戻らなかったら、危なかったそうだ。
おかげで少量だが重湯を口にし、薬が飲めた。
まだ安心できる状況ではないが、悪い知らせではない。
「よかった。明日もう一日様子を見て、三河に渡りましょう」
孫九郎は嗚咽をこぼす愛姫様の背中をそっと撫でた。
見間違いでなければ、寒月様の目にも涙が浮かんでいた。
夜。
孫九郎はひとり、あの濡れ縁に座っていた。
神島の社はそれほど大きなものではなく、大勢が休める場所はない。
孫九郎は優先順位が高い方だが、一条家の三人と東雲がいるので、そちらの方々に本殿と離れを使ってもらった。
孫九郎がいるのは、社務舎だ。
常時使われているわけではないようで、法具や小物などが整頓されて置かれている。
気候もいいし、雨風を凌ぐことができれば十分だ。
夜半、なかなか寝付くことができずに、月を見ながら考える。
この先、お三方の為に何ができるだろう……と。
公家のことは畑違いだが、土佐半国の統治となれば話は別だ。
周囲は武士ばかり、土佐一条家の国元にいる家臣も多くが武士だろう。
それは孫九郎にとって、馴染み深い問題だった。
だが、土佐はあまりにも遠く、今川から兵を出すのは現実的ではない。
まずは忍びを入れて、状況を探らせよう。
寒月様たちが、どうしても土佐に向かわなければならない理由があるなら、まずはそこを知りたい。
――大内家か。
孫九郎は薄い月をじっと見上げ、西の大国に思いをはせた。
大内家と一条家の領地は、隣接しているわけではない。
わざわざ狙ってくるということは、その間にある国を獲る目途が立ったということだろうか。
いや……そうとも限らない。伊予を取るために、一条家を押さえようとしたのかもしれない。
孫九郎は、視線を夜の海に下ろした。
夜の海は、まるで墨を塗ったように濃い闇色だ。
月あかりの照り返しがなお、その暗闇を濃くしているように見える。
「御屋形様」
深く考え事に没頭していた孫九郎は、呼ばれてすぐに我に返った。
驚かなかったのは、声を掛けてきたのが宿直の南だったからだ。
何だ、と聞き返すまでもなく、浜のほうから幾人かが駆けあがってくる音が聞こえた。
しばらくして護衛に誰何されたのは、清水九兵衛だった。




