第301話 社畜、経過報告をする
「あの、今日はよろしくお願いします」
夕方の会議室に、美祢ちゃんの緊張した声が響き渡った。
「いえいえ、こちらこそ急に呼び出してすいません」
「美祢さん、そう固くならないでも大丈夫ですよ」
そんな彼女を慮ってか、俺の隣で桐井課長がにこやかに微笑む。
何を隠そう、今日の面談は課長殿もご同席頂いている。
ちょうど、同じ時間に入っていた会議がキャンセルになったそうだ。
余談だが、佐治さんは別の用事で終日外出だ。
彼女も美祢ちゃんと話したがっていたが、こればかりは致し方ない。
「…………」
と、桐井課長が俺にチラリと目配せをしてきた。
そろそろ本題に入りましょう、ということのようだ。
ちなみに今日の課長はコンタクトをしている。
束の間の眼鏡女子も似合っていたが、俺としてはこっちの方が見慣れた課長の姿だな。
俺は無言で小さく頷き、手元の資料を美祢ちゃんに差し出した。
「さて、さきほど電話でお伝えしていたとおり、美祢さんの『前世』について我々である程度調べさせてもらいました」
「……! それで、なにか分かったんですか!?」
「まあまあ、落ち着いてください」
ガバッと身を乗り出してくる美祢ちゃんを手で制しながら、デスク上の資料を指し示す。
「もちろん、『前世』そのものが分かったわけではありません。当然ですが、調べようがありませんから」
「そ、そうですよね……」
俺の言葉で冷静になったのか、静かに椅子に座り直す美祢ちゃん。
もちろん個人的な縁や興味もあって異世界で直接調査はしているわけだが、今それを伝えることはできない。
「ただ、私の方で調べた結果、もしかしたら勇者とされる人物では、と思われる方を見つけました。それがこの資料です」
「……これは」
「過去の失踪事件、というか『神隠し』に関する資料です。まあ、特に極秘資料というわけではなく市販の書籍の抜粋ですけどね」
「神、隠し……」
美祢ちゃんは資料を手繰りよせると、食い入るように文章を読み込んでいる。
それを眺めながら、補足説明を入れていく。
「以前聞いた話では、前世で出会った勇者がどのような人物だったかは覚えていないと言っていましたよね。ですが、美祢さんから聞いた話とこちらで調べたことを総合すると、勇者とされる人物が『こちら側』から『前世』の世界に召喚された可能性が高いと判断しました」
この国では失踪事件が年間10万件近く発生している。
もちろんそのほとんどは、生死は問わず見つかっている。
だが、それでも年間数件から数十件は見つからずじまいである。
さらにその見つからずじまいだった失踪事件も、そもそも失踪の原因が家出や災害に巻き込まれたなどはっきりしていたり、数年から十数年後に生存が確認できたり、残念ながら亡くなられて見つかることが大半だ。
それゆえ、完全な『神隠し』とされる事件はほとんどない。
しかし、それでもまったく原因も経緯も脈絡もなく失踪し、十数年経っても見つからずじまいという事件は存在する。
その中でも、『K君の神隠し事件』は異彩を放っていた。
何しろ学校にいるところを目撃されたあとに、忽然と姿を消しているのだ。
しかも彼は当時現役の高校生。
未成年ではあるが、十分な判断能力もある年齢だ。
そして、失踪事件の前に、彼が何かトラブルに巻き込まれていた事実もないようだ。
他の神隠し事件のように人里離れた場所で起きたことでもないし、小さな子供や老人でもない。
さらに言えば、時期的にも美祢ちゃんが生まれる数年前の出来事だ。
もちろん状況証拠としてもあいまいで、裏付けとするにはかなり厳しいのは承知している。
だが俺は、異世界で勇者とされる人物が日本語の読み書きができることを知っている。
彼が前世の美祢ちゃんと一緒に行動していた勇者である可能性は高い。
「…………」
美祢ちゃんは俺の説明を聞いているのか聞いていないのか、食い入るように資料を見つめている。
と、そのときだった。
「……う……」
