第300話 社畜と眼鏡談義
「あ、2人ともお帰り……なさい……?」
オフィスに戻ると、自分のデスクで仕事をしていた桐井課長が顔を上げ……怪訝な表情になった。
原因は佐治さんの態度だろう。
「ふふふ……」
鼻歌混じりで席につき仕事を再開した彼女は、普段の態度と比べて確かに不審極まりないものだ。
普段はもう少し、こう……ムスッとしているとはでは言わないが、クールに仕事をしているからだ。
——その後しばらくして、佐治さんがトイレに立ったあとすぐのことだった。
「ちょっと、廣井さん」
言って、チョイチョイと手招きをする桐井課長。
得も言われぬ圧を感じ、ひとまず彼女のデスクまで向かう。
「はい、なんでしょうか」
「あの、なんか佐治さんの様子がおかしいんですけど」
「いやぁ……」
まあ、気持ちは分かる。
これほど上機嫌な佐治さん、俺も見たことないもの。
いや、以前の合宿で行った戦闘訓練で魔法少女の皆さんを素手でぶちのめしたときはこんな感じだった気もするけども。
「廣井さん。図書館で資料を探してきたんですよね……?」
「!? も、もちろんです」
そう問い詰めてくる桐井課長の目が怖い。
課長殿はたまに俺に対してこういう目をするが、今日はいつにもまして凄みを感じるぞ……
もしかして、俺たちがサボって遊んでいたと疑っているのだろうか。
いやまぁ、佐治さんは俺が資料を探している間、趣味らしき格闘技雑誌を読みふけっていたうえちゃっかりそれ系の本を何冊も借りていたけどさ。
ただ、その中には格闘技の技術本やスポーツのコーチングに関する資料もあったから、一応仕事に関する資料集めをしていたようだ。
もちろんその後はまっすぐ帰ってきた。
そしてこれが大前提なのだが……そもそも俺と佐治さんの間に何かあるわけがない。
とはいえ、佐治さんの機嫌について説明が必要なのは分かる。
「あー……実は佐治さん、図書館で眼鏡をかけていまして」
「眼鏡ですか」
「はい」
「……そういえば佐治さん、以前、視力が20くらいあると言ってましたね」
「自称ですよね……?」
視力20……アンデス山脈のコンドルかな?
いやまあ、本人が『本を集中して読むときは眼鏡をかけたほうが読みやすい』と言っていたから遠視気味なのだろう。
それに普段の彼女の様子を思い返してみると、眼鏡は掛けていないものの……PCモニタや書類を見る時は姿勢を良くして、つまりできるだけ目と対象との距離を取って仕事をしていた。
そういえば会議の時なども、会議室の一番後ろに陣取ることが多かった気がする。
あれはヤンキーとか強者のポジショニング的なものではなく、単にその方がホワイトボードを見やすいから説が出てきたな。
桐井課長が『それで?』と先を促してくる。
「ああ、ええと……実はその様子があまりに意外だったので、『すごく似合ってますよ』と褒めたんですよ」
いやまあ、それ以外に何を言えと言うのだ。
普段のイメージとは違うにせよ、実際似合っているのは事実だし。
知的でクールな雰囲気の佐治さんも存外悪くないと思う。
まあ、本音の九割は『変なことを言って殴られたくない』だが。
ともかく。
「それからあんな感じで」
それを聞いた桐井課長はというと。
「ふぅん……なるほど……廣井さんは……そうですか……ふぅん……」
……とかなんとか、桐井課長はもにょもにょ呟きつつチラリと佐治さんのデスクに視線を送り、それから俺を一瞥し、腕組みなどをしつつ難しい顔でPCをじっと見つめながら考えごとを始めてしまった。
「あの、桐井課長?」
「……!? ああ、すいません何でもありません!」
俺の声掛けにビクッ! と肩を震わせ我に返る課長殿。
本当に大丈夫だろうか……
彼女はコホン、とひとつ咳ばらいをしてから俺に向き直った。
「そ、そういえば先ほどは小山内美祢さんの前世……のご友人? に関する情報を探しに図書館に行っていたのですよね。何か情報は見つかりましたか?」
「あっ、はい。一応は……」
ひとまず図書館でコピーを取ってきた資料を桐井課長のデスクに広げる。
「なるほど。この『K君』という男の子が、例の……」
桐井課長は資料にざっと目を通すと、ふぅと小さくため息をついた。
「正直、確信を持てる段階ではないです」
「まあ、そうですよね。さすがに前世の話は、私も本当に信じていいのか分からないですし」
「ただまあ、一応ではありますが似たような事件を見つけたのは一つの成果かもしれませんね」
「……美祢さんが、その事件を知っていた可能性は?」
「それについては、なんとも」
とはいえ、様々な状況証拠から、俺は彼女が日本に転生してきた異世界人である可能性が高いと思っている。
だがそれとは別に、彼女がこの神隠し事件をどこかで知り、記憶のつじつま合わせをしてしまった可能性を否定することはできない。
なにしろ彼女はまだ13歳の女の子なのだから。
「いずれにせよ、美祢ちゃんにはそろそろ途中経過の報告をしてあげるつもりです」
「分かりました。私にできることがあれば、相談してください」
「了解です」
翌日。
「おはようござ……います」
オフィスに入ろうとしたところで固まった。
桐井課長が眼鏡を掛けていた。
ちょっと大振りサイズで、ただでさえ小顔の彼女のほとんど顔半分を覆ってしまっている。
……いつものゆるふわな雰囲気の相まって、なんというか小動物みが増している。
佐治さんがクール知的美人系だとすれば、桐井課長は小動物系図書委員といった雰囲気だ。
端的に言ってとても可愛らしい。
「あっおはようございます廣井さん」
なんてことないような素振りで、桐井課長が眼鏡の端をクイと持ち上げる。
彼女の背後の窓から差し込み朝日を反射して、眼鏡の縁がキラリと輝いた。
心なしか彼女の口の端がつり上がっているように見える。
そして俺が聞く前に課長殿自ら話し出した。
「あぁ、これですか? 実は今朝顔を洗った後にコンタクトを切らしてしまっている事に気づきまして。まったく私としたことがドジを踏んでしまいました」
いや別に理由までは聞いてないんだけど……
それはともかく、これはさすがに分かる。
魚心あれば水心、というやつだ。
「桐井課長、眼鏡も似合ってますよ」
「……ふふ! まあ、明日にはコンタクトに戻るんですけどね!」
そう言って苦笑する桐井課長。その表情は妙に嬉しそうだ。
うむ。
やはり上司の機嫌は良いに越したことはないな……!




