12-4 志摩 神島4
孫九郎が湊に戻った時、そこは物々しい雰囲気になっていた。
武装した今川兵がびっしりと並び、警戒もあらわに海を睨んでいる。
波は穏やかに打ち付け、風もやさしくそよぐ程度だったが、眼前の海には島の南側に消えた船が戻ってきていた。しかも大量に。
落ち着いて見ていられたのは、近くにあるのが興津家の旗を掲げた船だったからだ。
それらの船からいくつもの小舟が下ろされ、神島に近づいてくる。
島には小さいが浜があるので、そこからも上陸できそうだが、小舟の群れは行儀よく波止場に向かい、規則正しく順に接岸していった。
時間はかかったが、武装を解除した海賊衆が狭い湊に集められた。
手に槍や刀を持った今川軍に囲まれて、不安そうな、あるいは不服そうな表情の男もいるが、おおむね静かにこの状況を受け入れている。
最後に、縄で縛られた男たちが五人、背後から槍を突き立てられて上陸した。
きっとこいつらが英虞衆だろう。
先に上陸した険しい表情をした者たちが、志摩の他の地域の海賊衆か。
昨日の井伊殿との会合の後、九鬼は英虞衆のマズイ立場を他の海賊衆に知らせた。九鬼単独では英虞衆に対処できないと判断したからだろう。
最初は志摩の海賊衆も、今川水軍の介入に難色を示していたに違いないが、興津衆と三河衆を見て立場を決めた。
正直、一丸になって掛かってこられたら、さすがにまずかったと思う。
「あっ、御屋形様!」
小舟の交通整理をしていた清水九兵衛が、屈強な兵らの列に交じった孫九郎を見つけて大声を上げた。
英虞衆の前で腕組みをしていた若い男が、ぎょっとした様子でこちらを見た。
こんがりと日焼けをした、二十歳前後の青年だ。
……こいつが九鬼か。
海賊衆が総じて驚愕の表情を浮かべるのを、孫九郎はじっと見据えた。
無腰の男たちが、小柄な孫九郎を見て何を考えたかは想像に難くない。
最初は隣に井伊殿が立っているせいで、小姓程度に見えていたかもしれない。最終的にはきっと、くみしやすい非力な少年だと思ったのだろう。
静かなざわめきと当惑が広がる。
特に顕著な反応を見せたのは、縛られている英虞衆で、ひと際体格がいい者が跳ね上がるように身体を起こした。
だがしかし、その髭面の口が何かを言う前に、真後ろにいた渋沢に蹴飛ばされて、蛙が潰れたような声を上げた。
「なっ、なにを!」
「無礼者」
例の恐ろしい頬あてのせいで、美麗な容姿はまったく見えていないが、響く美声に誰もが息を飲んだ。
後から聞いた話だが、渋沢は重い鎧兜姿のまま、英虞衆の捕縛に大いに力を発揮したそうだ。
海が得意ではないと言っていたが、それは不得手というよりも経験がなかっただけだろう。
出来る奴はなんでも如才なく、いやそれ以上の手腕を発揮するものだ。
それはさておき。
孫九郎が数歩前に踏み出すと同時に、風が吹いた。
海からの、強めの風だ。
ザワリと浜辺の木が揺れ、音を立てた。
「和具」
ぽかんと開いていた英虞衆の口が、引きつったように歪んだ。
呼び捨てにされたからか? あるいは、声を掛けた孫九郎が少し笑っているように見えたからかもしれない。
彼らだけではない、今川側の兵らも、何故か臆したようにビクリと震えた。
「あいつです。真ん中の」
孫九郎の後ろにぴたりと付いた鈴が、こっそりというには大きな声で言った。
「若様とあたいらを、荒縄で縛って、引きずり回した」
鈴に指さされた男が、否定するように首を振った。
周囲から険しい視線を浴びて、「違う、違う」とうわごとのようにつぶやく。
「……縄で、縛ったと?」
公家屋敷の奥で、大切に育てられた一条家の姉弟を?
どんなに恐ろしい思いをしただろう。想像しただけで、激しい衝動が込み上げてきた。
孫九郎は無意識のうちに、腰の刀に手を置いていた。
「御屋形様」
それを止めたのは、井伊殿だった。
柄にもないと思ったのか、抜かせてはいけないと思ったのか。
「お手を煩わせるまでもございませぬ。我らにお任せを」
何を。何を任せると言うのか。
この場にいるおそらく全員が理解したことを、孫九郎の頭は素通りした。
いつの間にか握っていた刀の柄に、ジワリと汗がにじむ。
するり、と渋沢が抜刀した。
護衛の谷も、主だった孫九郎の側近たちも刀を抜いていた。
「ま、待て。待ってくだされ!」
立派な体躯をした和具の口から、ひっくり返った悲鳴のような声が上がった。
「我らはそのようなつもりではっ」
「ほう、ではどのようなつもりだったのだ?」
即座に井伊殿が、抑制が効いた声で返した。
「今川家から、摂家の若君の身代金を取るか。たいした商売だ」
「知らなかった! 我らは知らなかったのだ!」
「一条家のご先代は、御屋形様の烏帽子親だ。若君とはご兄弟のように親しい仲だ」
「しっ」
更に「知らなかった」と続けようとした声は、孫九郎が無言のまま刀を抜いたことにより途切れた。
孫九郎は、血の気の失せた和具の目を、無感情に見据えた。
ギラリと、抜き放たれたいくつもの刀が陽光を照り返す。
そのぬめるような輝きに、くらりと眩暈を覚えた。
「御屋形様!」
不意に、鈴が大きな声を上げた。
「そいつ、殺すのならあたいがやってもいいですか?」
ぎょっとした。
無邪気な声が遮ったのは、緊迫した場の空気と、孫九郎の爆発しそうな怒りの波だった。
「ねぇ、いいですよね? ベタベタ触られて気分悪いったら!」
「えっ」
ドン引きの声が上がった。
一番大きくのけ反ったのは九鬼だ。
鈴は年齢よりも幼く見える少女だ。女童というには年かさだが、少女というにはあどけない。
万人の常識として、髭もじゃのむさくるしい中年男が手を出す対象ではない。
「……他になにもされなかったか?」
孫九郎はそう問いながら、理性が静かに仕事を再開するのを感じた。
怒りはむしろ練り上げられ、精度を上げた。
鈴の反応次第では、こいつに重りをつけて深い海に突き落とすぐらいしただろう。
細腕で切りつけるよりも、よほど確実な始末の方法だ。
だが鈴はニコリと、邪気のない笑顔を浮かべた。
「なにも! そいつ、奥さんに睨まれてひっこんだから!」
和具の顔に、カッと朱が上った。
怒鳴り返そうと息を吸いこんだが、再び突き付けられた刃に怯む。
数秒おいて、誰かわからないが失笑した。
そしてそれは、次第に伝播した。