突如、美祢ちゃんがうめき声を上げた。
資料をテーブルに放り出し、頭痛を堪えるように両手で頭を抱える。
「美祢さん!?」
「だ、大丈夫……です」
俺と桐井課長で慌てて立ち上がるも、美祢ちゃんは震える手で俺たちを制する。
それから彼女は俯き頭を抱えながら、ぶつぶつと何かを呟き始めた。
「……ゆう、さま……らい、ら……ぐ……しん……てん……まほ……う……なん、で……」
だが彼女の顔は蒼白で大粒の涙を流し、擦れた声が漏れる唇は戦慄いていた。
とても尋常な様子ではない。
「今、医療スタッフを呼びます」
俺はすぐさま会議室の隅に向かい、そこに据え付けてある内線電話から素早く受話器を持ち上げた。
桐井課長も素早く美祢ちゃんのもとに向かい、彼女が椅子から落ちて怪我をしないよう身体を抱きかかえた。
が、結論から言えば……医療スタッフを呼ぶ必要も、彼女の身体を支える必要もなかった。
「……あの、廣井さん、桐井さん……どうかしたんですか?」
突如、美祢ちゃんの呟きが途絶えたと思ったら、きょとんとした表情で顔を上げたからだ。
先ほどの蒼白な表情はどこにもなく、すでに血色は戻っていた。
「あの、何かあったんですか? 医療、スタッフ……? なぜお二人とも怖い顔をしているんですか……? あれ……? 私、なんで、涙……?」
美祢ちゃんは困惑したような表情で俺と桐井課長の顔を見比べ、それから頬を流れる涙に気づいた。
「…………」
「…………」
俺と桐井課長は、互いに顔を見合わせた。
どうやら美祢ちゃんは、先ほどの錯乱状態をまったく覚えていないらしかった。
◇
結論から言えば、美祢ちゃんの体調はすこぶる良好だった。
本社ビル常駐の医療スタッフに太鼓判を押されていたから、ひとまずは安心である。
とはいえ、想定外の状況である。
桐井課長と一緒に美祢ちゃんに謝罪したうえで経緯を説明し、きちんと医者にかかるように言い含めてから帰宅させた。
もちろん姉の小山内さんにも一報を入れておいたから大丈夫だと思うが……さすがに肝が冷えた。
「……美祢さんに情報を開示したのは、失敗だったかもしれませんね」
夜のオフィスで、俺は呟いた。
桐井課長は自席でしばらく無言だったが、やがて口を開いた。
「……いえ、私も想定外でした。というか、誰にも予想できませんよ」
彼女は苦笑して、それから資料をひらひらと振って見せる。
「医療スタッフの方によれば、あのくらいの年頃……思春期の女の子は、体質にもよりますがちょっとしたことでパニックに陥ったり情緒不安定になるものだそうです。今回見せた資料は少々刺激の強い内容だったので、おそらくそういう性質が強く出てしまったのでしょう、とのことでした」
桐井課長は『多分ですけどね』と断りを入れたうえで、さらに続ける。
「私は昔からさっぱりとした性格だったので、ホラーや怪談の類を見聞きしてもパニックに陥るようなことはありませんでしたが……中学生の頃は、同級生が似たような状況に陥ったのを見たことがあります。たぶん思春期なら、割とよくあることなんだと思いますよ」
「……そんなものですかね」
確かに、中学生くらいの頃は気弱な女子が仲間内で怪談を聞いて気分が悪くなったのを見たことがある気がする。
そう思えば、美祢ちゃんの様子もそれほど深刻ではない気がしてきた。
「分かりました。いずれにしても、改めてフォローする機会が必要かもしれませんね」
「そうですね。次回美祢さんをお呼びするときは、他の子たちも一緒に呼ぶことにしましょう」
「……そうですね、その方が安心できるかもしれませんね」
特にアンリ様がその場にいれば、治癒魔法を使えたりと心強いからな。
……ただ、俺としては気になることがあった。
それは、美祢ちゃんが正体を失っていた時に呟いていた言葉だ。
『ユウ』
『ライラ』
たしかにそう聞こえた。
それは勇者と、もう一人の聖女の名だ。
……俺はまだ、美祢ちゃんに彼らの名前を伝えたことはない。




